「いとこの戦死が嬉しかった」…軍国少女だった91歳の後悔 市民の間に蔓延した“同調圧力” #きおくをつなごう #戦争の記憶
梅本さんの母・いとのさんは、地域の農作業の手伝いをしたり、戦地の兵士に送る慰問袋を作ったりするなど、寝る間も惜しんで国防婦人会の活動に邁進した。梅本さんはそんな母の姿を、誇らしく感じていたという。 「なかなか国防婦人会は威厳があってね。どこへ行っても意見が通るというかな、役場とか学校とか、そういう所へ出向いていた」 「(母は)国防婦人会の偉い人。村長さんよりも威厳があったような感じ」
女性には、結婚して夫の「家」に入って家事や育児をすることが望まれ、参政権も認められていなかった時代。国防婦人会の活動は、女性が社会に出て男性と同じように振る舞える数少ない機会でもあった。 参加した女性たちが、喜びや、やり甲斐を感じていた一方で、婦人会を監督下に置いた軍部の狙いは、“夫や子が戦死したとしても反戦感情を抱かないように女性たちを教育すること”にあったとされている。
「あんたは一人前じゃない」息子いない母がかけられた言葉
国防婦人会の活動に積極的に参加していた梅本さんの母・いとのさんだったが、その立場は決して“盤石”ではなかった。 ある日、婦人会の活動から帰ってきた母が、いつもとは違う暗い表情で漏らした言葉を、梅本さんは今も忘れられない。 「男の子がないばっかりに、“一人前でない”と。(子どもを)兵隊に出していないから国のお役に立っていない。どんな話をしても、“あんたは一人前でない”と(母は)言われてね」 梅本さんの家族は、姉妹3人と両親。息子2人は幼いころに病気で亡くなり、梅本さんの父親も年齢の事情で召集されなかったため、戦地に出征する男子がいなかった。
当時、戦争の長期化に伴って多くの兵士が必要とされた中で、女性には、男子を産み育てて、兵士として国に捧げることが強く求められていた。戦争に息子を出すことがお国のため、それが「一人前」とされたのだ。 “息子がいない分、婦人会の活動でお国のためになろう”と、母は考えたのではないか__梅本さんは、その後も気になって、いとのさんが婦人会の活動から帰ってくるたびに「今日はどうだった?」とたずねたが、母が“一人前”という気持ちを抱いた様子は、最後までなかったという。