深夜3時の蛍光灯の下で
もう何年も前の話になるが、僕はいつもテレビで「パーフェクトアクアリーボーテ」の通販番組を観る羽目になっていた。
前の職場はなかなかすごい環境で、ダッシュで終電にギリギリ間に合わせるレースが続いていた。
家に帰るのは深夜1時。そこから自炊して、なんてことは出来ず、唯一開いている近所のコンビニでカップ麺とポテチ(110gのコンビニ限定サイズ)とコーラ(500mL、たまに1L)、ダメ押しに助六寿司を買って帰り、吸い込まれるような白い蛍光灯に照らされながら家でドカ食いする毎日を送っていた。助六寿司はたいてい1つ余って、翌朝に駅へ歩きながら食べていた。
冷蔵庫には買い置きした箱アイスと、ほとんど使わない醤油ボトルしか入っていなかった。家には調理器具どころか箸と茶碗すらなかった。
食べ終わったらさっさと寝れば良いのだが、ベッドに横になることができない。
厳密に言うと、テレビを点けてベッドに横になってはいるが、そこから電気を消すことができない。電気を消したら、寝てしまう。寝たら、また朝になってしまう。朝になったら、また会社に行って、またダッシュで終電に乗って、昨日はカップ麺だったから今日はカップ焼きそばのデッカいやつにしようかな、となんら本質的ではない変化で単調な日々に彩りを加えようとして、ゴミの溜まったキッチンでフタの裏に貼り付いたキャベツを割りばしでこそぎ集め、またこの寒々しい蛍光灯の下で麵をすするだけ。
とてもじゃないが寝れない。またこれをやるのか?逆に寝なかったら永遠に夜のままなのではないか?テレビの中で誰かがキャラキャラと賑わっている様子をぼんやり眺めながら、意味のないことばかり空想する。
1時が2時になり、2時が3時になる。いよいよ寝ないと後悔する時間になってくるが、それでも朝が来ない1%に望みを託したくなる。
テレビは点けっぱなしで、特に観たい番組もないのでリモコン操作もほとんどしていないが、それでもある時刻になるといつも、テレビにクワバタオハラが現れる。もう何度目だろう。暗誦できるくらい観た通販番組が、また始まった。
他の番組のことは何一つ覚えていないのに、この通販番組だけは、「パーフェクトアクアリーボーテ」だけは今でもハッキリ覚えている。
一応解説すると、「パーフェクトアクアリーボーテ」は電気で動く美容器具で、スティック状になっていて、先端から細かい水を噴出しながらブーンと細かく振動することで顔の毛穴の汚れだかなんだかを除去する道具らしい。何度も観たのでいまだに頭にこびりついている。
この通販番組は、他の商品も週替わりでいろいろ紹介しているようだが、パーフェクトアクアリーボーテの登場頻度がやたら高かった気がする。それとも、パーフェクトアクアリーボーテが僕の心の癒しになっていたのだろうか。
顔の汚れを落とす性能にゲスト陣が歓喜して、一通り盛り上がり終わったところでショートコントのブリッジのように通販の電話番号を示す歌が流れて、今度は産地直送の鮭だか蟹だかの紹介に移る。ただそれだけ。
ただそれだけなのに、僕はずっと観ていた。
通販番組が終わると、もう4時。すると今度は、7時台の看板ニュース番組の前座の前座のようなニュース番組が始まる。
こんな時間からテレビ局に出勤して、メイクして、原稿チェックをして、リハをして、何食わぬ顔で笑顔でテレビに出ているアナウンサーたちの表情を見て、僕は得体のしれない勇気と二度と戻らない睡眠時間への悔悟と白んでくる空の恐ろしさに包まれ、ようやく電気を消すことができる。
あと何時間も寝れないのに。
僕の場合は、次第に環境が変わったことと結局転職したこととコロナ禍になったことなどがいろいろと噛み合って、やがて自炊するようになった。
使い慣れないアマゾンで、箸1膳と茶碗1つとコメ5kgをまとめて買った。アマゾンの担当者的な人がもしいるとしたら、この買い物かごを見て何を思うだろうか。
炊飯器は実は最初からあったが、ほとんど使ったことがなかった。実家を出てひとり暮らしする時に、親が買ってくれた小さな3合炊きのもの。フタの白が少しかすむほどのホコリを払って、僕は米を炊くようになった。僕が通販番組を観ながらカップ麺をすすっていた時も、この炊飯器はその様子をつぶさに見守ってくれていた。炊飯器のホコリを払った瞬間の僕は、彼の視点から見るとどんな表情だったのだろうか。
炊飯器は今も働いてくれている。
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