「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。
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坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。
教皇フランシスコが、2022年6月29日の「聖ペトロ、聖パウロの祭日」に出された使徒的書簡『わたしはせつに願っていた』の中に、次のような一節があります。
「主が一人ひとりに対してもっておられる、この交わりへの強い望みに、司祭自身が圧倒されるはずです。それはまるで、イエスの燃えるような愛の心と、主の愛の対象である信者一人ひとりの心との間に置かれたかのようなのです。ミサを司式することは、神の愛の炉の中に投げ込まれることです。」*
教皇フランシスコは、自身の司祭としての生き方において、そして、おそらくミサを捧げるたびごとに、神さまの愛の炉の中に、自分自身が投げ込まれていることを感じ続けたのだと思います。ミサの司式奉仕を通して、キリストからの圧倒されるほどの愛を感じ、また、自身もその愛に浸されていたことでしょう。
一見すると、ミサという礼拝は、儀式にすぎないかのように見えてしまいます。しかし、ミサでの祈りのうちに、私たちは、神さまの愛に圧倒されていることに気づき、その愛に浸されていることに驚くように招かれているのです。言い換えると、単なる儀式以上の神さまの愛のしるしに触れる大切な機会なのです。
このフランシスコ教皇の言葉は、わたしのつたないミサ司式奉仕を反省する、よい黙想テーマとなりました。神さまの愛を表現し、自分自身も神さまの愛に浸されて、すべての人を神さまの愛へと招く奉仕をわたしは行っているのだ、と。
教皇フランシスコのミサ礼拝に対する思いを、これからもしっかりと受け継いでいきたいと思っています。これは単に儀式を間違いなく執り行うことではなく、神さまの愛の炉の中へと一人ひとりを導く大切な奉仕なのですから。*(教皇フランシスコ使徒的書簡
『わたしはせつに願っていた』n.57)