6時間通学の高市早苗氏~歴代総理大臣の学歴を振り返る
◆高市早苗候補が当選
自民党総裁選が4日、投開票され、高市早苗候補が当選しました。
今後の首相指名選挙などにもよりますが、現時点では第104代総理大臣となる見込みです。
本稿では、戦後の歴代総理大臣の学歴を振り返っていきます。※1
◆高市氏は通学6時間かけて神戸大卒
歴代総理大臣の前に高市氏について、見ていきます。
高市氏は1984年、神戸大学経営学部を卒業しています。
後述しますが、神戸大学卒業者としては史上初、中退者を含むと2人目となります。
高市氏は現役で早稲田大学・慶応義塾大学、両方に合格しています。
早稲田大学卒業であれば岸田氏に次いで9人目、慶応義塾大学卒業であれば石破氏に次いで4人目となるはずでした。
高市氏は奈良県立畝傍高校卒業。実家から神戸大学まで当時は往復6時間かかるほど離れており、現代の一般感覚だと、早稲田・慶応のどちらかでしょう。
しかし、高市氏は神戸大学、それも往復6時間の通学という選択をします。
この経緯について、2021年「週刊朝日」記事で詳しく出ています。
高市さんはなぜ、政治家の道を選び、どのように歩いてきたのだろう。彼女の著作のなかから、『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。
高市さんが大学を卒業したのは1984年。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、大学に行かせてもらうことも「女の子」であるというだけで諦めることが当たり前にあった世代だ。地方であればなおのこと。
奈良で育った高市さんも「諦めさせられて」きた。大学は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したのに、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。
たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だったが、著書ではそれに対する悔しさは強調されない。それは高市さんに並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。※2
ちなみに、高市氏が高校卒業をした1980年、大学進学率は26.1%。女子のみだと12.3%と少数派でした。女子のみの短大進学率は1980年当時、21.0%で女子高校生の進学先は短大が主流でした。
2024年には、大学進学率は59.1%、男61.9%、女56.2%と男女差がかなり詰まってきています。短大は女子のみでも5.5%と激減しています。※3
現代の感覚では、往復6時間の通学を強いる親は多くはないでしょう。ただ、1980年当時の女性のキャリア観は明らかに異なっていました。
高市氏は通学6時間というハンデを背負いながら卒業したことになります。
◆東大が圧倒、早慶対決は?
話を歴代総理大臣に戻します。
まずは出身校別にまとめます。
トップは東京大学(東京帝国大学を含む)の11人、2位は早稲田大学8人、3位は慶応義塾大学3人、4位明治大学2人。1人のみの大学・学校が12人でした。
※以下、氏名の後ろは卒業年
※海外大学・大学院の修了・留学については省略
●東京大学(東京帝国大学を含む)11人
幣原喜重郎(1895年/東京帝国大学法科大学)
吉田茂(1906年/東京帝国大学法科大学)
片山哲(1912年/東京帝国大学法学部独法科)
芦田均(1912年/東京帝国大学法学部仏法科)
鳩山一郎(1907年/東京帝国大学英法科)
岸信介(1920年/東京帝国大学法学部)
佐藤栄作(1924年/東京帝国大学法学部法律学科)
福田赳夫(1929年/東京帝国大学法学部法律学科)
中曽根康弘(1941年/東京帝国大学法学部政治学科)
宮澤喜一(1941年/東京帝国大学法学部政治学科)
鳩山由紀夫(1969年/工学部計数工学科)
●早稲田大学 8人
石橋湛山(1907年/文学部哲学科)
竹下登(1947年/早稲田大学商学部)
海部俊樹(1954年/第二法学部法律学科)1
小渕恵三(1962年/第一文学部英文科)
森喜朗(1960年/第二商学部)
福田康夫(1959年/第一政治経済学部経済学科)
野田佳彦(1980年/政治経済学部政治学科)
岸田文雄(1982年/法学部)
●慶応義塾大学 3人
橋本龍太郎(1960年/法学部政治学科)
小泉純一郎(1967年/経済学部)
石破茂(1979年/法学部法律学科)
●明治大学 2人
三木武夫(1937年/法学部)
村山富市(1946年/旧制・専門部政治経済科)
●京都大学 1人
池田勇人(1924年/京都帝国大学法学部)
●神戸大学 1人
宇野宗佑(1941年/神戸商業大学入学、2か月後に学徒出陣で中退)
●東京工業大学 1人
菅直人(1970年/理学部応用物理学科)
●一橋大学 1人
大平正芳(1936年/東京商科大学)
●東京海洋大学 1人
鈴木善幸(1935年/農林省水産講習所)
●上智大学 1人
細川護熙(1963年/法学部)
●法政大学 1人
菅義偉(1973年/法学部政治学科)
●学習院大学 1人
麻生太郎(1963年/政経学部)
●成城大学 1人
羽田孜(1958年/経済学部経営学科)
●成蹊大学 1人
安倍晋三(1977年/法学部政治学科)
●陸軍大学校 1人
東久邇宮稔彦王(1914年卒)
●尋常高等小学校または中央工学校 1人
田中角栄(1933年二田尋常高等小学校卒業、1936年中央工学校卒業
◆神戸大学出身は2人目、卒業だと高市氏が初
神戸大学は宇野宗佑氏(第75代、1989年)がおり、高市氏(1984年、神戸大学経営学部)は2人目となります。
ただし、卒業者と限定すると、高市氏が初となります。
宇野氏は1941年、神戸商業大学(現・神戸大学)に入学します。
しかし、入学後に学徒出陣となり、そのまま中退となりました。終戦後、ソ連のシベリア抑留を受けました。
宇野氏は総理大臣就任後、女性スキャンダルの発覚や消費税反対論などもあり、首相就任直後の参議院選で大敗、69日の短命政権となってしまいました。
首相就任前には、自由民主党青年局部長時代(1961年就任)には局長の竹下登氏とともに台湾・インド・パキスタンなどを歴訪したうえで青年海外協力隊の創設に尽力しています。
◆国立大学17・私立大学18と拮抗
国立大学・私立大学の別で見ていくと、国立大学出身者は17人、私立大学18人(他に専門または尋常高等小学校1)と拮抗しています。
なお、国立大学出身者は中退者(宇野氏)と陸軍大学校(東久邇宮稔彦王)を含みます。
2000年以降だと、国立大学出身者は鳩山氏(東京大学)、菅直人氏(東京工業大学)の2人に対して、私立大学は11人と私立大学が多数となっています。
◆専門卒か尋常高等小学校卒か難しい田中角栄
本稿では田中氏については、尋常高等小学校と中央工学校、両論併記としました。
公益財団法人田中角栄記念館の年表では昭和11年(1936年)に中央工学校土木科卒業、とあります。
田中氏は二田尋常高等小学校(現・柏崎市立二田小学校)を卒業、その後、中央工学校夜間土木科に進学します。土建会社、保険雑誌の書生、貿易商の配送員など働きながら1936年に卒業しました。
中央工学校は現在、専門学校(専修学校)として存続しています。ただ、戦前は学制上の学校ではありませんでした。
学制上の学校を最終学歴と考えれば、尋常高等小学校卒とするのが妥当です。
本稿ではこうした状況を踏まえて両論併記としました。
◆大学受験浪人は5人、編入・社会人入学2人で回り道組が意外と多い
総理大臣はストレートに大学入学をした秀才ぞろいと思いきや、意外と回り道をした人が多くいます。
大学受験浪人は5人(池田勇人、小泉純一郎、細川護熙、菅義偉、岸田文雄)。
一度、別の大学に入り、その後に編入学・社会人入学したのは池田氏を除くと2人(吉田茂、海部俊樹)。池田氏を含むと3人います。
吉田氏は高等商業学校(現・一橋大学/入学は1895年)などに入学しますが中退。1897年に学習院に入学、1901年に学習院高等科を卒業。同年、大学科に入学、1904年に大学科閉鎖に伴い、東京帝国大学に移ります。
池田氏は第一高等学校(現・東京大学教養学部)の受験に2度失敗。さらに1浪を経て第五高等学校(現・熊本大学)に入学、のち、京都帝国大学に入学します。
海部氏は1951年、旧制中央大学専門部法科卒業後に法務省勤務、1952年に秘書をしながら早稲田に編入学、卒業しました。
細川氏は京都大学志望も一浪で上智大学に入学します。
京大志望の理由は「のびのびとした自由な学風にあこがれ」たから。※4
ただ、上智大学進学後も京大には出没していたようです。
「そうですか。私は落っこちてね。でも、ひまを見つけては京都に通い、京大の足利惇氏(あつうじ)先生に教えてもらったりしました。難解な仏教を説いてくださったかと思えば、お茶屋さんに連れて行かれたり。まあ、もぐりの京大生でした」※4
小泉氏は東大志望で2浪、その後、慶応義塾大学に入学しました。
首相就任後の2004年5月には予備校生だった時期など6年11か月・国民年金に未加入だったことが問題となりました。小泉氏は「未払いではない。加入すべき時期は全部払っている。未加入と未納は違う」との小泉節で、結果として収まっています。※5
◆菅氏は当初は北大志望、岸田氏は浪人を総裁選でアピール
菅義偉氏は1973年法政大学法学部政治学科を卒業。一部メディアでは夜間と記載されるも間違い、と本人がコメントしています。
高校卒業後から大学入学まで2年間は就職、アルバイト、受験勉強などメディアにより異なります。
同級生や父親にがっちり取材した週刊朝日記事では、当初は北大志望も父親から逃れるために上京して就職、その後に法政大学に進学した事情が明らかになっています。※6
(父親)「アレは全然勉強しなかったの。『バカか』と言ったの。北海道大を受けて弁護士か政治家になりたがっていたけれど、全然勉強しないから入れるわけないの」
ぼろくそだ……。義偉の子供時代のことを聞くと、父からはすぐ「バカ」という言葉が出てくる。
(中略)
高校同窓の旧友、由利昌司はこのときの取材で、こう回想していた。
「義偉君は大学受験に失敗すると、お父さんが気性の荒い人だから『お前はもう駄目だ』『農家を継げ』と言ってきかないんです。それで毎日釣りに行って。たぶん『これから自分はどうしたらいいのか』と悩んでいたと思うんです。彼のところは継げるだけの家の経済力があったし、このへんは普通、長男は出ていきません。でもお父さんがあのとおりの性格で……。それでいきなり僕らの前から彼は消えたんです」
「集団就職」と片付けるには込み入った話である。むしろ菅が「自分探し」に彷徨していたと言えるだろう。結局、法政大に進学。
※週刊朝日記事より
岸田氏は当初、東大志望でしたが2浪で断念、早稲田大学に入学します。
2021年の自民党総裁選出馬の際は、大学受験浪人をしたこともアピール材料としています。
総裁選勝利後の産経新聞記事では、早稲田大学時代の恩師がコメントを出しています。※7
3度挑戦した東大に受からず、早稲田大法学部に進んだ。ゼミの指導教官だった同大名誉教授の浦川道太郎さん(75)は「早稲田には東大を落ちた人もいれば、地方から目指してきた人もいる。『東大だけが世界じゃない』と分かり、多様性が身に付いたと思う」と分析する。
※産経新聞記事より
ここまで歴代総理大臣の出身校を振り返ってきました。
高市氏が総理大臣に就任すれば、日本史上、初の女性総理大臣となります。高市氏の経歴も前記の通り、順調とは言いがたいものでした。
その高市氏が総理大臣となって、どのような政治手腕を発揮していくか、今後に注目です。
◆注釈
※1:第43代・東久邇宮稔彦王からを対象とする。なお、臨時代理は含まない。
※2:「週刊朝日」2021年9月24日号「高市早苗氏、安倍前首相支援で急浮上! いつから『わきまえる女』になったのか 緊急寄稿・北原みのり」
※3:文部科学省「学校基本調査」。進学率には過年度高卒者等(浪人など)を含む数値。
※4:毎日新聞2019年1月24日夕刊「特集ワイド:梅原猛さんの「遺言」 京都で細川元首相とかみしめる」
※5:読売新聞2004年5月15日朝刊「小泉首相、国民年金「未加入」6年11か月 議員義務化の前」
※6:「週刊朝日」2020年9月25日号「菅義偉、新首相の知られざる過去 亡き父が激白した3時間の全記録」(※筆者は朝日新聞記者・大鹿靖明)
※7:産経新聞2021年9月30日朝刊「岸田新総裁 「努力家」問われる真価 昨年の敗北から再起」