かつての墓標 作:完全な文章を夢見る1
わたしが摘むのは、白い梨の花だけ。
今日川辺に立つ2、3本の木を見れば
葉とともに春の終わりを惜しんでいるようだ。
幾星霜の時が経っただろう。
少なくとも、最早わたしが誰であるかなど気にする人も一人しかいなくなった頃、マルクトはわたしに対して問うた。
「何故、最近はめっきり外に出なくなったのです?墓参りももうよいのですか?」
「……ああ、それは。
外がなくなってしまったからだよ。最早わたしの知る限り、人類の生存可能域はここ以外に無くなったからね」
どのような形で終末を迎えたのか……宇宙の膨張が際限無く続いた結果全てが虚無へと散逸したのか、それとも収縮へと転じたが為に全てが一点へと終局したのか。
そこまでわたしは気にした事も無ければ学があるわけでもないから、詳しい事は分からないけれど。
確実な事は、わたし達に観測できる範囲の宇宙は完全に終わった、という事。
その一言を聞いたマルクトは一瞬目を見開いた後、首を傾げてわたしに聞いた。
「……それでは、もう貴方の仕事も終わりなのでは?」
「ううん、わたしにはまだ一つだけ仕事がある。
……此処は、ずっと生命に溢れているだろう?」
「……?ええ、確かに…最後に見た時も外は植物もまばらにしか見えないほど荒廃していたのに、ここだけは異常な程生命に溢れていますね。
一部の花やここに定住している動物などには、貴方がこの世界に出現するより前に絶滅したものも含まれています」
「あー、どの動物が絶滅してるかとかは良く分からないけれど……そうなのか。
わたしの感覚的な推測だけれど、多分ここはいわゆる次の輪廻に入るまでの休憩所みたいな所だと思うんだ。
輪廻転生の概念を貴方達が信奉しているかは知らないけど、わたしは少なくともそれを肯定してる。
だって、あんなにみんな頑張って生きて来たのに、いつまでも報われないなんて、可哀想だ」
証拠は何一つない。
これはあくまでわたしの推測であって、誰かが正誤の判定をしてくれるわけでもないし。
仮に正解だとすると、此処に住むどの鳥も動物も花もこの下の空間には行けないという事になってしまう。
無論、ただの棲み分けなのかもしれないけど……それなら、何故わたしはここにいるのだろう?
そして、わたしの一存で生きている者を招ける理由も分からないから、この話にも確信は無かった。
「……貴方のその仕事は、一体いつになったら終わるのです?宇宙の終わり方によっては再びの未来が望めない可能性もあるでしょう」
「分からないね。貴方の言う通り、この仕事は永遠に終わらないかもしれない。
でも、それはわたしに任された役割なんだ。それだけは、何があっても頑張らないと」
「その役割は、一体誰が決めたのですか。貴方にもきっと選択の権利がある筈です。
これまで1000億年の孤独に耐え続けて、全ての生命を葬り弔い続けた果てが、そんな終わりの見えない孤独だなんて、そんなのあり得ないでしょう。
もっと、報われなければおかしいじゃないですか」
「……マルクト。まだ、わたしは一人じゃない。
貴方がいてくれるから。いつかはあなたも去ってしまうけれど……それでも、永遠に孤独にいるしかないと思ってた頃よりはずっとマシだから」
ええ、気まぐれの様な理由で彼女をここに招き入れましたが……彼女はとても優しかった。
わたしの役割について理不尽だ、不公平だという事を怒ったりしてくれる。
いつしか懐かしい感覚に溺れてしまって、わたしはいつか来るマルクトとの別れを口にはしても、その本質に見ない振りをし続けた。
「……『守護者』。
残念なお知らせです。ここまで騙し騙しやってきましたが……どうやら、限界が近いようです」
「……限界、か」
マルクト曰く、世界が閉ざされたと聞いてから42億9496万7295時間、約49万年の時が経った頃、マルクトはわたしにそう言った。
あれだけ破損した状態から直して、これだけ長い間良く保ったと考えるべきなのだと思う。
そもそもわたしは無理を言って付いてきてもらってる側だ。どうしてそれを嫌がれるだろう。
「……すぐに機能を停止するというわけではありません。
まだ数週間程度は稼働を保証します」
「……そっか。じゃあ、お別れの準備はしっかりできそうだね」
「ええ、身辺を整理するには十分な時間です。ここにいる動物達にお別れを言う時間も十分にあるでしょう」
そっと、マルクトがわたしの頬に触れて、優しく微笑みました。
わたしの事を心配するように、わたしに心配をさせないような優しい顔をして。
「ですからどうか──そんな、泣きそうな顔をしないでください」
それから、わたし達は色々な準備をしました。
マルクトが好んでいた花を集めた場所でパーティをしたり、同じ区域に居る動物達に餌やりをしながら別れを告げたり。
思いつく限り沢山の事をして、最後の時間を過ごしました。
それでも、最後の3日前はあからさまに動作が弱まっていて、亡くなる前日には体を支える事も出来なくなり、ベッドから起き上がれなくなっていました。
なのにマルクトの表情はどこまでも穏やかで、死ぬ直前だという事をあっさりと受け入れているように思いました。
「……終わりが近づいて来た今ならわかります。貴方は、我達をも受け入れているのでしょう。
それは単なる無機物と電気信号から生まれし我々もまた、『守護者』である貴方の守るべき、遺すべきモノとして認められたという事です。
それならばきっと。我々も生きた証を残せたと言えるのです。貴方と共に長い旅路を歩んできた我も、そう思えたからこそ憩う事ができる。
……ああ、でも。一つだけ心残りがあります。
貴方を一人遺してしまう。きっと我が眠りに就いたその後も、芽吹くかも分からない種を永遠に待ち続けるのでしょう。
その終りの分からない孤独に、貴方を残してしまう事だけは、唯一の後悔です。
……ああ、妹達が待っています。どうか、最期の時は一人にしてくれますか?」
「……分かった。
………マルクト、貴方の眠りが穏やかである事を祈るよ」
お願いだ、どうか行かないでくれ、ずっと一人は寂しいよ
そう言い残して、わたしの同居人は目を閉じた。
それから外に出たわたしが戻ってきた時にはまだ目を開けているんじゃないか、と一抹の期待を寄せて扉を開いたけれど。
その希望は叶わなかった。
わたしは彼女の亡骸をそっと木の下に安置する。
彼女がこの地に来てから植えて、丹念に育てていた梨の木。
きっとそこなら、彼女も安らかに眠れることでしょう。
金盞花の花束を置いて、周りにもその花を植えました。
そうして、わたしはまた一人になって。遠い遠い、次の未来を待ち続けるのです。
どうか次の世界では、幸せになれますように
ずっと、太陽が輝いている。
暖かい陽気の中、ただ全てを茫然と眺めていた。
……視界に、一片の色が落ちて来る。それはわたしの眼を塞いで、鬱陶しげにそれを振り払う。
何かと思って横目に見れば、それは、白い梨の花弁だった。
「……花が、散っている?」
わたしは顔を上げて、重い体を起こした。
いつの間にか、わたしの住んでいた箱庭は大きく広がっていた。
色々な花が散って、鳥が種を運び、白い綿毛達が飛んでいる。
……ああ、ああ。
漸く新しい世界が芽を出したのです。
ああ神様。ようやく長い旅が終わります。
おねえちゃん、わたし、がんばったよ。ほめてくれるかな?
記憶はとうに擦り切れて、わたしは疲れてしまいました。
最後の朋も、ぼんやりとしか思い出せません。
それでもわたしは、役割を果たせました。
たくさんがんばったんだ。いいこってなでてくれるかな?
何だか、とても体が重く感じる。
久しく感じていなかった眠気がわたしの目を襲ってきて。
ああ、人の死ぬ事を「眠る」と表現するのも、納得です。
ああ、さいごにわたしのなまえを、よんでほしいな。
こんなにもたくさんの苦痛も悲しみもあったというのに、あまりにも安らかな心持ちで逝けるのですから。
……ふと、或る一節を思い出しました。
『ああ、苦痛よ。
お前は決して私から離れなかったが故に、私はついにお前を尊敬するまでに至った』。
最後まで、わたしの側に居たのは苦痛だった。誰よりも残酷で、誰よりも優しかった。
新しき生命達に、最後に去る者から祝福を。貴方達の命もまた、時に明るく、時に厳しい運命を辿る事でしょう。
けれど、どうか忘れないで。貴方達の運命は、常に祝福されているのだから。
長い、長い旅だった。けれど、そうだな。悪くは無かった。そう微かに微笑んで、瞼を閉じました。
──「エリス」って、また、あのなつかしいひみたいにさ