かつての墓標 作:完全な文章を夢見る1
艶のある黒髪にゆるく簪を挿す
暫くすると 朝日が紅色の頬を照らし
一輪の紅い蘇の花はすぐに溶けるように消えていってしまった
始まりは、きっと単純な興味であったと思う。
わたしに話しかけてきた人間は初めてだったから、「驚いた」という表現が最も適切なモノといえるのかもしれない。
そもそもそれまで他人に見つかった事などほとんど無かったのだから、突如声を掛けられて驚かない方が難しいだろう。
彼女と共に生きている事を喜びと感じるようになり、そして失う事が恐ろしくなった頃。
わたし達は一度別れざるを得なくなり、そしてそれが永訣の始まりとなってしまった。
しかし、わたしはそれを「悲しい」とは思えなかったのだ。
わたしの胸にあったのは空虚、ただ空であった。
或いはそれは世界に対する失望であったのかもしれないし、ただ全てを眺めるだけであった自分への失望だったかもしれない。
いずれにせよ、確かな事実は一つ。
わたしは、ただ一人わたしの世界へと踏み入った者を亡くしたその日を境に、外への興味をなくしたのだ。
程々に内省を切り上げたわたしは、砂塵に埋もれた建造物達を眺める。
過去に曰く「アビドス自治区」という地名……最早誰も使わないというか使う余裕すらない名称に地名という表現が正しいのかは分からないが、少なくとも過去にそう呼ばれていた土地だった。
遠い昔繁栄を誇った砂漠のオアシスは面影もない。
尤も、それについては急激に砂漠化が進行したせいもあるだろうが……ありきたりな悲劇の果ての姿と思えば、ほんの少しは物悲しい気持ちにもなる。
ここには壊れた石像も台座も残っていない。ただの風化した墓標と化した建造物の他には何も残っていないのだから。
今となってはほぼ全域が砂塵に飲まれたせいで到底常人が住める環境ではないから、最早自治区ではなくアネクメーネと呼んでしまった方が良いだろう。
全盛の100分の1もあればマシな程に僅かな生存圏にしがみついている人は未だに居るらしいが……無意味な事だ。
今や原因を取り除く手段は彼らに存在しない。
救世主足りえた存在が今も生きていれば或いはあったかもしれないが……結局そうならなかったのだから、この土地に希望はない。
……しかし、まぁ。故郷が砂に埋もれ行く苦痛を最期まで感じなければいけないというのは、少々不公平ではないか?
彼らに罪はなく、ただそこにいただけでこのような目に遭う道理はない。
どうせ全て終わるのだからといって、そこまでの道がどうでも良いわけがない。
仮に全てが無かった事になるとして、それまで味わった痛みが消えるなんて事は無いし、染み付いた悲嘆が薄れる事もない。
それを言い始めてしまえば、何故わたしは全て手遅れになった今になって対処するのかと思われるかもしれないが。
元来わたしとはそうあるべきなのだから、しょうがない。他者と関わる事自体がおかしかったのだ。
少しばかりの感傷を抱えたまま、わたしは静かにすべき事の為、緩やかに動く。
片手に携えた剣の様な形に整えた炎を振り払い、わたしの側へと迫り来る砂嵐と曇り淀んだ空を切り裂く。
全てが終わった以上、これ以上今生きている人間を苦しめる必要はない。
無駄に砂嵐を起こしている様なら、排除した方が速い。
数瞬の空白の後、砂嵐は切り裂いた空間から広がるように衝撃に飲み込まれ消えていき、振り払った直線上の雲は消え去りかつての蒼い空が覗く。
赤い空の原因は既に落ち着いている。既に結末の決まった星に関わっている事ほど無駄な事は無いのだろう。
出来れば去るのはもう少ししっかり後片付けをしてからにして欲しいものだけど……まぁ、わたしとは無関係な話だから気にするだけ無駄だ、と無理矢理納得する事にした。
先程まで在ったモノを切り裂いた余燼の中、わたしは一人ずつ名を刻む。
此処で生まれ消えていった全ての生命の残響達から一つ一つ名前を拾い上げて、気が遠くなる程の数を刻み込む。
わたしがやらなければいけない仕事は大量にあるが……同様に、時間だけもまた大量にある。
だからといってサボりが許される事はない。あくまでこれはエンドロールに過ぎないのだから。
名を刻む度に、その一人ひとりの生きた道程に哀悼を捧げながら、孤独に墓標を建て続ける。
……そういえば、此処には一人生き延びた子供が居た、とふと思う。
最後の時、彼女はほぼ全てを失いながらも最後の一つだけは守り通していた。
わたしは別世界に干渉する気もなければ(そもそも役割的に出来ないけれど)、山積みの仕事を片付けなければいけない分そんな余裕もない。
しかし彼女は深い喪失に耐え、前を向けただろうかという所は少しだけ気になる。
希望の光すら見えないのに、荒廃し切った土地で必死に生きている子達を思うと、どうにもやるせなくなる。
わたしはただ、終わらせる事しか出来ないから。
目の前のついさっき命を散らした子供を前に、まだ意味もない感傷を抱いている。
彼女は後ろの幼い命、柔い命、自分以外の全てを守ろうと必死だった。
彼女が生きる事を許されないという罪はない。けれど、この世界でこのまま生き続ける事は苦痛で、そしてそれを許容すれば貴方が居た意味すらも消えてしまう。
「……ごめんなさい。わたしを許す必要はないから」
そうやって何度手を汚しても、怨嗟が聞こえる事はない。
死んだ後に彼女達は皆、わたしについて悟ってしまうから。
彼女達はわたしの事を許し受け入れてしまう。
……正確に言えば、心の底から許しているのかは分からないけど、総じてわたしに憎しみを向ける事はない。
わたしの真意も、死後の安息の中にいる子、楽園にいるべき子達を相手に隠す事はできないから。
どうか許さないで欲しい。どうか憎んで欲しい。
だからわたしは墓標を建て心に刻む。
この
ただ苦痛に喘ぐ子供達に手を差し伸べる事もなく、遠くから眺め続けたわたし自身を慰める行為に過ぎないけれど。
そうしなければ、わたしはあの日を正当化できる自信がない。
……否、わたし達の過去など、今更振り返った所で意味はないのだ。
既に賽の目は出ている。彼女達は失敗し、そしてただ一つの故郷から去った。
そしてただ、わたしは終りまですべき事をするのみだ。
そこにその土地の過去を思う必要はあれど、わたしの過去を思う必要がどこにあるのだろうか。
結局の所、そこに大した意味はないのだから。
人はみな、苦痛の海に溺れる事しか出来ないが故に。