「俺は死ぬんだ」クマ外傷のむごさ 9割が顔に傷、人生変える後遺症

編集委員・岡崎明子

 人がクマに襲われる被害が各地で相次いでいる。けがをしても助かった場合は「命に別条はない」と報道されて終わることも多いが、クマは人の顔を狙って攻撃してくる。そのため、けがの多くは深刻で、生涯、身体や心に傷痕が残る人も少なくない。「クマ外傷」の実態や防ぐ方法について、当事者や専門家に取材した。

 秋田県北秋田市で菓子屋を営む湊屋啓二さん(68)がクマに襲われたのは、2年前の10月19日のことだった。

 その日の朝7時過ぎ、自宅の敷地内にある作業所で菓子をつくっていると、「キャー」という叫び声が聞こえた。通学途中の女子高校生が、道路の向かい側にあるバス停でクマに襲われたという。後でわかったが、このクマはその前後に3人の女性を襲っていた。

 湊屋さんは念のため、開けっ放しだった車庫のシャッターを閉めた。その2時間半後、外出のために車庫を開けた瞬間だった。

 目の前に、大きなツキノワグマがいた。

 あまりのことに驚き、2、3秒ほど見つめ合った。

 「やられる」

 そう思った瞬間、後ろを向いて全速力で自宅に向かって走り出した。だがクマは時速50キロとも言われるほどの俊足で、いつの間にか追い越されていた。

 左前から倒されて地面に転がり、気づいたときには上から覆いかぶさられていた。

 反射的に腕で顔を守ったが、クマは「ブォー」とうなり声をあげながら、顔や背中をひっかき、腕のすき間から執拗(しつよう)に耳をかじろうとした。

 「ああ、俺はクマのせいで死ぬんだな」。そう思いながら、ひたすら攻撃に耐えた。

 2、3分ほど経ったころだろうか。突然、クマの動きがパタッと止まった。「今だ」と逃げ出し、作業所に入って鍵をかけた。「救急車、救急車!」と向かいの自宅にいた妻に叫んだ。

 鏡を見ると、頭の皮膚がぱっくりあき、頭蓋骨(ずがいこつ)がむき出しになっていた。ドクドクと血が流れ出し、タオルで止血してもすぐ真っ赤に染まった。

眼球破裂の危機、血だらけの夫を見た妻は…

 ドクターヘリで秋田市内の病院に運ばれ、すぐに手術を受けた。頭を30針縫ったほか、右耳の一部をかみちぎられていた。左目はあと5ミリ傷が深ければ、失明の危機だったという。8日間入院した。

 あれから2年が経ち、遠目には傷口は目立たなくなった。だが常に頭の皮膚が引っ張られるようにジンジンし、右耳も痛む。涙管が傷ついたせいで、左目は涙目になった。

 襲われた直後の夫の姿を目撃してショックを受けた妻は「怖いから、もう店を開けたくない」と訴えた。以来、創業100年を超える店は閉めたままだ。

 当時の朝日新聞の記事には「爪で頭と腹をひっかかれた」と書かれている。

 「クマに襲われても『命に別条はない』『軽いけが』と報じられるので、たいしたことはないと思う人が大半だろう。でもほかにもクマに襲われた人を知っているが、眼球破裂や鼻をもがれるなど大ごとだ。こうした実態が知られていないと、クマに襲われたときの本当の恐ろしさがわからず、危険だと思う」

        ◇

 秋田大学高度救命救急センターの中永士師明教授らは今年、「クマ外傷」(新興医学出版社)という本を出版した。クマによる被害が過去最悪だった2023年に、同センターで治療した20人の事例を分析し、治療法や予防策などをまとめた。

クマに食いちぎられた顔面が路上に

 そのひとり、70代の男性は路上でクマに襲われ、倒れたところをのしかかられた。たまたま自動車で通りかかった人がクラクションを鳴らして追い払ったが、顔面の中央を食いちぎられ、鼻から頰にかけての皮膚の塊が路上に放り出されていた。

 皮膚の塊は救急隊員が現場から回収し、直ちに全身麻酔下で再接合手術を行い、無事くっついた。ただし、目の周りの筋肉の損傷により物が二重に見えるようになり、ふだんは眼帯をつけて生活するようになったという。

 「クマに襲われた人の9割が、顔面に傷を負っています」

 身長1~1.5メートルほどのツキノワグマが立ち上がると、人間の顔面を狙いやすい位置にちょうど前脚が来る。クマ同士で争う場合は相手の口をかんで窒息死させようとする習性があり、顔は急所だとわかっているため、人間も顔を狙われやすいと話す。

 顔の傷は眼球破裂による失明や唾液(だえき)腺の損傷など、その後の生活の質に大きな影響が残る。また、首の血管が切れると出血多量による失血死や、気管損傷による窒息死に至るリスクもあるという。

 クマは、人を食べるためではなく、逃げるために攻撃するという。「ものすごい速さで近づいてきて、威嚇するために立ち上がり、まずは爪で一撃を加える。つまり、走っている車とぶつかったような『鈍的外傷』と、鋭いナイフが刺さったような『鋭的外傷』が合わさった傷になるので、一般のけがよりも深くて複雑な外傷となります」

精神的問題、襲われた人の8割に出現

 それでも外傷の重症度を示すスコアでは、それほど重くないと判定される例が多いため「命に別条はない」と報道されてしまうという。

 「クマ外傷はひとたび遭遇すると、重症度にかかわらずその人の人生を変えてしまうほど凄惨(せいさん)です」

 精神的な後遺症の割合も高い。中永教授らの調査では、41%に不眠、29%にせん妄(意識障害)の症状など、全体の約8割に何らかの精神的問題が表れた。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に関しては近く、論文を発表する予定だ。

        ◇

 クマと遭遇してしまったら、どうすればいいのか。

 目をそらさず、ゆっくりと背中を見せずに離れることが推奨されているが、「実際は難しいだろう」と中永教授。突然出くわした場合、クマも興奮してパニックになるからだ。

 その場合はうつぶせになり、首の後ろで両手を組み、頸動脈(けいどうみゃく)や気管を守ることを優先して欲しいという。クマは相手が攻撃しないことがわかれば、2~3分で去っていくという。

 「クマの気配が消えるまで、何とか耐えて欲しい」

 また、不要不急の山歩きや山菜採り、キノコ採りなどは控える、山に入る際は頭を守るヘッドキャップをかぶる、切り傷に強いアラミド繊維でできた軍手をつけることなどを勧める。

 中永さんは過去30年にわたり、100人以上の患者を診てきた。最近は市街地でクマと遭遇し、人慣れしたクマに顔を狙われる例が増えたと感じる。

 「里山が崩壊する中、人間ができるだけクマの住む場所に立ち入らないことが大切。そしてクマに襲われたら、どれだけ深い傷を負うのか想像力を働かせて欲しい。社会全体で、クマ被害を減らすことを考える段階に来ていると思います」

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この記事を書いた人
岡崎明子
編集委員|イチ推しストーリー編集長
専門・関心分野
医療、生きづらさ、ジェンダー、働き方
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