モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら

(139)旧統一教会問題、〝沈黙〟の保守に矜持はないのか!

報道陣に囲まれる中、辞任を表明した山際大志郎経済再生担当相=24日午後、首相官邸(矢島康弘撮影)
報道陣に囲まれる中、辞任を表明した山際大志郎経済再生担当相=24日午後、首相官邸(矢島康弘撮影)

驚きと憤りと幻滅に襲われる

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関係を野党やメディアに指摘されながら、「記憶にない」という言葉でかわし続けてきた〝忘却の達人〟山際大志郎経済再生担当相が24日、ついに辞任した(実態は更迭らしい)。

第一の標的が早々に倒れてしまえば、野党は勢いづいて、第二、第三の標的を倒しにかかる。そうさせないためにも、自民党としては、山際氏にはできる限り粘ってもらう必要があったはずだ。その意味において山際氏は、大臣としての仕事はともかく、第一の標的として、それなりの仕事をしたといえる。自民党は、打たれても打たれても倒れることなく立ち続けた山際氏に、殊勲賞を与えてしかるべきだ。もちろん皮肉である。

安倍晋三元首相の暗殺を機にあらわになった、旧統一教会と保守を名乗る政治家との癒着。保守主義者の多くは、驚きと憤りと幻滅に襲われていると思う。私もそうだ。

保守を自任する以上、どんな理由があろうとも、その教義に「反日」が明記されている宗教団体と関係を持つべきではないだろう。矜持(きょうじ)の問題だ。矜持を持たぬ国会議員に何ができるのか。関係の深い団体の御用聞きぐらいだろう。

確かに旧統一教会と保守政党には、「反共」と「伝統的価値観の重視」という点で共通するところがある。朴正熙政権時代、文鮮明教祖が大韓民国中央情報部(KCIA)の指示で、反共政治団体である国際勝共連合を創設したのが1968年のこと。同じ年に日本にも創設された。その中心人物が岸信介元首相だ。その後、窓口の役割は娘婿の安倍晋太郎元外相、孫の安倍晋三元首相へと受け継がれていった。

安倍元首相暗殺後の7月25日、民族派団体「一水会」は、ツイッターでこうつぶやいている。

《本来、旧統一教会と保守政治家との癒着を最も強く糾弾すべきは、土着宗教系の組織や日本の保守運動を標榜(ひょうぼう)する勢力であったはずだ。だが彼らは、原理の教義を棚上げ、反共という一致点で同教会を頼もしく思い、助っ人になると踏んだのだ。日本の保守派と旧統一教会の蜜月が、今回の事件の導火線にある》

岸元首相は「反日」を棚上げにし、「反共」という一致点で、日本の保守派と統一教会、国際勝共連合との蜜月関係のきっかけをつくったのだ。

「敵の敵は味方」という言葉もあるように、政治家には大きな視野で状況を把握し、清濁併せのむ胆力が不可欠だ。岸元首相にはそれがあった。旧統一教会の教義にある「反日」を、完全に封印する自信もあったのだろう。

問題は、選挙に強い政治家もいれば、常に当落線上ぎりぎりの政治家もいるという現実だ。一票でも上積みしたい政治家にとって、旧統一教会の選挙協力は、本当にありがたいものだったはずだ。こうして旧統一教会との関係は深まっていったのだろう。

私はこう考えている。選挙に強い政治家に旧統一教会はほとんど影響力を与えることはなく、選挙に弱い政治家と、彼が属する派閥のボスに、一定の恩を売ることが可能だった、と。自民党の政策に旧統一教会の意見がどの程度反映されたかは、私にはわからないが、けっして皆無だったとはいえないはずだ。

ここで想起されるのが、第3巻第10章「自分の意志を節約すること」にあるモンテーニュの言葉だ。

《他人に自分を貸すことはしなければならないが自分以外の者に自分を与えてはいけない》

多くの接点を持った山際氏はどうだったのだろう。

同じ章にこんな言葉もある。

《この世には足をとられるような深みがたくさんあるから、最も安全であるためにはいささか軽めに・浅く・世を渡るべきである》

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の対極ともいえる思想だが、どちらを選択するかは、当人の人生観にかかっているだろう。いずれにしても、深みにはまった保守政治家はいない、と信じたい。

強烈な選民思想 日本はサタンの国

ところで、旧統一教会の「反日」とはいかなる内容なのか。インターネット上には、旧統一教会の教会員ポータルサイトがある。そこにアップされている「原理講論」に目を通した。「反日」については、「後編第6章」の「再臨論」に詳しい。

まず「原理講論」の基底には、韓国民族は選民であるとの思想が貫かれている。自らを「第3イスラエル選民」と規定しているのだ。ちなみに第1はエジプトで400年もの苦難に耐えたイスラエルの民、第2はローマ帝国で400年の圧政に耐えたイスラエルの民である。第3イスラエル選民たる韓国民族は大日本帝国の40年にわたる圧政に苦しんだとされる。そしてこんなおぞましい記述が掲載されている。

《西暦一九一〇年、日本が強制的に韓国を合併した後には、韓国民族の自由を完全に剝奪し、数多くの愛国者を投獄、虐殺し、甚だしくは、皇宮に侵入して王妃を虐殺するなど、残虐無道な行為をほしいままにし、一九一九年三月一日韓国独立運動のときには、全国至る所で多数の良民を殺戮(さつりく)した》

《数多くの韓国人たちは日本の圧政に耐えることができず、肥沃(ひよく)な故国の山河を日本人に明け渡し、自由を求めて荒漠たる満州の広野に移民し、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の試練を経て、祖国の解放に尽力したのであった。日本軍は、このような韓国民族の多くの村落を探索しては、老人から幼児に至るまで全住民を一つの建物の中に監禁して放火し、皆殺しにした》

自虐史観に貫かれた歴史教科書で学んだ日本人ならば、日本をサタン側の国であると決めつけるこの教義に拒否反応を示さず、「だから韓国に対して謝罪を続けなければならない」と考えても不思議はない。日本人の入信者は、自虐史観を刷り込まれた心優しい犠牲者なのかもしれない。

最後に改めて問いたい。保守を自任しながら旧統一教会に選挙を手伝ってもらった保守政治家のみなさんは、こうした歴史認識を持った団体であることを承知のうえで関係を深めたのでしょうか、と。知らなかったというのなら、それは不勉強すぎる。国政に関わる資格などない。国会から身をお引きください。知っていたというのなら、こう自問していただきたい。「自分に矜持はあるのか」、さらに「旧統一教会に自分を与えてはいないか」と。

その先は自分でお考えください。いかんせん、「信教の自由」に関わることですから。

※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。

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