【押井守】不遇の時代を迎えて気づいた「作家である必要はない」理由
配信
トワイライト Q 迷宮物件 FILE583
――1987年のOVA『トワイライト Q 迷宮物件 FILE583』ですね。 押井 そう。話が相変わらずわからないうえにメタファーで埋め尽くしていて、「女の子が白いヘルメットをかぶって鼻をすするチビ、イケメンの男の子が中年の親父に変わっているだけで、まんま『天たま』じゃん」と言われた。まあこっちも「白いヘルメットは卵の殻の比喩で、『天たま』の卵から出てきた女の子なんだ」って現場でしゃべったりもしたんだけれど(笑)。 むしろそこまで開き直ったらどうなるのか、という思いがそのときはあったんだよ。でも、結果は同じだった。『迷宮物件』も売れなくて、シリーズ自体の制作が止まってしまった。 だから次の『機動警察パトレイバー』(1988年~1989年)をOVAでやるときには、はっきりと売れることを意識した。要は『うる星やつら』の延長線上で「非日常のなかの日常」を描けばいいと思ったし、戦略的に振る舞うことを覚えた。ただ、映画になるとそれだけでは持たないわけでさ。 ――『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)は、押井さんらしい思索もありつつ、エンタメ要素にも満ちた作品になっていますね。 押井 ここで再び聖書と方舟を持ち出した(笑)。見れば丸わかりで、けっきょく『天たま』から離れられないし、どこかしらであそこへ回帰してしまうんだ。そういう意味において『天たま』は自分にとって重要な位置を占めるものにはなったわけだけれども、商業的な結果としては徳間さんの狙いだっただろう「第二の宮崎駿」にはなれなかったわけです。 ――それはやはり、全然反省されていないということですか。 押井 本質は何も変わらないよ(笑)。ただ、周りを幸せにしないと自分も幸せにならないことがわかってからは、巧妙になった。 商品として求められているのは、快感原則――つまり暴力とエロ――とキャラクターの二大要素。これをちゃんと描くから、あとのことは許してねっていう(笑)。 ――そこから、より打算的に作品を作るようになったということですか? 押井 その点は「懲りた」というわけではなくて、年を取って自分のなかで受け入れられるようになったからかな。それは「監督が作家である必要はない」ということ。 考えてみれば自分の企画中心で動いていたころは、いろいろと不自由することが多かった。それを経て自分は作家ではないことを認識したし、いまはむしろそうではないこと――与えられたテーマをどうやって自分流にこなすかを楽しんでいる。 言ってみれば板前みたいなもので、素材は決まってるんだけどちょっと自分の技が入っていたり、実はこっそりいろんなことを試している、みたいなさ。 だからいまは、原作もの大歓迎。極端なことを言えば、『ドラえもん』だって『ポケモン』だって『NARUTO -ナルト-』だってなんだっていいよ。多分来ないけど(笑)。 ――見てみたいですけれどね(笑)。 押井 実は『NARUTO -ナルト-』は一回やりかけたことがあるんだけど、途中で頓挫した。もともと僕は増殖するキャラクターなんかが大好きだから、ナルトの影分身の術が気に入ってさ。影分身の術を使って修行すると時間を圧縮できるって面白い発想だから、これでなにか出来そうだなと思ったんだけど。 ――では最後に、『天使のたまご』が4Kリマスターとして公開されるにあたって、一言いただけますでしょうか。 押井 この機会があって改めて何回も見直して、自分がしでかしたことの実態を考えるきっかけになったよね。これがどういう事業計画のなかに入っていたのかはわからないけれども、それは僕の気にすることではないから(笑)。 あとは、この作品と改めて向き合うことで、映画監督とはどういうものかを考え直す貴重な時間をもらえたとも言える。40年経ってもブツが残っていて、お客さんに見る意思があれば、いくらでも再現性がある。これこそが映画という仕事の面白さだと思うんだよね。 「宮崎駿」の「崎」は「大」の部分が「立」になる字が正しい表記。
アニメージュプラス 編集部
- 52
- 62
- 36