神保康介 | 牛飼いコピーライター@淡路島移住&外付け編集長

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神保康介 | 牛飼いコピーライター@淡路島移住&外付け編集長
@jimpooo
■ホイポイプロダクションズ 代表■東京で広告/メディアマンとして16年→リモートワークシフトを機に淡路島へ移住■関学→新聞社系広告代理店&大手広告代理店でアカウントプランナー→ITメガベンチャー3社でメディア編集■記事広告はナショクラ中心に170本:日本一書いたはず■仕事のご相談はTwiメッセへ■実績はコチラ↓
淡路島洲本市ペンギン村3丁目note.com/ad_writer/n/na…Joined June 2010

神保康介 | 牛飼いコピーライター@淡路島移住&外付け編集長’s posts

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14年間愛した下北沢の街を離れて、故郷兵庫県に戻ることにした。どうせ地方移住するならと、淡路島の夕陽の見える別荘地へ。さらにどうせ別荘地ならと発泡スチロール製のホイポイカプセル型ハウスに住み始めました。 note.com/_838861/n/nca9 #移住 #淡路島 #リモートワーク #iターン #田舎暮らし
マーケティングの基本はターゲットを「絞る」こと。でもこれは、コミュニケーションに「意志」を込めるためであり、その他を「切り捨てる」ことにはならない。現代の生活者は賢いので、それぞれの立ち位置でメッセージを解釈して理解する。全員向けのメッセージが誰にも届かない理由もここにある。
仕事ができる人とは、立場を問わずフワフワした議論を「確定」させる人。リーダーなら意志で、コピーライターは言葉で、ADはデザインで、広報ならプレスリリース案で。フワフワ=不安なので、鮮やかにカタチにして「いけるかも」とパッと明るくする。途中で随時、メンバーの感性を刺激し続けられる人。
お庭BBQで必ず食べてる「淡路ビーフ」のブランドコピー書きました。食べたくなった人から、GOTO淡路島!基本島内の掲出なので島外で貼ってもいいよ!って方は是非お声がけorこの投稿RTでも!どちらでも嬉しいです。広告リリースと同時に、とある"MOONSTER"も産声をあげましたが、それはまた別の話・・
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記事広告の基本姿勢は「その一本で仕留めにいく」こと。読者は同じ記事は読まないので、TVCMのようにフリークエンシーで刷り込めないからだ。たとえば見出しの使い方ひとつでも「標識としてではなく、看板として」使う。つまり「STEP①:◯◯」とかじゃなく印象に残すキャッチコピーとして見出しを使う
広告は嫌われ者。だが中でもWeb広告の嫌われぶりは凄い(俺も嫌いだ)。能動的な人を不快な表現で邪魔すりゃそうなるわな。唯一筋が良さそうなのがユーザーに気づきを与え続けるインスピレーションアプローチ。だが切り口を作り続けるのは並大抵ではない。ここにコピーライターの新しい仕事場がある。
「マーケティング課」があるのが全国で流山市(母になるなら流山市のコピーで注目の街)だけらしいのだが、これは異常。あらゆる企業が生き残るために備えている必須の「機能」が、日本の行政機関にまるごと抜けている。ということは、どこも市民のニーズを把握する気がまるでないことを証明している。
いい俳優さんは耳がいいのだと思うが、杉咲花さんは別格。通常トーンと鈴を転がすような話し方を使い分け、急に転調を入れてくる。初期の映画から、声が軸となる演出が多い(作品全体が微妙な場合も多いが)。映画予算で戦隊モノ撮っちゃった感じのBLEACHでも、最後のセリフまわしだけで観る価値ある。
いい記事広告の文章って何?と聞かれたら「コストコのような文章です」と答える。スーパーのように整然と並んでいたら、読者は目的買いしてさっさと帰る。次の角曲がったら何があるかわからず、ワクワク歩き回るうちに思わぬモノを買い込んだ。読者にとって広告メッセージはこの「思わぬモノ」なんだ。
広告コピーライティングの仕事は、本来価値のあるものが歩留り高く認識される状態を作ること。元から無いものを、あたかもあるかのように見せる魔法的な「詐術」ではない。そしてそもそものマインドセットの建て付けからして、ホンモノのコピーライターは、後者には1%の興味も抱けないはずなのだ。
もはや進んだベンチャー等ではフルリモートでSlack=オフィスという感覚になってきてる。プロジェクトごとに社内外から得意な人を集めて爆速で遂行。何倍もコスパいいし、働き手も自分の特技を発揮するから効率がよく練度も増す。人事評価など丸ごといらないし、ますます社員を雇う理由は無くなる。
最近急激に広報まわりがわんさかしてるのは「採用広報」という職種が増えているから。SNS転職により中途面接が上下関係から対等に移り、会社側も開示の必要が出てきたため。これ、カルチャーギャップがなく定着率も上がるし最高。だけど広報がイケてないと会社の才能の仕入れが詰むデメリットも。
広告、特にデジタルマーケのクリエイティブは、あまりにも「デザイン」偏重。ABテストが仕事になってるが、たぶん根本的に間違ってる。訴求するものが決まったら、まずデザインを考えるが、それは言語化から逃げているだけ。デザインすること自体が「広告臭さ」を表現することになる事実に気づくべき。
自分らしい働き方ってスーツ着ないとか家で好きな時間に働くとかじゃなくて、仕事自体を自ら再定義していくこと。記事広告を始めた時もそうだが「今の考え方は全部間違っている」という現状認識からスタートして、ゼロベースで全て定義し直した。勿論これは圧倒的差別化につながるし、なにより楽しい。
メディア時代に「読者の持ち物調査」をやってもひとつわかったことは、「何も言ってない広告」「言葉のあたり前体操の広告」「白文字系ブンガク」は何度打っても何千万円かけてもやはり何の意味もないということだ。ほんとに残酷なほど、ビタ一文上がっていなかった。「書けば伝わる」甘い世界じゃない
コピーライターの仕事って10文字のキャッチコピー作ることじゃなくて、企業と一緒にブランドを様々な文脈で再定義すること。これにはビジネスリテラシー(対等に会話できなきゃいけない)と哲学的な思考の両軸が必要で、思い付きとは真逆。「文章力」や「語彙」は、必要条件だが十分条件では全くない。
7年前のある日、人生も広告も全部「捉えなおし」だなぁ、と気づいた。昨日より今日、1つでも自分の世の中の解釈が深まっていればそれは成長。一日歳をとるが、その分内面的に一歩成長できる。広告も誰かの捉えなおしを促せば喜んでメッセージは受け取られるし、捉えなおしたことは長く記憶してもらえる
ライター仕事には「隠れた旨味」がある。それはお金をもらいながら自分が一番勉強できるところだ。何らかのトップランナーである話し手がその時「旬」な情報を1時間のインタビューに凝縮して「自分に対して」生で話してくれるので、これが複数回溜まるとそれぞれがつながって「時代」がみえたりする。
企業広告でよくある「校長先生の朝礼」のような広告は、校長先生(社長)のためのもの。先生方(社員)も、生徒(顧客)も、誰も聞いてない。何百回も聞いたはずなのに、見事に一文字も残っていない。ここからの学びは①メッセージは短く②当たり前のことを言わず③高尚なことは額縁の中だけにすること
いま、ライターを志す若い人多いだろう。書き手とは、言葉によって他人の人生を少しだけ変える仕事だ。もしコピーライターなど「言葉」で食っていきたいと思うなら、他人を変える前に、まずは自分自身を「言葉」によって日々変え続けてみればいい。まずは自分自身のハートを、最初の実験場にするのだ。
昔は企画書は分厚い方がよかったし、グラフが入りまくってた方がよかった(結局意味のわからんコレポン分析とかサイコー)。今は、どれだけ削ぐかの時代。そこの「情報の編集」に価値がある。「やった感」は自己満足であり、受け手への思いやりに欠ける。その資料で社内説得の説明をする人への優しさ。
食品ブランド案件のタイアップで「レシピ」を提案するメディア99%。そもそも「レシピ」は手法であって提案ではない。というのは置いといて、それをやるなら「レシピ自体が広告表現」となるものを開発しなきゃダメよ。その食品の物性や知覚品質が「作らなくても」料理名を見ただけでパッと伝わるもの。
ほとんど無いのだが「スミマセン・・提案ひっくり返りました」と言われた時こそ、拍子抜けするほど軽く受けるようにしている。嫌な顔なら誰でもできる。元営業だから相手の言いづらい気持ちは痛いほどわかるし、自分の手を動かせばできる事はやり直しゃ済むのだ。仕事でも重苦しい思い出は作りたくない
広告代理店ペーペーの頃よくスタッフに「それ決めてくんないと考えられねえよ!」と言われたものだが、そんなこと言ってっから案件取れなかったんだよな。客の課題や意志もアウトプットを考えながら一緒に抽象化•再整理するのがホントの「クリエイティブ」だと思う。それは客にも営業にもできないよ。
聖徳太子が話し合えば大体オーライと憲法に書いたせいで、日本人は話し合えば安心する、むしろ話し合うこと自体が大事だ。しかし世の中で一番会議の長い広告代理店の店員を12年もやってハッキリ言えることは、考え詰めたたたき台を持ち寄らない会議やブレストからは絶対に何も生まれないということだ。
昨日も徳島ドライブでココロの深呼吸を満喫したのである。東かがわの朝讃岐うどんからの徳島ラーメンはおいしさの2階建て。いってきますからただいままで渋滞ゼロなのも最高。しかしいつも行く徳島ラーメンの店は麺食った後にブチ込むライスの米が政府備蓄米っぽいのなんでやろ?まあ美味いんだけど。
職務経歴書に書けない仕事で、思い出にも残らない仕事をバサッと切ることが生産性向上の第一歩だと思う。貴重な人生の時間の歩留まりは高ければ高い方が良くて、大吟醸じゃないんだから身を削る必要はない。30枚のレポートとか、会議室一歩出たら二度と誰も思い出さないものに情熱傾けたら絶対あかん。
広告でもメディア編集でも、出す前に必ず問うべきなのは「その表現は新しいか」。差別化をするはずの広告コピーが手垢のついた定型構文(Aは変わった。Bはどうだ的な)なのは論外。雑誌も表紙-目次まで舐めるように観ても「光る言葉」はananレベルでもレアだ。なぜか小見出しあたりにあったりするが。
もうここまできたら(どこまでやねん)マーケターと広報の垣根はいらん気がする。人材をかき混ぜた方がいい。マーケやることで広報は発信メッセージの反応を「手ごたえ」として掴める。逆にマーケターはパブリッシュセンスが身に着くから、視点がマニアックになるのを防げる。「複眼の発想」は強い。
広告表現を決める時に「これって他社でも言えるんじゃ・・」となるけど、過去の名作だって他社でも言えるやつが多い。機能差による差別化とは別に、関係性による差別化だってある。大事なのは「先に言う」ことだ。素敵なプロポーズを他社より先におこなう。これも充分な差別化じゃないか。
広告代理店が必ずABC案を持っていくのは「選ぶ」という手続きが「話を前に進める」効用があるからだ。錯覚に過ぎないのだが、実際現場はこれで回っている。特にプロデューサーである営業の仕事の本質は「とにかく前に進める」ことなのでABC案をとにかくほしがる。生産性の観点からはちと古い気もする。
BiSHが(思いがけず)売れた理由は個別の戦術ではなく、戦略の方にあると思う。とにかく「いいヤツを獲るんだ」というポリシー。プロデューサーサイドができることは限られていて、あとは演者が相互作用でどこまで自分たちをもっていけるか。そこにシラケ野郎はいらん。ベンチャーの採用基準と同じだ。
仕事が嫌だ、と思ってる人のほとんどは単に「会社」が嫌なだけだと思う。僕も「会社ごっこ」には全く興味がなくなってしまったが、仕事自体は昔から趣味以上に好きだ。よそのビジネスを垣間見せてもらって、企画考えて感動された上にギャラまでもらえる。仲間もいい思い出もできる。趣味などいらん。
ビジネスと友情、どっちが大事?なんてメンドクサイこと言う奴がいたらハッキリ言ってやれ。そんなもん「友情」に決まっとるやろが。この歳になると友達と仕事することも増えるが、根本は大人同士がもっと「仲良く」なるためにやるのであって、逆なら手離したほうがいい。ギャラは一瞬、友情は一生だ。
センスは「感覚」という日本語ニュアンスから知識の対極として捉えられがちだが、実際のところは真逆で『知識の総体が生む瞬時の判断力』のことだと思う。特定ジャンルにおいて獲得した大量の知識が、長期間の攪拌と睡眠による再整理で適切に脳内でマッピングされることで、センス=絶対感覚が生まれる
ベンチャーではエージェント採用からSNSでのダイレクトリクルーティングに移行している。少数精鋭のため「間違えられない」からだ。確かに知的水準や言語化力、課題発見力はもちろん決めたルーティンを積み重ねる「継続力」や「精神安定性」(今やゴキゲン力は能力だ)は一発勝負の面接の100倍わかるね
ナラティブの時代に広告がどんどんアジェンダ設定をしていくのに対して、メディア(雑誌やWebのクラスターメディア)のコトバは足踏みしている。社会や読み手に「合わせにいく」ばかりだと、付録でしか引っ張れなくなっていく。小技・Tipsなど無限に作れるけど、読者はいつまでも付き合ってはくれない
広告の人は編集目線を、編集の人は広告目線を学ぶと最強になれると思う。コピーライターで独立したい人は、デジマ領域=SEOとSNSマーケも学んでおくと月次のレギュラー収入が確保しやすくなる。3領域がちゃんとできる人はほぼいないので。その上で獲得した単発の広告コピー収入は全部資産運用に回せる。
すんごい競争を勝ち抜いてようやく広告代理店に入っても、そこから「書ける人」になるにはまたすんごい競争がある。一度それを掴み取ったなら、死んでも手離したくないほどの「壁」を超えたからこそ執着も生まれる。そういう人は、締切延ばしてくれとか、誰でも書けること書くとか、そんなことしないね
いつか独立しようと思ってる人は全員、いますぐ目の前の仕事で「常に機嫌のいい人」になるべき。NO EXEPTION。例外ナシ。2年後独立する予定なら、逆に仕事しながら2年間の「プレ営業期間」を作れるんよ。なんかふとした時に思い浮かぶのは、常に機嫌のいい人なんだと思う。独立した後からじゃ遅い。
日本人の平均勤続年数って11年で、アメリカ人の約3倍。アメリカ人は生涯で10回以上転職するのが当たり前。僕も5社経験したが、転職するとしばらくは「時間の流れがゆっくりになる」つまり新たな環境への適応で脳がフル稼働し、日々の解像度が上がる。この期間に覚醒するいくつかの感覚が成長の素になる
テレワークでフレックスなら、超朝型勤務を認めるべき。「毎日半ドン勤務」になれば、社員の人生変わる。朝5時〜13時までの8時間働き、午後は毎日エクササイズ→趣味・地域活動。会議を原則AMにすれば問題なくいける。午後の人生経験はビジネスにも活かされ、働き方の多様性は人材獲得力も上げる。
いまだに紙の本派なのだが、1日4-5時間読書しようってなるとやはり紙の方が何かと安心なのと、そもそも1枚ずつページをめくるという行為が知識のトビラをひとつずつ自ら開いていく象徴のようなものである気がするから。あとは読んできた本の背表紙に見守られてモノゴトを考えた方が圧倒的に落ち着く。
「恋を何年、休んでますか」の眞木準さんは、日本を代表するコピーライター。眞木さんクラスでも、じっくりコピーを書けるのは土日だけと言っていた。平日は打ち合わせや撮影でそれどころではない。あとおそらく純度の高い思考のモードに入るには「遮断された一日」が必要なのだ。Slack Freeな一日。
野菜も果物も、厳しい環境で育った方が断然味わいが増すというが、コトバも同じ。読者がお金を払ってわさわざ買ってくれた雑誌の「読まれる前提のコトバ」より、基本的に邪魔者で「99.9%無視される前提」で書かれる広告コピーの方が、味わい深さもコクもキレも余韻や後味も圧倒的にあるように感じる。
今仲良くしてる人は大体仕事つながりの人だし、仕事ってオトナ同士の真剣な遊びの側面もある。目標を高く設定するのも自分というより相手の真剣な時間に対するリスペクトだし、人を殺すのではなく人を喜ばせる価値を創ることに一緒に没頭して仲間と報酬が得られるのは幸せなことだと今改めて実感する。
新聞でもなければ表記の統一なんてナンセンスだと思う。同じ言葉でも漢字にするのか仮名に開くのかは「文脈」によって変わる。そんなくだらない表記統一にエネルギーを使う方がSDGs的に問題(違うか)。弊社の牛も強気な時は「アタシ」、弱腰の時は「ワタシ」と言っている。牛に学ぶことはまだまだ多い
何も言ってない言葉と何か言ってる言葉の違い。それは何もない中にただ文字を並べただけなのか、まず意味の構造があってそれを文字で表記しているのかの違い。後者は概念として実体があるので文字以外にも、図やモデルなどあらゆる表現手段で顕せる。よって、文章力の前に大事なのは哲学的な思考力。
サンマをゲットしたので、急遽ひとりオータムフェアーを開催することに。淡路島名産のサワラの塩焼きも常に常に、圧巻の美味さ。淡路ビーフは年がら年中美味いし、秋野菜も美味い。味覚の総攻撃を食らっててんてこまいのアタマが考えるのは、秋は憲法でディナーを一日2回制にするべきだということだ。
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大学の4年間で広告コピーやネタを8,000フレーズほど丸暗記したのだが、お気に入りの一つに「昨日まで知らなかったことでも、今日自分が知ったからには常識である」というマーフィーの法則がある。「え〜BiSH知らんの?広告マンとしてどうなのよそれ!」と言う時、いつも隣でマーフィーがウインクする。
キユーピーの「愛は食卓にある。」や「ココロも満タンに コスモ石油」など長年愛され続けてきた言葉は独特の異彩を放ち、印籠の役目を果たす。私たちがこの言葉たちに触れてきた何十年という記憶と経験の蓄積が、シンプルな言葉にオーラを纏わせるのだ。ブランドスローガンは「言葉の記憶資産」だ。
コトバを磨くときは、新しい語彙を身につけるのではなくて「使い慣れたコトバを研ぐ」ことを心がける。付け焼き刃のコトバはなまくらで切れ味が悪い。研ぐ方法は毎朝、本を読みながら、既に知っているコトバたちを脳内で「立ち上げて」おく。いつでも使えるように。新・モーニングルーティンにどうぞ。
サラリーマン時代は全く貯金できなかったのに、今は毎月30万ほど貯まっていく。その理由はプロフに・・・ってウソですが、あれプロフ誘導するのって何か意味あんの?エンゲージメント上がったりすんのかな?(なさそうだけど)どちらにせよ、アッチ系の人の体臭がしてどうもニガテです。
広告代理店の営業時代、クリエイティブ職のヒトで「伝える」という言葉づかいの人は大体ダメな感じがした。逆に「気づかせる」という人はデキる人が多かったイメージ。伝えるためか、気づかせるためか。GOALの捉え方ひとつで全然違う。価値を伝えるという仕事自体が、実は価値創造なんだと気づけるか。
文字量の少ない広告コピーの仕事は「手を動かす」よりも100倍「考える」ことが多い。島にいると思考に没頭できるので24h考え続けているとも言えるが、1hしか働いてないようにも見える。働いているフリをせず、読書や散歩など含め純粋に自分がやるべきだと思うことに時間を使えるのは素晴らしい。
コピーライターとは気の利いた一行の言葉を書く仕事、なわきゃない。他社の話をパッと1h弱聞いて、直しゼロの提案書を作れるのはマーケのセオリーと共通言語が頭に入ってるから。そして客が相談するのはセオリー通りにいかないからなので、案件ごとに個別のセオリーを発明する。これが仕事の本質だ。
メディアにいた頃はお金もらって出す記事は全部自筆していたのだが、管理職と執筆の食べ合わせは最悪。日中は会議やSlack即レスの嵐。執筆は端切れ時間でできるもんじゃないから、始業前に終わらせる癖がついた。これはとてもいい。今じゃ朝のうちに仕事は終えて、あとは達成感とともに本と映画に浸る
ロシアが138億円の国債利払いができずデフォルト危機だが、片や毎日2.3兆円が軍事費に溶け続けている。それだけではない。瓦礫にしたウクライナの街は誰が弁償するの?当然ロシアだ。街やインフラは毎年のGDPが「縦積み」になった価値があるので、天文学的な数字になる。戦争が割にあうはずがない。
メディア時代に「あれはヒットしたなあ」という拡販戦略に、読者の持ち物調査がある。日経bdbでのF1層の所持率調査を基に、全く同じ質問&聞き方で媒体内のF1向けに実施し、その所持率の「差分」で読者をあぶり出す。広告出稿してるブランドは所持率が逆転していたり、なかなか絶妙な結果が得られた。
朝イチに掴むアイデアはだいたい「思い出す感覚」で降ってくる。これは多分睡眠中に一度脳が解を出してくれていて、翌日の僕のアクセスを待ってる状態なんだろう。なんてありがたい。僕のギャラは本当はもう一人の僕に払うべきなのだが、彼は請求書を出せないので仕方なく一人目の僕がひとりじめする。
編集案件だとライターもカメラマンも2-3万円が当たり前だが、本来は著名な媒体へのクレジット=自己宣伝費を勘案してのバイト代なわけ。ノンクレの広告案件だと20万円〜が常識。プロだからね。で、この流れを知ってか知らずか、たかだかWebメディアがプロを格安で使おうとするのは単なる買い叩きです。
同じ言葉でも話すのは運動性言語中枢で、インプットや思考は感覚性言語中枢。いいことを考えて書いても、それを話し言葉につなぎ込むにはひと手間必要。自分なりの発想による自分らしい言葉=決めゼリフは「バーバライズトレーニング」によって実装・身体化することでその価値が書くと話すで2倍になる
広告メッセージの方向性にはas is / to beの二軸がある。前者は「現状肯定」の解釈を提示するもので、これは10年代以降の「ありのままブーム」とSNSでブーストされた共感感性に訴える。後者は「自己実現欲求」に訴えかけるもので、昔は一歩先の憧れイメージを提示していたが最近は半歩先の匙加減が◎。