儂は餓鬼の頃、10代の頃に、毎日の自身の顔を撮り変化を収めている者がいることを知り、その行為にやたら感銘を受け、ふとした時に手前の顔も記録するようにしている
大変面白い試みであると思う
諸行無常、街景色の変化を撮るようなものだ
現在、結構な年数分の顔写真が溜まり、それを「これが儂の顔か。本当にそうか?」と見返すとやはり面白いが(同時に虚しくもある)、どうしてもカメラを通すため実物(実物と言っても鏡面が反射した像しか知り得んが)よりも良く写ってしまっているのが難点だ
儂は加工が嫌いなので(そもそも儂が餓鬼の頃はカメラの加工機能なぞなかったが)、一切そういったフィルターはかけんが(誤ってかかっていたこともあったが)、レンズを通した像を現出させる都合上、実物の儂とはやや離れた像が映る
まあこれは致し方ない
この行為は趣味というより半ば義務だ
観察だ
実験だ
資料にもなる
ある者に、手前の顔というか骨格を参考にするためにも自身を撮っていると説明したときに自己陶酔者扱いされてしまったのは、良くもない思い出だ
とは言えそれもよかろう、その視点もまた個々によって真なり
儂とて「この時の表情は活き活きしてていいな、この時は酷い顔だな」などと感じるしな
ただ、儂は己の顔は好きではない
なぜなら非対称の部分が多く、部位の形も気に入らんものがあるからだ
まあよい
それが儂だ
生のまま俯瞰する
手前だけではなく、何なら己に関する者の変化も収めたいと思っている
儂は単にその時々の感じ入った光景を収める意味で写真は好きだが、そういう意味(変化観察実験)でも好きである
こうして過去と今の自身を見比べると、なるほどやはりこの個体は随分古くなったものだ
でぶったものだ
これからどんどんぼろくなる姿が捉えられていくことだろう
今後も、ふとした時に思い出したように撮り続けるだろう
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テーマ:ぼ
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