さっぽろレインボープライド2024参加。モヤモヤ多めの振り返りnote。
9/14,15と開催されたさっぽろレインボープライド(略してSRP)に、今年は多数ブース出展のある1日目から、2日間参加してきました!念願!(昨年、一昨年は日帰りで二日目のパレードのみ参加してました)
いろいろ本当に楽しかったのですが、モヤモヤ考えたりもしたので以下にざっくりとまとめて吐き出したいなと思いました
ただ、いろんな人の感想や考えも聞きたいことだなとも思ってます。特に以下目次の➂➃あたりについては私のマイノリティ性が薄いからこその特権性の強い発言なのかもしれない,,,。自信はないです。でも、『はて、全部正しくないと声をあげてはいけないの?』の寅子(『虎に翼』の主人公)の声に背中を押される気持ちで投稿します。ご意見などあればぜひ。おしゃべりしたいです。
①『市民のプライド』のさっぽろレインボープライド
各地のプライドに行っている友人で、就活セクシズムの問題解決に取り組んでいる水野優望さん(Twitter:@fearofbigleaves)に聞くところによると、かなり市民の運動が目立って見えるプライドのつくり(市民団体等のブースと企業ブースのバランスや、パレード歩く際の位置など)になってるらしく、ほえーとなりました。
後日の水野さんとのやり取りの中でも、金沢や東京のレインボープライドのHPやパレード写真(先頭を誰が歩いているのか、またそれを写した写真をどのように使うのかなど)との比較を教えてくれ、確かに金沢や東京などのほかの地域のプライドはかなり企業色が強く感じます…。
一方、さっぽろレインボープライドはHPに載せるトップの写真も、閉会式の時に実行委員会と参加者のみんなでとった1枚だったり、パレードの先頭も実行委員の方々やSRP開催のために尽力されてきたであろう多数の市民の皆さんの姿が見えてとてもよかったです(今回初めて一番目のフロートで歩いたのでパレードの先頭を実際に見ることができました)。
パレード整列の際も、スタッフさん同士のやり取りから各フロートの中でも団体や企業は後ろの方に固めるような指示になっているのがわかり、いいな~と思いました!
他の地域では前に書いたようにパレードの先頭が芸能人、政治家、インフルエンサーなどの"有名な"人で固められてることも多い中(というかむしろそういうプライドの方が多い?)、そうじゃなくしてるのはさすが札幌のプライド!嬉しい!となりました🏳🌈👏
プライド参加を終えて1週間、『市民の、私たちのプライドである』というメッセージや『プライドはただのお祭りではなく政治的なデモンストレーションなんだ』という意思が随所からひしひしと感じられたと改めて感じていて、とてもうれしく誇らしく、またこの文化を守っていかなければと強く思いました。
②協賛企業の人たちのふるまいに疑問。どういうつもりなんだろう…?がとまらない
まず出展されていた各企業ブースのことについて。
例えばJTBはただの旅行案内紙配っていたり(しかもシスヘテ*表象の新婚旅行表紙のやつとか)、宝塚大の日高先生と共に定期的にセクシュアルマイノリティの実態調査をやってるライフネット生命もあったのでこちらも期待しましたが、ただのフォトブース化してたり、、、なにこれ?って感じです。
シスヘテ*:シスジェンダー・ヘテロセクシュアルの略
シスジェンダーとは、出生後に割り当てられた性と自分の自認する性が一致している(そこに違和感を感じない)状態/セクシュアリティのこと。
ヘテロセクシュアルとは、自分の自認する性とは違う性別の人(自分は男で女の人が好き、とか、自分は女で男の人が好きなど)を好きになるセクシュアリティのこと。
ブースの内容とか、実行委員会の方で基準設けたりできないのかな…と思いました。ほかにブース出してる市民団体の方たちの出展内容が充実しているからこそ、残念に思いました。協賛してるからとりあえず出してます感の企業ブースが結構あった印象です。
次に、パレード時の企業系の人たちのふるまいの話
こちらも出展ブースの話と同じで、協賛してるから、人員を動員かけてただ歩きにきてない??ちゃんと勉強してる?プライドってどういうものか分かってんの??って不安になるような様子でした。結構な人数どこの企業さんも出してましたけどさ…。
accenture とかめちゃくちゃ沿道もパレード隊もウェイウェイうるさかったけど、色々ちゃんとわかってそれやってんの?うるさくするなとは言わんけどただのお祭り騒ぎみたいに調子乗ってるだけやないの??って思ってしまったよ…。
あと第4フロートは北海道を主に展開する(?)コールセンターの会社、ベルシステム24が協賛だったみたいで、フロートのマイク握ってるのもなぜかベルシステムの人だったらしく、案の定「沿道の皆さんは拍手をお願いします〜」とかわけわからんアナウンスをしてたらしい…です…。
おまけに第4フロートで後ろの隊列を歩いてる人の視界にはフロートの一面に貼られたベルシステムのポスター…。謎…。(知人情報)
また、こちらも知人情報ですが、その知人の真後ろを集団で歩いていたとあるコンサル会社(?)の人たちは、歩きながら、沿道のどの子・”JK”がかわいいかとか、「ハッピーターン!」(「ハッピープライド!」**をもじったおふざけ)とかってふざけて叫んでおり、しかも仲間がそれに対して「お前www」「え、ハッピー”ターン”て、もしかしてLGBTのTって”ターン”てこと?wwそういうこと?ww」みたいに茶化していたりしながら歩いていたらしく,,,。(そんな地獄のような会話を聞かせられながら3kmも歩いた知人、まじでお疲れ様すぎる…。)
「ハッピープライド(HAPPY PRIDE)!」**:世界中のプライドで標語やかけ声として使われる、「自分が自分であることに誇りをもって、楽しもう!」というような意味をもつことば。
知人は歩き終わった後、「このプライドの場を1年に1度の楽しみにして日々を必死に生きのびて、この場でこそ自分でいられて、っていう人がたくさんいるんです。会話丸聞こえだったし、そういうのよくなんじゃないですか。」(うろ覚え&意訳です)とその人たちに言ったらしいが、まじでその通り過ぎる…。
ここに今書いたような露骨なものだけでなく、そうでないものも含めて、企業から動員かけられているようにみえる人たちを見たときに、「この人たち、どんな気持ちでパレード歩いてるんだろう?ちゃんと色々わかってんのかな?勉強してる?どういうつもりなんだろう???」という不安や疑問、懸念が止まらず、そんな状況のパレードはある種、全然安心安全な場所じゃないなとも思いました。
(もちろん周りにそんな人はおらず、むしろ仲間にたくさん出会えてめちゃくちゃエンパワーメントされた!!という人もたくさんいるとも思います。パレード初参加の時の自分はまさにそうでした。ただ課題もあるよね、という話です。)
③パレードを歩きながら、呼びかけられるメッセージにモヤモヤ
『LGBTを理解』のその先へ
個人的に小中高の現場で、性の多様性というテーマに対する子どもたちの反応や認識を見ている身として、正直『マイノリティの存在を顕在化させる』ためのプライド、というフェーズのその先にそろそろ行ってもいいのではと思いました。
マイノリティゆえに背負わされる生きづらさは確かにあります。それ自体を透明化したいわけではないし、そういう話とは全く別問題として、そろそろ『"性・セクシュアリティ"を"私たちみんなの問題"として』、呼びかけていくことが必要な段階に来ているのではと思ったのです。
じゃないと「マイノリティの声がでかい」言説に飲み込まれてしまうことに抗いきれないというか…。
教育現場でも、マイノリティが常に説明項になり、"マジョリティの理解"を呼びかける構造の『LGBT教育』から、すべての人を性の当事者と捉え直した上でセクマイが追いやられている状況、生きづらさは人権の問題として考える『性の多様性教育』への転換が必要であると言われ、その点が現状課題視されている中、パレードでの呼びかけについても同じ課題を感じました。
そして後日さっぽろレインボープライドについてのいくつかの報道をみていても同じモヤモヤを感じました。
「性的少数者への”理解”を求めるために」みたいな見せ方・報道の仕方?非常にモヤモヤします。
まだまだマイノリティが生きづらい現実の課題の周知はしなくていいものか
また、ふんわりとした「みんなで支え合っていきましょう」「みなさんの愛を」「ハッピープライド!」とかっていう抽象的なメッセージに終始するのではなく、現実に起こっている全然ハッピーじゃない課題(けじすべ訴訟***やLGBT差別禁止法の立法の失敗、トランスジェンダーの人権侵害的な性別移行要件のこと、パートナーシップ条例が北海道として未導入であること等)をもっと伝えていってもいいのでは?とも思いました。
(特にけじすべ訴訟なんかは札幌に原告の方がいますし、札幌地裁高裁ともにその他全国4か所と比べても画期的な判決を出しています。)
けじすべ訴訟***:「結婚の自由をすべての人に」訴訟。(けじすべ訴訟、マリフォー訴訟、同性婚訴訟)
結婚の自由をすべての人に、特に法律上の同性間の婚姻の法制化に向けて、これのできないことが憲法違反だと正面から問う、日本で初めての訴訟。2019年2月14日、札幌、東京、名古屋、大阪の裁判所で一斉に提訴。その後、同年9月5日に福岡の裁判所で提訴。さらに、2021年、東京にて第二次訴訟が始まりました。
(現在は東京高裁、札幌高裁の判決まで出ています←宮坂補足)
けじすべ訴訟***:以下Marriage for All ホームページより引用
~同性婚ではなく、「結婚の自由をすべての人に」や「結婚の平等」という言葉をなぜ使っているのですか?~
「結婚の自由をすべての人に」や「結婚の平等」という言葉を使う理由は2つあります。
① 「同性婚」という特別な結婚を求めているわけではないからです。
② 自分たちのことを同性だと思っていないカップルであっても、法律上の性別が同性なら結婚ができないので、そのような場合も含むためです。
また、「結婚の自由をすべての人に」であって「結婚をすべての人に」ではないのは、結婚するかしないか、その自由が認められ、選択できるようになるべきと考えているからです。
わきまえメッセージ、聴衆にとって耳障りはいいけどそれでいいのかな
パレードの先頭で読みあげられるメッセージ、とても素敵ではあったのですが、全体的にメッセージが非常に柔らかくふんわり抽象的で、なんでこんなにわきまえメッセージなの?と途中からモヤモヤが止まらなくなりました。
もっと、『権利』を叫んでいいはず、私たちは私たちの権利を求めていいはず。
理解を、愛を、ってなんでそんなに下手下手にわきまえながら歩かなければならないのか…いまもうその段階じゃないんじゃない?
てか、もっと私たち求めていいはずじゃない?
いい加減にしてよって言っていいはずじゃないの?
って。
(どんちゃん大阪デモの"END!END!END維新!👐"とかあれくらい言いたい…て思った(笑))
アライにまでわきまえないでくださいよ…(泣)
あと謎の、アライ****に対するわきまえメッセージもパレード後半に呼びかけられ、びっくり。
「みなさん一緒に歩いてくれてありがとうございます!アライの皆さんも一緒に歩いてくれてありがとう!」って。
アライ(Ally)****:英語で「同盟」「味方」「支援者」を意味する言葉で、セクシュアルマイノリティを理解し、支援している人や支援したいと思う人のことを指す
なんでアライにまでわきまえてんの!!??
アライは好きで、自分が歩きたくて歩いてるんだよ!?!?ってなりました。
(ちなみに私はあんまりアライって言葉?好きじゃなくて、自分でもあまり名乗りません…。定義的にはもちろんアライですけどね…。この辺はまた話すと長くなるので割愛しますが。)
④アンハッピーな現実とは対照的な、ハッピーに満ちたプライドの刹那空間に息苦しさを感じる
『ハッピープライド!』と楽しげなメッセージで、ポジティブなアクションを生みたい気持ちもわかるし、『”ハッピープライド”なんだ!』ってプロテスト的に言うのはわかる。でもなんだろう。
前に書いたパレード時の呼びかけメッセージ含め、全体の空間としてハッピー色が強すぎて…。
パレスチナ連帯🍉の人もぱっと見あまり見あたらないし…反戦!とか暴力反対!系のメッセージもあんまり見ないし…なんだこれ…みたいな
(終わった後に話した知人も、「パレスチナ・ガザのこと書いたプラカード持ってる人全然いなくて…😢」てなってた)。
(「ただ、私でありたい」のとこはなんか変な線はいってしまった…)
そんな中、ゴール地点で他のフロート隊列の到着を見ていた時に、「アンハッピーでもプライドはある(意訳)」とか、「ジェノサイドをやめろ!そしてジェノサイドをとめろ!無視は加担だぞ!😡」っていう手製のプラカードを持つ二人組をお見かけして、めちゃくちゃ涙が出そうになった。
これは人によるのかもしれないけど、少なくとも私は、現実の数あるアンハッピーを覆い隠すようなハッピーなメッセージよりも、現実の不条理に対する怒りや悲しみ、傷つきを共有できた時の方がよっぽどエンパワーメントされるんだって分かりました。
プライド自体を怒りに満ちたイベントにしてほしいとは思わないけど、でもやっぱりもっと現実に怒っていいと思うし、不条理な暴力に反対する姿勢を出していっていいと思ったりしたのです。
少なくとも私はそんな空間、そんなプライドで、それぞれの日々の孤独な闘いを慰め讃え合いたいと思いました。
メモのつもりで書き始めて、結局長々書いてしまいましたがざっとそんな感想です。
といっても、何よりこの空間を作ってくれた実行委員会の皆さんには本当に感謝していますし、たくさんの出会いと対話があった楽しい2日間であったことも違いはありません。さっぽろレインボープライドを作ってくれたすべての皆さんありがとうございました!来年も楽しみに参加します。


コメント
1なんかまぁ、、お疲れ様です。ただ、権利なんて叫ばなくても良いです。静かに埋もれるように暮らしたいだけ。