であるりん
であるりん 2 weeks ago
万博に行ってきたよ!(バーチャル)
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であるりん
であるりん 4 weeks ago
先日アップした動画で、松野平介が駆けつけた京都の寺を妙覚寺と字幕に書きましたが、妙顕寺の間違いでした。信長公記には妙顕寺と書いてあるのですが、記憶を頼りに確認せずに動画の台本を作ってしまいました😢ごめんなさい 以下に、その部分の信長公記を現代語訳しておきます 先年、安東伊賀守(安藤守就)が不届きな振る舞いをして追放された折、その家中に松野平介という者がおりました。 たいへん勇敢で、抜け目ない男であるとの噂が信長公のお耳にも達し、召し抱えられて、多くの知行(領地)をお与えになりました。これは松野にとって、とても名誉な出来事でした。 本能寺の変の時、松野平介はかなり遠方にいたので、時刻が過ぎてから妙顕寺へ駆けつけました。ところが斎藤内蔵佐(斎藤利三)とは旧知の縁があったため、内蔵佐(斎藤利三)の側から妙顕寺へ使者を差し向けてきて「急いで参上し、明智日向守(明智光秀)に礼を申し上げよ。そうすれば何事も差し障りはあるまい」と伝えてきました。 すると平介は「自分は信長公に召し出されて仕えてきた者である」として、右の経緯を諸寺の僧たちに一々聞かせましたうえで、 「かたじけなくも、分不相応なまでの御知行を賜りながら、いざという時にお役にも立てず、そのうえ主君の御敵(明智光秀側)に降参するような主を崇めてよいはずがない。無念である」 という趣旨の書状を、知己の人々に送り届け、書き置きを残して追腹(殉死の切腹)を遂げました。 「まことに、命は義のためには軽い」と本文に認め、この一件の締めくくりとしたのです。
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であるりん
であるりん 1 month ago
夏が終わりますよ!
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であるりん
であるりん 1 month ago
おはよう!
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であるりん
であるりん 1 month ago
いえい!
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であるりん
であるりん 1 month ago
戦国時代は 「行儀がなっていない者には近づいてはならない」 「人となりを知るには、その友を見ればよい」 と言われました 「交友関係がその人を良くも悪くもする」という意味です
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であるりん
であるりん 1 month ago
壁紙用 暑中お見舞申し上げます
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であるりん
であるりん 1 month ago
織田信長の家臣、前田利家の逸話集「利家夜話」にこんな事が書かれています。 信長公が安土山に御城を築かれた時、諸将を招いて大饗応(宴会)をされました。鶴をはじめ数々の珍味が並び、そのうえ信長公自らが贈り物を直接お渡しになりました。 柴田勝家に対しては「あなたをはじめ、諸将が度々手柄を立ててくれたからこそ、こうして天下を治め、万事成就した。まことに満足である」と仰せられ、その他の武将にもそれぞれ言葉を賜りました。 利家は末席に座っていましたが贈り物を賜りました。その時、信長公は冗談交じりに「若い頃、利家はワシの枕元で寝泊まりする、秘蔵の近習であったのだ」と笑って仰せられました。 信長公は続けて「その頃は大きな髭を生やしていたが、髭を剃ったな。思い出すが、お前が稲生の合戦(信長が、弟と戦った合戦)で十六、七歳の時、信長の弟の家臣・宮居勘兵衛の首を討ち取ったことがあった。お前がその首を『犬と呼ばれる分際の者でも、こんな手柄をあげたぞ!見よ!』と馬上で振ってみせたところ、味方は大いに士気を得て、わずか七、八百で三、四千の軍勢を押し崩したものよ」と語られました。 そして「お前たち一人一人の手柄のおかげで、わしは天下を治め、万事成就できたのだ」と重ねて賞賛されました。 これには利家も「なんともありがたい仰せでございます」と感激したとのことです。周囲の近習衆も「まことに冥加なることだ。又左殿のようにあやかりたい」と口々に言い合い、利家は調子に乗って食を進めすぎ、ついに鶴の汁を食べ過ぎて当たってしまったのです。 この話を思い出すと、利家は「笑い話よ」と語っていたそうです。
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であるりん
であるりん 2 months ago (edited)
後北条氏二代目当主氏綱が息子に残した家訓を現代語訳しました 北条氏綱公御書置 一、義を守ることの大切さ 大将に限らず、家臣、侍にいたるまで、何よりもまず「義」を大切にせよ。義に背けば、たとえ一国や二国を手に入れても、後世に恥辱を残すことになる。たとえ天命が尽きて滅びようとも、義を違えなければ来世において恥を受けることはない。 昔から天下を治める大国であっても、一度は必ず滅亡の時期を迎える。人の命もまた短いのだから、むさぼりの心を決して持ってはならぬ。古い物語を見ても、義を守って滅んだ者と、義を捨てて栄えた者とでは、天地ほどの違いがある。大将が義を正しく守れば、家臣もまた義を忘れないだろう。まして、不義の振る舞いで利を得た者は、最後には必ず天罰を免れない。 一、人材登用について 侍から地下人(侍ではない下層の従者)、百姓にいたるまで、誰であっても見下してはならぬ。世の中に「捨てた者」などいない。 容姿や才覚に恵まれていても、実際は武勇に劣る者もいる。逆に、愚か者と思われていた人間が、いざという時に強い武勇を発揮することもある。たとえ身体に欠陥があっても、用い方次第で大いに役立つことがあるのだ。 だから「役に立たぬ愚か者」と見限ってしまうのは、大将の心の狭さである。大将の下には、善人も悪人も混ざっているのが当然だ。罪を犯した者ならば処罰すればよいが、そうでない者を「使えぬ」と切り捨ててはならぬ。そうすれば、その者は「大将に見限られた」と思い、やる気を失って本当の愚か者となってしまう。 大将はどのような者でも不憫に思う心を持ち、皆にその姿勢を知らしめるべきである。そうして初めて、一人ひとりの持ち場で力を尽くすことができるのだ。 能の舞台を例にとれば、大夫に笛を吹かせ、鼓を打たせては上手くいかない。役割を正しく割り振ってこそ、一座の能が完成する。国持大名の家臣登用もこれと同じである。 一、身の程を守ること 侍は、自分の身分に応じた生活を守るべきである。例えば、五百貫の所領しかないのに、千貫持ちの真似をする者は、たいてい苦労している。 知行の減少、戦役の多さ、火事、親族の扶養など、予期せぬことはいくらでも起こる。そうなれば千貫の家も八百、九百貫に減ってしまう。にもかかわらず見栄を張れば、百姓への過酷な負担、商人への無理な取り立て、博打などに走ることになる。 そうした者は、上役に賄賂を贈って取り繕い、「忠節の士」と褒められてしまう。大将もついだまされ、実際は五百貫しかないのに千貫の侍を召し抱えているかのように見えてしまう。すると家中に「虚飾をよしとする風」が広まり、やがて国全体が衰えていく。 現に、今の上杉家(※ 上杉謙信が継いだ山内上杉氏とは別家)ではそうした風儀が蔓延し、国が貧しく弱体化している。よくよく注意せよ。 一、倹約を守ること すべてにおいて倹約を第一とせよ。華美を好めば、結局は百姓を苦しめることになる。倹約を守れば、百姓や町人まで豊かになる。国が豊かになれば、大将の軍勢は強くなり、戦でも必ず勝てる。 亡き父・入道殿(初代当主、北条早雲、伊勢宗瑞)は、元々身分の低い立場から出た人だが、『生まれつき運の良い人』と世間で言われていた。確かにそれも天の加護であったかもしれない、しかし第一の理由は、倹約を守り、派手なことを好まなかったからである。そもそも侍は古風であることを尊ぶべきである。流行を追う者は多くが軽薄であると、父は常に言っていた。 一、戦勝の後の心得 大勝の後には、必ず驕りの心が生じ、敵を侮ったり、不義を働いたりするものだ。これは必ず慎むべきことである。「勝って兜の緒を締めよ」という古訓を忘れてはならぬ。昔から、戦いに勝ちながらその慢心のために滅びた家は数多い。 以上のことをしっかり守れば、我が北条家は必ず繁栄するだろう。 天文十年(1541)五月二十一日 北条氏綱
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であるりん
であるりん 2 months ago (edited)
終戦の日ですので、昭和天皇の玉音放送を現代語訳します。 以下、終戦の詔勅。 私は、世界の情勢と我が国の現状を深く考え、非常の手段によってこの戦局を収めようと決意し、ここに忠義心あふれる国民に告げる。 私は、帝国政府に命じて、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4か国に対して、ポツダム宣言を受け入れる旨を通告させた。 もともと、国民の安らかな生活を願い、すべての国と共に栄えることを目指すのは、皇祖皇宗の教えであり、私の信念でもある。 先に米英に宣戦したのも、帝国の独立を守り、東アジアの平和を確保したいという願いからであり、他国の主権を侵したり領土を奪ったりする意思など、最初から全くなかった。 しかし、戦争はすでに4年が経ち、私の軍人たちの奮戦、政府関係者の尽力、国民の献身にもかかわらず、戦況は好転せず、世界の情勢も我が国に不利になってきた。 さらに、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、罪のない民間人を大量に殺傷し、被害は想像を絶するものとなっている。 それでもなお戦争を続ければ、ついには日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明までも破壊してしまうであろう。 このようになっては、私がどうして国民を守り、皇祖皇宗の霊に顔向けできようか。 このため、私は政府に命じて、ポツダム宣言を受け入れさせるに至った。 私は、日本と共にアジアの解放に協力してきた諸国に対し、申し訳なく思う気持ちを抱かざるを得ない。 戦場で命を落とし、職場で倒れ、非業の死を遂げた人々とその遺族のことを思うと、胸が張り裂ける思いである。 また、負傷し、災害を受け、家業を失った人々の生活に思いを致すとき、私は深く心を痛めている。 今後、国が受ける苦難は、並大抵ではないことは承知している。国民の気持ちも、私はよく理解している。 だが私は、運命の流れに従い、耐えがたいことを耐え、忍びがたいことを忍び、永遠の平和を築きたいと願う。 私は、国体(皇室制度)を守り、忠義あふれる国民の真心を信じている。私は常に国民と共にある。 しかし、感情に任せて事件を起こしたり、同胞同士で争ったりして、社会を乱し、正しい道を踏み外し、国際的な信用を失うようなことがあってはならない。 国を挙げて一家のように協力し、子孫に伝えて、日本という国の不滅を信じ、責任の重さと将来の長い道のりを思い、全力をもって未来の建設にあたってほしい。 道徳を重んじ、志を強く持ち、国の精神を高め、世界の進歩に取り残されないよう努力してほしい。 国民よ、この私の思いをよく理解せよ。
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であるりん
であるりん 2 months ago
タカシの部屋に推しVTuberの等身大フィギュアが届きました
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であるりん 2 months ago
ナスおいしいですね!
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