第四幕 すべきことではなく、したいことを

 詠理が案内してくれたのは、落ち着いた店だった。研究所で写真──おおよそ、己の時代とは比べ物にならぬほどに鮮明で、実物と見紛うほどのものだった──を交えて説明を受けた、「喫茶店」というやつである。

 己が住まう天海郷あまみきょうは二百年を経て健在なようだと、喫茶店の中で流れる「ラジオ」とやらで知った。

「本日の天海郷の天気は、南部地域に雨雲が停滞しており──」

 機械越しだからか、肉声さえも、どこか無機質に感じられる。


 己が最期に眠ったのは、確か東海道のどこかだったが、──少なくともこの神浜県は粳間市うるましではなかったように思う。


「深河県の発祥で、モーニング文化っていうのが、天海郷を中心に広がってるんです」

猛忍具もうにんぐ……? 恐ろしい忍術文化が広がるとは、今の時代もなかなかだな」

「なんか……発音がおかしいですが。……モーニングというのは舶来の言葉で朝とか午前中って意味です。和深では、喫茶店の午前中のメニューサービス……朝専用のお品書きを言うんですよ」

「ほう……永崎ながさきで南蛮貿易が栄えていたのは聞き及んでいたが、なるほど、本格的に大陸も他所へ門戸を開いたか」


 幕府と討幕の争いは、妖怪や神仏という野蛮や非科学を廃し、カラクリ技術に注力すべしという開国幕府派と、人妖融和と神仏威信をかけて鎖国を維持すべしという討幕派の激突であった。

 が、当然、幕府派にも鎖国を意見するものもいたし、逆に討幕派でありつつ開国には賛成、という者もいた。

 時継は討幕・開国論者であった。


「俺は、開国には賛成であった。西洋の良いものを取り入れねばいずれ立ち行かなくなると、夜を徹して語り合ったものよ」

「そのいいものを取り入れた結果が、こういった喫茶店なんです。どれにします?」

「面妖なものよ……この、黄色い、とろっとしたのはなんだ? こんにゃくか?」

「卵ですよ、オムライスっていうんです。味付けしたご飯を卵で包むんですよ……ご先祖様はどうも、定家卵がお好きだったとか?」

「……知っていて、当然か。そうだ、俺はあのふわふわした卵が好きなのだ」


 時継はどこか悔しそうに、人差し指でオムライスを示した。


 詠理が呼び鈴を鳴らして店員を呼び、オムライスとホットコーヒーとやらを頼む。

 飲み物が先に出てくる仕組みのようで、目の前に、湯気を立てる墨汁が並んだ。


「……何を書けというのだ」

「飲み物ですからね。コーヒーって言うんですよ」

「おい、俺に嘘などつくな。仮にも先祖だぞ」

「はいはい。なら私が先に飲みます」


 言うや否や、詠理はその、黒々としたコーヒーとやらを啜る。

 ──正気か? と思った。

 においからして、これは明らかに薬効の類に感じられる。黒焼きにした木の実を砕いたような、滋味深いような、深い香りが鼻をくすぐる。

 しかし詠理は旨そうに飲んでいるではないか。


 ただゲテモノほど旨いことは、往々にしてある。

 時継は意を決し、一口啜った。


 まず、恐ろしく熱い。そして、驚くほど苦い。


「……なんだこれは。なんの飲み薬だ。俺は風邪なんぞに負けるような軟弱ではないぞ」

「そう言う飲み物なんですよね。苦味がダメなら、ミルクと砂糖を入れてカフェオレにするんです」

火風炎悪霊かふえおれい……」

「またなんかおかしな発音してますけど」


 詠理が小さな入れ物からやけにとろりとした牛乳と、それから液状の砂糖を注ぐ。

 それを匙でくるりとかき混ぜれば、どうやらそれが、火風──カフェオレらしい。


「どうぞ。飲みやすいですよ」

「……初めからこうしてくれれば良いものを。いや、……あえて苦味を味わったのちに、馳走というわけだな」

「……ご先祖様って自己解釈する力すごいですよね」

「他人に指摘されることより己の気づきを大切にするのは、人も妖怪も同じだと思うが? 時に、詠理」

「はい」


 時継はカフェオレを一口、恐る恐る飲んだ。

 口当たりが柔らかくなっていて、ほのかに苦味はあるが、これならば美味である。

 しかしなぜか、あの苦汁のまま飲んでいる詠理に負けている気がする。

 だからこその提案でもある──。


「時継、で良い。それから……先はすまなかった。困惑の極みとはいえ、子孫に暴力を振るうものではなかった」

「ああ……大丈夫です、時継さん。私も覚悟はしていましたし」


 さん、もいらぬが──と思うが、さりとて詠理にも敬称をつける理由があってのこと、と納得しておいた。

 ややあって、オムライスが運ばれてきた。

 それから、小鉢には白い球形の──これは、すり潰した芋だろうか? と、刻んだ野菜が入れられている。

 コーヒーと同じような入れ物には、かぼちゃを裏漉しして作った汁物が入っていた。


「……ほう。食うに困らん時代というのはまことらしい。詠理、この白いのは?」

「ポテトサラダ、ですね。蒸して潰したじゃが芋を味付けして、キャベツ、萵苣ちしゃ……今となってはレタスと言いますが、それを彩りに使っています」

「食への工夫とこだわりは変わらぬか。良い文化だな。俺は料理なぞできやせんから、飯処には尊敬しか浮かばん」


 顎を撫で、時継は料理の彩りに夢中であった。

 時に、戦国の世の武将は美食にうるさかったり、盛り付けにうるさかったり、中には平和な世を迎えた時には料理人になる武将までいたという。

 時継は、己にそのような性格があるとは思っていなかったが──存外、そういう趣味があるのやも知れぬ。


「いただきます」

 二人は手を合わせて、匙を手に取った。

 時継は、この手の食器より箸が良かったが、郷に入っては郷に従え。詠理の手つきを真似しつつ、オムライスを掬って、食べてみた。


 ふわふわで柔らかい卵の層に、橙色の、炒めた飯らしき中身。この着色は何を用いているのだろうと思いつつ口に運ぶ。

 まず、飯の酸味を感じた。それから、塩味、辛味というには爽やかな刺激のある風味。鶏肉の柔らかな食感──玉ねぎと、甘唐辛子の豊かな歯触り。

 そしてそれらをふわりと包む、卵の優しい味わい……。


「旨い。旨いな」


 気づけば二口、三口と食べている。

 詠理は弟でも眺めるように見つめ、食事を続ける。


「時継さんたちが頑張ったから、ここにある文化です。……時に、いいですか」


 食事を終え、二人は食後に、「すうぃーつ」なるものを頼んでいた。南蛮菓子の類なのだろうが、モンブランなるものを注文している。


「時継さんは、今したいことって、何かありますか」

「……わからぬ。すべき目的も斬るべきものも今の俺にはない」

「……私は、“すべき”ことなんか聞いてません」


 詠理が、真っ直ぐにこちらを見る。


「“したい”ことは、なんですか?」

「……旨いものを食いたい」


 時継は、あまりにも素直な言葉を紡いだ。


「それでは、だめか。旨いものを食って、美しいものを見たい。海や、山や……そういったものを見たいのだ。なによりまず、熱い湯に入りたい」


 訥々と、時継は己のしたいことを言った。

 それは、かつて己の生きていた時代には贅沢すぎる願望である。故に、いつしか心の奥底に封じ込め、忘れようと努める一切合切の夢でさえあった。

 詠理はそれを受け止めて、

「なら叶えましょう」


 店員がモンブランを二人の前に並べて、「ごゆっくりどうぞ」と微笑んだ。

 時継は渦巻きを描くその「菓子」を前に、喉を鳴らした。


「そうだな……俺はまず、この悶武乱もんぶらんを食いたい」

「発音がなーんか、おかしいんですが……そうですね、食べましょうか」


 二人はゆったりと、食後の菓子を楽しむ。

 時継は過ぎ去ってきた時間を取り戻すように、一日を過ごしていった。


     〓


「蕎麦って、昔いくらでした?」

「十六文だ。今で言うと……そうだな、四八〇円ってところか」

「へえ……じゃあ、銑鋧せんけんは蕎麦六杯分っていうのは?」

「本当だ。……棒手裏剣、と言わぬあたりはさすが侍の子だ」

「まあ小さい頃から学んできましたからね」


 時継は、帰りの道で質問攻めにあっていた。くる前は時継が詠理に対してあれこれ聞いていたから、おあいこである。

「現代に生きる妖怪もいよう」

「……くる前に、何度も、大きな戦があったことをお話しした、じゃないですか」

「……大陸間の、惑星規模の戦か。愚かな真似をする……そうか、それで生き字引の多くは旅立ったわけだな」

「そうです」


 眉間を揉みほぐす。馬鹿な真似を。戦などというふざけた真似は、己の代で終われば良いと思っていた。

 侍が、ひたすらにタダ飯喰らいなどと馬鹿にされるくらいがちょうど良いのだと、そう思っていたが……。

 けれども、現代に至るまで武士階級が存在する──だけならまだしも、道行く人妖の腰には必ず一振り、脇差なり短刀なり、道中差しなりが差さっている。

 すなわち、それらは帯刀令が施行されている証拠であり、そうして自衛せねばならぬほどに悪党がのさばっている証左である。


 二人はねぐらの研究所に戻る。

 詠理が地下二階の、「モニタールーム」なる場所に入った。時継は扉のそばに立ち、立ったまま、瞑目。

 したいことははきとしている。旨い飯を食い、風光明媚な土地を見、可能なら温泉に浸かる。黄泉返りの身に余る生き方であるが、当然、生きるには金がいることくらい理解していた。


「時継さん、ミタマリヴァイヴ──時渡りの法が禁術として凍結されたことは、お話ししたと思います」

 詠理がモニターから振り返って、そう、確認するように言った。


 時継は覚悟を決めたように頷く。

「然り。それゆえ、俺の存在は政府や企業とやらに知られてはまずいそうだな」


 モニターには、施設の外が映し出されている。

 そこには、複数の黒服を着た、政府、ないしは企業の手先と思しき──傭兵集団であろう連中。素人ではないことは、その統率の取れた体捌きから明らかであった


 詠理は、寂しそうに微笑み──こう言い切った。

「はい。無論、対策は幾重にもしていますが……まず、


 時継は目を細め、そして、腰の脇差に静かに手を伸ばした。


「俺がただで死ぬと思うな」


 二人が睨み合う──。


 それからわずかな時、施設から剣戟音がいくつか響いて、そして──大地を抉るほどの爆発が巻き起こるのだった……。

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