第二幕 祖先と子孫

 それは星の暦二一六年の、ある梅雨のことである。


 ぴしりぴしりと槽に亀裂が走り、澄んだ破砕音が響いたのは突然のことだった。

 霊子波測定器の振幅が限界値に到達し、かちかちと、針が悲鳴をあげている。オジロスコープが異常値を叩き出し、その他の計器類も軒並み「測定不能」もしくは「異常値」を示す反応を吐き出すのみ。


 詠理は拘束フレームの発動も視野に入れかけたが、──やめた。理由は──そこに理性的な判断はない。

 だが、二百年以上を「封じられていた御霊」を、今一度縛り付けることに、躊躇いを感じた。


 次の瞬間、被検体YJ-01──夜島時継が槽の外装部を粉砕した。

 それまで無感情だった顔を、怒りに歪めて。


 時継の腕が詠理の喉を掴み、一瞬にして、壁に彼女の身を叩きつけていた。

 ぼこり、と壁がかすかに陥没。捲れ上がる建材がパラパラと散り、リノリウムの床に積もる。

 並の人間なら今ので即死。ミンチになっていただろう。──それだけの怒りを、時継から感じた。


「かはっ」


 壮健な二十四歳といえど、彼女とて女の身である。詠理自身、先祖と同じ鬼の血を引くから、「多少痛い程度」で済んだが……。


 平和な世に生きる研究者と、幕末を戦い抜いた侍とではモノが違いすぎた。


 特異な虹彩の目が、銀と藍色と緋色の、鬼の目が詠理の射抜く。

 そこに感じるのは恐ろしさ。けれど、畏敬とも尊敬とも言える念が同時に湧いた。


「これはなんなのだ。俺に何をしたというのだ。答えろ」

「ときっ──渡り、の、法……ごせん……ぞ様の、ゆい、ごん……」

「時渡り……? 霊全れいぜんの仕業か? ──何か知っておるのか!」


 詠理は必死に首を横に振った。そんな名前、知らない。だからどうしたって答えようがない。

 時継は彼女の反応から、めぼしいことは知らないのだろうと判断したのだろう。ゆっくりと手を離した。


「ご先祖様……っ、今、出るのは危険です」

「先祖……? 誰が、誰の」

「時継様は、私の八代前のご先祖様なのです。ごほっ。……私はあなたの子孫、夜島詠理です」

「……八代……。俺は、何年御霊封じに遭っていた」

「およそ、二二〇年」


 時継は言葉を失くした──が、おそらくは想定していたのだろう。

 もとより彼は、先祖代々の遺言によれば「自ら望んで、時渡りのため、御霊を封じた男」と伝わっているのだ。

 実際にはどうも、霊全なる人物に謀られたようではあるが──。


「まあ……確かに全裸で出歩くのは危険だろうな。時に女子おなごは繊細ゆえ。おい、褌の一丁でも用意したらどうだ」

「……今の時代、それ、通報されます。褌って、要するにパンイチでしょう。田舎ならまだしも……」

「……? その、通報とは。よもや奉行所の類か? ふん、腐れ幕吏の木端役人どもなど俺が片っ端から──」

「いけませんそんなこと! とにかく、ダメなものは、ダメです!」

「む……」


 詠理の剣幕に、さしもの時継も口をつぐんだ。

 一方で詠理は口に出さず、言語野の調整がうまく行ったことを喜んでいた。幕末の人間の古めかしい言葉遣いは、時に、現代を生きる上で障害になる。

 ゆえに、Object:YJ-01の言語野を意図的に現代語に適した形に整えておいたのだ。


「幾分、鷹揚ではないな。……まあよい、おそらくお前が言いたいのは、そういうことでもあるまいよ」


 いささか古めかしい言葉遣いが出るのは、いっそ、ある種のバグと割り切るしかない。だが致命的な狂いはないように思えるし、それに、今後生きて学習する中で適応していくだろう。

 それに、さすが即時適応が求められる戦士──この状況も、飲み込みつつある。時代を跨ぐ侍だからといって、唐変木というわけでもないらしい。

 時継はその場にどっかりとあぐらをかいた──無論、全裸で。そのおおらかさというか、子孫とはいえ仮にも女子の前で全裸であるのに眉一つ動かさぬ感性は、生まれた時代の差か。


「時継様、実を申しますと、ですね……この計画自体が父の代で凍結されていたのです」

「うん? それはどのような理屈だ? 凍結? とはなんのことだ」

「ええと……つまり私は、禁を破って、時継様の時渡りの法を完成させたのです。

 ──ことが警さつ……いえ、奉行所にバレれば、我らは土壇場で切腹を申しつけられ……いえ、その名誉さえなく、首を落とされ、最後にはさらし首でもおかしくありません」


 詠理はそのように弁を捲し立てた。

 侍にとって切腹とは名誉ある死である。時に、時継が切腹を誇りとしているとしたら、腹を切る最期よりも、他者に殺される方が屈辱ではないかと思い、そう言ったのだ。

 時継は顎を撫でて、唸った。


「なるほど。確かに、使命を果たさんがため腹を切る覚悟は俺にはある。だが、よもやそれに他人を巻き込むのはいささかばかり、気が引ける」


 時継としては、死に方ではなく、他人を巻き込むやり方が気に食わぬと見えた。

 ご先祖は立派で、優しいお侍であった──とよく聞いていたが、本当だった。詠理は嬉しくなる。


「……すまん。お前は俺を知っているようだが、俺は、お前をよく知らん。……色々聞きたいことも多くある」

「あ。……すみません、自分本位であれこれと」

「良い。……俺は、夜島時継。討幕派、十二支隊の辰の隊にいた。お前は」

「夜島詠理。代々受け継がれてきた時渡りを完遂すべく、この研究を完成させた女です」




 時継と詠理はしばらく会話を重ねた。

 それから、何はなくとも外を見ないことにはなにもわからない──そういう結論に至った。

 詠理が用意していた洋装に整えた時継は、彼女と共に研究所を後にした。


 それなりに長く、そこで話していたのだろう。

 表の寂れたメインホールには、時継の目覚めを祝福するかのように雨上がりの朝晴れが広がっている。


「……新時代か」

「ご用意は?」

 詠理が笑う。

 時継は、顎を引くようにして頷いた。


「悪くない。……御法度の類も頭に叩き込んだゆえ、行こうか」


 日の出の空に向け、時継は歩き出した。

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