何故僕が「青春」を追い求めているのか
青春の定義
青春(せいしゅん)は、季節の「春」を示す言葉である。転じて、生涯において若く元気な時代、主に青年時代を指す言葉として用いられる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%98%A5 より
僕が追い求めている「青春」は青年時代、つまり高校生時代の時に経験したかった恋愛感情、友情に強く関係する出来事の事である。
具体的な経験したかった青春・対照的な厳しい現実
文化祭・体育祭で放課後に残って作業をした時に体操着が汚れ、その体操着を見た時に「青春」を思い出す。
体育祭のクラスTシャツを実家に帰った時に見つけ、「青春」を思い出す。高校生の時付き合っていた彼女との馴れ初めとなるインスタグラムのDMを見返して「青春」を思い出す。
この「青春」を思い出す行為は尊いものであり、僕も感じてみたかった。
しかし現実は厳しく、僕が体育祭関係で経験したことは
「体育祭で放課後に残ってクラスの一軍女子の手伝いを男友達の手伝いという名目で行ったが、俺が無能すぎて女子との会話で盛り上がっている男友達を残して一人教室に帰り、体操着を見たら絵の具がついていた。その体操着を見ると今でも当時の光景が思い出される。」
起こっている事は同じだが、全く「青春」では無い。
体育祭のクラスTシャツを家で着て、ヘアバンドをつけてあの頃経験出来なかった団長の気分を経験しちゃってます
— 鳴明 (@narimei5) July 5, 2025
体育祭では当然100メートルリレーなど出れるはずもなく、ずっと応援席にいて、連合毎に行うダンスだけが主な出場機会だった。
でも、千切れるほど家でクラスTシャツを着ている。
全く「青春」を感じることは出来ない。
インスタで高校の記憶を消そうと思って唯一フォローしてた女性数名をブロ解しようとしてたのに見つからないと思ったら、相手側からブロ解されて既に自分のフォロワーにいない可能性に気づいて涙が止まらないんだが、これも"甘酸っぱい青春"って言っていいか?
— 鳴明 (@narimei5) July 17, 2025
インスタグラムのDMなんてものは無くて、高校の同級生からはブロ解されている始末である。
「甘酸っぱい青春」とか言っているが明らかに強がっているだけだ。
高校生時代に女性とDMした事はおろか、クラスの女性ともほとんどインスタを交換する事は出来なかった。
フォローバック目的の他のクラスの顔も分からない女性のフォロワーが少しいたぐらいだった。
結論 何故僕が「青春」を追い求めているのか
結局、何故僕が「青春」を追い求めているのかというと、「青春」についての話についていく為には、「あの頃」のリアルな青春体験が必要だからである。
創作物であっても、たとえ話であっても、「青春」については共感することが出来ない。共感しているフリは出来るけど、それは教科書を読んで得た知識のように一問一答は出来るが、応用が利かない。
「青春の味」だとか、「青春をテーマにした俳句」などに全く共感が出来ない。
今大学二年生だが、今猛烈にあの頃の「青春」を追い求めたとしても経験する事は不可能だ。
この後悔は自分のカルマとして死ぬまで背負っていくのかもしれない。
「青」は好きな色だし、「春」も好きな季節だけど、その二文字が合わさって「青春」になると、目を背けたい物になってしまう。
— 鳴明 (@narimei5) August 4, 2025
僕は青春コンプレックスだから、防衛機制が働いて、過去の未練を文章に纏める事で昇華しようとしているのだろう。
自分のツイート検索で「青春」って調べたら、本当に死にたくなるぐらい青春コンプツイートがあった
— 鳴明 (@narimei5) August 4, 2025
これからも多分僕は「青春」についての話を続けるのだろう、でもいつかそのコンプレックスが無くなる事を願い、今日も文章にする。僕は弱い。


コメント
1ヤバい
お前は俺か?状態です