冬です、間違いないです、もう冬です
寒い。それに尽きる。
まだ10月だけれど、十分に寒い。コートを着て、その襟をピンと顎まで伸ばして、探偵か、刑事か、あるいは容疑者かという格好をしなければならないほどに寒い。世界はこんなに寒かったのかと驚くほどに寒い。
街を歩けば、まだ半袖の人も見かける。
同じ季節に生きているのか不安になる。ファンタジーな世界観のゲームでは、仲間同士で同じ場所を進んでいるのに、「君、厚着だね」とか、「君、薄着が過ぎていないか?」とかと思うことがあるけれど、それが現実でも起きている。
宣言する。冬です。もう冬です。
季節はグラデーションのように変わっていく。東京駅から乗った東北に向かう新幹線の窓の外の景色が、高いビルから住宅地になり、やがて田畑になり、そして山の中になるように、グラデーションで変わっていく。本日から「冬です」と誰かが教えてくれるわけではない。
今日と明日では気温が違うかもしれない。
今日は暖かくても、明日は寒く、実は明後日はまた暖かいかもしれない。人はそれに悩まされて、夏を引きずり、もう寒いのに半袖なのかもしれにない。しかし、世の中には教えてもらえないことは多い。個人の判断でしなければならないこともある。
たとえば「友達」。
あなたには友達はいるだろうか? もしいると思うならば「友達だよね」と友達に確認しただろうか。書面で契約を交わしただろうか。「ここと、ここと、ここに」とハンコを押す場所に鉛筆で丸をつけながら、友達証明書の契約書に友達と思う者に押印を求めだだろうか。
おそらくそんなことはしていないはずだ。
何事にもエビデンスが求められ、何事にも書面で契約を交わすことが求められるこの世の中で、友達にはそれらを求めない。我々は一方的に友達を友達と思い込み、日々の生活を送り、友達と一方的に思っている友達と食事や遊びに出かけている。仕事や恋の悩みを友達だと思い込んでいる者に相談することもあるだろう。
まだ恋人同士の方がわかりやすい。
「愛してる」「私も」と言えば、とりあえずお互いがお互いを愛していることが、口頭ではあるけれど、確認できる。そこには温かな時間が流れることだろう。ただ思い出して欲しい。いま私は愛の話をしているのではない。寒い、物理的に寒い、冬が来たから、という話をしている。愛の温かさなんてどうでもいいのだ。
話を戻す。
今日、あなたが友達だと思い込んだ友達は、次の日はなんだろうか? 友達だと思う。今日友達で明日は非友達で、明後日は友達ということは基本的にはありえない。もしそんなことが起きるのであれば、それは友達ではない。友達とは、今日も、明日の、明後日も友達なのだ。それが友達というものなのだ。
つまり今日寒ければ明日も寒いのだ。
寒いと一度でも思った瞬間から冬なのだ。たとえ今日寒くて、明日暖かくても、今季節は寒い方向への走り出している。今日寒ければ、明日暖かくても冬なのだ。それが友達なのだ。それが季節なのだ。だから長袖を着た方がいいのだ。
事実としてすでに毎日寒い。
冬なのだ。もし寒いと一度でも思い、わずかな時間であれ、長袖を着たのならば、もう長袖を離さないで欲しいのだ。友達とはそういうことなのだ。そういう薄情なことをしてはならない。今日友達なら明日も友達。今日長袖ならば明日も長袖なのだ。
「今日は暖かいね」じゃない。
昨日も今日も寒いのだ。「今日は寒いね」じゃない。昨日も今日も寒いのだ。マジで寒いのだ。私はもう防寒インナーを着ている。なぜなら寒いから。季節は友達だから。もうこの気温だ、一度は寒いと思ったはずだ。だとすれば長袖を着て欲しい。本当にすでに寒いから。私はもうよくわからないゴワゴワした防寒着も着ている。だって寒いから。
もし誰かに言われなければ気づけないのであれば、人類の友達である私が宣言する。冬です、長袖を着てください、マジで毎日寒いから。ちなみに私のLINEは基本的には仕事と東京ガスとクロネコでしか鳴らない。そうだとしても、私は全人類の友達なのだ。だからこそ、全人類の友達なのかもしれない。
最後に一つ書いておこう。
今年(2025)の冬は寒いというニュースを見た。でも、安心して欲しい。冬は毎年しっかり寒い。



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