村山元首相が死去、101歳 自社さ連立、戦後50年で談話
時事通信配信
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阪神大震災、東日本大震災の時の首相はそれぞれ村山さんと菅さんだった。 結果2人ともその対応で当時も色々と言われていたけど、村山さんは正直に「どうすればいいのか分からないから、政府機関や自治体の対応に任せる」というスタンスだったのが印象的だった。一国の首相としていかがなものかという批判はあったし、俺も「頼りねぇなぁ」と当時は思ったけれど、東北の時の菅さんみたいに分からないのに現場にしゃしゃり出てきて余計に引っ掻き回すような事をしなかった事は評価できると思う。
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村山富市氏の訃報に接し、改めて思い起こされるのは、彼が首相在任中に阪神・淡路大震災が発生したことです。そして奇しくも、菅直人氏の政権下では東日本大震災が起こりました。この二つの災厄は、単なる偶然では済まされないほど、国家の命運を左右する出来事でした。 こうした国難に際して、国民の命と暮らしを守る覚悟と指導力を持つ人物が、政治の舵を取るべきだと痛感します。選挙の一票には、その重みがある。 最近の動向を見ても、災害対応を含めた危機管理能力を見極めながら、責任感と判断力を有する、真に信頼できるリーダーが選ばれるようにしなければならないと実感します。
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村山元首相のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。101歳という長寿を全うされたことに、まず敬意を感じます。村山談話は、戦後日本の歴史認識に大きな影響を与えたもので、今でも語り継がれるほどの重みがあります。飾らない人柄で「トンちゃん」と親しまれていたという話も、政治家としてだけでなく人としての温かさを感じさせますね。時代が大きく揺れ動く中で、信念を持って言葉を残した姿勢は、今の政治にも通じるものがあると思います。
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現在与党の自民党の高市さんなのか、野党側の大連立で玉木さんその他なのか最近の政治情勢を観ると旧社会党の村山さんの時のことを思い出した人も多かったのでは。初の社会党からの総理大臣になられたが、党の基本方針の大転換でその後の社会党の解党の一因になった事はあるでしょう。 今の野党の面々も党の方針を曲げて連立与党になろうとすれば同じ様な運命が待っていると思います。
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総理大臣にまでなると総理の座を降りてからもいつまでも裏で権力を振い、ようやく議員を引退しても今度は影の相談役みたいな形で自分の存在をちらつかせる人間がこの世界には多い。しかしこの人はいともあっさりと政界から身を引き、地元に帰って余生を過ごすというほんと引き際のいい人生だった。 それは地位や名誉、損得勘定に固執しなかったからだろう。中には大した肩書きもないのにいまだに裏で権力を振って誰々詣でだのと言われていい気になっているような人間も少なくないのに。 ご冥福をお祈りいたします。
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故人を悪くいうのはしのびないが… 被災した当事者の1人としては阪神淡路大震災の時、もっと早急に自衛隊派遣してたら救われた命はもっとあったのではないでしょうか? 当時の村山さん、兵庫県知事の判断の遅さが人命を多く失った要因の1つでもあったと思ってます。 ご冥福をお祈り申し上げます。
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当時は阪神淡路大震災とサリン事件と、本当に大変だったと思う。 朝出社すると、神戸支店と連絡が取れないと社内で大騒ぎになってた。 サリン事件の時は、会社の前の永代通りを救急車が何台も通っていて、何が起きたのか不安になりました。 村山元総理が「何で自分が総理の時にこんなことが」とぼやいていたとニュースになったこともありました。 101歳、大往生ですね。 残念と言うより、お疲れさまでしたの方が合っているような気がします。 ご冥福をお祈りいたします。
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自分はまだ子供で政治には全く感心が無かったが、村山さんの長い眉毛は強く印象に残っている。眉毛ってそこまで伸びるものなんだと。ただ、自分が歳をとってきて、眉毛が少し伸びるようになってきた。眉毛の成長期と共に、政治にも関心が出てきたと思う、今日この頃。ご冥福をお祈りします。
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村山元首相の評価は人それぞれですが、自社さ連立というのをまさに今の政局と照らし合わせて考えると、あり得ない連立だったなとあらためて思います。どれだけの議員が本気で国のことを考えていたのか。そしてそれから約30年経った今がその答えなのかも。
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村山内閣最大の功績は、やはり「戦後50年談話」であろう。独善的ナショナリズムを戒める内容は、未だ日本の平和国家としての指針たり得るものである。 社会党の党首として、自衛隊や日米安保体制との折り合いを上手くつけながら、無難に政権運営を成した手腕は高く評価されて然るべきであろう。原理原則に拘泥しない、柔軟な左派政治家であったといえる。 時代は巡り、令和になったが、政局は混乱を極めている。融和的な村山氏の手法を見習う必要がありそうだ。
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