「女も子供も片端から突き殺す。一度に五十人、六十人」「人殺しをした後はかえって飯がうまい」日本兵たちの陣中日記につづられた残虐な所業と、戦後の沈黙【映画『豹変と沈黙 日記でたどる沖縄戦への道』】
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慰安婦通いを「朝鮮征伐」「支那征伐」
悪名高い「徴発」(現地住民から食料などを奪うこと)や「慰安婦」についての記述も見られる。朝鮮半島や中国出身の慰安婦のもとに通うことを「朝鮮征伐」「支那征伐」と呼んでいる。当時の兵士たちの感覚が表れている。 やがて戦闘は中華民国の首都・南京の攻防戦へと移る。陥落後、住民らの虐殺事件が起きたことで知られる。南京戦に参加し、日記を残した元兵士の息子が戦後、父親に問い質したことを証言している。 「あんたも南京虐殺やったんだろうと言うと、親父は、いや、俺はやっとらんと否定するわけですね」 息子はさらに「あなたが参加した戦争は侵略戦争だったんでは?」と問う。父親が最終的に漏らした答えには、自分たちの行為を侵略とは認めたくない心情が表れている。本作の原義和監督は、このように遺族へのインタビューを重ねることで、日記に書かれていない“行間”を埋めようと試みている。
沖縄の言葉を話せばスパイと見なし処分する
こうした日中戦争のありようは、大戦末期の沖縄戦へつながっていく。この問題意識は、沖縄を拠点にドキュメンタリーを制作している原監督ならではだろう。それを象徴的に表すのが、南京戦に参加した歩兵第36旅団の牛島満旅団長だ。攻撃を前に、鹿児島と宮崎の出身者から成る兵士たちを鼓舞した。
「古来、勇武をもって誇る薩(薩摩)、隅(大隅)、日(日向)、三州健児の威気を示すはまさにこの時にあり。勇戦奮闘、南京城を頭に、日章旗を翻すべし。チェスト行け!」 それから8年後の沖縄戦。牛島は沖縄に配備された第32軍の司令官として、沖縄住民に多大な犠牲を出す作戦を取ったと批判される。映画は、「軍人軍属を問わず沖縄の言葉を話せばスパイとみなし処分する」と命じたことが住民の殺害を招いたと指摘する。 もう一人、沖縄と日中戦争をつなぐ人物が紹介される。金城信隆。沖縄出身で、日中戦争さなかの1940年に旧制中学を卒業し、上海にあった「東亜同文書院」に進学する。日本と中国が連携し、ともに発展しようと理想を掲げた名門学校で、中国語を徹底的に学んだという。彼も日記を残している。 《どうか、勉強する。もりもり自分の世界を開拓していく金城信隆になってくれ》
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