浅田美代子

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1973年2月。
当時まだ16才だった浅田美代子
がデビューした。
私の5学年上の2月早生まれ。
めちゃくちゃ可愛いと思った。
うわぁ、こんな可愛い子が出て
来たぞ、と。
お嬢様学校の東京女学館は芸能
活動が禁止だったので、彼女は
高校を中退してデビューし
た。
歌手デビューの前に女優として
デビュー。
名作ドラマ『寺内貫太郎一家』
では東京下町の人情味あふれる
人間模様が描かれていて、優し
くも気の強いミドルティーンの
女の子を浅田美代子は演じてい
た。はっきりと物をしゃべる子。
後年の元祖スーパーウルトラ天
然ではなく、ハキハキとして
しっかりした子のキャラだった。
このドラマの中では浅田美代子
は原石ながらも輝いていた。
港区生まれ育ちなのに役柄では
田舎っぽい感じもよく出せてい
た。


今は削除されて見られない『寺
内貫太郎一家』での樹木希林と
の伝説の殴り合いシーンの再現。
本編では向こうを向いて四つん
這いになった浅田美代子のスカ
ートを樹木希林がまくって、浅
田美代子が「なにすんのよ!」

と平手打ちする。樹木希林も殴
り返す。
すべて互いにアドリブだったが、
カメラは回し続けたという。
ティーンの美代ちゃんのパンチ
ラはしっかりと全国放送されて
しまった(笑

 

話はずれるが、1972年時点で
私は天地真理さんの大ファン
だった。


後年、法律業務の仕事で真理
さんと知り合った時、職務上
家に電話をかけると真理さん
がいつも出た。
齋藤眞理さんは都内で生まれ
幼少の時に大宮に住み、また
都内に転住した。音大附属の

高校の頃、早稲田大学のフォ
ークサークルにも入って活動
していた。
芸能人「天地真理」が本当に
ギターを弾けるのもそういう
経緯からだろう。
個人的に知りうる齋藤眞理→
青木眞理さんはとてつもなく
性格が良い人だった。
うわぁ、嫁さんにしたいわぁ、
という程に。いや、これまじ
で。

それは後年にある番組撮影で
ご一緒した城みちるさんも真
理ちゃんの性格の良さと律儀
な面を私に言っていた。撮影
の合間、真理ちゃん話題で二
人で盛り上がった。世間の表
には出てこない、「天地真理」
の良い人柄を示すエピソード
をいろいろ城さんは私に教え
てくれた。
城さんが私に言ってた。
どこどこの店、俺のイトコが
やってる店だから、○○さん、
行ってあげてね~、と。
偶然だが、その店、私の結婚
式の二次会を開いた店だった。
それを言うと城さんは奇遇に
大笑いしていた。
城みちるさんの芸能人として
のキャラは完全に作り物で、
素のキャラはまるで森田健作
のおれは男だ!の小林君その
ものであるのを知る人は世間
には少ないと思う。
「頼れる兄貴」みたいな感じ。
芸能界での作られたキャラよ
り、素顔のほうがずっと何十
倍もカッチョよかった。
その巣のキャラにグッと伊藤
咲子さんも惹かれたのだろう。
城さんは私とほぼ身長が同じ。
「○○さんは身長どれくらい?」
と彼が訊いたので答えると、
「俺のほうが0.χミリ高いのかぁ」
とか言ってた。0.1程でほぼ誤
差程(笑
私は当時173.8だった。
で背恰好が似てるので、私の
ハットからフライベスト、ロ
ッドまで私のフライギアを彼
は着て、番組でフライフィッ
シングをしていた。フライ=
毛鉤=の巻き方=作り方も私が
教えて、そのシーンは番組で収
録放送された。
その番組を見た幼い娘は「え?
なんでパパが出てるの?」と
かオープニングのフライロッド
を振る遠景の城みちるさんを見
て言ってた(笑
土日に毎週娘は3才の頃からフ
ライポンドやフライキャンプ場
には連れて行っていたから、姿
の遠景を見て私だと思ったのだ
ろう。
娘はポンドやキャンプ場のマス
コットみたいにスタッフや来客
にとても可愛がられていた。娘
が3~6才の期間。毎週いるのだ
から(笑
私がTV番組で映っているシーン
はDに依頼して全部カットして
もらった。
え~と、平日だったから(笑
いくら有給取っていても、いろ
いろと大人の約束事みたいなの
が仕事の場面ではあったから(笑