劇場版『チェンソーマン レゼ篇』の主題歌「IRIS OUT」と、同じ映画のエンディング・テーマで宇多田ヒカルを歌唱に迎えた「JANE DOE」、そして奥山由之監督の実写映画『秒速5センチメートル』の主題歌「1991」──。米津玄師が今秋、3つの映画楽曲を立て続けにリリースした。
ここ数年の米津玄師は、極めて多忙なアーティストだと言える。国内外でツアーをこなしながら、昨年はアルバム『LOST CORNER』をリリース。その間には宮﨑駿による長編アニメ映画『君たちはどう生きるか』の「地球儀」や『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』の「Plazma」、NHK連続テレビ小説『虎に翼』の「さよーならまたいつか!」といった主題歌を手がけた。また、日本コカ・コーラ「ジョージア」のCMソング「LADY」やSpotifyブランドCMソング「RED OUT」といった企業CMなどへの起用など、その活躍を挙げれば枚挙にいとまがない。
米津玄師は、なぜ数々のタイアップやコラボレーションの楽曲を迷わず手がけ続けるのか──。それは、かつて「タイアップを通じて、社会の一員として育ててもらった感覚がある」と語っていたことからもわかるように、アーティストや物語という自分の世界の外に存在する“他者”を、社会との接点と捉えているからだ。
だからこそ、彼は社会性を恐れない。米津は音楽家としての自分と世界との間に散る、新しい“火花”を探し続けているのだ。劇場版『チェンソーマン レゼ篇』、宇多田ヒカルや奥山由之との協働を経て放たれる鋭い言葉の数々は、そんな彼の音楽家としての生き方をこれ以上なく物語っている。
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劇場版『チェンソーマン レゼ篇』で試みた“物語”とのすり合わせ
──このほど発表した「IRIS OUT」と「JANE DOE」は、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』の主題歌とエンディング・テーマです。𠮷原達矢監督や制作サイドからは、楽曲についてどのようなオーダーがあったのでしょうか。
監督やMAPPAの制作陣と会話するなかで「こういうことをやりたい」と提案したとき、主題歌・エンディングの2曲を「米津さんのやり方でお任せします」というかたちで受け入れてもらえたんです。もちろん、映画の尺に合わせた微調整などは当然ありましたが、「IRIS OUT」も「JANE DOE」も、全面的に信頼してくれたおかげで非常に自由に制作させてもらいました。
──それでは、制作は基本的に順調だったんですね。
と言いたいところですが......。順調に制作が遅れまして。去年のなかごろから暮れにかけて制作を始めて、ワールドツアー(「米津玄師 2025 TOUR / JUNK」)が始まる前にデモをおおかた完成させる予定でしたが、そううまくはいかず。
楽曲を制作する際には自分の世界に“閉じて”、いろんなものを凝縮していく。かたやライブは自分の内側で凝縮したものを受け手に対して、バッと広げていく。そのギャップを行き来するのがすごく大変だったんです。
──そこでの試行錯誤についてお聞かせください。漫画が原作の作品やアニメのタイアップ曲の場合、そこには「物語」という前提があります。必ず発生するある種の制約と、どのように擦り合わせて創作をしていったのでしょうか。
好きなようにやらせていただいたといっても、もちろん作品の全体像に思考をめぐらせました。『チェンソーマン』の全体的な作風、レゼという女性にデンジが振り回される物語のイメージが、今回の2曲のベースにはあります。
──曲調や構成もそうですが、「IRIS OUT」というタイトルがそのイメージを象徴していますよね。映像が円形に縮小して暗転する画面切り替えの技法「アイリスアウト」からの引用でしょうか。
昔のアニメによくあったのですが、アイリスアウトはバッドエンドをコミカルに締める表現として使われていました。そのニュアンスが、物語とすごく合うと感じたんです。レゼに恋したデンジはものすごい早さで視野が狭くなっていくので、そんな主人公のキャラクター性とも接続できるなと。
──エンディング曲の「JANE DOE」というタイトルは、英語で「名無しの女性」「身元不明の女性遺体」を指す言葉です。どのような意図で、この言葉を選んだのでしょうか。
いちばん最初に軸になったのがサビの歌詞で、粉々になったガラスの上を裸足のまま歩いて行って、傷つけられた足の裏から血が流れて、赤い足跡が遠くまで続いているというイメージでした。レゼは得体の知れないミステリアスな側面があるキャラクターで、いろんな痕跡を消してきたと思うんですよね。そんな彼女が遠くに去っていくけれども、赤い足跡はいつまでも残っている──。そんな情景が軸にありました。そんなとき、デヴィッド・フィンチャーの映画『セブン』で知った「John Doe」という言葉[編註:英語で身元不明の男性遺体を指す]をふと連想して、タイトルに組み込んだんです。
──22年のTVシリーズ「チェンソーマン」でも、オープニング・テーマとして「KICK BACK」を書き下ろしています。前作との文脈的な連なりも意識したのでしょうか?
どちらも『チェンソーマン』であるわけなので、意識せずとも必然的に連続性は出てくるはずですよね。ですから、こちらで意識的に連続性をもたせることはしませんでした。むしろ、いかに表現として差異をつくるか、という意識のほうが強かったと思います。
「果たしてこれでいいんだろうか?」
──米津さんはタイアップ曲について、作品や物語という「他者」と自分をすり合わせて、共通点とハレーションが起きる境界線を常に考え続けてきたと、過去のインタビューで言及していました。その腐心の過程というのは、いつもどのような心境を経ているのでしょうか。
主題歌やエンディング曲といったタイアップ曲に携わるなかで常に感じるのは、プロジェクトそのものとの距離です。例えば劇伴(劇中伴奏音楽)であれば、制作陣と密に連携して、尺や作劇と綿密に合わせていく。主題歌の場合は作品の上に“乗っかってくるもの”といいますか、一定の距離がある。
ゆえに、自分が制作のいちばん遠いところに位置している感覚なんです。もちろん、つくり方にもよるとは思いますが。それが、予告編など宣伝によって世に出るタイミングになると、一転して主題歌が矢面に立つ。
つくっている最中は、「果たしてこれでいいんだろうか」という思いが常に強くあって。結構な自由をいただいてやっているがゆえに、自分ひとりで自由につくったものが物語に本当に相応しいものなんだろうかと、毎回すごく不安になるんです。
──いまでもそうなんですね。すごく意外です。
公開されて、それが好評だったようだったら「あぁ、よかった」と安心する。その繰り返しですよ。誰かが生み出した物語の上に構築する音楽ではなくて、自分の感覚がすべて許される楽曲であれば、そういう不安はあまりないんでしょうけど。
でも、今回は『チェンソーマン』という物語が先にある。原作者の藤本タツキさんや、監督が表に立つべきで、物語に則さないようなものを押し通すのは違うし、それをやったところで誰も幸せになれない。
とはいえ、毒にも薬にもならないものはつくりたくないという気持ちもある。そのあんばいをどうするかは毎回、右往左往していますね。
「巨大な音楽の才能」との協働
──「JANE DOE」は宇多田ヒカルさんをボーカルに迎えたコラボレーション曲でもあります。これはどのようなプロセスを経て実現したのでしょうか。
共通の知人がいて一度お会いしたことはあったんですが。当時はまさか自分の楽曲に参加してもらう日が来るとは、夢にも思ってませんでした。
ただ、レゼという女性が主体の物語のエンディングは、自分以外の誰かに歌ってもらいたいという意識がいちばん最初にありました。とにかくピアノのイントロのリフやAメロなど、手を動かして向かうべき方向性を固めていくなかで、これは宇多田さんしかいないんじゃないかと。
──それはなぜでしょうか?
さまざまな曲があるので一概には言えませんが、個人的な宇多田さんのイメージは、すごくメランコリックな雰囲気をもって心を締め付けるような苦しさや寂しさを感じさせると同時に、すごいハスキーな歌声で、ふっと風が吹き抜けていくような、ある種の乾いた爽やかさがある。そういう両義性を感じるんですよ。
加えて、すごく巨大な才能が生み出す素晴らしい音楽を聴いたあとに、「果たして彼女は本当に存在してるんだろうか」とも感じさせる。いちリスナーだった自分からすると、巨大で遠い存在であったがゆえに、ある種の存在の希薄さというか、目を離した隙にいなくなってしまうんじゃないか、そんな感覚がある。
そうした両義性と存在の希薄さが、レゼの印象とリンクしました。だから、とにかくダメもとで頼んでみたんです。
──一般のリスナーの立場からすると、「本当に存在するのか」という感覚は確かに共感できます。そうした存在からOKをもらったときの心境はいかがでしたか。
それはもう、うれしかったですよ。一方で、自分が子どものころから聞いていた、自分で曲を書いて自分で歌う巨大な音楽の才能をもった偉大なミュージシャンが、自分の曲を歌う──。相当ナーバスになりましたよね。
宇多田ヒカルとの共通性と対照性
──「JANE DOE」について宇多田さんは、「自分らしさを追求するシンガーソングライター同士、誰よりも理解し合える部分と、それぞれの表現方法の対照的な部分に戸惑いながら手探りで突き進んだ」とコメントしていました。この真意は宇多田さんに聞かないとわからないですが、米津さんが「わかり合えた」と感じたのは、どのようなところでしたか。
まず第一に、ふたりとも子どものころに漫画家になりたかったことですね。その延長線上の会話で、宇多田さんも子どものころは本ばかり読んでいて、自分の意識が自分の内側に向いていて、空想や自分の頭のなかにある想像の世界を非常に大事にしていた人であることを知りました。まさに自分も内側の世界にこもりがちだったので、すごくシンパシーを感じました。
──一緒に仕事をしてみて、宇多田さんという音楽家は米津さんにはどう映りましたか?
自分は宇多田さんの言葉がすごく好きなんです。歌詞やインタビューなどで発する彼女の言葉に共感する部分が多くありながらも、そこから彼女の思考を眺めると、強く理性を必要として生きてきた方なのだろうなと感じました。
宇多田さんの言葉は、どこか思想家のような雰囲気を帯びている。理性的に積み上げた感性の痕跡が、 言葉からにじみ出ているんです。生きていくうえでのどうにもままならないものと向き合い続けて、生きていくためにそれらとどう折り合いをつけて共存していくか──。そんなことをすごく考えた人なんじゃないかと、実際にお話ししたなかでも感じました。もちろん、これは俺の推測にすぎないわけですが、だとするとそれは自分もまったく同じだなと。
──宇多田さんのコメントには「表現方法の対照的な部分」という言葉もありました。米津さんが感じた、自分とは異なる部分とはどのようなところでしたか。
ひとつ大きく違うと感じたのが、宇多田さんは根っこの部分にR&Bの影響が色濃くある点です。かたや自分はロックやオルタナティブロック、ボカロが出自のDTMミュージックが根っこにある。
例えば、宇多田さんは歌うときにリズムをすごく自由にとって豊かにレイドバック[編註:楽曲のリズム(拍)を意図的に遅らせて歌うスタイル]しますが、自分はDTMのバックグラウンドが強いので、グリッドの縦のラインを非常に重視するところがあります。ただ、それが今回のコンセプトにおいて最も功を奏しているとも言えるんじゃないかと。
──どのような点で功を奏したのでしょうか。
曲のイメージを伝えるために宇多田さんに最初に伝えたのは、「あらゆる複雑なものを抱えた女の子と、それを本質的に何もわかってない男の子によるデュエット」という内容だったんです。それを考えると、そうした音楽的な素養の違い、ちぐはぐさのようなものが、すごくいいかたちで楽曲に宿ったと感じています。
「運命としか言いようがない」
──10月13日には、奥山由之監督による実写映画『秒速5センチメートル』の主題歌「1991」もリリースされました。この曲について米津さんは、「自身の半生を振り返るような作品になった」とおっしゃっていました。この言葉の意図について教えていただけますか。
この映画のオリジナルである新海誠監督のアニメ映画『秒速5センチメートル』を観たのが、高校生のときでした。子どもながら鬱屈した毎日を送っていた自分としては、ものすごく刺さったんです。原作の小説も買って修学旅行にもっていき、同級生が楽しく騒いでいる旅館の相部屋の隅っこで、ひとりそれを読んでいる。そんな子どもでした。
曲をつくるにあたって今作のラッシュを見せていただいたのですが、松村北斗さん演じる貴樹を見て、本当に自分を見てるような気分になったんです。ほんのささいな所作や、苦言を呈される言葉が、画面を通り越して胸に突き刺さるのを強く感じたんですよね。同時に、奥山さんの強い熱量が宿った映画でもあったので、この映画に対して楽曲で向き合おうとすると、自分の半生を振り返る以外の選択肢がなかったですね。
──子どものころの記憶と作品が強烈に結びついていたわけですね。
数年前にMV(ミュージックビデオ)の監督として奥山さんと出会い、今回の『秒速5センチメートル』で奥山さんは初の商業長編映画の監督となり、自分に楽曲提供の話が来る。偶然と言われたらそこまでなんですが、これは遠い過去の時点であらかじめ決まっていたことだったんじゃないか──。そう思う瞬間があるんです。
──ここ数年の米津さんは、宇多田さんやスタジオジブリ、スタジオカラーとのコラボレーションが続きました。おそらく自分がやるとは夢にも思わなかったであろうコラボが続いた一方で、奥山さんとの協働には、ある種の運命めいたものを感じていた、というわけですね。
こういうのって最初から決まっていたんじゃないかと思う瞬間があるんですよね。1本の光る糸に導かれているような感覚……。これっていったい何なんだろう、その糸はどこから続いていたんだろうかと。努めて理性的に振り返ってみても、すごく昔からその糸が続いている感覚があります。
「優しい人間になりたい」という感覚
──今回の3曲も含め、米津さんはこれまで数々のタイアップやコラボレーションの楽曲を手がけてきました。印象的なのは、以前に「タイアップを通じて社会の一員として育ててもらった感覚がある」と言及していたように、それらを社会とご自身の接点として捉えていることです。一般的に、作品を通じて自己表現したいという欲求と、タイアップやコラボという商業的なニーズとの間には、ある種の思考的対立が生じます。しかし、米津さんの場合には、自身の外側にある社会や他者、物語、言葉や思想への意識を強くもっているように感じます。米津さんは、社会性と作家性の距離やバランスを、どのように考えておられますか。
俺は徳島県で生まれ育ったんですが、もし自分に音楽の適性がなく、運も味方せずにそこにとどまり続けていたとしたら、欠陥のある人間として認識されながら生きていかざるをえなかったんじゃないか。そう思うんです。
それくらい、社会性が欠如しているという意識が子どものころから強くありました。会話もすごく苦手で、同級生が楽しそうに会話している姿が、スーパーサイヤ人同士のバトルに見えてしかたなかったんです。周りの人間にとっては普通のことが、自分にはとても理解できない、別の世界の出来事のように感じることが多かった。
そんな自分がひとりの人間としてこの世を生きていくためには、「自分はなぜこうなんだろうか」と、つぶさに一つひとつ内省的に見つめていかざるをえなかった。それを音楽を通じて続けていくと、その発露が最終的に外の世界につながっていった感覚がものすごくあったんです。
子どものころを思い返してみると、社会性が欠如し、ほかのひとたちとは異なる、俗に言う作家的な感性といえそうなものが、自分のなかに強くある。だからこそ、逆説的に社会性というものに執着してしまうんです。
──それは肯定的に捉えている、という理解で合っていますか?
非常に肯定的に捉えています。創作の世界は、社会から逸脱した無邪気な存在であることが武器でもあるし、免罪符にもなる世界です。ただ、それがすごく醜悪に見えてしまうというか、端的に浅ましいなと思う瞬間がたまにある。
生きていくうえでは、あらゆる複雑な要素や煩雑な手続きがあり、他者との関係性なしには決して生きられません。目の前にいる人間や社会との、ある種の妥協も必ず必要になります。それを一切合切、無視して生きてこれたのだろうか──そう思うんです。
仮にそれをまったく意識せずに生きてきたとすれば、その調整コストを払っている人たちが、どこかに必ずいる。そんな人たちのことを、どう思うのだろうかとも。
自分がものすごく狭い確率でいまの位置にたどり着いている実感があるからこそ、そう思うんです。素朴にいえば「優しい人になりたい」ということですね(笑)。そういう感覚に尽きます。
内なる“オバケ”と社会の間で散る火花
──テクノロジーはひとつの社会的な前提であり、もはや社会性そのものと言ってもいいと思います。2025年は人工知能(AI)という人間にとって大きな転換点となる技術が爆発的に普及した年でもありましたが、そうした現在のテクノロジーを音楽家としてどのように捉えていますか?
AIに関しては、ミュージシャンであれば見つめざるをえない。「いよいよだな」と思うこともしばしばです。
──「いよいよ」というのは、どういう意味でしょうか。
知性というものが、すごく狭い範囲で捉えられた、人間に非常に都合のいい概念だったということを自覚せざるをえないタイミングに来ているのではないか、ということです。これは唐突に聞こえるかもしれないんですが...…。
俺はジャパニーズホラーが特に好きで。オバケがなぜ怖いかを考えると、道徳や倫理、科学という物差しが一切通用しないからですよね。そういう存在がしばしばこちらに害を及ぼしてくる。なぜ害を及ぼすのかもわからない。そういう「わからなさ」が恐ろしさの根幹にあると思うんです。
──なるほど、それはオバケに限った話ではないということですね。
そうですね。日常生活で目の前にいる人間が急にナイフを持ち出して刺してくる──。そんなことが起こらない保証はないわけで、一人ひとりの人間がオバケ的な「わからなさ」を内在している。
これは自分自身にも同じことが言えます。自分の感覚や感情をどれだけ理性的に制御しようと努めたところで、それと矛盾するよくわからない言動をするわけですから。AIも俺らのいまの物差しではそういう存在ですし、社会も同様です。
それでもなお、そのわからなさに対抗できるのは理性じゃないですか。オバケも、例えば生前の姿や背景が理解できると、怖さからかわいらしさや切なさに変わる。理性的に理解することが、わからなさとの向き合い方だと思うんです。
自分の内側に飼っているオバケ的な何かと理性を戦わせる。そのときの衝突によってバチッと散る火花のようなものが、音楽でいえばいわゆる「センス(オブ・ワンダー)」と呼ばれるものなんじゃないでしょうか。
──そういう意味では、いままさにテクノロジーや社会と、人間との間で火花がバチバチに散っているわけですよね。そこから次の新しいセンスが生まれると考えているからこそ、米津さんは社会性を追求することやテクノロジーを恐れていないと。
テクノロジーに関していえば、これは(『チェンソーマン』原作者の)藤本さんとも話したことですが、俺らはテクノロジーの恩恵にあずかって生きてきて、いまがあるわけです。
藤本さんはデジタルで漫画を描いて、俺はDTMで音楽をつくっていた。これがほんの少し前の世代まで、音楽に関しては目玉が飛び出るほどのお金が必要になる世界でした。それがデジタルツールによって急速に民主化され、俺のような市井の人間が音楽を始められるようになったんです。
──来年スタートするツアー「米津玄師 2026 TOUR / GHOST」のタイトルにも「GHOST(幽霊)」という言葉が入っています。やはり、そうした文脈があるのでしょうか?
正直なところ全然意識していなかったし、たまたまとしか言いようがない。でも、こうやって話していると、「あれ、そういうことかも」とつながっていく。こういうことが本当によくあるんですよ(笑)
(Edited by Daisuke Takimoto)
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