計算機科学の終焉
和田 英一
(IIJ技術研究所 顧問)
1970年頃から計算機科学科や情報工学科が次々と誕生した.プログラミング言語やBNF,コンパイラ,yaccやlexなどを教え,学科では中,小型の計算機,研究室ではミニコンで実習した.海外には定員1,000名超の学科もあった.当時 森口繁一先生は「やがて計算機が増え,だれでもプログラムを書くようになり,計算機科学者は失業するから,別の専門も勉強しておくべきだ」と警告された.そのうちMacintoshのようなパソコンが出現.熱心なアマチュアならディスプレイに絵が描けた.そうこうするうちにラップトップの時代が到来.計算機はブラックボックスになって,メールの送受信,Webページの探索,執筆やプレゼン資料作成に使われだす.さらに同様な機能で小型なタブレットも登場.携帯電話は袖珍計算機へ変身した.
ネットワークもアメリカのARPAネットが1970年頃に始まり,パケット方式が開発され実用化された.次第にほかのネットワークも立ち上がり,それらがインターネットへ統一された.ネットワーク屋は規格提案書RFCを読み込み,「王様がいない,投票をしない」IETFで討論し,プロトコルを実装して有用性を調べ,快適なネットワークを張り巡らせた.ネットワークはほぼ完成の域に達したのではないか.
現今ではプログラムを書くのは計算機科学者ではなく,その道の専門家であろう.スーパーコンピュータなら使う人,飛行機や自動車や家電の組込み計算機ならその業界に通暁している人たちが,ソートもガーベージコレクションも知らずに書くのであろう.計算機科学は,(0)仕様から完璧なプログラムを自動生成する,(1)外から絶対に侵入できないシステムを構築するという目的はついに達成しなかったが,静かに消えつつあるようだ.計算機科学は計算機を人に使ってもらう技であったが,もう皆が勝手に使いだした.華やかな話題は語り尽された.学問領域が永久に続くとは限らない.東大工学部で消滅した学科名は少なからず.
ところでこんなに計算機に依存する世界になってよかったのか.暗算や筆算が下手になり,漢字が書けなくなり,博覧強記も必要なくなった.当節はAI様のご出馬で人類はまた掛け替えのない能力を喪失しようとしている.ネットワークにべったり依存したシステムもよくダウンして社会が混乱するが,台風や地震の「天災」程度のものか.ゴミメールの量も怖るべし.これらは計算機科学の責任だったのか.
いうまでもなく,計算機とネットワークは総合的には社会の加速度的進歩に貢献した.50年前には想像できなかった便利な生活環境を実現させた.その推進力が計算機科学だったことを世の中は知らないだろうが,元計算機科学者の諸氏は失業に落胆せず,成就したことを大いに自慢してよい.
私事だが,まだプログラム書き,プログラムハックを楽しんでいる.与えられたプログラミング言語の機能を組み合わせ,思った通りに結果が出る瞬間が好きだからで,計算機科学者かどうかは関係ない.
(「情報処理」2025年11月号掲載)
■ 和田 英一
1955年東京大学理学部物理学科卒業.東京大学工学部,富士通研究所を経て現在はIIJ技術研究所顧問.写真は2025年7月,IIJ技術研究所オープンハウスで,アナログ機器の魅力を語ったときのもの.



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