公明、離脱――「99年体制」崩壊後の自民党落選危険度シミュレーション
公明党が自民党との連立を終えること、および国政選挙における選挙協力を白紙に返すことを表明し、政界に激震が走りました。そこで今回は、公明党の離脱よる衆院選への影響を検討してきます。
シミュレーションに際しては、公明票の「離脱度」を1%刻みで変化させ、離脱した票の行き先を異なる3つのモデルによって計算し、各党の議席を求めました。最後は結果に基づいて、落選の危険度の高い自民党の現職を名指しします。
自公の選挙協力とは
1999年に自公連立政権(99年体制)がつくられると、両党は翌2000年の第42回衆院選から選挙協力を行ってきました。
衆院選では、公明党はほとんどの小選挙区で自民党の候補を支援して票を回しました。他方で自民党は、公明党が擁立したいくつかの小選挙区で票を回したほか、自らの支持層の一部に比例で公明党に投票するよう指示しました。ここで、公明党から自民党への協力を票の「供与」、自民党から公明党への協力を票の「逆供与」と呼ぶことにしましょう。
第42回衆院選(2000年)から第50回衆院選(2024年)までに立てられた小選挙区の候補は、平均して自民党が280人、公明党が10人なので、供与される票の多さと比べると逆供与される票は少ないです。しかしそれでも、小選挙区比例代表並立制のもとで効率的に議席を得るために、自公協力は公明党にとっても利得のある手段でした。
参院選の自公協力は第19回参院選(2001年)にはじまります。
参院選でも、公明党は一人区を中心として自民党に票を回しました。対して自民党は複数人区で公明党に加勢します。自民党は多くの支持層を持つ政党なので、複数人区の候補にはトップ当選をするだけの十分な余裕がありました。しかしその余裕となる票は、一人の候補がいくら得たところで一議席になる以上の影響を与えません。この余裕となる票を、自民党は公明党の候補が当選できるように回してきたのです。
協力の終焉
しかしながら自公双方に利得のあった協力は、ここ数年で公明党が一方的な負担をする形に変化していました。その原因は自民党の党勢の低迷にあります。自民党は2022年以降、旧統一協会との関係をめぐる問題や裏金問題をめぐって支持率を下げ、相次ぐ選挙で苦戦してきました。つまり次第に公明党に票を回すだけの余裕がなくなっていったのです。
その結果、第50回衆院選(2024年)の小選挙区では、公明党の当選者はわずか4人にとどまりました。比例代表でも自民党からの逆供与が乏しく、公明党の得票数は現行の比例代表制で最低となります。それに続く第27回参院選(2025年)でも、従来は自民党が票を回していたはずの複数人区で、公明党の候補の落選が相次ぐこととなりました。
もはや公明党が自民党に票を供与しても、得られる逆供与はそれに見合わないほど小さくなったのです。実は9月13日に発表した参院選総括の中で、公明党はすでに「今後の党再生は、これまでの延長線上にはない」ということを明記していました。
以上の現状認識と反省を踏まえつつ、これまでにない大胆な「党改革」へとかじを切らなければなりません。公明党として、何より深刻に受け止めるべきは、一昨年の統一地方選、昨年の衆院選、そして今年の都議選、参院選と、選挙に挑むに当たって掲げた目標を達成できない結果が連続している、という厳しい現実です。
従って、「まさに今、公明党は、党の存亡の危機にあり、今後の党再生は、これまでの延長線上にはない。よって、新しい局面をつくり出す党改革が不可欠である」。これが、党の現状認識を表す、最も適切な言葉であろうと思います。
公明党は、自民党との度重なるやり取りの中で、連立維持のためには「企業・団体献金の透明化」が必要だと主張しましたが、自民党は受け入れませんでした。高市氏が、役員人事において、旧統一協会との関係のあった議員や、裏金が問題となった議員を起用する方針を示したのも象徴的なこととなりました。
公明党が、旧統一協会や裏金をめぐる自民党の問題に巻き込まれる形で議席を失ってきたのにもかかわらず、自民党側にはそれに対する反省がみられなかったのです。
このような経緯を経て、公明党は10月10日、「これまでの延長線上にない道」を行くことを選択したのでしょう。
シミュレーションの概要
それでは、公明党の選んだ道は、自民党にどのような影響を与えるのでしょうか。今回のシミュレーションでは、第50回衆院選(2024年)の結果をベースとして、各小選挙区で自民党の候補に加わっていた公明票を「離脱」させたときの議席を計算していきます。
1.公明票の数
各小選挙区で自民党の候補に加わっていた公明票の数は、その小選挙区の区割りの中で公明党に投じられた比例票の数と等しいとしました。
次の図3は、公明党に投じられた比例票を小選挙区の区割りに従って集計し、相対得票率として表示したものです(相対得票率とは「有効票全体に占める、公明党の票の割合」で、一般に「得票率」と言われるものと同じです)。
小選挙区の自民党の候補が得た票の中には、この図3の公明票が含まれていたと考えます。
2.公明票の「離脱度」
このシミュレーションでは、小選挙区の自民党の候補が得た票から、図3の公明票を離脱させたときの当落を判定していきます。ここで、公明票をどれほど離脱させたかというパラメータを「離脱度」と定めました。
離脱度0%のときは選挙結果と同じで、全ての公明票が自民党の候補に加わった状態です。離脱度50%なら半分の公明票が自民党の候補から離れており、離脱度100%では全ての公明票が自民党の候補から離れます。離脱度は全ての小選挙区で一律の値とし、0%から100%までを動かします。
なお、自民党の候補も、自民党系の無所属の候補も擁立されていない小選挙区については、票を動かすことは行わず、シミュレーションの全ての段階で選挙結果を変えないこととしました。こうした小選挙区には、北海道10区、埼玉14区、東京29区、愛知16区、大阪3区 、大阪5区、大阪6区、大阪16区、兵庫2区、兵庫8区、広島3区、福岡9区の12個が該当します。
3.公明票の行き先
自民党の候補から離脱した公明票の行き先として、3つのモデルを考えます。
第一に、「消失モデル」では、離脱した公明票は計算から完全に除かれます。実際の選挙では比例代表に投票する意味があるので、こうした「小選挙区をすべて棄権する」というような事態は想像上のものです。しかし、離脱した公明票が自民党のライバルとなる他の野党に流れないということは、自民党にとって最も打撃の小さいラインを制約するという意味を持っています。下図には、離脱度100%の場合の消失モデルのイメージを示しました。
第二に、「分配モデル」では、離脱した公明票は、その小選挙区に擁立されていた自民党以外の各政党の候補に分けられます。この分配は、もともとの選挙結果の票の多さに比例するように行います。つまり、もともと有力だった候補には多く、もともと泡沫だった候補には少なく分けられるものとします。このモデルは、公明党は自民党との協力をやめるものの、特定の政党と協力はせず、自主投票のような形をとる場合にあたります。
第三に、「集中モデル」では、離脱した公明票は最有力の野党候補に全て加わるものとします。その野党が維新であれ、共産であれ、全て協力するという想像上のものですが、これは自民党にとって最も打撃の大きなラインを制約するという意味を持っています。
今回のポイント
国会における公明党の議席数は少なく見えるかもしれません。また政党支持率は自民や立憲、国民などと比べて高くないかもしれません。しかし公明党には、そうしたことからは見えてこない存在感があります。
たとえば公明党は最多の市区町村議会議員を有する、地方に根を張った政党です。また、その支持基盤である創価学会は、学会員の高齢化はあるものの、現時点でも単一組織として国内最大の組織票を持っています。日本会議や神道政治連盟の組織票は、創価学会には桁ひとつ及びません。旧統一協会と創価学会の票などは、タミヤのプラモデルと本物の重戦車ほども違います。
その離脱はどれほど大きなインパクトを持つでしょうか。
「公明党は特に小選挙区で選挙協力を行わない。公明票の3割が自民党にとどまり、7割が他党へ分散する」というようなマイルドな想定でも、自民党の受ける打撃は絶大であることを本シミュレーションは明らかにしました。
みちしるべでは様々なデータの検討を通じて、今の社会はどのように見えるのか、何をすれば変わるのかといったことを模索していきます。今後も様々な成果をお見せできるように努力していくので、参加してもらえたらとてもうれしいです。


はるさん 詳細分析お疲れさまでした 少し自民に厳しすぎるかな、とは思いました 前提となる公明票=小選挙区での比例票、の部分はある程度の「選挙区は自民、比例は公明」に従った自民支持者の存在を考慮し少なく見積もるべきかな、と思います またはるさんご記載の通り参政票(自民「保守派」の…
最大の地方議員数を抱えているのは公明党ではなく自民党ではないか、従って前提条件が大雑把だという批判がありました。はるさんの自民党地方議員数の算定の中には所謂保守系無所属の議員は自民党地方議員に含まれているのでしょうか?
YouTubeで「公明票は2万なんだろ?高市さん就任から10日で党員8000人増えてるらしいから、すぐに追い付くぞ!」と言っている方を見かけて笑いながら唖然としました。 このような見当外れの認識の人が、わざわざ公明党を煽るのは自民党にとっても悪い結果しか生まないと思うのですが……
「民主主義ということばが小学1年生のピカピカのランドセルのように輝いていたころ」 「自由の木は、時々、愛国者と暴君の血で潤されなければならない。」 むすびの一節でこの2つの名句を思い出しました (愛国者は絶対君主に対抗して自由と権利を擁護する市民の意)