音楽はなくなり音楽になる。
ある預言書に「やがて音楽は消え去る」と書かれてある。歌や踊りは人間の根源的な営みだと思っていたから、それがなくなるなんてと驚いた。AIが進化することによって、人間がやる必要のなくなる仕事が増えることはわかる。だが、音楽や踊りなどの原始的な営みまでがなくなるなんて、想定の範囲を超えていた。自分からはそんな発想は絶対に出てこないからこそ、逆に、この預言者を信頼することができた。そこで、考えてみた。
私は音楽が好きだ。思春期に音楽に救われた体験もあるし、自分自身もギターを弾く。歌も歌う。自分で楽曲も作る。だが、毎日音楽を聴くかと言うと、聴かない。音楽を聞くと、作り手の想念がこちらの体に乗り移り、苦しくなるからだ。ベートーヴェンもショパンも好きだが、彼らの情念がしんどくなる。唯一、バッハだけは聞く事ができる。バッハには、強い喜びも深い悲しみもない。数式のような音楽に、心がニュートラルになる。日本なら、似た感覚をブルーハーツに覚える。バッハとブルーハーツと自分たちが作った音楽を聴く時だけは、想念から自由になることができる。
ほとんどの音楽は足し算に使われる。感傷に浸りたい時はバラード、テンションをあげたい時はテンポの早い曲が、カンフル剤のように使われる。いつの頃からか、街中で流れる音楽がノイズに聞こえるようになった。頼んでもいないのに無理やりカンフル剤を打ち込まれて、思考や感情をコントロールされる感覚を覚えるようになった。人の言葉も同じだ。言葉の響きから「あ、この人はコントロールをしようとしている」と感じるようになり、善ではあるが純ではないものを避けるようになった。鳥のさえずりや、こどもの笑い声は、バッハの音楽と似たような均衡を与えてくれた。
聴ける音楽は「常にそこにあるもの」を感じさせる。足し算の音楽は「常にそこにあるものではない、何か他のものを付け足そうとするもの」を感じさせる。それは、工事現場の騒音と似ている。家の近くで工事が行われると、平常心を保つことが難しくなる。昼は集中力をキープする事ができなくなり、夜は眠る事ができなくなる。なんとなく耳にしている音楽が、生活の質を著しく乱れさせている場合は多い。他人の悪口や愚痴を頻繁に耳にする職場にいると、自分の心も侵食される。人間と言う自然が破壊されて、生態系が乱れる。
録音された自分の声を聞くと「気持ち悪い」と感じる人は多い。私も最初はそうだった。だが、曲を作る過程で自分の声を頻繁に聞くようになり、話しながら聞く声と録音された声が統一された。不思議なことに、自分の声を聞きながら眠ると安眠できることを知った。自分の声が一番のヒーリングミュージックになる。誰かの声を聞きながら眠ることは、他人を自分の中に招き入れることと同じだ。好きな人の声なら問題ないが、好きな人と言えども他人は他人。自分と言う自然を守るためには、自分の歌を歌う必要があるのだと思う。
音楽がなくなる過程において、誰もが自分の歌を歌うようになるのだと思う。どれだけ自分の感覚に近い音楽があったとしても、それは他人の音楽であり、自分の音楽ではない。自分の気持ちは、自分しかわからない。自分の思いは、誰にも代弁することはできない。足し算の音楽ではなく、自分が自分の歌を歌うことによって、何かを消滅させて行くのだと思う。やがて、何も消滅させる必要のない世界が訪れた時に、役割を終えた音楽はこの世の中から消え去り、私たちが音楽になる。
圭吾さん
昨夜はありがとうございました😊
圭吾さんがリビングで寝てるって思うとなんだか安心で、ぐっすり眠れました。
圭吾さんの言葉、◯◯◯と遊ぶ姿を思い出すと尊くて涙が出たり、胸があったかくなる。何か素敵なものを置いていってくださいました。(カードとお茶もありがとうございました)
ただ会いたかっただけなんです。
目的がないことが本当だな、って、胸に刻みました。
朝おきたら圭吾さんいなくて
夢だったのかしらという感じ。
エレベーターホールで手を振った時は
コンタクトしてなくて全然見えていなくて。
圭吾さんは召喚されたんだと思いました。
私の中で圭吾さんはすでに神話の登場人物です!
おおまかな予定
10月16日(木)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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