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三笠宮家・彬子さまの当主決定も「女性宮家と一律反対が適切ではない」理由/倉山満

長い時間をかけて定着した「人臣皇后」

 例えば、古代から長い時間をかけて「人臣皇后」「女院」が定着してきた。本来の皇族は皇親(女性の場合は皇女)と言って、天皇の血を引いていなければならなかった。それどころか、近親結婚しか許されなかった。その弊害に気付いた古代日本人は、人臣皇后を常例とした。常例となったのは、平安初期の嵯峨天皇の時代である。その後、皇室に嫁いだ女性は皇族の様に扱われるようになった(ただし生まれながらの皇女とは区別される)。その中で、女院の称号を得た女性もいた。院とは本来、皇族にしか使われない文字である。  このような歴史があり、明治になって「女性は結婚により皇族となれる」と成文法で定めた。事実の追認である。明治政府が勝手に「一般女性も結婚により皇族となれるようにしよう」と決めたのではない(そんなことをしたら、間違いなく大騒動になった)。  以上を前提として、最近の三笠宮家の当主決定に関し、世の議論で誤解があるようなので、正しておく。

彬子さまが当主となる三笠宮家は「女性宮家」か

 三笠宮家は初代当主の崇仁親王の薨去後、妻の百合子殿下が当主を務めてこられた。お二人の息子の寬仁親王は先立ってしまわれた。先般、百合子殿下が薨去され、当主が不在であったが、孫の彬子女王殿下が第三代当主となることが決まった。寬仁親王の妻の信子殿下は、三笠宮寬仁親王妃家を設立、当主となられることとなった。  ここで曰く、「女性宮家ではないのか」「親王妃家は新儀ではないのか」と。素朴な疑問なので、答えておく。  そもそも、女性宮家の公式の定義はない。あえて言うなら、「女性皇族が当主である宮家」か。  初例は、幕末から明治にかけて淑子内親王が当主であった、桂宮家とされてきた。不幸にも、一代限りで絶えてしまったが。
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「女性宮家」と名がつけば全部反対するのは、如何なものか?
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憲政史研究家 1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『噓だらけの日本中世史』(扶桑社新書)が発売後即重版に

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