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「マスパセさんへ」に対する返答

こんにちは。マスク拒否して飛行機を降ろされたマスパセです。(@mask_passenger)
私の書いた2本の記事(その1その2)について、”コロナにかかったニート”(@covid_neet)さんからご意見を頂きましたので、返答します。まずは、長文にわたるご感想ありがとうございました!

お願いとして承りますが…

「お願いとしては承りますが、答えはノーです。」という文章は、実はとある場面での私のセリフを下敷きにしています。
例えば、英語の構文でBut, However等の接続詞があれば、接続詞よりも前の節ではなく後の節が筆者の主張です。文意としては、そういう任意のお願いがあることについては聞き置きますが、私の自由意思に基づく答えとしては「ノー」となります、ということです。

そもそも、法律でもない「マスク着用」のお願いに、拒否の自由裁量を確保しないなら語義矛盾でしょう。結局、問題は社会の側が同調圧力や少数派排除を駆使して、規範性を高めていることです。

リスクをどう考えるかは人それぞれ

「後遺症があるか否かというと、あるでしょう。」
「ノーマスクの人がいることによって、周りの感染リスクが高まると不安になる人も確かにいるでしょう」
という箇所が引用されています。この部分を補足します。

後遺症の程度に関しては、科学的な検証が必要です。現状では、メディアが煽情的な体験談を伝えることの弊害の方が大きいです。最近も、テレビ番組で、 #感染したから伝えたい 、というハッシュタグがありました。感染者個人の体験談をヒュマニスティックに伝え、感染防止の大切さを説くというありがちな構成には辟易しています。もちろん感染者一人ひとりの体験は異なります。しかし、総じて何らかの感じ方を強要しているかに思えたのは私だけの邪推でもないでしょう。後遺現象も、身体的な後遺症そのものでなく、騒動下でのストレスやトラウマ等の心因的な要素も大きいと思います。その部分は割り引いて考える必要があるというのが私の論旨です。

「不安になる人も確かにいるでしょう」というのは、世間一般の傾向の指摘です。私自身は、民衆の不安感情のために特定の人の排除を引き起こすことは大きな誤りだと思っています。
「不安に感じる人がいる」なら、その人が自己完結の自衛策をとればいいでしょう。超高性能フルフェイスマスクがお勧めです。前提として、公共圏において他人を排除してまで守るべき安全は存在しません。

自己完結で対策を取れない人や、高齢等のリスクを感じる人もいるかもしれません。そういう人が他人の善意や配慮に頼るのでなく、きちんと公的な支援が受けられることがまさに福祉の理念です。共助などの生易しいものに期待するのでなく、しっかりと公助を整備すべきでしょう。ちょっとお高めのフルフェイスマスクの購入補助金支給は、その意味でも名案でしょう。

マスク未着用は刃物と同じか

リスクの判断は人それぞれと言いましたが、明らかに過大なレトリックが用いられることが民衆の不安感情を喚起しています。感染が(人為的な陰謀でなく)自然現象である以上、ウイルスを移した・移されたとの関係を持ち込むべきではありません。ヒトやモノを介してウイルスは自然に「移る」のであり、そこに人間の帰責性を見出す必要はありません。

「感染していることを前提にして行動せよ」のような過大な倫理観こそが、社会にひずみをきたしています。

コロナ感染は自己責任か

コロナに感染するのは、自然現象ではありますが、強いて言うなら自己責任です。移した他人のせいでもなく、対策徹底していない社会のせいでもなく、感染するのもしないのも本人の自由です。
選択の余地を問うのであれば一つひとつの行動が、本人の意思によってなされているわけです。

感染したくないなら、他人のせいにするのでなく、自分で対策しましょう。先述のフルフェイスマスクでも、手術用の手袋を常時着用でも、防護服着用でも、自分でできることをしっかりと考えるのが基本です。がんばりましょう!


最低限の配慮も必要ない

私は、そもそも非合理的なマスク着用規定はそもそも避けるべきとの立場です。最低限の配慮を要請する以前に、そういう非合理的な規定を撤廃せよと強く思います。

そもそも、どうせ食べ物を口にする飲食店の入場時にマスク着用は必要か、等、明らかにおかしな規定が世間にあふれています。
「本人が配慮をする」というのは、言葉は綺麗ですが、そのおかしな非合理性に妥協して堕することです。自分の自由を守るためには、根底から異議を唱えることも時には大切だと考えます。
そういう人が一人でも世の中にいないと、多数派に流された何となくの方向に社会が動いていくだけです。

協力しない自由を担保することがなぜ大切かについては、以前Blogに書きました。コロナ禍においてこそ、協力しない”非国民”の権利と自由を確保することが、我々の民主主義社会において重要なことです。

「自発的にお互い歩み寄れる分には歩み寄ったらいい」という言葉の含意は、歩み寄れない部分は無理に妥協する必要がないということです。「寛容」とは個人の内面の不干渉です。ノーマスクの人が自主的に配慮をしても別にいいとは思いますが、少数者が多数派に常に歩み寄れというのでは事は解決しません。私は、「気になさる方がいればご自分で対策をどうぞ」との立場です。人は、相互に依存するだけでなく、主体的で自立的な存在です。ですので、マスクをしない自由と共に、医療用ガウンやフルフェイスマスクを公共の場で着用する人の自由も守るべきだと考えています。


公共心の強要は無意味

公共空間の意味は、誰もが場所に対して権利を持っていることです。そこに要件として何らかのモラルを課すこと自体、ただの偽善にすぎません。そもそも道徳を強制することに何の意味もないでしょう。そのような偽善者が跋扈すること自体に、むしろ日本社会の病巣を感じます。コロナ禍の問題は、「命を守れ」の大合唱のもと、共通行為を要求する欺瞞的なモラルが増加したことにあります。この辺りの社会傾向はもっと広い意味で考えていく必要がありそうです……。

まぁ、こんなところですかねぇ……。Twitterで書いていることの重複もありますが。

それでは、良い週末の晩酌を!


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