実写版『秒速』に、感想が書けなかったので感情だけ書く
書けない。感想が。
えっと、『秒速5センチメートル』を観たんです。
ロジカルに感想を書こうと思ってたんです。でも無理でした。
最後、貴樹くんが、北斗くんが、たくさん泣いていて。
僕もたくさん泣いていた。
彼が話していることに凄く共感していたのに、いや多分、だからこそ、
彼の言っていたことがほとんど思い出せない。
まともな感想文が書けない。
でもこれだけは言える。
そうだ、僕もこういうことを伝えたかった。
こころの、一番深い場所にいて。
けれど、一番遠いところにいる誰かに。
原作と新海監督と松村北斗さんが好きだという話
原作は最初、ずいぶん昔に観た。
世の中のことを今よりずっと恐ろしく思っていたころ。
PSPに突っ込んだMP3音源を繰り返し再生していた、ヘッドホンの内側だけが自分の世界だったころ。
世界ってこんなに綺麗だったっけ?と目が覚めるような映像、心が泣き出すのを抑えられなくなる音楽、観終わったあと呆然とするような悲恋の物語は衝撃だった。
僕はそれからずっと、新海誠監督が好きだ(告白)。
もちろん作品がまず好きだし、同時にその人間性が好きだ。
監督が発する言葉のやわらかさとか、新作公開前に「この内容で良かったんだろうか」って落ち込んでるところとか。
あと、松村北斗さんも好きだ(告白)。
『すずめ』の草太役で活躍し、実写『秒速』で、早くも主人公として帰ってきてくれた。
新海監督は彼の魅力のひとつに、「絶え間ない内省」を感じる声を挙げている。
(それって、映画づくりに苦しんで、観客の反応を繊細に受け取る監督のことでもあるじゃないですか、と思ったりもする)
実際の北斗さんも、迷いながら一歩一歩を大切に踏みしめている人だと、勝手ながら思う。
だから、彼が貴樹をやってくれるなら大丈夫だなと思っていた。
いつも自分と闘っている彼だからこそ、
人生の半分が未練でできている貴樹のことも、大切に演じきってくれるはずだと。
心の触れられたくない場所に触れるということ
新海監督は3年前、『すずめの戸締まり』という映画を世に送り出した。
震災がテーマの作品で、当然、被災者を傷つける大きなリスクがある。
でも、監督は言っていた。
誰かを傷つけたいとは思わない。
それでも、人を傷つける可能性を避けて通った安全な物語が、人の心を動かすとは思えないのだと。
「誰かに触れられたくないことは、誰かに触れてほしいことでもあるんじゃないか」、と。
それを恋愛という領域でやった作品が、
『秒速5センチメートル』だったのかもしれない。
僕は今、誰かに恋愛のことに踏み込まれるのが一番嫌だ。
でも同時に、そこに寄り添ってくれるものが、一番ほしい気もしている。
だから、いま『秒速』を観るのは博打に近かった。
後ろ暗い部分を洗いざらい暴かれて、身動きが取れなくなるかもしれない。
もしかしたら、貴樹に近い年齢と後悔を持つ自分に、明日が軽くなる糸口をくれるかもしれない。
原作が好きだから、観に行かないという選択肢はない。
でも観るのが少し怖かった。
映画を観に行った
全然アニメの『秒速』じゃないのに、めちゃくちゃ実写の『秒速』だった。
映像はビビッドじゃなくて、全て「写ルンです」で撮りましたみたいなノスタルジーに満ちている。
2000年代って、もう遠いもんね。
ああ、貴樹には明里には、いまこんな人が近くにいるんだね。
懐かしいな、
遅々として進まない電車とか、
焦燥感を押し返してくる種子島の波とか、
ガラケーに送られてくる「1センチも近づけませんでした」のメールとか。
その先の未来を、プラネタリウムで結ぶんだね。
ずっと空を見ていたものね。
貴樹は宇宙飛行士にはならなかった。
でも、死んだ目で蓄え続けたプログラムの知識が、プラネタリウムの景色をたしかに描いてみせた。
あの時間にだって、君の人生はちゃんと進んでいたんだね。
明里はその景色に、あの日の約束をちゃんと重ねている。
そして彼らは出会わないまま、どこかに大切な記憶を重ねながら、新しい日常に生きていく。
僕はずっと、こういう『秒速』が観たかった。
(そもそも実写化される日がくるなんて想像していなかったけれど)
彼らの人生の続きは、単なる後悔にまみれたものではないと信じたかった。
新海監督は、原作の内容に落ち込んだ人が多かったことを悔やんで、丁寧に語り直した小説版を出していたりもする。
奥山組は今回、そうした原作者や観客や、登場人物たちの後悔をていねいに掬い上げてくれた。
観客のトラウマをいたずらに刺激する物語なんかじゃ決してない。
掴もうとしても指の隙間から溢れていくような、大切なものたちをもう一度受け止めてくれた物語だった。
触れられたかったこと
少し自分の話をします。
僕は、人を好きになる資格はもう無いと思って生きていた。
あまりにも多くの苦痛に耐えきれなくて、最後の最後で全部台無しにしてしまった大切な物事が沢山あったからだ。
僕の好きなミュージシャンは、
「その後悔こそが自分を作る」みたいに言ってくれる。
でも、そうなれない人もいるんじゃないか。
いくら後悔を積み上げても、それが改善には向かずに、また似たような後悔を積み上げてばかりいる人間が。
僕もそういう人間だと思う。
少しずつ改善してるつもりだけど、積み上げてるつもりだけど、
それが花開いたように思える瞬間はなかなか訪れない。
だから人と関わる資格が無いと思う。
生きるのを終わらせたら、傷ついてくれる人がいるのも分かっている。
けれど、一生誰かを踏みにじり続けるよりはずっといい。
そう思ってずっと泣いていた。
いつも呆然としていた。
感情が死んでいた。
涙が溢れて止まらない日と、何も溢れてこない日を繰り返した。
あれから、いろんなことがあって、
少しずつ人生はましになって、前よりずっといい職場や人に恵まれた。
それでもまだ自己嫌悪が消えることはない。今後一生消えることはない。
ただ、足元の靴の汚ればかりを見て、
口の中のたこ焼きの美味しさとか、目の前の桜の美しさを感じられないのはいやなんだ。
そういうことを思い出しながら生きている。
こうした良さは「新しく知ったこと」じゃない。「思い出していること」なんだ。
あのとき確かに知っていたことに出会い直している。
感性を持っていなかったんじゃない、少しのあいだ、日陰に隠れていただけなんだ。
伝えたいこと
最後の貴樹は、取り留めもないことを、それでも大切なことを語ってくれて。
その一音一音、僕がずっと誰かに伝えたかったことを、そのまま映し出してくれているようで。
涙が止まらなかった。
そうだよね、そうだよね、僕もそうだよ、と思いながら、劇場の座席でプラネタリウムを観ていた。
大切な人や、大切なものがくれた言葉は、あの空気や時間は、いまも自分の中に流れている。日常になっている。
だから、適当な言葉でいいから、伝えたいことがあった。
不器用だなんて分かっているから、それでもいいから。
僕はあなたが好きです。あなたが好きでした。
お元気ですか?わかんないな、でも、どうかどうかお元気で。
美味しいたこ焼き食べてね。怪我しないでね。
もう何かに傷つかないでね。
大事なこと、何ひとつまともに伝えられなくてごめんなさい。
無関係な場所で、でも、同じ空の下で、幸せを願っています。
ありがとうございました。
これからのこと
前に進もう。
雪にはまった足みたいに、1歩1歩が大変でもいいから。
悪天候のなかの電車みたいに、何度も止まりながら揺れながらでもいいから。
毎秒5センチメートルだけでもいいから。
前ってどっちだっけ、でもたぶんこっちだよな。
だって、こっちへ行きたいと思ったんだ。
後悔たちよ、どうか僕を見守っていてください。
未来はきっと大丈夫。
ありがとう、『秒速5センチメートル』。


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