金八先生は言います
「君の優しさが正しかったのか間違っていたのかは実は誰にもわからない」
そして黒板に張り紙を出します
『負けたと 言わない限り 勝っている』
負けを認めなければ勝っているのさ!と教えてくれた金八先生の言葉に感動し、生徒はこう言います
「私、まだ負けてません」
金八先生は未来予知能力者でサムライ8ファンだったのでは?
侍を増やしたかったのでは?
真実は闇の中ですね……
この街は、夜の世界だ。
夜にしか生きられない鬼のように、彼女らもまた、夜の世界にしか生きられない。
街を灯火が照らす。
遊女達が体を売る。
日は沈み、月が昇った。新宿遊郭が賑わうのは、ここからだと言っていい。
そんな街中を、鬼狩りの四人と、それを追う教団員達が駆け回っていた。
「うおっ、なんだ!?」
「今なんか物凄い速さで何かが駆けて行ったような……」
「つーかなんだ? 剣呑な雰囲気の奴等が多いな」
「やーねぇ……何が起こってるか知らないけど、教祖様に相談してみようかしら」
呼吸の使い手の身体能力は、鬼に迫る。
柱クラスになれば、十二鬼月の下弦でもまるで相手にならない。
当然ながら、一般人では車を使おうが必死に走ろうが追いつくことはできない。
剣士の側が足を止めなければ、だが。
街の騒動で人々がざわつき、よそ見をして歩く人間が増え、老婆が突き飛ばされる。
老婆は建物にぶつかり、立ち上がれずにぶつけたところをさする。
普段遊女達の世話をしている老女だったが、今彼女を助けようとする者は一人も居なかった。
いや。
一人だけ、居た。見ず知らずの老婆を助けに行く、度を越したお人好しが。
「あいたた……」
「大丈夫ですか?」
禰豆子が老婆に手を差し伸べ、体に負担をかけないようゆっくりと抱き上げ、近場の長椅子に横たえさせる。
怪我自体は治っていないが、立ち上がれないまま地べたに座り込んだままでいるよりは、ずっと楽になったようだ。
「おお、おお、ありがとねぇ」
「いえいえ」
微笑みかける禰豆子に、老婆も微笑みを返す。
禰豆子はまた走り出すが、老婆に時間を使ったせいで、すぐに壁際に追い詰められてしまう。
包囲の数は20人から30人か。
各々が武器を持っていたが、禰豆子の目に見える範囲では、最前列の人間達が持っている長包丁くらいしかわからない。
禰豆子は人間相手に刀を抜くかどうか迷ったが、禰豆子が迷った瞬間に、狂信者達は包丁で斬りつけてきた。
禰豆子は慌てて、抜けなかった刀の鞘でそれを弾く。
だが突き出される刃物達は、一つや二つ弾いたところでは止まらない。
「わわっ」
迷いは死に繋がる。
戦いの中で一瞬迷い、そのまま死んだ鬼殺隊士は数知れない。
容赦の無さこそが、隊士を窮地から生還させる。
禰豆子はそういう視点で見れば、まだまだ話にならないくらいの未熟者だった。
だが、それをよしとする者も居る。
急いで戻って来た八八が割って入り、包丁の一つを右腕を盾のようにして受け止めた。
グサッ、ではなく。
ガチッ、という、人体にありえない音がする。
サイボーグゆえに、一般人の筋力突き出される刃物なら、受ける場所次第で受けられるのだ。
「鬼狩りとしては間違っているが、人としては正しい。拙者、お前の中に"優"を見た」
「八さん!?」
「上で受け止めろおにぎり!」
「きゃっ!?」
八八が禰豆子の首根っこを掴み、上に放り投げる。
八八同様急いで戻って来ていた炭治郎がそれを空中で受け止め、建物の屋根に着地した。
だが、八八はもう避けられない。
長包丁が、長い鉄の棒の先にくくりつけられたナイフが、伐採用の大斧が、八八の体に突き刺さっていく。
斧や短い包丁は八八の体の各部で止まったが、柔らかい部分に偶然当たった刃物はそのまま貫通し、そのまま壁に刺さり、八八の体を壁に縫い付けてしまった。
さて、ここからどう無傷でこの民衆を制圧するか、と八八は考え始める。
「……やり難いな」
「お、おい、なんだこいつ」
「首にも心臓にも刺さってんのに、顔色一つ変えねえ」
「っていうか全然死なねえ」
「人間じゃない」
「教祖様が抹殺を命じたのはそういうことだったのか」
「教祖様のおっしゃることは正義……やはり間違いはなかったか」
八八の肩に刺さった斧が肉に押し上げられ落ちて、八八の肩の傷もほぼ一瞬で治るのを見て、人々の意識が移り変わっていく。
熱狂があった。
罪悪感や殺人を躊躇う心を、酔いで誤魔化す熱狂だ。
狂信と熱狂が彼らを動かしていた。
八八は少し、その熱狂を誘導する。
「猫を被るのはキライでね……本性を隠しておくのは出来ないタチだ。
本質とは、木の内の管のようなものだ。
それを見逃せば全てを見誤る。
拙者はこの通り特別だが、他の者達は人間だ。
この身を傷付ける分には構わん。
だが拙者の仲間を傷付ければお前達は後悔することになるだろう。
無知なまま振るわれる暴力には免罪符がつくか?
付かぬか、付いても僅かであろう。
さすればお前達は自分を許せなくなる。
軽挙妄動は無知ゆえに行っていいものではない。
お前達もいずれ分かる時が来よう。
拙者以外を傷付ければそこでお前達は一線を越えてしまう。
無知な幼子が笑って虫を容赦なく殺せても。
知を得た大人は無意味に殺せなくなっている。
本質を知るとはそういうことだ。
取り返しがつくのは拙者くらいのものだろう。
つまるところお前達に人間を傷付けた罪悪感があるならそれを感じる必要はなく―――」
「うるせえ化物!」
包丁が、八八の右目に深々と刺された。
八八は自分の行動力を奪われないために、両手両足、目に刺さる刃を引き抜いていく。
「半分は抜けたな。まだ痛いが」
「教祖様のために」
「化物を殺せ」
「出ていけ」
「死ね」
「消えろ」
「ここは人間の街だ―――!」
変に体内のギアに刃物が噛み合ってしまったため、抜くのに四苦八苦している八八を、飛び込んできた男が抱え、建物の屋根まで一瞬で跳躍する。
八八が一秒前まで居た所に、狩猟用の弓矢の矢が何本も刺さった音が軽快に響いた。
八八を救った男が、屋根の上で口の前に人差し指を当てる。
声量を抑え、自分達の位置を狂信者に悟らせる情報を、少しでも減らすために。
「アン八?」
「気を付けろ。どうやら新宿の色んなところに狂信者が散っているようだ。声は抑えめに、な」
「すまぬ。わざわざ戻って来てくれたのか」
「君風に言うなら、俺は仲間を置いていくことはできないタチだ」
「めちゃくちゃかっけェ……」
八八は自分の体に刺さった刃物を雑に片っ端から抜いていき、煉獄は八八の体に刺さった刃物をできるだけ痛みがないようにゆっくりと優しく引き抜いていく。
「八八八八。この状況をどう見る?」
「暮六つ(夜6時)は過ぎた。
慣例ならば、呼び込みが終わるのは夜九つ(夜12時)。
あと五時間はこの状況が続くだろう……奴らは物事をあせりすぎる」
「俺も同意見だ。さて、どう動いたものか」
新宿遊郭には昼の仕事『昼見世』と、夜の本番の仕事『夜見世』がある。
日が沈んで間もない今の時間帯は、新宿遊郭の本格的な営業が始まったばかりで、見える範囲だけでも、ゆうに三桁の人間が動いているのが分かる。
見える範囲も含めれば、四桁は確実にいるだろう。
これが全て、"何の罪もない巻き込まれるかもしれない人達"なのだ。
この上ないほどに戦いにくく、逃げにくい。
屋根の上を走っていても通行人に見られる可能性はあり、狂信者達は聞き込みをすることで八八達の行方を追うことができるのだ。
千を超える人間の目がそこかしこにあり、何十人いるかも分からない狂信者達が、そのネットワークを利用できることが、そのまま八八達の不利要素だった。
音をあまり立てないようにして屋根の上を駆ける八八と煉獄。
そこに、禰豆子と炭治郎も合流する。
「八さん! お師匠さま!」
「爆八……無事だったか。何よりだ。流れ自体はいースね」
「そうだな。このままどこかに姿を眩ませたいところだが……」
バン、と音がした。
銃弾が、禰豆子の胴を狙って、路地裏から放たれた。
鬼の気配などはなく、ゆえに鬼狩りの剣士には事前に気付かれにくい、銃撃。
直感力に優れた煉獄と禰豆子は、理屈抜きで常人ではありえないほどに早く反応した。
されど間に合ったのは、心眼で『先』を見ていた八八だけだった。
八八に銃弾を見切り切り落とせるほどの技量はない。
ゆえに彼は、手を突き出し、手の平に『犬掻き』の重力を発生させ、銃弾を引き寄せる形で銃弾を掴み止めた。
庇われた禰豆子が驚き、八八の手の皮と肉(にあたるもの)がずるりと剥け、落ちる。
「銃まで持って来ているのか。
棘星! 気がつかなかった……まさか……こんな身近に……!」
少し不味い流れが来ている。
これ以上余裕を削られ、周囲に向けなければならない感覚が増えると、『万が一』がありえてしまう。銃持ちが気付かない内に近くまで来ているとマズい。
善八が居ればな、と八八は思う。
銃の引き金を引く音を聞き逃さず、仲間が撃たれそうになれば霹靂一閃の応用で簡単に救える彼さえ居れば、銃など玩具同然の存在に成り果てていただろうに。
「あ、あの、八さ」
「アン八。長引かせると不味いぞ。コソコソしていられん」
「そこは俺も同感だな。だがどうする?」
何か言いたげにしていた禰豆子だが、八八が"その話は後"と無言のまま手で制し、煉獄と共に街を見渡す。
四人は移動を続けながら街を見渡し続けた。
彼らは逃げの一手を打ったが、それは状況の解決には繋がらない。
「なあさっき銃声しなかったか?」
「銃声?」
「俺銃声聞いたことないしな、どうなの?」
「料理の時に似たような音するしそれじゃない」
「いや待て、さっきから怪しいやつがチラホラ練り歩いてるし大丈夫なのか?」
街の人々が異変に気付き始めている。
穏便に済ませるには難しい状況になってきたようだ。
「警察呼んでいースか?」
「名案だな! 俺達も帯刀しているから不味いということに目を瞑れば!」
「お兄ちゃんはどう思う?
なるほど。あれだけ熱くなってる人達が警察で止まるとは思えない?
おかしいくらい強い感情を集団で共有してる? うん、そんな感じするよね」
「爆八はおにぎりと話している時は語調が柔らかいな。兄妹だからか」
「そういうこと話してる場合じゃないですよね?」
「お前は物事をあせりすぎる。だが、本当にそうだな」
八八達が見下ろす先で、狂信者達が、禰豆子と多少背格好が似た遊女に絡み始めた。
「お前、似てるな」
「いやさっきのヤツだろ」
「教祖様が指示した存在……眼鏡の男と、麻の葉模様の服の少女と、吃音の少年」
「化粧で変装してるのかも?」
「変装してるんだな」
「変装してるに違いない」
「姑息な」
「教祖様がこの少女が俺達が探している少女に違いない!」
「へ? え、あ、あの、何のことですか? そ、その包丁怖いから下ろしてくれませんか……?」
"殺人を躊躇わない空気"を、八八も、煉獄も、禰豆子も、炭治郎も、感じていた。
「……正気ではないな、奴ら! 拙者見過ごせん!」
「正気でこんなことができるはずもあるまい!」
「あ、あの! お兄ちゃんがあの人達からケシと同じ香りがするって……」
「―――
アヘン。
この時代から見て70年ほど前、阿片戦争を起こしたことで、知らぬ者が居ないほどの悪名高い麻薬である。
日本でケシの大規模栽培が始まったのは、明治の半ば頃。
1915年現在、日本は台湾のケシ栽培を撲滅して日本で大量に生産し台湾に売りつけるなどして、年々その利益を拡大している。
戦時中に制圧した土地でも栽培を行うことで、日本はこれ以後も莫大な利益を得ていくが、戦後にGHQによって禁止され、一度絶滅することになる。
この時代には和歌山県有田郡と大阪府三島郡で栽培されており、ここに手を伸ばすことでさして困ることなく、阿片を入手することが可能であった。
そして、問題のある新興宗教や邪教はたいてい『こういうもの』に詳しいものだ。
薬でトリップして「悟りを開いたぞ!」と言い出す。
薬で判断力を消して教団に取り込む。
依存症を利用して教団から離れられなくする。
通常の社会の半歩外側にある宗教団体は、こういうものの使用に躊躇いがない。
合法であるなら、なおさらに。
日本で阿片法が制定されるのは、まだ40年ほど先の話だ。
万世極楽教は薬なんてものに頼らずとも、教祖のカリスマだけで人を洗脳できる。
だからこのアヘンは、洗脳のためのものではない。
"殺人の忌避感を消すため"のものだ。
教祖・童磨を信奉する幹部が、けしかけた鉄砲玉の『最後の善意』を取り除くために嗅がせたものだった。
ゆえに、彼らは加速度的に、まともでなくなっていく。
八八と禰豆子は、心眼に通ずる直感でそれを感じ取る。
半ば反射的に、八八は屋根から飛び降りていた。
「お前達は降りるな。拙者がなんとか丸く収めてみる!」
「煽り以外の話が世界一ヘタクソな君がどうにかできるわけないだろう! 身の程を知れ!」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える! いざ!」
煉獄が止める暇もなく、八八は飛び降り、少女と狂信者達の間に割って入った。
「本当に君は決めてからが速いな!」
「お前を見習うと決めてから、拙者はいつもそうしている!」
建物と建物の間の細い路地に少女を逃し、八八はその路地を塞ぐように狂信者達の前に立ちはだかる。
「行け!」
「あ、ありがとうございます!」
八八を、先程禰豆子を狙った銃手が狙う。
彼らは八八の不死性を知らないのだろう。
だから無駄と分からず、八八への攻撃も続ける。いつか殺せると信じて。
薬と宗教で頭の中が煮えている彼らに正常な判断能力などあるはずもない。
狂信者の行進に人が巻き込まれないよう逃し、不死身の肉体で耐え、ほどほどに対処しつつ、狂信者達を取り押さえるか逃げるかを考えていく。
八八の判断はこの場で唯一、合理性の上で正しいものだった。
だから、八八以外は全員、合理性の上で見れば間違っていた。
助けに飛び降りた煉獄も、禰豆子も、炭治郎も。
傷なんてすぐ治る仲間の痛みを減らしに飛び降り、間違った選択を選んだ。
鬼殺隊は、異常者の集まりである。
「ほんっとにもうっ!」
禰豆子が振るった鞘が銃弾を斜めに弾き、禰豆子に防御を任せて射手の位置を把握した煉獄が、一瞬で距離を詰めて目にも止まらぬ高速の太刀で銃を両断する。
煉獄の太刀の威圧感と恐ろしさに、銃を撃っていた男は失禁し、声も上げずに失禁した。
「降りて来るなと言ったはずだが……それでも武士か!」
「武士じゃないです侍です! 今は侍としてじゃなくただの禰豆子として降りて来ましたけど!」
「くっ……強い"義と勇"を持った侍には話が通じん!」
「八さんがそれ言います?」
炭治郎は近場の家屋の戸に手をかけ、かけたが、「取っていいものか」と無言で迷う。
そんな炭治郎に、先程禰豆子に助けられた老婆が、「そこは私の家だからいいわよ」と微笑みかける。
炭治郎は頭を下げ、戸板を外し、狂信者の集団に横から戸板で突撃した。
ゴミを箒で掃いてどけるように、八八と禰豆子の前に居た最前列の狂信者達が、鬼の力で戸板に押し退けられて脇にどけられる。
「な、なんだこいつ!?」
狂信者達の行進が一瞬止まり、八八達と狂信者達の間に隙間ができる。
そこに、ゆらりと、亡霊のように歩き滑り込む男の姿があった。
「何を遊んでいる」
「……黒八!」
「相手がクズなら遠慮も要らん。殺さなければいい話だ」
「あぐっ」
「ぐあっ」
「な、なんだこいつ!?」
伊黒小芭内、参戦。
来てすぐに状況を察したのか、苛立たしげに伊黒は鞘で狂信者達をぶん殴り始める。
一般人を守るだとか、そういった優しさが全く見られない。
「ここまでやったんだから殴り返されても仕方ないだろう」「殺されないだけありがたく思え」と言わんばかりに、物凄く痛そうな殴り方で狂信者達を鞘で殴り飛ばしていく。
片っ端から地面に転がされていく狂信者達を見て、他の狂信者達は戦慄を覚え、禰豆子は味方の到着であるのにちょっと引いていた。
「うわぁ容赦がない」
そして、人が宙を舞う。
狂信者達が次々と、梯子などを使わなければ上り下りできないような三階建ての建物の屋根の上に投げ上げられていく。
投げ上げられれば、もう呼吸も使えない人間では降りられない。
人を小石のようにポンポンと投げ上げ、傷一つ付けずに屋根に着地させていく桜餅のような髪の女に、狂信者達は八八の不死身を見た時以上に怯えた声を出した。
「う……うわああああああ! さっきの奴より化物だ! ゴリラの化身だ!」
「しっ、失礼ですね! 乙女ですよ!?」
ぷんすかしながら甘露寺が狂信者達を投げ上げていく。
投げられる狂信者達は玉袋が縮み上がるような恐怖に洒落にならない悲鳴を上げ、街の人々はあまりにも非現実的な光景に大道芸だと思ったのか、楽しそうな歓声を上げる。
それは、ゴリラがドン引きするような、世界一人権の無いお手玉だった。
「黒八、甘露姫、何故ここに? タイミングが良かったのか」
「話は後で良い。くだらんことを今わざわざ話すな」
「確かに。ウワサ通りいい判断だ! ついていこう!」
「そうそう、なんだか大変みたいだから駆けつけただけだから!」
「感謝する!」
助けが来てくれるということが、こんなにも心強く、暖かい。
『繋がり』を感じ、八八の口角が僅かに上がる。
禰豆子は甘露寺を援護しつつ、頼りになる姉弟子に呼びかけた。
「蜜璃ちゃん、ありがとう!
もう私……何もできなくて……どうしようって、どうしようって……!」
「いいのよ禰豆子ちゃん。
私ぶっちゃけ状況全然分かってなくて雰囲気で人投げてるだけだから!」
「すごい……この人十割なんとなくで戦ってる……でもありがとう!」
「はっちゃんや禰豆子ちゃんが困ってたらいつでも駆けつけるからね。ふふふ」
「姉弟子ー! 甘露寺さーん! かっこいー!」
「だから蜜璃ちゃんって呼んでってばー!」
禰豆子の罪悪感が、底なしに脳天気な甘露寺の空気と混ざって中和されていく。
「小芭内! 加減が難しいな! 真似してみたが上手くいかん!」
「骨くらい折ってやれ杏寿郎。痛みで動きが止まるぞ」
「それはできない!
彼らも悪辣な洗脳と阿片で狂わされた被害者だ!
俺の仲間を傷付けたことは償わせるが、怪我無くやり直す権利は彼らにもある!」
「……まったく」
幼少期、伊黒を救い剣士の道を教えたのは煉獄の父である。
伊黒は煉獄家が引き取り、それからしばらく煉獄家で育てられた。
煉獄は元気に伊黒を連れ回し、伊黒は嫌そうな顔で煉獄に付き合い、煉獄は伊黒が嫌がっていると思ったことは一度もなく、伊黒もまた煉獄の誘いを断ることはなかったという。
煉獄は伊黒を幼馴染と言い、伊黒は鬱陶しい腐れ縁という。
彼らの上っ面の発言は聞くことができるが、心の声は心眼が無ければ分からない。
だが、心眼がなくとも、背中合わせに狂信者達をなぎ倒していく二人を見れば、二人の関係性はなんとなく分かりそうなところがあった。
八八は戸板で狂信者を押し退けて仲間と妹を守っている炭治郎の援護に回るが、そこで炭治郎が何か言いたそうにしていることに気付く。
だが喋らないため分からない。
「おにぎり?」
八八は炭治郎の身振り手振りと表情を見て、心眼を研ぎ澄まし、炭治郎が言いたいことを大まかに理解する。
「なるほど……?
憧れの人……? 目標……?
確かに。甘露姫は戦う女にとって理想の目標か。
普通に女性らしくも、男の柱に並ぶほどの力強さも併せ持つからな……"憧"を見た」
炭治郎が言いたいことは、禰豆子と甘露寺の姉妹弟子の仲の良さだけではない。
八八は理解の深度を深め、炭治郎が真に言いたいことを理解した。
「いや、分かっている。拙者もアン八も、黒八も気付いている」
"近くに気配を隠した鬼がいる"という、炭治郎の意思が八八に伝わった、まさにその時。
物陰から、怪物が飛び出した。
怪物は三組に分かれていた八八達の内、『柱二人が固まっている』ところをわざわざ狙い、煉獄と伊黒に襲いかかる。
伊黒が波打つ日輪刀でその攻撃を受け、反撃の一閃で倒さんとする。
その瞬間、八八は、叫んだ。
「受けるなアン! 黒八!」
「「 ! 」」
八八の叫びを聞き、伊黒と煉獄は反撃を考えない回避に入る。
だが迎撃に振っていた伊黒の刀だけは間に合わない。
襲撃者の拳が伊黒の刀に当たり、伊黒の刀が
「!?」
鬼の動きが速い。
煉獄と伊黒が距離を取れない。
八八が咄嗟に、刀と鞘を二丁拳銃に変え、撃つ。
だが鬼の硬い表皮が、放たれた銃弾を斜めに弾いていく。
拳に触れたものを強制的に魚に変える血鬼術。
一度接近されれば仲間の援護無しには柱ですら逃げ切れない俊敏性。
咄嗟の援護だったとはいえ、八八の銃撃で傷一つ付かない
『上弦だ』と、八八も、煉獄も、伊黒も、甘露寺も、ひと目で理解した。
鬼は奇襲で一人も仕留められなかったことに少し悔しそうにし、されどすぐに嘲笑を浮かべる。
「おやおや、気付いていましたか」
「アン八は相手が一般人だけなら援軍は呼ばん。
それが狂信者であってもな。
まだまだが心眼が足らぬ。
"柱級の人間"に限定して人を呼ぶよう頼む時は……上弦クラスの存在を知覚した時だ」
「なるほど。それは確かに思い至りませんでしたねえ」
煉獄が有一郎に柱級の人間を呼ぶことを頼んでいた時点で、煉獄は巧みに気配を消したこの鬼の存在に気付いていた。
だが。
八八に『何か』が突っ込み、八八が抜いた小太刀で受け止めた。
だがあまりの衝撃に、八八の体が浮く。
突っ込んできた何かと八八が、猛烈なスピードで禰豆子達から離れていく。
「八さん!」
「来るな! こいつらの狙いは拙者だ!」
八八は敵に押し込まれながら、錆兎から借りていた水の呼吸の日輪刀を伊黒に投げる。
刀を失った伊黒がそれを巧みにキャッチした。
「使え黒八! 錆兎の水の呼吸の刀だ! 水の呼吸派生の蛇の呼吸のお前ならそれで―――」
八八が叫んでいたが、すぐに声が聞こえなくなる。
声が届かないほど遠くまで連れて行かれた。そういうことだろう。
「あのバカが……こんなことで善人気取りか? 俺は頼んでいない。反吐が出そうだ」
伊黒は苛立たしげに、八八が渡してくれた刀を構える。
普段使っている刀ほど手に馴染まないが、贅沢を言っている余裕はない。
敵は上弦。
黒死牟打倒まで、ここ百年以上鬼殺隊の誰もが倒せなかった怪物の中の怪物。
伊黒、煉獄、甘露寺が並び、刀を構えた。
だがそこで、彼らは気付く。
周囲に、蜘蛛のような怪物がいる。
形状の狂った魚達が涎を垂らして鳴いている。
上弦の少し後方に、目に数字が刻まれた鬼がいる。
この戦場に居るのは、上弦一体だけではない。
「あんまり面倒かけないでほしいんだけどな」
「上弦だけでなく……下弦も居るのか!」
「うわ蜘蛛……蜘蛛がこんないっぱいいると私ちょっとぞわぞわしてきた……!」
三人の柱を見やり、上弦の鬼は小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「聞いていた話より柱の数が多くなったようですが……まあ良い」
ここは街中。
鬼が戦いやすく、柱が戦い難い場所。
活気ある時間帯の新宿遊郭は、多くの罪なき人で溢れている。
鬼は戦いに巻き込まれる一般人の死者数など、気にするはずもない。
「私の仕事は足止めだけでも十分なのですから。
ですがこの程度の剣士なら……私が食った柱の数を、三つほど増やせそうですなぁ」
蜘蛛の群れに、魚の群れ。
全てが血鬼術で生み出された怪物達。
伊黒は黒死牟と対峙した時に匹敵する『死の予感』に、かすかに身を震わせた。
禰豆子と炭治郎は八八を追った。
八八を助け、三人で煉獄達に合流する。
自分達が果たすべき役目はそれであると、彼らは思っていた。
そんな彼らが、足を止めた。―――鬼が居る。目眩がするほど美しい、女の鬼だった。
「何? アンタ」
「瞳に上弦の文字と伍の数字……上弦……!」
「そうよ。だから、死んでそこをどきなさい、邪魔」
鬼が帯を振り、鋼鉄も容易に切り裂く帯の刃が禰豆子と炭治郎を襲い、禰豆子と炭治郎は何とかそれを切り弾いた。
女鬼が、怒りを表情に露わにする。
煉獄達のところにも上弦。ここにも上弦。
だとしたら、八八のところにも? と、禰豆子の背筋に冷たいものが走る。
上弦の女鬼は、苛々とした口調で語り始めた。
「ちょっと邪魔すんじゃないわよ……!
アタシはねえ、不死身の男を封印する大事な役目を振られてるのよ!
アンタみたいな無価値な不細工とは違うのよ! 邪魔しないで!」
「!」
「今頃はねえ、不死身の男だってズタズタの八つ裂きよ。
お兄ちゃんが相手じゃ不死身だって負けるしかない。
アタシはそれを封印するだけ!
アンタ達もその後、ひとり残らず死ぬわ。
あははっ……もう何をしてもどうにもならない人間の足掻きって、滑稽よねぇ?」
その言葉が、禰豆子の中の、『あの日の記憶』を刺激した。
強い瞳が、女鬼を見据える。
深呼吸して、呼吸を整える。
煉獄杏寿郎と同じ色合いの、赤き刀を構える。
風に吹かれて、太陽の耳飾りが揺れる。
そうして、禰豆子は臆さず、上弦の鬼と対峙した。
禰豆子と炭治郎が一つずつ付けた耳飾りが、鬼の中の鬼舞辻の記憶を刺激する。
禰豆子が構えた『赤い刀』が、鬼の中の鬼舞辻の記憶を刺激する。
鬼のものではない、その鬼に鬼舞辻が与えた血に宿る記憶が、『この二人を放っておく』という選択肢を二人に与えない。
「私は私の信じる人が言ってくれたことを信じる」
「あ?」
「私はどんな鬼より美しいって、あの人は言ってた。だから貴方より不細工ってことはない」
「あ゛?」
煽の呼吸、基本その一。
鬼相手の挑発は、冷静さを失わせ、戦いを有利に運ばせる。
だから時には、心にも無いことを言って煽るくらいでいい。
禰豆子は八八の言動の基本を真似し、自分を鼓舞する言葉と、ある者への信頼の言葉を重ねて、言霊の如く強く発する。
「あの人は負けない。
負けを認めないから。
絶対に、何があっても、どんなに恥を重ねても、絶対に負けは認めないから!
―――人を苦しめる鬼が全部居なくなるまで、あの人は絶対に居なくなったりしない!」
「何意味分かんないこと言ってんのよ!」
「お前を、八さんには絶対に会わせない!」
炭治郎が頷き、禰豆子の叫びに合わせて構える。
二人でも負けるかもしれない―――そう直感的に理解しながらも、禰豆子は退くという選択肢を選べず、上弦の数字を持つ鬼との決死の戦いに突入した。
八八の体が吹き飛び、粉々になるが、一瞬の後に再生を完了する。
構えた小太刀の日輪刀が、鬼の拳に挟まれ、折られた。
「善人は油断しない悪党には勝てない、悪辣さに差があるから……
と言ったのは誰だったか。妥当な考えだとは思うが、塵屑の理屈だな」
鬼の瞳に見えるは、『上弦』『弐』の文字。
回し蹴りが八八の体を粉砕し、その肉片を地面に転がす。
一瞬で再生を終える八八だが、前後を鬼に挟まれており、打てる手がない。
「こんなつまんねえことさっさと終わらねえとなああぁあ……」
徒手空拳で八八を粉砕している鬼の反対側に居る鬼には、『上弦』『伍』の文字。
八八が左右に視線をやれば、そこには四体の氷の人形が居た。
「新宿の街中を出ないのは、拙者に大気剣を使わせないためか」
「そうだ。そう聞いている」
「……まだ人々が避難もしていないというのに。お前達は物事をあせりすぎる」
煉獄達を追い詰めるは、上弦の肆・玉壺。
その補助にあてられたのは、下弦の弐・累。
禰豆子と炭治郎が足止めするは、上弦の伍の片割れ・堕姫。
八八を囲むは上弦の弐・猗窩座。
上弦の伍の片割れ・妓夫太郎。
そして、上弦の壱・童磨が生み出し、徹底して勝機を潰すための結晶ノ御子。
―――黒死牟の時より更に、人間側の勝ち目を薄くする布陣。
されど、八八は負けを認めない。
いついかなる時も負けを認めない、ゆえに不死、なればこそ侍。
「拙者でなければこの時点で負けを認めているところだ、まったく。―――いざ、尋常に」
"早く仲間を助けに行かなければ"と己が腹の奥の肝に命じ。
八八は拾った鰹節を名刀のように構え、勢い良く飛び出した。