音柱、及びその嫁三人は前線を離れた。
嫁三人は堅気に戻って平穏に暮らしたいとのことだが、錆兎や煉獄などが天元に育手となって後進の育成に携わることを求め、天元はどうするか考えているらしい。
忍者出身の優秀な柱とくのいちがこなしていた仕事は、他の人間に引き継がれた。
その多くは隠に引き継がれたが、一部は八八にも引き継がれていた。
それが、吉原遊郭の調査だった。
天元は前々から遊郭周りが怪しいと睨んでおり、鬼が住処としていないか調べていたが、そこで見つかったのは別の話だった。
吉原遊郭と新宿遊郭で最近広がっている新興系宗教・万世極楽教が最近遊郭で広まっているという話である。
遊女が宗教に走ることは少なくないとはいえ、天元はそこに妙な引っ掛かりを覚えた。
鬼が居るなら人間を食っているはず、人間が食われているなら行方不明者が出ているはず……そう考えて調べたところ、万世極楽教の信者が定期的に消えていることも判明した。
遊女か遊郭を回している男、どちらかに鬼が居ると見ていた天元の嫁達だが、途中で方針を転換し、万世極楽教に狙いを定めた。
が。
結局吉原での調査は実を結ばないまま、天元とその嫁達は一線を退いてしまった。
それを引き継ぎ、「心残りなくゆっくり休んでいろ。いや……調査はものすごく時間がかかるのだ」と言ったのが八八であった。
この万世極楽教、どうにも教祖のカリスマで成立しているらしい。
それ自体は何もおかしいことではない。
隆盛する宗教は大体の場合、カリスマのある教祖によって隆盛するからだ。
人々は『象徴』にすがりつくがために、その象徴によって宗教の伸びは決定するのである。
教祖に会った者達が皆教祖を称える。
多くの信者が教祖に会いたがっている。
だが教祖に会おうとする者はそれ相応の上納金や貢献が求められ、教団への忠誠心や信仰心のようなものの証明が求められている。
調べるのに骨が折れるタイプの新興宗教であった。
八八は地道な調査が得意というわけではないが、普通のやり方で調べられることは軒並み天元の嫁達が調べ上げてくれていた。
となると、八八がこの案件について果たすべき役目は二つ。
『心眼による感知』と、『状況に応じた戦闘』である。
心眼を持つ八八は、隠のような探査訓練を受けた者なら誰でも気付くことに気付かず、されど一流の忍者も気付かないようなことにも気付く。
死ぬこともないため、"殺されて情報を持ち帰れない"ということもほぼ無い。
十二鬼月を殺せるだけの技も持っている。
引き継ぎの申し出を受理される程度には適役であった。
八八は天元の嫁達が作っていたツテから吉原遊郭の信用を――言語以外――得て、紹介状を書いてもらい、新宿遊郭での調査基盤を作り上げた。
紹介状というものは、他人の威を借り初対面でも一定以上の信用を得るもの。
言動などから信用を得辛い八八にとっては生命線である。
かくして八八は新宿遊郭での調査を開始した。
だがそこに禰豆子達が居るなどとは、八八は想像もしていなかった。
「爆八」
「私は禰豆子……まあいっか。爆八でいいですよ。あ、でも、話に聞く姫じゃないんですね」
「お前は兄に守られる姫ではなく、兄をも守る侍で居たいのだろう。拙者には分かる」
「わぁ……ねえねえ聞いたお兄ちゃん、この人やっぱり見る目あるよ!」
禰豆子が嬉しそうに兄に報告し、炭治郎が優しく微笑み、禰豆子の頭を撫でる。
くすぐったそうにする禰豆子が照れて、炭治郎の周りに付き添う犬や猫が可愛らしく鳴いた。
「アン八はどうした? お前達が何故単独で動いている? なぜ? バグか……」
「うっ」
「少なくともお前の兄のおにぎりは、今はまだ人喰い鬼だ。
いたずらに隊士の不安を煽ることもある。
アン八が見張ることで人と同じ自由を認められていたはずだが……」
「いやー、なんというか、たはは。
実は結構任務の時とか単独行動許されてて……
いやなんというか私がお師匠さまに頼み込んだからなんですけど……」
「悪い子だ」
「うう、悪い子ですみません……」
「いや、アン八が許しているのなら拙者が何か言うことでもない。
「むむむ、周りの目は気にしろってことですね……気を付けます!」
禰豆子と炭治郎がうんうんと頷く。
何気ない所作に血縁を感じるのは、血が繋がっていること以上に、この二人が似た者兄妹であるというのが大きそうだ。
禰豆子は現在14歳。炭治郎は15歳。
随分と年若いが、鬼殺隊では珍しくもない。
現霞柱の時透無一郎など14歳で柱となっている。
八八は禰豆子達が有望な新人として語られていることは聞いているが、若すぎる天才として語られているのを聞いたことは一度もなかった。
禰豆子の容姿の良さや、炭治郎が鬼でありながら正隊員として認められたということは、『珍しいこと』として度々聞いていたものの、そのくらいのものである。
「粗方説明は終わりだ。続きは移動しながら話そう」
「鬼は昼間出歩かないから盗み聞きされる心配あんまり無いのもいいですよね」
「鬼殺隊らしいことを言うようになったな爆八。らしくなってきたな」
「えへへ」
「ただ……そうだな。この街に限っては、そうでもない」
「?」
三人が外に出て歩き始めると、八八の視界の隅に『よくない客引き』が映った。
格が低い遊女は、天下の往来で性的欲求を引き出す誘惑を行い、時には客の荷物を引っ張ってまで引き止めて表通りで堂々と客引きを行う。
八八は禰豆子の教育に悪そうなそれらを、自分の体を壁にして目に映らないようにした。
が、その行動が、禰豆子には少し不評であった。
気遣いは嬉しいが、ちっちゃな子供扱いされたように感じてしまったのである。
「……もう! 子供扱いしないでください!」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」
「してますー!」
「すまぬ」
「あのですね……私は来年にはもう結婚だってできちゃう歳です!
お兄ちゃんだって二年後にはカナヲちゃんと結婚できちゃう歳なんですからね?」
「そうだな……ん? いや待て。
お前達そういう関係なのか? いや好き合ってるなら良いとは思うが……」
「いやそういう関係じゃないですけど。ただ私が推してるだけです」
「……」
「お兄ちゃんに相応しそうなのは年増を除くとカナヲちゃんくらいのものですからね」
「……恋の経験もないくせに恋に興味津々な妹を持つと大変だな。妹が物事をあせりすぎる」
炭治郎が苦笑して、頬を掻いた。
八八の子供をあしらうような姿勢に、禰豆子は更にぷんすかする。
「恋の経験も無いとか適当言わないでくださいー。心眼が曇ってるんじゃないですか」
「見栄を張る処女の説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」
「しょ……ふ、不潔ですよ! 八さんがそんな人だと思いませんでした! もうっ」
すねたような禰豆子の顔が一瞬でかっと赤くなり、八八と炭治郎を置いて駆け出そうとするが、その手を炭治郎が掴み止める。
言葉なく妹を止めた兄と"無言の意思疎通"ができるのは、妹の彼女だけだった。
「止めないでお兄ちゃ……え、あ、うん、そうだね。
すみません、行き先も聞かないで適当な方向に走り出そうとしちゃって……」
「今のは拙者も悪い大人だったな。すまぬ。
爆八がどう思おうがどこに行くかはオレが決めることにするよ。行き先教えていースか?」
「はーい」
八八達が向かったのは、新宿北東、成覚寺。
新宿遊郭の遊女達の『投げ込み寺』である。
誰も埋葬しない遊女達は死ねば服や金目の物を剥ぎ取られ、この寺に投げ込まれたという。
ここに葬られた名もなき遊女達は一説には3000を超えるとも言われる。
葬られた遊女の8割から9割は19歳から24歳までに死亡しており、ゆえにか『この時代の遊女は25歳まで生きられないのが定説だったのでは』と考える者も居るほど、皆短命だった。
この寺は死んだ遊女や身寄りのない人間の記録を取っており、記録から百数十年経った後の時代にまで残り、貴重な歴史の参考資料になったという。
八八は成覚寺の住職に頭を下げ、寺の記録を閲覧させてもらっていた。
「これと、これと、これか。手がかりがありそうなのは」
「中身も見ないでどうやってどの資料が手がかりになるって分かるんですか?」
「心眼だ」
「心眼って言えば何でも通ると思ってませんか?」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」
「もー、そればっかり。お兄ちゃんも変だと思うよね? ね?」
禰豆子はどうやら資料の整理・調査などの事務仕事はあまり得意ではないらしい。
時折八八に話しかけつつも、八八の邪魔にならないように脇にどいて、喋れない兄が退屈しないよう、兄にも話しかけていた。
「鬼に殺されたと思しき女を見つける姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」
「え、鬼!?」
「『熊に食われたと思われる女の死体』
『"食いかけ"という表現が実に似合う』
『しかし熊が冬眠するこの季節に熊に食われるものだろうか』
『死体を寺に投げ込んでいった男には見覚えがある』
『あれは街で万世極楽教という怪しげな宗教の勧誘をしていた男だ』
と走り書きが残っているな。
鬼の食べかけの女の死体を、哀れに思った信者が寺に葬りに来たというところか」
「ほへー。優しい人も居たものですね……」
「どうだろうな。
優しくない人間でも哀れな者へ同情することはある。
優しさではなく愚かさで善の行動を取ることもある。
この世界に絶対はない。
現にその信者は次の死体をこの寺に捨てに来ていない。
……"命"を失ったな。
食べかけの女を寺に葬ったことで、鬼に罰として殺されたのかもしれん」
「……」
「ちょうどこの出来事の80年前にも似た事例がある。
この記録のこの部分だ。
おそらく定期的に『気付いた善意の者』が教団に現れ、消されているのだろう」
「え、どこですか? どれです?」
禰豆子がずい、と身を乗り出す。八八の体と密着するようにして記録の書を覗き込む。
ふわり、と、髪からいい香りがした。
八八は『年頃の娘御がなんと警戒心のない』と眉を顰める。
炭治郎が困ったような表情で、苦笑していた。
「でも80年前なんて離れてると、別の鬼が食べた死体じゃ? って思っちゃいますね」
「上弦の鬼は百年ほど入れ替わりせず上弦の鬼のままだ」
「……ああ、なるほど!」
「それに記録残されている死体の異様な傷の跡が同じだ。
鬼は食い方に個性が出る。
もちろん、偶然の一致ということもあるだろうが……同一の鬼と見ていいと思う」
「心眼ですか?」
「いや、勘だ」
「なるほどー……勘は大事ですね。
お師匠さまも
『禰豆子君! 直感を信じろ! 自分を信じろ! それが一番大事だ!』
『心の叫びを聞け! それを聞けない者は長生きできん!』
とかしょっちゅう言ってますし。蜜璃ちゃんも私も耳にタコができるくらい言われました」
「いや物真似めっちゃ上手いな爆八」
「いつも一緒に居ますからね!」
禰豆子が得意げに笑み、胸を張る。
炎柱煉獄は彼女の師であり、恋柱甘露寺は彼女の姉弟子である。
継子は師と共に活動することも多いため、禰豆子は師の物真似が上手かった。
八八は己の担当の鎹鴉・早太郎を呼び、現時点での確定情報を書いた紙を持たせた。
こまめな連絡は鬼殺隊全体の利益になり、情報の断絶を起こさない。
「この連絡を頼む」
「ほーほけきょ」
「貴様カラスだろ」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言えるカァー」
「すごい、このカラス、八さんをおちょくってる……」
早太郎はカラスらしくない得意げに勝ち誇った表情を見せた後、八八に背を向け飛び立とうとして、炭治郎の周りに居た犬猫軍団に飛び掛かられた。
猫と犬の数の暴力に抑え込まれ、語録の力も歯が立たず、床に転がる。
「カァー! この低俗なゴミ畜生カァー! オレが次の流星武神不動明王だカァー!」
「あの……助けなくていいんですか……?」
「放っておけ」
語録カラスを放置して、八八達は外へ出た。
日が沈み始めている。
もうすぐ夜が来る。
鬼の時間だ。
「それにしても80年前にはあった宗教団体なのに、新興宗教なんですね」
「あまり明確に決まっているわけではないが……
ここ百数十年の間に発足したものなら、新興宗教扱いになるらしい」
「へぇー……」
「米国はここ200年ほどの範囲で見るとか。己の師にくわしく聞くといい」
「お師匠さまはそういうの知らない気がしますね……」
「万世極楽教の歴史は150年もない……で……それが何の役に立つ!」
「私に聞かれても困っちゃうなぁ」
夕日が赤々と輝いている。
八八は内心が読めない目でそれを見つめ、炭治郎は少し眩しそうにして、禰豆子は格別綺麗な今日の夕日に目を輝かせた。
「わぁ……綺麗……!」
「『夕日より君の方が綺麗だよ』とでも言われたいのか? この……うどん職人がァ!」
「えええ!? い、いや違いますよ! そんなこと思ってません!」
「半分は当たっているはずだ……耳が痛いだろう……」
「全部当たってません!
……あ、でもでも、それって八さんが私を美しいって思ってるってことだったり?」
禰豆子がちょっとした思いつきで、八八をからかおうとする。
「ああ」
「え、ちょ、そこは否定するところじゃ」
「人の世界に守る価値があるのは、この夕日より美しいもので溢れているからだ」
人の営み。
心の繋がり。
ささやかな幸せ。
命が生の中で生み出す何か。
「お前は"美しいもの"だ。ただそれだけで価値がある。そうだろう、おにぎり」
妹を褒められ、炭治郎が力強く頷いた。
禰豆子は八八をからかおうとしてカウンターを貰ったことで、照れから頬を赤く染める。
「うぅ……なんかからかわれてる気がする……」
「さて」
八八は日輪刀の小太刀を抜き、会話の中で何気なく、友人との会話の途中にポケットに手を入れるくらいの自然な動作で、それを投げた。
普通に会話をしている中での突然の投擲。
それが狙われた服の脇を貫き、その向こうの木の建物の外壁に刺さる。
あまりにもごく自然に投げられたがために、『その男』は自分の服の脇が小太刀に縫い留められるまで、小太刀を投げられたということにも気付いていなかった。
「ひっ」
悲鳴を上げた男の首元に、八八がそっと手を添えた。
男は眼鏡越しに八八の目を見る。
宇宙のように深い色合いの瞳が、何もかも見透かすように、男を見つめていた。
「答えなくていい。万世極楽教の信者だな」
「え、な、なんで」
「茶屋から尾行していただろう。この体になって心眼が開花した。少しだけ本物を見定められる」
「……???」
「昼は人間、夜は鬼が使えるか……何もかもが厄介だ。なんとなく話が見えてきましたよ」
空気が変わっていく。
それは近寄る何かの気配ゆえか。
近寄る何かを感じた彼らの雰囲気の変化ゆえか。
何にせよ、戦いの前兆が場に染み込んでいく。
戦いの時間だ。
「八さん、お兄ちゃん、近いよ」
「お前も運が悪かったな。随分早いが、鬼の時間だ」
八八は"鬼の走狗と化していた人間"も見捨てず、服を縫い留めていた小太刀を引き抜き、男を庇うように構える。
その左右で、刀を抜いた禰豆子と炭治郎が構えた。
赤い刃と青い刃が、八八の左右できらりときらめく。
『昼』を『夜』には変えられないが、『夕』を『夜』に変えることができる血鬼術が、その場を飲み込んだ。