今回の話を作るにあたり特殊タグのアドバイスをくださった山石悠さん、劇鼠らてこさん、相談場所を書いてくださったハーメルンディスコのてとさんにお礼申し上げます
『桃太郎の鬼退治はこんな戦いだったんだろうか』と、隠の
目にも留まらぬ速さ。
目を疑う威力。
目が回るような速度で跳び回り、人目を引く技を見せ、繰り返される目が眩むような攻防。
柱はどこまでも人らしく、黒死牟はどこまでも鬼らしく戦う。
有一郎にとっては理解の範囲外にある、天上の世界の戦いであった。
「めちゃくちゃかっけェ……」
兄・有一郎と弟・無一郎。二人は双子の兄弟である。
両親を無くした二人は紆余曲折を経て、始まりの呼吸の剣士の子孫として鳴り物入りで鬼殺隊に入隊した。
だが悲しいことに、双子の剣才は天と地ほどに離れていた。
弟の無一郎は刀を握ってから二ヶ月で霞柱となる才能を見せ、兄の有一郎は二週間で語録を極める才能を見せ有能な隠となった。
選ばれた一握りの者のみが参戦できる、選ばれし者の領域の戦い。
この戦いは、無一郎には見えていても、有一郎には見えていない。
もちろん、遠くから見ている他の隠達も見えてはいなかった。
黒死牟が、吠える。
それはもう技ですらなかった。
何かの技を放っている感覚すらなかった。
黒死牟が極めたどの技ですらなかった。
月の呼吸の壱ノ型から拾陸ノ型が全て混ざり、全てが同時に放たれ、その結果どの型よりも下等で貧弱な攻撃になっている。そんな、惨めな攻撃だった。
されどまだまだ威力は脅威。
黒死牟の鬼としての力は上弦の肆から陸程度にまで落ち込んでいたが、鬼の力を最高効率でブーストする月の呼吸はまだまだ健在。
その攻撃は、数の不利を補ってあまりあるものだった。
不格好な月が、四方八方に連射され、空間を埋め尽くす。
だが。
ここには。
冨岡義勇が居る。
誰もが彼の実力と技量を信頼し、その背後に回った。
凪によって義勇の剣の届く範囲の月は全てかき消えていき、義勇の背後に回った人間に月は傷一つ付けられない。
集団戦で飛び道具相手、となれば義勇は無類の強さを誇る。
彼の背後全てが安全圏となるからだ。
無一郎に抱えられた八八、有一郎に抱えられた真菰もまた、義勇の安全圏に守られていた。
「アンリミテッド八……リミテッド八……」
「無一郎と有一郎です。お久しぶりです。でも僕と兄のこの変な呼び方が……これが……!」
「師父八八……お疲れ様です。そのお体を見れば奮闘していたことが分かります」
「兄さん、目を覚まして」
「お前は物事をあせりすぎる」
「無一郎……お前もいずれ分かる時が来よう」
「焦ってないし分かりたくないんだよ」
有一郎に師父と呼ばれる八八。
無一郎に冷たい目で見られる八八。
だがその目は、有一郎に背負われ浅い呼吸を繰り返す重傷の真菰と、錆兎に抱えられている重傷の天元に向いていた。
八八は双子の兄弟を叱咤する。
「頑張れ、適当有一郎。適当無一郎もだ。若い身空で無理をして死ぬなよ」
「はい師父!」
「適当なのはあなたの名前の覚え方だ」
月の呼吸の連打が一瞬止み、義勇の背後から柱達が飛び出した。
有一郎と無一郎も抱えていた人間を降ろし、後に続く。
「うむ。では俺が先陣を切ろう!」
誰よりも速く、誰よりも強い勇気を見せ、真っ先に切りかかったのは、炎柱・煉獄。
俊足の踏み込みから横薙ぎ一閃。黒死牟はそれを七支刀もどきで受け止める。
今の黒死牟はあまりにも常識外れで、あまりにも異様な鬼だった。
左半身がない。頭も無い。二本の右腕で刀を持ち、四本の右足で立っている。
体の至るところから生えた触覚がピクリピクリと動き、煉獄の動きを見切っていた。
今や、どこが急所であるかすらも分からない。
「……目も無いというのに、どう正確に見ているのやら!」
更に一瞬で、腕と刀が増えた。
"対応"である。
黒死牟には見えていた。
右から迫る悲鳴嶼も。
左から迫る錆兎も。
背後から迫る実弥も。
四方四人の柱全てが見えていたために、肉体が更なる異形へと変じたのだ。
体の左側に右腕が更に二本生え、肉から生えた七支刀もどきを握り、全身から更に刀と、腕の出来損ないのような――イボ状の岩石のような――触手が生えた。
「!?」
体から生えた刀が、錆兎の刀を受ける。
蠢く触手が、悲鳴嶼の投擲した鎖付き斧を受ける。
体の右側に生えた右腕の構えた刀が、煉獄の追撃を受ける。
体の左側に生えた右腕の構えた刀が、実弥の追撃を受ける。
体の右側に生える前向きの二本の右腕は、刀で前の敵を殲滅する。
体の左側に生える後向きの二本の右腕は、刀で後の敵を殲滅する。
間違いなく人体のパーツを使っているのに、人体の条理を超越した異形。
片側にしか曲がらない右腕も、片側にしか曲がらない触手も、反り返る刀も、それら全てがそれぞれ違う『壊れかけの三日月』に見える。
壊れた月で体を覆い、壊れた体と心を守る鬼。
それ以外の何も守れない鬼。
空には大気剣で端が壊れた月が在り、地上には劣等感で壊れ果てた月が在った。
「そうまでして死と敗北を拒むか……なんと醜い……!」
柱達四人がかりで四方から囲み攻めても、異形の防御で生き残る。
四本の右腕、二本の刀、その防御の隙間を生えては消える強固な触手と刀が埋める。
防御の形に隙がない。
しまいには四方八方に月を放ち、殺せはしないものの四人まとめて押し返してしまう。
多対一を苦にしないこの鬼に、不死川実弥は舌打ちし、仲間に叫んだ。
「気を付けろォ!
こいつ、刀を肉から作ってっから、刀より硬ェ肉を作り出しやがるッ!!」
かつてないほどの数の柱を投入しているのに容易に押し切れない。
均衡を破れば一瞬で終わる、と『全柱最強』の悲鳴嶼は考えていたが、その均衡を破るために必要な要素が足りていなかった。
まず、身体能力が足りない。
ここには柱と柱に並ぶ実力者が集結し、それぞれが十二鬼月の下弦を瞬殺するほどの強さを持っているが、それでもまだ足りない。
首をなくしてすら死なない黒死牟を殺し切る『攻撃力』が足らないのだ。
そして連携力も多少不安な部分がある。
柱は常に忙しく、全員で任務にあたることも、その準備をすることもない。
彼らは最上位の戦闘技術を持ち、初見の仲間にも合わせて戦うことができ、この戦いも一般隊士から見れば完璧な連携を見せていた。
だが、理性があった頃の黒死牟からするとまだ拙く、あまりにも未熟な連携だった。
柱が集まって合同訓練でもしていればまた違ったかもしれないが、それもない。
で、あれば。
柱が全員全力をぶつけ続け、黒死牟が隙を見せる瞬間を待つくらいしか手はないだろう。
されどここに来て、黒死牟は二本の七支刀もどきと体から生えた数本の刀から、数倍規模に発射数を拡大し、月を放ってきた。
「なんだこの鬼……!?」
自らの肉体を自壊させるほどの出力を無理に出し、数と連射速度を引き上げる。
自分の技で自分を壊せば壊すほどに、肉は鬼の血で再生し、人間だった部分は加速度的に異形のものに置換され、技は更に変化していく。
人の技が、鬼の技に成り果てていく。
鬼の黒死牟が人の黒死牟を否定していくような、肉と技の置換。
人の剣の技を極めてきた黒死牟に対する、侮辱に近い存在の陵辱。
いつだってそうだ。
今も、昔も。
黒死牟を誰よりも侮辱するのは、黒死牟自身である。
鎖付きの鉄球と斧で月を片っ端から粉砕し、悲鳴嶼は"柱の筆頭として"叫んだ。
「迂闊に攻めるな!
回避と防御に注力しろ!
でなければやられるぞ!」
悲鳴嶼と共に一番前に出ていた実弥、錆兎、煉獄が頷き、四人の攻防に合わせようとしていた他の柱達も頷く。
"まだ逃げ切れていない最後の二人"である八八と真菰を、蛇柱伊黒と恋柱甘露寺が抱え、飛来する月の当たらぬ隙間に滑り込んでいた。
戦闘は一瞬一瞬の連続だ。
その一瞬一瞬に、黒死牟は全方位に攻撃を連打してくる。
直進する月。
上に飛んだ後、少し経ってから降ってくる月。
明後日の方向に飛んで行ったと思ったら、曲がって戻って来る月。
隠達など、もう戦場に近付けもしなかった。
すぐに八八達全員を逃せない。
それだけの余裕と時間が得られない。
黒死牟の技が荒れていなければ、彼らが柱でなければ、今頃どうなっていたかもわからない。
「ひゃああああー!
ま、まこちゃんまた傷が開いて……
これ駄目だわ伊黒さん!
攻撃を回避できるだけの速度で運ぶと傷が開いちゃう!
せめてこのお月様を止めてからじゃないと運んでる間にまこちゃんが死んじゃう!」
「落ち着け甘露寺。無駄に頭数は揃ってる。気を抜かなければ万が一の事態も無い」
「そ、そうね! 私達がしっかりしないと……!」
真正面から黒死牟が直線的に放った月が、空に放たれ落ちてきた月が、放たれた後旋回して前後左右から迫る月が、真菰を背負う甘露寺と八八を背負う伊黒に迫る。
伊黒は首に巻き付く蛇を撫でながら、舌打し、喋る余裕もなさそうな八八を背負い続けながら、悪態をついた。
「狙いはキチ八か。面倒な」
そこに、胡蝶姉妹が援護に飛び込んで来る。
「姉さん、気を付けて」
「ええ、しのぶもね」
花のカナエ、蟲のしのぶ、恋の甘露寺、蛇の伊黒が、打ち合わせの言葉も無しに"息を合わせ"、"呼吸を合わせ"、四方を四人で分担した。
四方八方から迫る、一方向からの月だけでも八八が捌けない数の月の群れを、彼女らは余裕綽々で切り落とす。
甘露寺は背負う真菰を揺らさないよう、伊黒も八八を優しく背負ったまま、胡蝶姉妹は防御迎撃が比較的得意でないにもかかわらず美麗に月を切り落とし、見事に仲間を守りきっていた。
四方八方から飛来し続ける月の群れの密度が、多少下がった――悲鳴嶼達が黒死牟に連続攻撃を仕掛け月の密度を下げてくれた――ことで、伊黒達は深呼吸して息を整える。
神速の接近戦と圧巻の広範囲制圧を並行して行う黒死牟。
伊黒は忌々しげに舌打ちし、甘露寺は理性があった頃の黒死牟を想像して身を震わせた。
「不死の男を無駄だというのに切り刻もうとするとは、外見だけでなく思考もおかしい鬼だ」
「そこまで思考がおかしくなっていなかったら……そ、想像しただけで怖いわ……」
「姉さん、私と姉さんで伊黒さんと甘露寺さんを守って離脱できると思う?」
「難しいと思うわ。あの鬼さん、ちょっと八六くんを目の敵にしてるみたいだから」
妹の提案に、カナエは真剣な顔で目を細めた。
見据える先は黒死牟。
鬼舞辻の直下で、全ての鬼の頂点に立っていた男。
八八が小さく呻き、呟くように自分を背負う伊黒に声をかける。
「黒八……」
「なんだ? つまらん用だったら斬るぞ。黙って大人しく休息に専念しろ」
「鬼殺隊の呼吸の技はやたら多い上に全部見分けるのが難しくてややこしいな……」
「……この
伊黒の剣は邪剣にして蛇剣。
蛇のようにうねる剣は常識外れの曲がり方を見せ、異様な剣筋で月を切り落としていく。
背中側でたわけたことをほざいている八八を、伊黒の手の平がぺとぺち叩いた。
「甘露姫、真菰姫を頼んだ……」
「ええ! まっかせておいて! 私、ちゃんと守りきって見せるから!」
「かたじけない」
「もう絶対許さないんだからあの鬼!
はっちゃんもよく頑張ったわ! だから気に病んじゃダメだからね!」
甘露寺蜜璃は筋肉性能が通常の人間の八倍ある特殊体質の剣士である。
柱九人の中では腕力六位とさして高くはないが、女性としては規格外なほどに力が強く、女性ゆえの柔軟さを持つがゆえに剛柔自在の強さを持つ。
体質だけでなく刀も異様で、インドの殺人武術カラリパヤットの剣ウルミ――柔らかい鉄で作られた薄く長い鞭剣――に似た刀を使っている。
攻めれば奇剣で、守れば堅固。
長い鞭の刀を、ここに居る四人の中で最も強い腕力で振るう甘露寺は、四人の中で最も広範囲の攻撃を打ち落とす守りの女であった。
本人の優しい性格もあって、甘露寺蜜璃は弱りきった仲間を守ることに向いている。
そしてしのぶは、そんな甘露寺に突如顔を向けた。
「え、ちょっと待ってください」
甘露寺に、ではなく。甘露寺と八八に戸惑いと疑問の入り混じった声を向けるしのぶ。
「私しの八なのに甘露寺さんは甘露姫なんですか? 八八さん」
「そうだが」
「そうだがじゃないんですよ」
胡蝶姉妹の動きは、まるで蝶のよう。
軽やかなステップで跳び回り、月を容易に突き砕き、ヒットアンドアウェイを得意とするにも関わらず見事に防衛戦もこなしてみせていた。
彼女らの剣は剛剣ではなく柔剣。撃剣ではなく華剣である。
この時代、"花の剣"と言えば見せかけの剣のことであった。
江戸時代に見せかけの美しさを取り入れた剣は花法、華剣と呼ばれ、見下された。
剣術は以後の時代に華剣要素を排し、やがて剣道などの形を確立していく……そんな流れの中にあるのが、この大正時代である。
花の剣とはこの時代、弱者の見せかけだけの剣というのが一般的だ。
だが水の呼吸から派生した胡蝶カナエの花の呼吸、花の呼吸から派生した胡蝶しのぶの蟲の呼吸は、華剣に分類される美しさを持ちながらも、美しさと実力を兼ね備えた花法であった。
「違うんです!
甘露寺さんが姫扱いなのは分かるんです!
そこは素直に同意できるんです! 可愛い人ですし!」
「しのぶちゃん……! ありがとう!」
「あ、はい、どういたしまして。
甘露寺さんは普通に姫みたいな性格ですから自信持ってくださいね。
いやそうじゃなくて。
甘露寺さんが姫なら私も姫で良いんじゃないですか!?
なんで私しの八なんですか!?
姉さんカナエ姫で甘露寺さん甘露姫で真菰さん真菰姫で私しの八!」
「お前もいずれ分かる時が来よう」
「分からないから聞いてるんですよ! 今! ここで! しの八が聞いてるんですよ!」
しのぶも、カナエも、美しい女性で、細身の女性である。
甘露寺蜜璃が八倍筋肉を持つゴリ柱ならば、対比でガリガリの爪楊枝とすら言える。
カナエには花の呼吸で押し切れる極めて高い技量があり、大きな月を切り砕く。
しのぶは毒が効かない月に苦戦するが、小柄で細身であるがゆえの身軽さで、小さな月を的確に突き砕いていく。
姉妹の防戦は硬くもなく強くもなかったが、ひたすらに速く上手かった。
「私の方が……まだちょっと姫感あるんじゃないですか!
少なくとも腕力とかは姫感ありますよ! くっ、もっと腕力欲しかった……!」
「お前は物事をあせりすぎる」
「いやまあ?
百歩譲ってしのぶなら許しますよ!
姉さんと名字被りですし!
正直名前呼び許してないのでイラッとはしますが、まあ許します!
でも八って! なんで八るんですか!? 甘露寺さんより私の方が腕力は姫よ!?」
それは、幻想的な光景だった。
カナエ、しのぶ、伊黒、甘露寺。技量が高いがために奇剣の類となった呼吸を使う彼女ら四人の戦いは、これが血なまぐさい戦いであることを忘れさせる。
知識がある者ならば、色々な連想と想像をするかもしれない。
胡蝶姉妹は童話の蝶。
伊黒は神話の蛇。
甘露寺は花の蔦で遊ぶ妖精か。
鬼という異形、月という幻想、それに半歩分現実離れした四人の奇剣がよく映える。
「今姫呼びするなら許しますが!」
「しの八、戦いに集中しろ」
「してますよ! 今あなたの顔にぶつかりそうになってた月砕いたの誰でしたか!?」
「よかったな……で……それが何の役に立つ! 真菰姫の方でも守っていろ!」
「こんの……ああ言えばこう言う! 腹立ちますね! 口閉じて休んでてください!」
「姫呼びのことはいいのか」
「はぐらかして間を置いてから蒸し返すから腹立つ!
なんですか! 何が足りないんですか!
顔!? 性格!? か弱さ!? 乙女度!?
いや本当は姫呼び自体はどうでもいいんですけど!
甘露寺さんまで姫認定で私が姫認定じゃないのはちょっと納得できません!」
「甘露姫は甘口で、お前は拙者に辛口で厳しい。気を付けろ胡椒しのぶ」
「胡蝶です! はっ倒すぞ! あーもうっ!」
黒死牟は本能的に八八に攻撃を集中している。
それは八八が発した言葉が、黒死牟が絶対に許せない言葉だったから。
脳を失い、意思を失い、全身に分散した神経機能で動物的に攻撃を繰り返す鬼と成り果てても、まだ失われないものがある。
―――オレも自分が、弟の縁壱君より素晴らしい侍だって思っていースか?
黒死牟は、他の何を許せても、それだけは絶対に許せなかった。
この世の誰にもそんなことを言うなんて、許さなかった。
未来永劫誰にも許さない。継国縁壱よりも素晴らしい侍なんて、思うことも許さない。
何もかも失っても、心さえ失っても、黒死牟の中には消えない想いがただひとつ。
継国縁壱こそが、この世で最も素晴らしい侍だったと、黒死牟は迷いなく思い続ける。
月は絶え間なく八八に向かう。
それが戦いの流れを人間側に、徐々に徐々に傾けていた。
黒死牟の攻撃の多くを引き寄せ、それをしのぶ達が叩き落とすことで、黒死牟に接近戦を仕掛けようとする悲鳴嶼達が結果的に楽になっていた。
勝機に繋がるか細い道が見え始めたことに微笑み、カナエは苦笑して八八に話しかける。
「ごめんなさいね、うちの妹がやかましくて~」
「カナエ姫の妹御らしくよい子だ」
「あら、ふふふっ。八六くんはしのぶには褒めることしか言わないわねえ」
「姉さん!」
「この気遣いは拙者にはもったいないほどだ。
黒八、降ろせ。
拙者を放って真菰姫を後方までゆっくり逃がせ。
大丈夫だ、その辺に転がしておけばいい。
後で細切れになって地面に埋まっていても掘り出せばまた戻る」
「俺がお前の言うことを聞いてやる義理がない。黙っていろ」
「半分は当たっている。耳が痛い」
「全部当たっている。黙っていろ」
伊黒の拳が、背負われた八八の顔面に叩き込まれた。
ぐえっ、となった八八だが、このまま自分が放って置かれないのであれば次手が打てず、うっかりした時に誰かが月に裂かれてしまう、とも考えた。
周りの人間は好きで八八という荷物を背負い、仲間が八つ裂きにされないまま勝利する道筋を探しているのだが、八八にとってそれはあまり好ましくない。
不死身なのだからもっと雑に扱ってほしいのだ。
だがそうしてくれないなら、この状況でせめて自分にできることをしよう……と考えた。
「"勇"を失ったな……なら、一石二鳥。
オレも放っておかれないこと利用した一手打っていースか? 師匠! 師匠っ!」
「む。構わんが、大人しく休んでいてくれた方が、心配がなくてこちらはありがたい」
遠くの悲鳴嶼に呼びかけ、許可を取る。
律儀な男だ、と悲鳴嶼は思った。
何するか分からんな、と悲鳴嶼はちょっと不安にも思った。
「リミテッド八! 遠くから見ているのだろう! カツ丼とうどんのセットを頼む!」
八八はそう、遠くから戦況を見守る隠達の中の有一郎に向けて叫んだ。
梱包されたうどんとカツ丼が遠くから射出され、八八の手元に辿り着く。
黒死牟の恐るべき確死の脅威が迫る中、八八は伊黒の上で必死にカツ丼を食っていた。
「■■■■■■■ッ―――!!」
黒死牟の月が奔る。
振るわれる二本の七支刀もどきは止まらない。
大きな月を柱が切り砕けば、その向こうには小さな月の群れ。
絶え間ない脅威は鬼殺隊に微塵の油断も許さない。
「ハムッ、ハフハフ、ハフッ」
八八の食欲が箸る。
振るわれる二本の箸は止まらない。
大きなカツを箸が切り開けば、その向こうには汁を吸った米の群れ。
絶え間ない旨味は八八に微塵切りの生姜を味わう余裕も許さない。
仲間のため、勝利のため、怒り狂う狂気の黒死牟に見つめられながら、八八はカツ丼をかっこんでいく。
あまりにも急いで食いすぎていたがために、八八を抱えていた伊黒の背に盛大に米が落ちまくっていた。
「おいご飯粒を落とすな張り倒すぞ! さっさと食い終われ!」
「ハムッ、ムシャムシャ、ズズッ、ングッゴホッゴホッガハッ!」
「急ぎすぎるな喉に詰まらせるなゆっくり食え!」
戦場に満ちる緊張感。
命のやり取りをする臨場感。
一歩間違えれば即座に死にゆく、限界ギリギリの領域の空気。
鬼殺隊の彼らにとって黒死牟は間違いなく過去最強の強敵であり、黒死牟にとっても指折りの強敵であった。
黒死牟にとっての過去最強の強敵は模擬戦で戦った縁壱であったが、今戦っている彼らが黒死牟の命を刈り取る可能性がある以上、これは生死をかけた戦いである。
誰も彼もが命がけだった。八八以外。
八八の鍵ライフ値は摂取したエネルギーによって回復速度を引き上げることができる。
侍の諸々の回復速度には個人差があるが、八八は肉体の再生速度が速く、鍵ライフ値の回復速度が速くないというタイプである。
食って食って底上げしなければ、鍵ライフ値の回復など見込めるはずもない。
彼は必死に戦う皆と共に、必死にカツ丼を食べ、舌鼓を打ち、回復に専念していた。
たった一度。あと一度。仲間を助けるための金剛夜叉流の一撃を、打ち放つために。
「気を付けろ、皆の者。
奴は侍としての心構えを履き違えている。
侍の前にちゃんとした武士であるべきだ。
そして武士の前に……ちゃんとした
八八の鼓舞に、黒死牟の憎悪が膨れ攻勢が勢いを増し、攻撃の粗が格段に増え、その攻撃の多くが八八へと向いた。
黒死牟の近くで七支刀もどきに弾き飛ばされ、追撃の月に切り刻まれそうになっていて、八八の挑発で攻撃がそっちに行ったことで助かった実弥が、呟く。
「それはそうなんだがお前にそう言われて腹立たねェ侍いねえだろォ……」
黒死牟が八八を狙っていることが判明したため、八八と八八を背負う伊黒は二人一組で黒死牟の攻撃を引き付けていた。
速く動かせない真菰の方へ攻撃を行かせないため、真菰を戦場から離脱させるため、仲間へ向かう月の数を減らすため、彼らは囮の役目を吟じる。
仲間が援護してくれるため、かわさなければならない月の数は随分少なかったが、それでも人一人背負って回避を続けるのは中々に困難であった。
「大丈夫か黒八? 危険になれば拙者を投げ捨て回避に専念しろ。お前は不死ではない」
「鬱陶しい。余計な心配をしてまともな人間気取りか? 黙って食って回復に専念しろ」
「む」
「自分がきちんと専念していないのに他人に専念を強要するな、腹に据えかねる」
「拙者は腹が膨れてきた」
「そうか、俺は腹が立ってきた!」
伊黒と八八のサポートに入り、二人に迫る月を消した義勇が二人に背を向けたまま、「んんっ」と小さな声を漏らした。
「おい冨岡、今笑ったな?」
「俺は笑ってない」
「どいつもこいつも……!」
八八がいつも通りであるというだけで、仲間達は皆なんとなく勝てる気がしてきてしまうというのが、本当にタチが悪い。
真剣味は薄れていない。
誰もが真面目に戦っている。
戦っているのだが、何人かは自然と口角が上がってしまう。
それは油断でも、慢心でも、緩みでもない。
希望だ。
誰もが勝利を確信し、戦っているがゆえの希望。
そんなはずはないのに。
確証なんて何もないのに。
皆何故か、"それ"を確信しながら戦っている。
『誰も死なないまま皆笑ってこのまま勝てる』と。
悲鳴嶼が、最年長の柱として大きな声を上げる。
「攻めるぞ。
奴がこちらにまともに攻撃する余裕をなくすほど、攻める!
ここまで戦い抜いてくれた仲間を死なせるな!
ここまで仲間が繋いだものを無為にするな! 鬼殺隊の本懐を果たせ!」
その号令が、柱を一斉に動かした。
「あんまり兄さんに情けないところ見せてられないんだよね、僕は」
霞柱・無一郎の緩急をつけた斬撃が、黒死牟の背中に当たった。
誰にも真似できないほどの緩急は優れた動体視力でも追うのは難しく、追うのに必要なのは膨大な戦闘経験を活かした判断力である。
少し前ならともかく、今の成れ果ての黒死牟では難しい。
いや。
きっと、攻撃が当たった理由は、それだけではない。
こんな風に成り果ててなお、黒死牟には忘れられないものがある。
―――継国の者として。何より兄上の弟として。兄上に情けないところは見せられません
"付け入る隙"はきっと、体ではなく、心の方にあった。
無一郎の一閃にぐらついた黒死牟を見て、悲鳴嶼が畳み掛ける。
「勝機!」
棘付きの鉄球が空高くから急降下し、黒死牟に叩きつけられる。
完全に怪物と化し、刀を超える硬度と強靭さを持っていた黒死牟の体が、ミシリと悲鳴を上げ、硬い部分にヒビが入った。
黒死牟は無一郎の攻めで僅かに動揺し、僅かに姿勢を崩したものの、先程までと同じように怒涛の月を放たんとする。
が。
その動きが、まるで"飲みすぎた酔っぱらいのように"ふらつく。
黒死牟が『風上』を見ると、そこには自分の腕を刀で斬って血を流し、
「お、効いてきたかァ? こいつは八八のクソ野郎から聞いた話なんだが」
実弥は"稀血"。
八八が潰した童磨の野望の、稀血牧場で繁殖されようとしていた稀血である。
稀血の中でも極めて希少な実弥の血は、鬼を強烈に魅了し、香りだけで鬼を酩酊させる。
並の鬼では普通に動くことすらできなくなってしまう。
なればこそ、実弥もまた義勇と同様、集団戦に極めて高い適性を持っている。
鬼が1体でも100体でも、香りだけで効果がある実弥の血は等しく効果を発揮する。
味方が0人でも100人でも、人間には効果がないため問題がない。
そして今なら、風上から血の効能を流し、理性を失った黒死牟に気付かれない内に大量の成分を吸わせていける。その間の戦闘を任せることができる仲間達がいる。
実弥の血は、鬼にとって、集団戦に決して持ち込まれたくない悪魔の固有技能であった。
今、実弥の代理として強力な鬼の討伐に従事している弟の玄弥を想い、実弥は刀に付着した血を振り落とす。
仲間達がここに送り出してくれた。信頼できる柱として。
弟がここに送り出してくれた。信頼できる兄として。
だから応えようと―――そう思うのだ。
でなければきっと、弟に胸を張れる兄ではいられないから。
「酒天童子だかなんだか知らねえが、大昔から鬼は酔わせて殺すのが定番なんだとよォ」
『生まれつき実弥が持っている毒のようなもの』を食らわせたなら。
次は、『作り上げた毒』を食らわせる番だ。
無一郎が最初に月の隙間をくぐり抜け、無一郎が作った隙に悲鳴嶼が滑り込み、実弥の血が効いたところで、月の合間を風のようにくぐり抜けていく胡蝶姉妹。
しのぶの突きと、カナエの体重を乗せた回転剣閃が、悲鳴嶼の攻撃によって黒死牟の体に入ったヒビに叩き込まれ、肉に食い込む。
「私の剣と姉さんの剣には毒が塗ってあります!
分解されるまである程度時間があります! 畳み掛けてください!」
「首がないから……全身を砕けばいいのかしら? どうなのかしらね~」
月は未だ放たれ続けるも、その数も勢いも明確に落ちている。
刀を振る腕も、自動防御の触手なども、明らかに動きの速度と精度が低下していた。
誰でも良い。
隙を見つけて、そこに強烈な一撃を叩き込めれば。
この月と二本の七支刀もどき、全身から生えた刀と触手、強固な皮膚という多重層防御を貫ける者が居れば、誰でも良い。
"いける"と思った瞬間に踏み込めれば、柱級の人間が集まっているこの陣容ならば、攻撃役の能力不足に終わるということはきっとない。
何の因果か。
仲間達のおかげで動きが鈍り、発生した黒死牟の防御の隙間を突ける位置に居たのは、真菰の兄弟子二人。鱗滝錆兎に、冨岡義勇。
真菰を妹のように扱い、真菰に兄のように慕われる二人が今、『兄として正しく責務を果たす』べく、強く強く刀を握った。
責務を果たす理屈はシンプル。兄として、応報として、鬼を討つべし。
「行くぞ、義勇」
「ああ。錆兎」
「真菰を斬った鬼をここで俺達が両断する!」
「あれは……本当に痛そうだったな。よし」
そして、放たれるは、黒死牟がよく知る水の呼吸であり、見たこともない水の呼吸。
義勇が、見たこともない義勇だけの拾壱ノ型を放ってくる。
錆兎が、見たこともない練度の拾ノ型を放ってくる。
それは義勇と錆兎が最も得意とする、最強の防御と最強の攻撃の技である。
拾壱ノ型は敵の攻撃を無効化する義勇だけの防御技。
拾ノ型は連続で放てば放つほど威力が上がる、水の呼吸最大の威力の攻撃技。
ゆえに、
何をしても、義勇が防ぐ。
義勇が守ってくれると信じ、錆兎はひたすら拾ノ型を繰り返す。
黒死牟が錆兎の連撃を妨げようとしても、義勇が防いでしまう。
錆兎は至近距離で誰にも邪魔されず、拾ノ型を繰り返す。
それは、息を合わせた連携で、最強の矛と最強の盾を融合させるという規格外。
一人では絶対に完成させられない、水の呼吸の究極とすら言えるものだった。
錆兎と義勇が立ち位置を入れ替え、義勇が防ぎ、錆兎が絶え間なくまた斬りかかる。
触手が切り飛ばされる。
体から生えた刀が粉砕される。
防御に使っていた七支刀もミシミシと嫌な音を立て、ピキッ、と大きなヒビが入った。
耳すら無くなったまま蘇らない黒死牟の聴覚に、遠くでカツ丼を食べている八八の、穏やかな呟きが聞こえる。
「過去に、始まりの剣士が、最強であっても。
拙者達が、それに遠く及ばなくとも。
継国縁壱のように、完璧な剣士でなくとも。
それでいいと、拙者は思う。
不完全でいい。完璧でないからこそ、支え合おうと思える。
完璧な継国縁壱に、完璧でない者達が支え合う力が勝ると、信じている」
黒死牟が誰よりも素晴らしい侍だと信じ、誰よりも強い剣士だと信じていた継国縁壱ですら、鬼舞辻無惨は倒せなかった。
だからこの今がある。
けれども。
「継国縁壱でも倒せなかった鬼舞辻無惨を、不完全な拙者達がそうして倒すと、信じている」
完全な縁壱に憧れ不完全な自分を嫌った黒死牟とは違い、八八は不完全なものに『美』を見て、そこに何かを信じる気持ちを持っている。
どんなに最強であっても、侍は一人ではサムライ1、縁壱にしかなれない。
一人ぼっちのサムライ1には限界がある。
けれど、サムライ8なら。一人ではなく皆なら。
一人ぼっちで頑張るのではなく、皆で頑張るサムライ8になれたなら、きっとその果てに在る物がある。
黒死牟は、弟が笑って話していたことを思い出した。
―――兄上。私たちはそれ程大そうなものではない。
―――長い長い人の歴史のほんの一欠片。
―――私たちの才覚を凌ぐ者が今この瞬間にも産声を上げている。
―――彼らがまた同じ場所まで辿り着くだろう。
―――何の心配もいらぬ。私たちは、いつでも安心して人生の幕を引けば良い
黒死牟は、弟の奇妙な楽観視を薄気味悪く思った。
縁壱より優れた剣士など生まれてこないと確信していた。
その考えは正しかったと言える。
縁壱はあまりにも『才能』というものを楽観視していて、戦国の世から数百年間経った今になっても、縁壱に並ぶ剣才を持った人間は生まれてこなかった。
八八ですら、黒死牟の中では縁壱には及んでいなかった。
少なくとも、縁壱は仲間など居なくても、黒死牟に苦戦はしない。
大技を出して黒死牟を仕留め損なうこともない。
技能は比肩していたとしても、恐ろしさには天と地ほどの差があった。
けれど。
もしも。
一人では縁壱を超えられなくても、二人なら超えられる者は居るかもしれないと。
皆でなら超えられる者は居るかもしれないと。
八八の言葉で、ほんの一瞬、黒死牟は思ってしまった。
思ってしまったから、狂気の上に狂気を重ねるように、発狂した。
「■■■■■■ッ―――!!」
『誰もお前を超えてはならない』と、『私は縁壱以外には絶対に負けない』と、脳すらなくなった今になっても、黒死牟は思っていたから。
今ここで全て殺して、全てを無かったことにしようとする。
しょぼしょぼになっていた心眼でかろうじて『先』を見た八八が、叫んだ。
「爆発して死ぬぞ!」
「「 ! 」」
間に合わない。
水の呼吸の二人が前に出過ぎている。
黒死牟との至近距離での攻防に集中しすぎていた。
咄嗟に義勇が、錆兎だけでも生かそうと、凪を発動しながら錆兎の前に出る。
瞬間―――黒死牟の体が、弾けた。
それは鬼舞辻無惨が使っていた技と同じもの。
追い詰められた黒死牟の体内の、鬼舞辻の細胞が記憶していた技。
全身の肉片をバラバラに吹っ飛ばして、逃走しつつ、飛散した肉片それ自体が異様な攻撃力を持つという脅威の攻撃。
錆兎は義勇に庇われ生き残り、義勇は錆兎しか守れず死ぬ……はずだった。
この二人が、居なければ。
「うむ! いい動きだ甘露寺君! 鍛錬は欠かしていないようだな!」
「は、はい! 煉獄さんのおかげです! な、なんとか間に合った……よかったぁ……」
炎柱、煉獄。
恋柱、甘露寺。
八八の言葉を聞き、一瞬で防御の援護に回るべく飛び込んで来た二人のおかげで、防御に回った人間の数が増え、錆兎も義勇も死なずに済んでいた。
二人は元師弟の間柄である。
甘露寺は元々、炎の呼吸を極めた煉獄に剣と呼吸を教わり、それを恋の呼吸に派生させ、柱となった女である。
師弟ゆえにか、思考も似る。
煉獄も甘露寺も、人の命を守ろうとする時一切躊躇わなず、恐れも迷いもなく飛び込める、燃える炎のような性情を持っていた。
だから誰よりも早く飛び込めた。
師弟ゆえにか判断も同時で、だからこそ義勇と錆兎の両方に向かう攻撃をカバーすることができた。柱と柱で二人組を組ませれば、一番息が合うのはこの二人なのかもしれない。
恥ずかしがってお礼を言おうとするも、口ごもって言えない義勇の分も合わせて、錆兎が甘露寺と煉獄の二人に頭を下げ、礼を言う。
「感謝する。助かった、甘露寺、煉獄」
「無事で良かったです」
「うむ! 気にするな! 逆の立場だったなら俺が助けられていただろうしな! しかし……」
飛び散った肉片は四方八方に飛び、1800ほどに分裂した肉片の内、義勇と錆兎に当たりそうになっていた30ほどは切り落とされていたが、残りはどこに行ったかさっぱり分からない。
逃げられたか、と不死川実弥が舌打ちする。
「鬼舞辻と同じ技を使うようになった上弦か……」
逃げられてしまった。だが、まだ終わりではない。
「まだ遠くには言っていないはずだ! 探せ!
トドメを刺さなければ、また人を喰って蘇るぞ!」
悲鳴嶼行冥の見えない目は多くを見通し、これが弱りきった黒死牟が苦し紛れに打った手でしか無く、まだここから"詰み"に持っていけるということを、しかと理解していた。
黒死牟の中に、継国巌勝だった部分は、もうどのくらい残っているのだろうか。
心も。体も。魂すらも。きっともう、原型を留めていない。
八八の能力を探ろうとして、食い下がられてしまい、譜面を作られてしまった。
譜面を持った天元達に、八八が大気剣を使えるだけの時間と距離を稼がれてしまった。
大気剣で余力も肉体も根こそぎ刈り取られてしまった。
その後復活したものの、天元達にトドメを刺す前に、柱達に邪魔されてしまった。
そして柱達に最後の力も削り取られ、もう普通の鬼程度の力しか残っていない。
爆発して逃げろ、と無惨の細胞が言った。
だからそうした。
生き残った者が勝ちだ、だから恥も外聞もなく逃げろ、と無惨の細胞が言っていた。
だからそうしている。
人を喰って回復しろと無惨の細胞が言っている。
だからそうしようとしていた。
柱達から一目散に逃げて離れて、人の気配を探り、喰おうとする。
黒死牟に残されたものは、右腕一本、右足が二本、もはや七支刀もどきに変形させることすらできない普通の大きさの刀が一本と、ヒビだらけの硬化した表皮くらいのものだった。
これで柱と戦えるわけがなく、逃げることは正解であると言える。
正解だが、どこか卑怯で、どこか情けなかった。
そして近くに人の気配を見つけた黒死牟は、餌に惹かれる獣のように、その人間の気配に近付いて行った。
そこに、立っていたのは。
「『譜面』は完成した、って言ったはずだがな。テメェの『先』を読めないとでも思ったか?」
「やるぞ、善逸」
「ああ、獪岳」
宇髄天元。
桑島獪岳。
我妻善逸。
負けても立ち上がり、また挑む者達。
打ちのめされても歯を食いしばり、人を守る者達。
『音の三身一体』が、血まみれになりながらも、黒死牟の前に立ちはだかっている。
誰もが満身創痍だった。
黒死牟にはその辺の鬼程度の力しか残されていない。
瀕死の天元と、傷だらけで失血も多い善逸と獪岳は、三人合わせて一般隊士程度だろうか。
満足に実力を発揮することはできない。
それどころか長時間戦うことすらもできない。
決着は、おそらく、この最後の交錯で終わる。きっと、瞬く間に終わる。
「おらァァァァ!!」
「■■■■■―――!!!」
天元は最後の力を振り絞り、刀で繋がった二つの大剣を投げつけた。
大剣はぶつかった月を片っ端から爆発させ、粉砕し、突き進み、道を作る。
獪岳と善逸が駆け抜けるための、二人のための道を。
「行け、善逸、獪岳! 勝ちやがれッ!!」
力を使い果たした天元が叫び、倒れた。
「なあ、獪岳」
「なんだ」
「獪岳ってさ、俺のこと嫌いだったろ」
「……まあな」
「でもさ。俺はずっと、仲直りできたらなって思ってたんだ。
仲直りして、いつか喧嘩してないアンタと、肩を並べて戦いたかった」
「じゃあ今できてんだろ。行くぞッ!」
「ああ! この技で、今! 一緒に!」
善逸は壱ノ型しか使えない。
獪岳は壱ノ型だけ使えない。
けれど、人は成長する。
いつまでも同じ場所で止まってはいない。
獪岳が『誰よりも最高な壱ノ型を使う男』と認めていた者、我妻善逸は今、壱ノ型を発展させた『自分だけの技』を解き放つ。
次の獪岳に繋ぐために。
自分だけの技を使って錆兎の攻撃に繋ごうとした、義勇のように。
神速の踏み込み。神速の抜刀。神速の一撃。
壱ノ型・霹靂一閃に何かを付け足すのではなく、霹靂一閃の強みを全て数倍に伸ばしたような神速の抜刀術が、黒死牟の体を覆っていた硬い表皮を、尽く粉砕していった。
『弟が兄と共に戦うために編み出した技』があまりにも眩しくて、辛くて、黒死牟は膝をつく。
獪岳が、善逸に叫んだ。
「お前……このカス!
俺に無断で漆の型なんて作りやがって!
俺の考えてた型が捌の型になっちまったじゃねーか!」
「ええええええええ!?」
「俺の型の名前を八八先輩が『サムライ8』とか名付けたら絶対許さねえからなッ!!」
「それ絶対俺のせいじゃないぃぃぃぃ!!」
ボロボロの体で全ての力を使い果たす技を使ってしまったせいで、叫びながら善逸が倒れる。
最後に残った二人が、最後の力を振り絞る。
獪岳は刀を振り上げ、黒死牟は刀を正眼に構えた。
そこでようやく、八八と伊黒が駆けつけ、黒死牟を視認するが、まだ遠い。
決着の瞬間に間に合わない。
獪岳に一番近い八八達ですら、200m以上は離れてしまっていた。
八八は自分の鍵ライフ値の残量を見て、カツ丼とうどんの器を投げ捨て、骨と皮しか見えないような状態になった腕を上げ、震える腕を獪岳に向け突き出す。
八八の心眼には、最後の意地を見せた黒死牟が、獪岳を両断する光景が見えていた。
「オレもあいつ助けてやっていースか?」
「何を言っている。自分の状態が分かっていないのか?」
「実はこっそりカツ丼とうどんのセット食べちゃいました! そしたら急に直っちゃった」
「嘘をつくな塵屑が。
自分一人で立てもしない癖に何を言っている?
痩せ我慢の強がりも大概にしろ。
そんな嘘には餓鬼でも騙されない。舌を引っこ抜いて黙っていろ」
「いざ!」
「話を聞け!」
八八がその瞬間にしたことは、僅かな干渉だけだった。
それが今の彼の限界。
雷の呼吸の技を放つ獪岳の刀に磁力で干渉し、剣筋を調整し、八八の力をその刀に乗せ、獪岳の刀に八八の力の一部を強引に乗せる。
不死殺しの力の、一部を。
「おおおおおおおッ!!!」
すれ違う。
鬼と人が。
兄と兄が。
剣士と剣士が。
劣等感すら忘れかけている鬼と、劣等感に苛まれていたこともあった人が。
負けを認めることができない鬼と、負けを認められた人が。
すれ違いざまに、剣を振る。
両断された敗北者が、崩れ落ちていく。
"負けたくない"と思いながら、崩れ落ちていく。
消滅していく敗者を見下ろしながら、獪岳は善逸の横に寝っ転がるように倒れた。
勝利を噛み締め、そして勝利以外の不思議な充足感を確かめながら。
「おい、カス」
「なんだよ、クズ」
「お前に預けてたやつあったろ。
師匠とおそろいの柄の着物。
お前がいつも着てるやつ。
あれ返せ。俺も明日から、あれ着る」
「……おっそいんだよ、ばーか」
なんでか"満たされた"気がして、獪岳は思わず笑ってしまう。
善逸もつられて笑う。耳が良い善逸は、獪岳から聞こえる"いい音"がとても心地よかった。
「よくやったお前ら! 派手によくやった!」
「めちゃくちゃかっけェ……拙者、お前達の中に、そしてその間に、"勇"を見た」
「なんだ? もしかして俺が全員運ばないといけないのか?
八八だけで肉体的にも精神的にも限界だったんだぞ……」
天元、善逸、獪岳、八八。
自力で歩いていけない男四人をどう運ぶか頭を悩ませ、深く溜め息を吐く伊黒だけが、笑っていなかった。
皆が皆、笑っていた。
皆で笑って終われたことが、きっと何よりの報酬だった。
黒死牟の記憶を全て吸い上げ、バックアップを取ったこと。
それはとても大きなことだった。
音が伝わらない宇宙空間でも交信できるのが侍。
遠く離れていても鬼舞辻無惨を介し情報をリアルタイムで共有できるのが鬼である。
やっていることだけ見れば、両者がやっていることは同じ。
情報をやり取りし、会話する。それが肝である。
侍と鬼では、情報をやり取りし会話している最中でも、見えているものは違うかもしれないが、なんにせよしていることは同じであった。
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