兄上「またオレなんかやっちゃいました?」
縁壱「またオレなんかやっちゃいました?」
兄上「……」
水の呼吸、水車。
金剛夜叉流、剣円の中。
二つの剣技の弐ノ型は、ほぼ同じ動きをする兄弟のような技である。
飛び上がり、前方宙返りの要領で回転し、叩きつける剣技。
それを真菰と八八が並んで跳んで、息を合わせて同時に放つ。
黒死牟の七支刀もどきがそれを受け止め、黒死牟の足が衝撃で数cmほど地面に食い込んだ。
普通こういった鍔迫り合いに持ち込まれれば、一人で戦っている方は動けなくなり負けるしかなくなることもあるのだが、黒死牟はそうならない。
鍔迫り合いの状態からも、この男は月を放つことができた。
剣術の道理を覆している。
この距離は既に致死の間合い。
だが黒死牟が月を放つ前に、割って入った剣士の一閃が脇腹を切り裂いた。
『譜面』を持つ宇髄天元という指揮者によって、八八と真菰に気を取られた黒死牟の意識の隙間を、善逸がすり抜け切り込んだのだ。
「ぐっ」
霹靂一閃に黒死牟の攻撃が止められた隙に、八八と真菰は至近距離から離脱する。
そして善逸と"阿吽の呼吸"の獪岳が、一秒と間を置かず、連携を繋ぐ。
遠く離れたところまで届く斬撃を放ち、黒死牟に容易に防がれるものの、壱ノ型で危険な距離まで近付いてしまっていた善逸の離脱時間を稼いで見せた。
黒死牟は驚嘆していた。
弟子二人に指示を出し、三人で一つの生き物のように動かす天元。
過去のどの雷の剣士よりも速い善逸。
器用に様々な役割をこなし、超高速で走り回る善逸を補佐する獪岳。
雷の呼吸とその派生を使う三人が、黒死牟が何をしようとしても出掛かりを潰し、的確な妨害をしてくるため、黒死牟はまともに戦えない。
「雷の呼吸の剣士は……何度も見てきた……
だが……こんな雷の呼吸は……見たことがない……!」
「こっからはド派手に行くぜ! 俺達がな!」
天元の音の呼吸の斬撃が、広範囲を爆裂させ、善逸と獪岳が息を合わせて飛び込んだ。
見つめるだけで人の心が戻ってしまいそうな、人だった頃の記憶を見せつけられ、狂乱の最中にある黒死牟は、手癖で技を打つ。
手癖で咄嗟に打ったにもかかわらず、体に刻み込まれた動きは、鬼殺隊の誰よりも凄まじい技のキレを誇っていた。
空から小さな三日月を纏って降り注ぐは、総数十六の巨大な三日月。一本一本がまるで、星を貫く月の槍だ。
譜面を持つ三人は余裕でかわせる。
しかし真菰と八八にとっては、技が荒れても未だ絶望的な月の弾幕である。
「姫!」
八八は咄嗟に真菰を抱きかかえ、真菰は身を任せ、八八は二人分の体重を抱えて飛んだ。
先程まで一人で飛んでいた時よりも二人分になって重さが増しているというのに、先程までの倍以上の速度で飛翔し、真菰と共に空を駆ける。
「いいよ、もっと強く抱きしめても」
「まだまだ心胆が足らぬ!」
「宇髄さんみたいに割り切っちゃえばいいのに。あ、変なとこは触らないでね」
月の合間を駆ける空の二人に、黒死牟は月を飛ばすが、当たらない。
天元、獪岳、善逸が居る戦場で、攻撃を空の二人だけに振り分けられないからだ。
「貴様……また速く……! だが貴様だけは……貴様だけは許さん……!」
「姫が居れば侍はいくらでも強くなる。
強く
己の守るべき存在があって初めて侍は
「―――」
「姫を守る時……侍は何よりも強く在れる!」
それはいつものように、八八が会話の文脈を無視して発した会話のキャッチボールを会話のデッドボールに変える語録であったが、黒死牟の深い所に刺さってしまう。
黒死牟は侍なのか?
いや、もう侍ではない。
本人はきっともう忘れているが、彼が人間の頃に思う侍はこんなものではなかった。
彼にもかつては守るべき存在があった。
守るべき家があった。
敬愛する家族が居た。
幼い頃は弱々しく見えた弟・縁壱が居た。
全てを守るため、手の指で年齢を数えられるくらいにうんと幼い頃から、剣を振り続けた。
結婚し、妻子も得た。
鬼殺隊で縁壱と共に仲間を得た。
鬼と戦う中で得た信念、培った矜持、譲れない想いを抱いた。
そして、何もかも捨てて鬼になった。成り果ててしまった。
八八の魂に刻まれた論理の上で言えば、黒死牟はもう、とっくに侍では無かった。
負けを認めず、生き恥を無視し、無敵の人で在り続ける。ゆえに不死。
それが八八。
年齢一桁の頃には縁壱に完膚なきまでに負かされ、心の芯の部分が敗北を認めて折れているにもかかわらず、縁壱に負けず勝つ自分を諦められず、生き恥から必死に目を逸らす。
それが黒死牟。
その生き恥を認めてしまえば、一瞬で滅びてしまいそうだったから。
黒死牟は龍の尾を思わせる巨大な三日月の刃を振り回し、空の八八達へと振るう。
龍の尾から零れ落ちた三日月達が、天元達へ雨のように降り注いでいた。
「この……犬侍が……!」
「拙者は猫侍だ。今はこうして猫型の機械の中に入ってはいるが元人間で完全な犬派だ」
犬侍と――古い時代の侍の蔑称。武士道を知らない卑しい侍を罵倒する言葉――八八を罵り、黒死牟はとうとう八八の飛翔を見切り、捉える。
横薙ぎに振られた月の竜の尾が、八八と真菰の至近距離まで迫り――
「この会話が成り立ってない感じ凄いよね、ふんっ!」
真菰が全力で、八八を蹴った。
真菰は地面にぶつかるように跳び、地面に猫のように着地し、黒死牟に迫る。
八八は真菰に蹴り飛ばされ、スライドするように上方に弾かれる。
二人の間を月の龍の尾が通り過ぎ、上から八八が、下から真菰が切り込んだ。
その動きに合わせ、天元、獪岳、善逸が、隙を突くように斬りかかる。
「……!!」
黒死牟は一瞬にして判断を終え、二人を先に対処することを決める。
『此方の方が危険』と八八の斬撃を刀で受け、真菰の攻撃は通した。
真菰の斬撃が強固な黒死牟の体の、まだ真菰でも切れる片足の腱をすれ違いざまに切断する。
叫ぶ獪岳と共に、"三身一体"の連携を見せる三人の攻撃が、放たれて。
「終わりだァ!」
黒死牟の体が一瞬にして後方に『飛び』、雷の三人の攻撃が空振る。
涼しい顔で、黒死牟は切られた足の再生をあっという間に終えた。
「何やりやがった、今……!?」
驚愕する獪岳。
「……手元に月が見えた、ような、気がする」
距離を詰めていた善逸にも分からなかった。
「野郎、派手にやるな……
刀の前から刀に向けて、自分に向けて、月を撃ったんだ。
奴は刀の振り無しで月を出せる。
それを利用して自分の刀に自分の月をぶつけて、自分の体を後方に吹っ飛ばしたんだろ」
「そんなのありかよ!」
だが、譜面を完成させた宇髄天元には見えている。
なんとも恐ろしい。技の底が見えない。隠し玉が途切れない。
完全に追い詰めたというのにこれだ。
たかだか十数年、数十年鍛えた程度の人間では、数百年積み上げて来た黒死牟の『厚み』を、そう簡単には貫けないということだろう。
「今の私は余裕がない……楽に死ねると思うな……!」
頭の中で縁壱の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え、黒死牟の思考は怒り狂う。
思考から独立した戦闘勘は、個人技量が極めて高い天元と真菰、コンビネーションがあまりにも強い獪岳と善逸、不死と不死殺しを併せ持つ八八を別枠にして警戒する。
そして、八八への攻撃を後に回した。
八八はすぐ再生するから無意味であるのと、八八の技はもうほとんど見切った後だからだ。
選択したのは、広範囲を薙ぎ払う月の呼吸の中でも、トップクラスの攻撃範囲を持つ斬撃。
その攻撃の直前に、八八が口を挟み。
「弟に負けを認めなければ良かったのでは?
負けを認めなければ永遠に自分を弟より上に置けたのでは……?
心の底に勇を持ってないからそうなる……
オレも自分が、弟の縁壱君より素晴らしい侍だって思っていースか?」
言葉なく、黒死牟の顔に青筋が走り、大量の攻撃が八八に"寄った"。
それを許せないから、彼はずっと縁壱の兄を辞めることができなくて、縁壱を他人だと思うことも、諦めて折れることもできなくて、ずっとずっと苦しみ続けて来たというのに。
本来ならば月が折り重なり、空間を埋め尽くす斬撃になるはずだったものが、八八に攻撃が集中したことでズレる。隙間が増える。
最速の水の剣士である真菰、譜面の恩恵を受ける三人であれば、これならかわせる。
八八が代わりに、小学生が遊びで全部消しカスに変えてしまった消しゴムのようになってしまっていたが、その体もすぐさま再生した。
黒死牟の足元に。
「!」
八八は体の再生をオートに任せている。
自動で回復する侍の肉体は、頭部から体の中心を通る『鍵』というメモリーユニット、またはその残骸・残滓から回復する。
つまり。
黒死牟の斬撃で鍵がどこかに吹っ飛ぶと、八八にも黒死牟にも、八八の体がどこで再生するか分からなかったのだ。
(好都合)
八八の刀は遠くに転がっている。
八八の手元に武器はない。
武器を持たない八八ができることが一気に減るのは、洋館での戦いで鬼が収集した情報を全て受け取っている鬼舞辻経由で、黒死牟に伝わっている。
そんな八八が今や黒死牟の手が届く距離。
八八の背後を黒死牟が取っている最高の位置関係だ。
このまま、封殺に持っていける。
刀を掴む間も与えない。
振り向く間も与えない。
そう思って、黒死牟は刀を振り上げた。
その瞬間。八八は振り返りもせず後ろ向きに跳び……その頭蓋骨がパカっと開いて、サメの口のように、黒死牟の肘に噛み付いた。
「!?」
鬼ですらしないような攻撃(?)に驚き、肘を押さえる力に抵抗するには肩周りの筋肉しか使えないのもあって、黒死牟は次の攻撃を邪魔されてしまう。
更に八八の両手両足がパカっと開き黒死牟の両手両足を挟み、瞬時に再生結合を終えた。
黒死牟の両手足は、再生によって八八の両手足と接着されてしまう。
「なんだ貴様……パカパカパカと……!」
「これが……侍だ!」
「そんなわけがあるか!」
「鬼の貴様には分かるまい……人間であった時のことを忘れた貴様には!」
「絶対に違う! 流石にここまでは忘れん! これは絶対に侍ではない!」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」
「ぬぅアアアアアアッッ!!」
八八と言い合いしている内に、『八八の狙いを把握していた』天元、真菰、獪岳、善逸が四方から黒死牟に接近していた。
八八との会話に熱中しすぎると、その仲間が切り込んでくる。
あまりにも奇形な連携だ。
だが有効である。
黒死牟は刀が振れないため、刀が振れなくとも発動できる技を撃つ。
八八に両手足を束縛されていたためか、四方から迫る剣士達は後退させることしかできなかったが、八八の体は粉微塵に切り刻まれた。
黒死牟は両手足を見る。
そこにくっついていた八八の肉を見る。
犬のうんこを踏んだ後の人のように、嫌そうに、黒死牟は両手足にくっついていた八八の肉を引き剥がして捨てた。
それと並行し、天元は宙を舞っていた八八の『鍵』を掴み、八八が自分の近くで再生できるよう上手く立ち回っていた。
「おい気をつけろ。再生場所が派手過ぎんぞ」
「かたじけない」
「かまわねえ、やるぞ!」
八八が童磨と洋館をまとめて爆弾で吹っ飛ばした時。
爆弾の中には、殺傷能力を高めるための手裏剣が入れられていた。
その手裏剣は誰が渡したのか?
言うまでもない。
天元である。
何故渡したのか?
その答えが、ここにある。
天元が投げたクナイが、八八の構えた手と手の間を通り過ぎると、音速を超えた速度まで加速され、黒死牟の肉に刺さった。
「……!?」
咄嗟に肉を締めて受け止めた黒死牟だが、その威力に驚嘆する。
下弦ならば頭を吹っ飛ばされかねないほどの威力と速度があった。
天元が正確に投げ、八八が電磁加速で威力と速度を高める、忍と侍のコンビネーション。
クナイには藤の花から抽出された毒が塗られている。
胡蝶姉妹が長年研究し改良を加えたそれは、クナイで切りつけただけでも十二鬼月でない鬼なら一日、下弦の鬼ならば数時間動きを止めることができる優れものであった。
しかし、黒死牟相手にはせいぜい一秒程度しか止められない。
「チッ、派手にかわしやがる。ロクに当たりゃしねえ」
「半分は当たっている」
「だな。倍投げてやるかァ八八ッ!」
投げる。投げる。投げる。
天元のクナイ投擲は、熟練の忍の技術によって凄まじい精度と連射速度を誇っていた。
それら全てを、八八が加速させていく。
黒死牟の刀は金属ではなく、鬼の血肉から作り上げたもの。
八八の磁力操作でも取り上げられない厄介なものであった。
だが、敵の武器に干渉できないなら、味方の武器に干渉して攻めればいい。
クナイを十本、音速を超えて放っても片っ端から切り落としていく黒死牟。
音速のクナイが当たっても肉は弾ける気配もない。
だが半分は当たっているがために、生まれた五秒のチャンスを、善逸と獪岳が突いた。
「獪岳! アイツが対応してくる前に!」
「分かってる! トチんなよ!」
兄弟子と弟弟子が仲良くないようで仲良く連携する姿に、黒死牟は心揺れた。
―――かつて、縁壱と私も、ああいう風に鬼を狩っていた
獪岳が前衛、善逸が後衛というフォーメーションで距離を詰めてくる。
―――私の月の呼吸は、縁壱の苦手とする広域殲滅のために、縁壱と前後衛を分担するために
遠くに攻撃を届かせられる獪岳を前に、近接戦を行う善逸を後ろに置く異端の戦術。
―――私が前に出て敵を殲滅し、縁壱が取り零しを仕留めることもあった
黒死牟にとって、生まれて初めて見る戦術。未知の雷の呼吸であった。
―――懐かしや。なあ……縁壱……縁壱……?
獪岳が前に出て、全体重を込めた神速の五連斬を放つ。
黒死牟は、それを受けようとして、気付く。
獪岳の斬撃が、返しの刃……峰打ちになっていることに。
後衛の善逸が踏み出したことに。
これが"連携技"であることに。
善逸が地面を踏み切り、跳ぶ。
そして、獪岳が峰打ちで振っていた刀を踏み、
地面を踏み跳び、仲間の刀を足場として空中で曲がる、変形壱ノ型。
「……!」
壱ノ型の全てを熟知し、壱ノ型以外の型を使いこなし、人間一人が全力で踏む足場にできる刀の一撃を放てる者がいなければ。
壱ノ型以外の全てを熟知し、壱ノ型しか使えない者で、仲間が振る剣筋を把握し仲間が合わせてくれると全幅の信頼に命を懸ける者がいなければ。
その両方がいなければ、絶対に放てない連携技だ。
あまりにも巧く速い、『兄弟の信頼』を前提とした連携技に、黒死牟の反応は遅れる。
透き通る視界で肉の動きを見ていたはずなのに、遅れる。
それは黒死牟が二人の肉を見ていても、二人の心までは見通せないから。
獪岳と善逸が、理解できない"兄弟"だったからだった。
譜面に沿い、獪岳の刀を踏み台にして雷の如く跳ぶ善逸。首を振る黒死牟。
黒死牟の眼球の一つと頭部が、深く深く切り裂かれた。
「ぐっ……!」
「くっ、頸を切れなかった……! チャンスだったのに……!」
「戻れカス! 欲張るな! 前のめりになるな! 首を飛ばすのは次でいい!」
チッ、と天元は舌打ちする。
今の一撃で決着がついていてもおかしくはなかった、と天元は思う。
だが届かなかった。
この『押し込んでもトドメまで行けない』感覚。天元はそこに危機感を覚える。
黒死牟の人生と鬼生の厚みが、土壇場での粘りに繋がっている。
修羅場を切り抜けた経験。
考えなくても動いてくれる体。
窮地にこそ爆発力を見せる精神力。
何人もの有能な鬼殺の剣士で囲んで、何度追い込もうと、おそらく黒死牟はそこから切り返してくるだろう。
天元は正確に、戦いの流れを見極めていた。
「このまま押し切れる気がしねえ。八八、例のやつを使うべきだ。超ド派手にな」
天元は『このまま五人で普通に戦っても勝てない』ことを確信していた。
なら、別の勝機に切り替える。
鬼に対して打てる手をいくつも用意しておくのが人間の強さだ。
まだ、やれることはある。
天元はここで固執してしまい黒死牟に全てを見切られ、全滅する可能性を感じ始めていた。
そして八八は己の判斷よりも、天元の判断を信じ、頷く。
「分かった。天元。真菰姫。獪八。善八。ここを頼む」
「頑張ってね。私がうわーってやられちゃう前に」
「真菰姫。大丈夫……そんな風にはならない。差がありすぎるの」
「差? 何の差?」
「奴と拙者の差だ。拙者は最強の侍であるからな……」
「うーん八八くんしばらく負けを認めることなさそうで安心したかな」
ふわふわと微笑む真菰の手を握り、八八は真剣な顔で言う。
「姫。どうかご無事で」
ちょっと返答に詰まった真菰が何か言う前に、八八は戦場を離脱する。
もにょもにょした気持ちを抱えて刀を構える真菰を見て、天元は思わず笑った。
「獪岳、善逸」
「ひぃっ! なんでしょう!」
「何言ってんだカス、戦いのことに決まってんだろ。これだから壱ノ型しか使えない奴は……」
「えええ……壱ノ型以外しか使えないクズは皮肉もお上手でございますねー……」
「あ?」
「ん?」
「おい遊んでんじゃねえぞ、ここからが格別キツいところだ。派手に気合いを入れろ」
「だってよ、このカスが!」
「宇髄さん、このクズが!」
「息ぴったしに同時に喋んじゃねえよ聞こえねえし面倒くっせぇな!」
八八が離脱し、四人は『足止め』に入った。
獪岳は、何故か黒死牟に既視感と親近感を感じていた。
黒死牟の記憶の映像などを見る度、黒死牟が心の一部を言葉にする度、獪岳は拭い去れない既視感と親近感を覚えてしまう。
黒死牟は、鏡の向こうの獪岳だった。
少なくとも、獪岳にはそう見えていた。
負けを認めない執念と、縁壱に負けを認めている挫折という二律背反。
心の表が折れないように踏ん張りながら、心の奥がどうしようもなく折れている。
兄弟でなければ、黒死牟はきっとここまで拗れなかっただろう。
善逸が居なければ、ここまで拗れなかった獪岳と、同じように。
無数の月の合間を走り抜けながら、獪岳は叫ぶ。
「鬼にならなくてよかったと、今なら胸を張って言えるぜ!
弟への嫉妬で狂うような……そんな情けねえところまで堕ちていけるかよ!」
獪岳の叫びが、黒死牟の眉を顰めさせる。
「俺は俺を他人に認めさせてぇんだ!
そこにきっと!
俺が何のために生まれてきたのかの、答えがあるから!
テメェみたいに、誰も認めないカス野郎に平気で落ちていける人間とは違う……!」
「貴様……」
「俺はみじめになりたくねえのに……!
テメェみたいな、死ぬまで一生みじめになる選択なんて選んでたまるか……!」
獪岳の声に熱がこもり、黒死牟の『思い出したくない記憶』が刺激され、戦いが激化する。
獪岳の視線が一瞬、善逸の方に行った。
「だったら、悔しくても負けを認めた方がマシだ!
すっぱり諦めちまった方がマシだ!
『"それ"で弟には敵わねえ』って!
……ちゃんと一番大事な時に! 諦めねぇで、負けを認めねぇで、ちゃんと勝つために!」
心中で獪岳は、八八に感謝する。
師匠に、宇髄に、自分に何かを教えてくれた者達に感謝する。
同時に、黒死牟を罵倒する。お前みたいになってたまるか、と繰り返し罵倒する。
心の穴で善逸だけは感謝しながら罵倒して、強く強く、刀を振り続ける。
「テメェみたいになるくらいなら!
死んだ方がマシだ!
これ以上
生き恥いくら重ねても平気なテメェと一緒にすんじゃねえ!
俺は! 宇髄さんや、師匠みたいな……そんな剣士になりてェんだよッ!!」
八八のどんな煽りよりも、獪岳の言葉が黒死牟によく刺さる。
「一生弟に劣等感抱いてろ! そんでそのまま死ね!
俺は……八八先輩が教えてくれたように! 人間だ!
鬼になって、死ねず、負けを認められず、一生この苦しみを抱えていたくなんてねぇッ!!」
「――――――――――――――――――」
「俺は俺の願いのために!
俺が認められるために!
せめて……八八さんが羨む"人間"として、テメェら鬼を殺す、鬼殺隊で居続けるッ!!」
獪岳は善人ではなく、聖人でもなく、きっと立派な人間でもなかったけれど。
そんな彼だったからこそ、黒死牟の過去は最高最大の反面教師となった。
そんな彼の"嫉妬心を蹴り飛ばす"叫びだったからこそ、黒死牟の心には刺さり、その心と技を乱れさせ、天元達の生存の可能性を引き上げる叫びになっていた。
獪岳の声を遠くで聞きながら、八八は刀を構えた。
事前の打ち合わせは十分だ。
八八の合図で、天元達は
刀鍛冶の里の人間達も、既に里を離れ避難している。
『この技』を放つのに何の支障もない。
『この技』は、弱い武器を使えば威力が落ちる。
逆に言えば、弱い武器を使わなければ威力を調節できないほどに強力すぎる。
八八専用とはいえ普通の日輪刀である八輪刀では、全力は出せない。
そしておそらく刀身が耐えられない。
其は、日輪刀を使い捨てる技である。
其は、姫とキーホルダーを持つ侍でなければ満足に使いこなせない技である。
姫の祈りがなければスペックが不足する。
キーホルダーが侍に与える武装がなければ、侍がまともに撃てない。
その上、地上で使えば地上の広範囲が吹き飛ぶ。
宇宙船で宇宙に出たり、敵を宇宙に運んでから撃たなければ、人や街を巻き込みかねない。
星を砕く用途で行使されることすらある、金剛夜叉流の奥義の極み。
『この技』はゆえに―――『星砕き』の異名も持っていた。
八八はその技を、金剛夜叉流十三番目の型に据えている。
「……ふぅ」
狙うは黒死牟。
纏うは大気。
地球上の大気を集約し、叩きつけるは大気の刃。
接近戦中に繰り出すことはできないが、仲間が敵を足止めしてくれている今ならできる。
「―――」
刮目して見よ。
刀によって振るわれし、
「吠えろ―――『大気剣』ッ!!」
宇宙から見てもひと目で分かるほどに巨大な『大気の狼』が、放たれた。
大気の顎が黒死牟に噛みつき、大気が螺旋を描き始める。
それが、大気剣。
「……!? なんだ、これは……!?」
黒死牟は技を放って止めようとするが、止めきれない。
刀鍛冶の里が、大気剣の反動で跡形もなく吹っ飛んだ。
周囲の森の木が一本残らず引っこ抜かれ、大気剣に巻き込まれた。
山が暴風で削れ、平地になっていく。
地平線の向こうの街で暴風が歩いていた男を吹き飛ばし、男は家屋にぶつかり怪我をした。
暴風で飛んで来た岩の破片が真菰の肌に傷を付け、血を流し、真菰は八八がその傷を目にしないよう、すぐに上着でその傷を隠す。
八八は全力で威力を絞っているが、それでもなおこの威力。
規模が減らない。精密な制御などできようはずもない。
守りたかったはずのものすら、大気の刃は滅ぼしていく。
「そうか……これが……!
臆病で慎重なあの御方が……
縁壱の再来と見たあの男が……持っているかもしれないと考えた……隠し玉……!」
そう、これが、産屋敷が使用を禁じた八八の二つの技能のもう一つ。
その技の存在が周知されれば、八八が人の世界で普通に生きていけなくなると、産屋敷が危惧した特級技能の一つ。
人を終わらせる可能性がある鬼を滅ぼす、星を滅ぼす剣である。
「これならば縁壱に並ぶ……く……ぐ……ああああァァァ―――!!!」
黒死牟が居た位置を貫き、大気剣は山にぶち当たり、八八は衝突の衝撃を利用して大気剣の矛先を上空に捻じ曲げ、宇宙に飛ばす。
地球の大気を刃にしたものはそのまま宇宙を突き進み、月の端を砕いていった。
それが星であるならば、空の月も、上弦の月も、砕いてみせよう。
―――ゆえに、星砕き。
八八は何もかもが吹き飛んだ地平の中心で、刀を杖のようにして立ち続けようとするが、耐えきれずへたり込む。
「はぁ、ハァ、はぁ、ハァ」
鍵ライフ値がもう完全に尽きていた。
鍵ライフ値は1/4程度残っている状態でも、死にかけの病人のようになる。
サイボーグの侍ではあるが、鍵ライフ値が減れば肉は減り、骨格が削れたようにみすぼらしく細くなっていき、体は震えて立っていられなくなるだろう。
鍵ライフ値はMPだが、これの枯渇は侍の死活問題である。
八八の鍵ライフ値はもう1/100も残っていなかった。
技は当然出せない。もう立ち上がることもできない。
肉も骨も痩せ細ったその肉体は、死の直前の重病人か、寿命が近いヨボヨボの老人か、消耗しきったホームレスの老人のようにすら見えた。
地面に仰向けになって転がっていた八八の頭を、誰かが撫でる。
「お疲れ様」
「真菰姫」
「君のおかげで、皆無事だよ」
真菰の細い指が八八の頭を撫で、天元の力強い拳が、軽く八八の胸を叩く。
「いいもん見せてもらったぜ。俺は派手でああいうのは好きだ」
善逸と獪岳は、何もかも吹っ飛んだ周囲を感嘆の目で眺めていた。
「はーっ、すっごいもん見た気がする……」
「すっげぇもん見たんだよカス。師匠にいい土産話ができたな」
「あ、確かに」
仲間に欠けはない。
里の人間達も皆避難しているため無事だろう。
つまり死人はいない。
心眼で見た死の結末を回避できたことに、八八は安心してほっと息を吐く。
「いやぁーよかったよかった。
……って言いたいけどイチャイチャしやがってこのクソ野郎……!
まあいいけどね! 頑張ってたしね!
いやよくねーよ! 全然良くない!
俺も頑張ったからね!? 頑張ったけど美女からのご褒美ないからね!?
クソッなんて世の中だ! ほんと勘弁してください! 不公平! あーやだやだ!」
「黙ってろカス」
「うるせー!」
獪岳と善逸がやかましい掛け合いを始め、八八の口元が緩む。
その時。
何かの音がした。
「―――」
気付いたのは、天元と真菰のみ。
獪岳と善逸はすっかり気を抜いていて、八八は過剰出力の技を使った後で全ての力を使い果たした後だった。
真菰が八八を抱きしめるようにして、庇う。
「うっ……!」
その背中が、深く広く切り裂かれた。
天元が獪岳と善逸を突き飛ばす。
「避けろっ!」
二人を突き飛ばした天元に、無数の三日月が殺到し、その体を二度と戦えなくなるまで徹底的に切り刻む。
突き飛ばされた獪岳と善逸もかわしきれず、その手足を切られ、刀を取り落した。
「……なっ」
八八は、獪岳は、善逸は、信じられぬものを見た。
「おかしいだろ」
頭を吹き飛ばされ。
左半身を吹き飛ばされ。
右半身と、右腕と、右足しか残っていない。
にもかかわらず、黒死牟は生きていた。
まだ死んでいなかった。
「そこは死んでなきゃ駄目だろ、テメェはよ……!」
星を砕く一撃も、太陽を追いかけた月は砕けない。
地球を砕く一撃程度に砕かれてしまっていては、きっと太陽になんて追いつけない。
縁壱に、弟に、指で数えられるような歳の頃に完膚なきまでに負かされた。
黒死牟は負けを認めていたし、負けを認めていなかった。
縁壱には何をしても勝てないと思いながらも、縁壱になりたいと、縁壱に勝ちたいと思い続け、それが"兄としてあまりにも情けない"と思うがために、延々と苦しみ続けた。
だから、彼は負けを認めているのに負けを認めていない。
未来永劫、継国縁壱以外の誰に叩き潰されようと、彼は負けを認めない。
黒死牟に負けを認めさせることができるのは、彼の弟か、黒死牟自身だけ。
彼が負けを認めなければ、彼は戦い続けられる。
黒死牟は大気剣に対し、技を放ち続けた。
壱ノ型から拾陸ノ型まで、継ぎ目なく絶え間なく、月の呼吸の全てをぶつけた。
直接刀をぶつけていたら体が先に吹っ飛んでいただろうが、彼の技は飛び道具。
大気の刃に直接触れず、大気の刃に僅かな隙間を作るには、この上なく適していた。
作った隙間に体を滑り込ませ、大気の刃を滑らせ受け流すようにして、頭も体の半分も失う賭けも乗り切って、死ぬ気で死を超越した。
負けたくないと。
死にたくないと。
強くなりたいと。
その一心で、何もかも捨て、何もかも見失った男は、更なる化け物へと変じる。
負けを認めない心に、鬼の血は応える。条理すらも凌駕して。
恐ろしいことに、八八は大気剣に候剣を上乗せしていた。
大気剣に直接傷付けられた傷は治らない。
黒死牟が失ったものは戻らないのだ。
どうやっても左足が生えてこないので、黒死牟は右足を増やした。
右足が四本。右足だけ四本。四本の足でしっかりと立つ。
右腕も二本に増やす。
あの七支刀もどきは両腕で振るものだからだ。
右腕二本で刀を持っても、黒死牟はもう何の疑問も持てていない。
顔も、脳も、再生できない。
体の各所に脳に似た機能を果たせる器官を作る。
恐竜が持っていたとされる器官だ。
もう人間の思考も、人間らしい脳活動もできないのに、縁壱への妄執だけは残っている。
脳すら無くしても、縁壱への想いから逃げられない。縁壱を忘れることができない。
候剣に目も耳も鼻も口も破壊され、再生できない。
そんな黒死牟の体中に、触角が生える。
昆虫の触角と同じ機能を果たすものだろうか?
候剣によって潰されたものの代わりを、鬼の体は即時作成してみせる。
黒死牟にもう目はない。
人のような思考すらない。
自分を見て化物だと思うことすらない。
もはや彼は、負けを認めず、生き残り、強くなることのみを目指すだけの生命体。
心眼を持たない盲目の人間が、自分を省みることはない。
他人も見えないということは、自分も見えないということ。
これからどう成るか分からないという意味で、黒死牟は箱の中の盲目の猫であると言えた。
今の黒死牟をどう見るかは、本当の意味で"人による"。
「……こりゃ、もう、駄目か……?」
刀を抜き、仲間を守るように立った獪岳の声が、震えていた。
八八と産屋敷の計画とは、八八が心眼で見た敵―――上弦の壱の討伐を主としたもの。
倒せるなら良し。
倒せないなら柱と里を極力守っての撤退。
その二つを主眼に置いている。
上弦の壱を倒せるなら、多少無理をする価値はあると、産屋敷は考えていた。
作戦Aで押し切れないようなら作戦Bに移行。Bが駄目ならC。Cが駄目ならD。
そういう、状況に合わせて適宜切り替えられるような隙の無い作戦の組み方をしていた。
だが後になればなるほど、博打の要素が強くなる。
最後の作戦など、八八は間に合うかどうか相当に怪しいと考えていた。
産屋敷は、常に微笑んでいる。
八八に脳の情報引き出しや大気剣を禁じた時も。
それを解禁した時も。
八八と爆発物を作っていた時も。
その一部を八八にくれてやった時も。
八八と作戦を組んでいた時も。
その準備をしていた時も。
常に、微笑んでいた。
月の群れが迫り来る。背中を深く切られ、もう動けない真菰に向けて飛来する。
獪岳と善逸が手足から血を流しながら真菰を守ろうとするが、到底間に合わない。
八八ももう刀を振れない。
刀を杖代わりにし、真菰に覆い被さるように、盾になろうとする。
無駄だ。
八八は死なない。
真菰は死ぬ。
候剣で削られ『黒死牟の残り滓』としか言えないレベルにまで、上弦の鬼下層クラスまで弱りきった黒死牟の技でも、八八ごと両断する威力は十分にある。
真菰の次は善逸。そして獪岳。
最後にピクリとも動かなくなった天元にトドメを刺して、それで終わり。
もう誰にも、余力はない。
なかった。
けれど。
頑張った者は報われる。
かつて、『天才ではなく誰よりも頑張った者が報われますように』と、心のどこかで願っていた黒死牟の願いは、今ここで叶う。
最後に勝つのは、神に選ばれた完全無欠の天才剣士ではない。
日光を克服した吸血鬼という完全生物ではない。
負けを認めず死を受け入れない月の鬼でもない。
不完全でも支え合い、認め合い、助け合う、完璧ではない者達が勝つ。
世界は
「間に合ったな。八八、真菰……大丈夫か? 痛いところは……ありそうだな」
「怖がらなくてもいい。
俺の名は錆兎……水柱だ。訳あって君達を助けに来た者だ」
「俺達は友を助けに来た」
「……義勇。いや、間違ってはいないが。そこの少年達には先に話すことがあるだろう」
水の呼吸の剣士、冨岡義勇。
水柱、鱗滝錆兎。
「……あーもう、また自分の体ならボロ雑巾になっていいと思ってる」
「そうね。早くみんな手当てしてあげないと」
蟲の呼吸、胡蝶しのぶ。
花柱、胡蝶カナエ。
「うむ、戦場を見れば分かる! 凄まじい激闘よく頑張った! 後は任せろ!」
「俺は任務終わって寝もせずに急いで来たんだがそんな俺の前で寝てるとはいい御身分だな」
「伊黒さん……宇髄さんは生死の境で寝てるんじゃないでしょうか……?」
炎柱、
蛇柱、
恋柱、
「しっかりしろ無一郎! 舐められがちなお前がちゃんと柱として認められる好機だ!」
「僕は今のままでもいいよ兄さん……そんな高く評価されようとも思わないし」
「俺が屈辱だ! しっかり戦え!」
「そんなぁ……僕が活躍してなんかそんな急に評価上がると思う?」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」
「兄さん!?」
顔を隠した忍者衣装の隠に、手を引っ張られやってくるのは、刀を握って二ヶ月で柱となったという天才。霞柱、
そして、八八と真菰を守るように、誰よりも前で、黒死牟と対峙する男が二人。
「私の弟子を名乗るならば、あまり心配はかけさせないで欲しいものだ」
岩柱、悲鳴嶼行冥。八八にとっての、盲目の師。
「ハッ、ザマねえなァ。貸し一つだ。
テメェを刻んだ分だけ、あのクソ鬼を刻んでおいてやる。後でメシでも奢りやがれェ」
風柱、不死川実弥。八八にとってはしょっちゅう怒鳴ってくる面白い友人。
今倒れている音を除いた、水、花、炎、蛇、恋、霞、岩、風の八人の柱がここに揃う。
普段一つの任務に全員であたることなどない、鬼殺隊の戦力頂点たる侍が八人。
―――奇跡の如き、サムライ8。
八八は全員集めるのは間に合わないと思っていた。
産屋敷は、八八達が粘り強く戦ってくれるなら、必ず間に合うと信じていた。
八八が
皆がちょっとずつ無理をすれば、ここに柱を集めることができるくらいには。
そして皆、ちょっとずつの無理をしてくれた。
今や各地で、玄弥達が柱の代わりに強い鬼を狩ってくれている。
彼らは『鬼狩りの剣士』?
否。
『鬼殺隊』だ。
どんな時でも、一人じゃない。心はいつも、共に闘っている。
「嘘だろ……柱が全員……!?」
驚愕する獪岳に隠達が駆け寄り、こそこそと獪岳と善逸を安全な場所まで運び、大きな怪我から順に手当していく。
隠の一人が、運ばれた善逸が不安そうな顔をしているのを見て、声をかけた。
「おいボウズ。いつまで不安そうな顔してんだ?
もう大丈夫だ。こんなのもう勝つ以外ねえだろ。
だから、安心しな。……とことんビビれ、クソ鬼め」
この光景を見た者は、鬼殺隊なら、きっと誰でも確信するだろう。
人の、勝利を。
「―――柱の前だぞ!!」
柱という名のサムライ8が、一斉に刀を抜く。
八八は刀を手放し、真菰の止血を始め、最後の決着を彼らに託した。