不死川家は、幸せな一家だったと言える。
そして、不幸な一家だったと言える。
父親はろくでなしで、人の恨みを買って刺されて死んだ。
母親は家族を殴ろうとする父親から子供達を守り、小さな体で朝から晩まで働いていた。
子供達は、母親が寝ているところを一度も見たことがなかったという。
不死川兄弟は、そんな母と、母が守る幼い兄弟達を見て、誓いを立てた。
「玄弥。家族は俺たち二人で守ろう」
兄も、弟も、その約束を忘れていない。全て手遅れになってからも、忘れていない。
「これからは俺とお前でお袋と弟たちを守るんだ。いいな?」
「これから
家族を守ると誓った兄弟の行く先に待っていたのは、鬼になった母親が、実弥と玄弥以外の兄弟全員を食い殺すという結末だった。
鬼舞辻は鬼を増やす。
自分のためだけに。
鬼に変えられた人間は人を食い殺す。
鬼舞辻のために。
鬼になったばかりの飢餓状態の鬼は、家族すら本能的に食い殺してしまう。
鬼舞辻の気まぐれ、運が悪かった、ただそれだけで、彼らは全てを奪われた。
鬼になった母は、兄の実弥が殺した。
弟の玄弥は錯乱し、兄を人殺しと罵倒した。
そうして、不死川家は終わった。
後悔の中をもがくようにして実弥は鬼との戦いに身を投じ、その果てに風柱に。
玄弥は兄を責めたことを後悔し、兄に謝るため鬼殺隊に入隊した。
兄は弟を突き放し、弟の鬼殺隊除隊を望む。
弟の平穏と幸福のために。
弟は突き放されようとも兄を追い続ける。
兄に謝罪し、その隣に居るために。
不死川家は完璧ではないが良い家族で、兄弟はちゃんと互いを愛していたが、鬼舞辻無惨によってどうしようもないくらいに、関係性の歯車が狂ってしまっていた。
実弥と玄弥が顔を合わせれば、守りたかった弟が鬼殺隊に入り命の危険に遭っていることで兄は追い詰められ、焦りと憤りから弟の目を潰してでも除隊させようとするかもしれない。
そのくらい、この兄弟の関係性は捻じれ曲がっていた。
実弥は一人でその全てを抱え込み、山を登る。
「……」
彼は多忙である。
柱であるがためか、最低限の休息を除きほぼ毎日激戦区に足を運んでいるほどだ。
彼の健闘が仲間達を守り、弟も守っていた……はずだった。
だが、玄弥が鬼殺隊に入ってしまった以上、それも確実なことではなくなってしまった。
実弥は強くなろうとする。
今よりももっと。
彼が尊敬する岩柱・悲鳴嶼を超えるくらいに。
今度こそ、最後に残った家族を守り切るために。
話に聞いている入隊した弟と会った時、圧倒的な力を見せつけ、弟を鬼殺隊から叩き出し、兄の心配をする必要など微塵もないと見せつけるために。
だから、修行に向いた地にやって来ていた。
「……今日はよく晴れてんなァ」
もっと強く。
今よりも強く。
今ある剣技を極めるべく、彼は山道を登っていく。
風柱という肩書きを得てもまだ足りない。
実弥が見上げる空を、カラスが舞っていた。
「お前の通名は『口だけの弱者』って事で。師匠の説教より長い口上……聞いてらんないカァー」
風の呼吸で全力で跳び、カラスの足を掴み、ぶん投げる。
川の水面に叩きつけられたカラスが特大の水柱を打ち立てた。
唐突に前振り無く全力の全力を出したことで僅かに息が切れる実弥。かなりキレてる実弥。聞かなくてもこのカラスが誰のものなのか分かるのが果てしなく嫌だった。
「はァ……はァ……野郎、気を抜いた時に唐突に来やがるッ……!」
ひらり、ひらりと、キレる不死八の頭上に紙が落ちてくる。
それは手紙であった。
今の鎹烏はおそらくこれを運んできたのだろう。
他の誰かに届けられる手紙なら自分が届けなければならない、と思いつつも、嫌な顔で手紙の宛先を確認する実弥。
目に入ってくる、『不死八へ』の四文字。
「死ねや」
中身も読まず、実弥は手紙を包みごとビリビリに破いて、川に流した。
読む気がまるでしなかった。
読んだらやばい気がした。
川をちぎれた手紙が流れていく。
ちぎった手紙が八八のように再生して追って来ないか不安で、流れていく手紙を見つめていた実弥と、同じ登山道を少し遅れて上がってきていた二人が、ばったり顔を合わせた。
「あ」「あ」
「お」
「こんにちは、不死川さん」
「兄の方の不死川くんだ。やっほ」
「胡蝶の妹に、鱗滝の妹か。あと忠告しておくが……俺に弟は居ねえ」
「私は錆兎の妹じゃないけどね」
胡蝶しのぶ。鱗滝真菰。不死川実弥。
奇妙な偶然で、三人は顔を合わせ同道し、共に一本道を登って行っていた。
そういえばこの二人は特に仲が良かったか、と実弥は二人を見て思い出す。
「なんでここにいんだァ」
「八八くんが最近教え子取ったんだって。
それで、面白いからしのぶちゃんと見に行こうって話になったんだ」
「面白そうだから見に行こう、じゃなくて、
『面白い』
って既に確定事項にしてるのが真菰さんらしいですよね……」
「絶対面白いよ絶対、うんうん」
「……あいつここに居んのかよ。顔は絶対合わせたくねぇな」
こいつらがあいつの所に辿り着く前に途中で別れるか、と実弥は心中で決めておく。
「というかまだ兄弟喧嘩してるの?」
「あ、ちょっと真菰さん」
「……なんだァ? テメェいつから余計なことに首突っ込めるほど偉くなったんだ?」
「偉くはないし、何も命令はできないよ。
でも存在まで否定するようなこと言ってると、隊に不和ができそうじゃない?
弟の方の不死川くんも不満に思うかもしれないし、その友達は許さないかもしれない。
一致団結する鬼殺隊の和を無自覚に乱すなら、義勇並に問題を引き起こしそうかなって」
「冨岡の野郎並だとォ……!? 本気で言ってんのかァ……!」
「うん」
「テメェ……! このカスが、テメェも俺を煽ってんのか!?」
「……怖いねぇ」
「まあまあ。お二人共そこまでです。
家族の問題に首を突っ込むなというのも正しい。
不和の原因になるなというのも正しい。そうでしょう? お互い分かってるはずです」
怒りを隠さない実弥。
飄々とし、微笑みを浮かべたまま実弥の痛いところを突く真菰。
その二人の間に入って、しのぶが口喧嘩に発展しそうになるのを仲裁する。
実弥は真菰の指摘の正当性を分かっているし、真菰も実弥の家族の問題に踏み入られることの不快感を分かっている。
相手の正しさをある程度は認めている。
だから、しのぶの仲裁で、会話がヒートアップするのを止めた。
実弥が怒りをぶつけても、睨んでも、荒っぽい語調で言葉をぶつけても、真菰はどこ吹く風で穏やかに微笑んでいる。
真菰が怒りで取り乱したり冷静さを失ったりする姿を、実弥は見たことがない。
どんなに自分の悪口を言われても怒りそうにないこの女が、何をされたら怒るのか、実弥には皆目見当もつかなかった。
「家族を一途に想ってる子が、兄に応えてもらえないのは、かわいそうだよ」
「……んなこたァ分かってんだよ、俺だってな」
真菰の言葉が『愛する弟』を気遣っている気持ちから来ていると分かると、実弥はもう怒るに怒れない。
怒れないが、応じることもできない。
『優しい兄』が鬼殺隊に居ると思えば、きっと玄弥は愛する兄を守るため、もう鬼殺隊から抜けられなくなってしまうから。
実の兄だからこそ、玄弥がどう考えるかを理解できていた。
全て救われてくれと願う気持ちは、もう不死川実弥を救えない。
一つでも多く救われてくれと、せめて一人でも救われてくれと、弟に対して願う気持ちが、彼を支えている。
家族の多くは鬼になった母に殺され、その母は実弥が殺したからだ。
もう実弥の家族は玄弥しか残っていない。
弟だけが、彼の人生に残された最後の光。
玄弥が健やかに生きて、いつかまっとうに幸せになっていく……それだけが、不死川実弥の人生にたった一つだけ残っている、心からの願いだった。
「あ……兄貴……?」
そして実弥は、弟と会ってしまう。
八八の指示で走り込みをしていた玄弥と顔を合わせてしまう。
兄を見て玄弥が息を呑んだ音は誰の耳にも聞こえたが、咄嗟に感情を隠した実弥が息を呑んだ音は、隣に立っていた真菰しか聞いていなかった。
「兄貴! 俺……俺、兄貴と話したいことが」
「黙れ」
「違うんだ、聞いてくれ兄貴! 俺は……」
「しつけぇんだよ、俺には弟なんていねェ。いい加減にしねぇとぶち殺すぞォ」
「っ……まっ、待ってくれよ兄貴! ずっと俺は兄貴に謝りたくて」
「心底どうでもいいわ、失せろォ。
馴れ馴れしく話しかけてんじゃァねぇぞ。
それからテメェは見た所何の才覚もねぇから鬼殺隊辞めろォ。
呼吸も使えないような奴が剣士を名乗ってんじゃねぇ」
怒りの表情で威圧する兄。
威圧され、たじろぐ弟。
不器用すぎる兄の姿に、しのぶは眉間を揉み、真菰は整った顔で苦笑する。
だが玄弥は怯えを浮かべたものの、数秒の葛藤の後、歯を食いしばって実弥を睨み返す。
その瞳に宿るは強き意志の光。
厳しい現実に打ちのめされながらも、玄弥の心は折れず萎えず、威圧してくる兄に対し一歩も引くことなく、その口を開いた。
「兄貴がどう思おうが鬼殺隊続けるかは俺が決めることにするよ」
実弥のこめかみに血管がビキッと浮き上がり、しのぶと真菰が全てを察した顔をした。
「テメッ……その言葉、いやまさかそういうことなのかァ!? あいつの弟子に!?」
「半分は当たってるな。耳が痛いぜ」
「全部当たってんだろうが! さっさと鬼殺隊抜けろって言ってんだよォ!」
「なんとなく話が見えてきたぜ」
「話が見えてきたからなんだってんだァ! 呼吸も使えねぇんだろうがテメェはァ!」
「兄貴……いつも同じこと言ってる気がするな。何故だ?」
「テメェが呼吸使えねえのが変わってねえからだろうがよ! 死ぬぞ!」
「ナイス心配!」
「何がナイスだ! 役立たずは鬼殺隊で戦っても足手まといなんだよォ!」
「兄貴がどう思おうが役に立つかどうかは俺が決めることにするよ」
「それは自分で決められねぇだろうがァ!
「よかったな……で……それが何の役に立つんだ!」
「縁の下の力持ちで常時役に立ってくれてるわ! 感謝してねぇわけねぇだろ!」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言えるぜ」
「ああああああああああああああああッ!!!」
天に向けて叫ぶ実弥の声が、悲痛に響き渡った。
「うわぁ……うわぁ……八八さん、あなたって人は……」
「八八くんの影響で口論防御力だけ百倍くらい上がってそう」
しのぶは空の彼方を見つめ呟き、真菰はちょっと楽しそうに笑っていた。
「八八ィィィィィィ!!!」
呼吸の剣士にしかできないような、産屋敷の土地全域に響く大きな声の叫びが、少し離れた場所に居た八八を呼び寄せた。
「呼んだか不死八」
「呼んでねえけど呼んだわぶっ殺してやらァァァァァァァァァ!!!」
実弥の渾身の右ストレートが八八の顔面に突き刺さり、八八が吹っ飛んだ。
「他人が人生で一番大事にしてるものの上で糞漏らすようなことしやがってよォォォッ!!」
実弥の叫びを聞き、玄弥が口元を押さえ、泣きそうな顔になる。
「あ、兄貴……俺のこと大事にしてるって……」
「言葉の綾だァァァァ!!!」
「いや、本音だ。拙者の心眼は見通している。不死八はカツ八をちゃんと愛している」
「兄貴……お、俺……!」
「馬耳東風かテメェら!?」
「風はお前だろう不死八」
「兄ちゃん……!」
「あー腹立つ! 八八テメェ何がしてぇんだ嫌がらせか!?」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」
「がァァァァァァァァァッッッ!!!!」
地面に転がされた八八の上に実弥が乗り、マウントを取って殴り始めた。
悲しいかな。
顔を真っ赤にする実弥と、泣きそうな顔で感動している玄弥を見て笑っている八八の笑みを、実弥パンチは奪えない。
HPは無限で、傷はすぐ治り、実弥は八八の煽りを止められない―――ゆえに、煽りの呼吸。
「と、止めなくていいんですか、真菰さん」
「大丈夫大丈夫。男の子なんてあんなもんだよ」
「それは絶対にないです」
30分後、見かねたしのぶが八八を助けに入り、しのぶを助ける形で真菰が実弥を押さえにかかり、八八は実弥の怒りから解放されるのだった。
それから、一週間後。
一週間キレ散らかしていた実弥がようやく落ち着いた頃、自宅で刀を振っていた八八の家に、苛立った様子で謝罪に来る風柱の姿があった。
「お館様が形式上でも謝りに行けって言うからよォ」
「まだまだ謝罪が足らぬ」
「いい性格してんなテメェ!」
家の中に招き、座布団を出し、お茶を出す。それが侍の"義"。
お茶をコトンと置く八八を見るも、実弥は苛立った顔のままだった。
「不死八はおはぎが好きと聞いた」
「おォ。なんだ、お茶請けでも出すのか? テメェにそんな常識的なところがあるたァな」
パカッ、と八八の頭が開き、その中から取り出されたおはぎを、八八は実弥に手渡す。
「食え」
「食えるかァァァァァァ!!」
「渡された食べ物を粗末にするのか? 謝罪に来たくせに?」
「なっ……ぐっ……こいつ……正論言ってんじゃねェ!」
実弥は嫌々、脳内熟成おはぎを食べ始めた。
「クソ、脳髄液の味がする気がしてきやがる……」
「お前の弟のカツ八は順調に技能を伸ばしている。悲鳴八師匠が良く教えているようだ」
「んなこと確認しにきたわけじゃねぇんだよ」
「謝罪か」
「謝罪したということにしとけ」
「直接ではないが……あくまで間接的だが……そうなるな」
「……」
不死川の間接的な謝罪を受け取る八八。バツが悪そうな表情で、実弥はおはぎを齧った。
「てめえだって分からねぇわけじゃねえだろォ。"こっち"来んなって気持ちはよォ」
「うむ」
「……全部忘れろとは言わねぇから、折り合いつけて普通に生きてろってんだよォ」
八八にも分かる。
"鬼殺隊に居てほしくない"という気持ち。
守りたいと思った人間には、鬼殺隊には入ってほしくないと、彼らは思う。
鬼殺隊でどれだけ人が死んでいるか、分かっているからだ。
実弥の周りでは多くの人間が死んでいった。
家族は鬼になった母に殺された。
鬼になった母は実弥が殺した。
素人のまま鬼を狩っていた実弥に鬼殺隊を紹介した仲間、粂野匡近も鬼に殺された。
一般人も。
鬼殺隊の仲間も。
前に居た柱も。
皆、皆、死んでいった。
弟の死を恐れる兄の気持ちには、多くの死を見てきたがゆえの裏付けがある。
「仮にも師匠の一人になったんだ。テメェもあいつの将来に責任持ちやがれェ」
不器用極まった兄の口調で、実弥はそう言い放つ。
「爆発して死ぬのに? 意味ないよ」
「死ぬかァァァァァァァァァ死ぬわけねぇだろうがァッ!!
ふざけたこと言うんじゃねェぶっ殺……いや死なねえか……ぶん殴るぞッッッ!!!」
「ウワサ通りいい兄弟愛だ! ついていこう!」
「こいつ……!」
だがなんか曖昧にされてしまって、はぐらかされてしまって、それでもなんとなく八八も玄弥を守ってくれる気がしてきて、実弥は心のどこかで安心していた。
この男の言動はイラつくものの、無能だと思ったことだけは、一度も無かったから。
「最近弟と話すようになったと聞いた。
家族と仲良くする姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」
「テメッ……!」
不死川兄弟は折り合いをつけるのが苦手だ。
兄は弟を愛しているのに弟を突き放すことしかできず、弟が鬼殺隊を離れる気が全く無いのが分かっても、鬼殺隊から叩き出すようなことしか出来なかった。
弟は兄に突き放されても兄を見離せず、才能が無くても戦いの場に居続けることをやめられず、邪道を進んでも兄を追い続けた。
もう少し器用だったら、もう少し上手くやれたかもしれないけれど。
それができないから、不器用ながらも、なんとかやっていくしかない。
兄を想うがゆえに鬼殺隊を離れない弟に対し、突き放すことしかできなくなっていた兄は、八八というキチガイ異物の影響により、ほんのちょっとだけ違う選択肢を選ぶことができていた。
「ありがとよ。それと、テメェは一生許さねえ」
「拙者、お前の中に"愛"を見た」
「変な言い回ししかできねぇのかテメェは……だから嫌いなんだよ」
不死川実弥は、八八八八八八が嫌いである。
ふっ、と格好つけて八八は笑む。
「不死川の名に相応しい、死ぬ心配の無い不死の友人は要るか?」
不死川実弥は、鼻で笑う。
「要らねぇよ、バァカ」
そうして、バカな友人をバカにするように、笑った。
八八が頭の中から出した脳内熟成おはぎは、うっすらと友情の味がした。