自家用車をサーキットで評価するな:新配列とタイピングゲーム
新配列をタイピングゲームで評価するな。終わり。
じゃあなんなので、もうちょっと書いてみるけど。
タイピングゲームはサーキットである
これは「実用環境と全く違う」ということを指している。ここでいう実用とは作文のことである。
タイピングゲームと作文タイピングは違う。これは当たり前。問題は、どこがどう違うかということである。
書くのと書き写すのは違う
問題文と自分の文体が違う。なんなら問題が文ですらなかったり変換不要だったりする
実用ではミスタイプが大きな問題たりえないがゲームでは大ダメージ
実用では思考以上の速さは必要ないがゲームでは必要
実用では文章を考えるがゲームでは運指(変換ありなら変換も)を考える
これを、「ゲームは実用の一部を切り取ったものである」という言い方もできるが、実際には、実用に必要ない要素が多分に含まれている。
この観点で特に重要なのが、思考リソースの割振りである。
ただのコピー打鍵と「ゲーム」の最大の違いは、スピード(+正確性)のスコア化であり、スコアを上げることにプレイヤーを誘導する。そのためのゲーミングである。
タイピングゲームはタイピングそのものに脳のリソースを突っ込むゲームである。これは、「作文タイピングのタイピング部分だけを取り出したもの」とは全く異なる。(そもそも「書く」=「考える+書き写す」ではないし)
タイピングゲームは「単純化されたタイピング」ではなく、「スピード特化のタイピング」である。「単純化された道路」ではなく「レーシングコース」である。
新配列は自家用車である
というのは言いすぎというか、レーシングカーのような新配列は実在する(例えば月配列、いろは坂配列)。しかし、多くの新配列は実用を想定した自家用車である。
というか、ユーザーがそれで作文するならどんな配列も自家用車ではある。GT-Rで近所のスーパーに買い物に行くのはアホらしいというだけだ。
そもそも配列そのものにエンジンとかないわけだが、想定する速度域は存在する。それが表れているのが「標準運指」と「シフト」である。
標準運指とは、同じキーを常に同じ指で押すことである。対義語は最適化運指である。
新配列のほぼ全ては標準運指を想定している。
ローマ字(行段)系では母子左右分離が主流だが、この最大の利点は、標準運指してもむちゃくちゃな運指(qwertyローマ字のzawaとかmuとか)がほぼ表れないことである。
かな入力においては、JISかなでは使用キー範囲がだだっ広いため、標準運指が困難で、有効でもない。そこで、標準運指に適切なキー範囲に収めるために用いられるのが、シフトという概念である。
シフトとは、同じキーに複数の役割を持たせることである。アルファベット入力で小文字と大文字が同じキーであるのと同じことで、かな入力においても同じキーに複数のかなを割り当てる。
JISかなでも小書きはシフトになっていて、「あ」と「ぁ」は同じキーである。しかし多くの新配列では、使用キー範囲の大半に複数の、ときに5とか6もの仮名を割り当てる。使用キー数を減らしつつ、濁音や半濁音や拗音も1アクションで打てるようにするためである。
標準運指もシフトも、最速の方法論ではない。
そもそも標準運指のスピード的限界を乗り越えるために編み出されたのが最適化運指である。最適化運指とは、同じキー(シーケンス)でも、状況に応じて異なる運指で打つことである。例えば、muを人差し指-中指で打つなど。
シフトの方式自体様々なものがあるが、多くは複数キーの同時押しである。これは高速域ではミスを誘発しやすく、「同時押しとみなされないため」にゆっくり打たねばならないものもある。
標準運指とシフトの効用は、ブラインドタッチの容易化、安定化である。一見複雑に見える新配列は、実は街乗り用の「乗りやすいクルマ」である。
サーキットで自家用車を評価するな
多くの新配列は、「最高速は出ないが乗りやすいクルマ」である。そして、タイピングを学ぶ多くの人の目的は、競技でもゲームでもコピー打鍵でもなく、作文である。クソツイも作文の一種である。
近所のスーパーに買い物に行くためのクルマを、サーキットで評価するのは愚かなことだ。しかし、新配列を学ぶ人は、少なからずタイピングゲームをやる。
なぜだ!!!!!!!!!
近所のスーパーに買い物に行くためのクルマは、近所の下道で評価すべきである。つまり、いつもどおりのクソツイを書くことで評価すべきである。
当たり前のことだ。作文のために新配列をやるなら、タイピングゲームで評価するな。
サーキットで運転を練習するな
教習所にあるのはロータリーって呼んでええか? 「サーキット」っていうのはレーシングコースのことだと思ってくだせえ。
新配列を評価するにしても、いつもどおりのクソツイを書ける程度までに習熟するにはどんな練習をすればいいのか?
時間はかかっても打てるようになる
すらすら打てるようになる
の2段階に分けるとして、1段階目ってことね。
ぶっちゃけると配列の設計によるし、最終的に書きたいものにもよる。よるんだが、考え方としては、「連接単位」が最初のステップだとは思う。
なんでかっていうと、標準運指のブラインドタッチってのは、
「キーシーケンスではなく運指をつないでいくこと」
であり、理想的には、
「文字単位ではなく語(文節)単位」
であるからだ。
覚えるのは配置ではなく、運指。例えば、メビウス式のレイアウトを見て欲しい。
左手ホーム行には
きてし
が並んでいる。
これを、「し」「て」「き」と覚えるのではなく、
してしてしてしてしてしてしてしてしてしてしてしてしてして
きてきてきてきてきてきてきてきてきてきてきてきてきてきて
とやる。こういうのをいっばいやって全アルファベット・仮名を「塗りつぶし」ていく。そうすると、
「どこになにがあるかはわからんが、どうやって打てばいいかはわかる」
という状態にすぐなれる。そしたらクソツイくらい書ける。
ちなみに僕は作者なので、そういうのわかってるから、いきなり実戦にブチ込んだ。つまりひたすらnoteを書いた。近所の下道は時速15kmでもカマ掘られないしね。
書くことがそんな大量になくて、でもハードワークしたいなら、もちろんコピー打鍵だってしていい。
ただし、「作文のための練習としては」ゲームではなく純粋なコピー打鍵を奨める。ゲームには余分が多いし、問題文を選べないからだ。
小説を書きたいなら小説を、コラムを書きたいならコラムを、報告書を書きたいなら報告書を写せばいい。もちろん良い文章を。実用的な語彙・文体で練習できるし、すぐれた文章の写経自体が「書く練習」にもなるからだ。
サーキットで速けりゃ下道でも速いんじゃねーの?
下道でだけイケてるクルマがあるとして、サーキットでイケてるクルマが下道でイケてないってこと、配列の話で本当にあんのか?
3つ論点がある。
そうでもない
そこまで速い必要ない
速いかどうかが基準として超々々々々々々限定的
■1. そうでもない
すごくわかりやすい例を挙げると、標準キーボードの標準配列だとエンターや記号が遠い。
それ配列じゃなくてキーボードの問題じゃねえか!!!っていうと、まあそう。
しかし、新配列の中にはこうした問題に配慮して、「特殊キーや機能キーを近づけている」ものも多い。メビウス式もそう。クルマに喩えると「小回りが利くかどうか」はこういうところだ。
■2. そこまで速い必要ない
これは「タイピングゲームで速い」の基準によるが、多少やり込んでいる人は、実戦で書くスピードを遥かに超えた領域に辿り着いてしまっている。
そもそも、文章を完成させるまでの時間でタイピングしてる時間は何%あるのか。それが半分になったらなんだっつーのか。なんだったら、タイピングする間、思考を止めてタイピングに全振りしてない? それって時間の無駄なんじゃあ?
■3. 速いかどうかが基準として超々々々々々々限定的
2と近いけど、速い以外の基準ってなんだよって話で。
さっき書いた小回りはいちおう「下道での速さ」に含まれるとして。
例えば燃費。どれだけ書き続けられるか。
例えば耐久性。腱鞘炎とかなりにくいか。
例えば覚えやすさ。清濁同置かつ拗音合成が一番認知負荷は低い。
運指設計の面では最近注目しているのが「切れ目」。
例えば「している」は定型だから、ひとかたまり(チャンク)で打ちたい。ひとかたまりだが、その中でも分かれるとすれば「して+いる」が当然望ましい。
これが、qwerty基準で表現して、「してい(fds)+る(j)」とかだったら、かなりスムーズではあるけど気持ち悪いだろう。「し(f)+ている(jkl)」もちょっとイヤだ。メビウス式だと「して(fd)+いる(ko)」で、「している」というフレーズだけ見たら、この3例では一番良いだろう。
これは、「そのほうが速い」という観点ではない。「言語的に自然に打てるか」という観点である。
「ローマ字系」と「かな入力(または行段入力)系」の比較という論点もある。これはそれぞれメリット・デメリットが色々ある。
英語はqwertyでいいから日本語入力だけなんとかしたいならかな入力系。
英語も日本語もまとめてqwertyよりはマシにしたいならローマ字系。
英語は英語でベストな配列を選びたいならかな入力系。
とにかくローマ字が良くて、英語はしっちゃかめっちゃかでもいいという場合もあるだろう。
キー範囲も重要だ。多くの新配列はローマ字系ならqwertyより、かな入力系ならJISかなよりはキー範囲が狭いが、快適に打てる範囲は人によって違う。スキルや好みの問題だけでなく、病気や障害によって著しくその範囲が狭い人も存在する。
アルファベット26キーですら多い、20キー、16キー、10キーという世界もある。Svalboardみたいな製品もある。そこでは既存配列のほぼすべてが無意味化する。
「どれだけ速く打てるか」は配列を評価する基準の一部に過ぎない。こと作文においては一番どうでもいいとすら思う。
結論
自家用車をサーキットで評価するな。近所の下道を走れ。クソツイをしろ。終わり。



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