言葉には魔法のような力があります。でもその魔法は、時に現実とちょっとだけズレることもあるようです。 たとえば『ずっと』と言った瞬間、私たちは心の中で永遠を描きますが、実際にはほんの一瞬のことかもしれません。『いつも』と言えば、つい何もかもを包括しているように感じますが、現実の世界には例外が必ず存在します。『すべて』や『まったく』も同じで、便利で強力な言葉ではあるものの、完全に現実を表すわけではありません。薄い雲がぽっかり浮かんでいても『快晴』と言い、数百頭しかいない熊を『いない』と言ってしまうのも、この魔法のせいです。言葉の魔法と現実のズレを意識しながら、私たちはどこまでその魔法を信じ、どこまで目をこらして現実を見ていくべきなのでしょうか…… そこで、「ずっと」、「いつも」、「すべて」、「まったく」という言葉を 使うと、矛盾が出て来てしまいます。 「明日は快晴!」といっても、文字通り「雲1つない」とは限りません。 薄い雲がちょっとあっても「なかったこと」にされるんです(笑) 「九州には熊がいない」、どうやら本当らしいです。 「紀伊半島、四国には熊がいない」なぜ? 戦後、杉と檜だらけになり、熊の餌が山にないからです。 本当にいないのか?います! でも、岐阜県や長野県みたいに4,000頭単位でいるのでなく、 数百頭しかいないため「いなかったこと」にされてたんです。 人間が山歩きし、熊に襲われるのは熊密集地域とは限りません。 1頭でもいて、そいつに遭遇すれば、やられます! 「熊がいない」も「ずっと寂しかった」もよく似た構造なんです! 構造的に「ずっと寂しかった」=「ずっと快晴」=「熊が全くいない」 なんです(笑) そこで質問ですが、『ずっと』『いつも』『全く』なんて言葉を使うとき、文字通りに受け取られることはほとんどありません。薄い雲も、数百頭の熊も、なかったことにされちゃうような感じです(笑)。じゃあ、私たちは言葉の便利な魔法を信じて楽しむべきなのか、それとも現実にちょっとだけ目をこらすべきなのか……どちらが正しいのでしょう? ๑๐/๑๕