田んぼにやってきた
そういうわけで収穫を行う田んぼにやってきた。
ここは祖父宅の裏山にある棚田で、正確な広さや収量は知らないが、3世帯が1年かけても食べ切れないほどのお米を育てている。
ざっと見回してみると倒れている稲もあるようだ。実が重いぶん詰まっていて出来がいいんじゃないですかと聞くと、脱穀するまでは分からんと言われた。そりゃそうか。
私は祖父とは別に暮らしていて米づくりには関わっていないのだが、今年は暑さが続いているせいで作業が大変に辛いらしい。珍しく叔父さんから協力要請があった。
親戚がつくったお米を食べて生きる身としては行くしかないだろう。なにより、みんなの役にも立ちたい。
でも冒頭で書いたように集団作業が苦手だ。体育祭をサボったことがあるくらい集団作業が嫌なのだ。大丈夫だろうか。頑張ろう。
一度、農作業を手伝うのに長靴なし手袋なし帽子なしという姿で登場したら変な感じになったので、今回は抜かりなく準備した。できるところから頑張っていこうぜ、社会。
稲刈りに食らいつけ
さあ、人手も揃って早速稲刈り開始だ。
これから機械を使って米を刈っていくんだろう、多分。そのあと掛け干しすることは知っている。そのくらいのぼんやりとした理解度で仕事に臨む。
打ち合わせらしい打ち合わせがあるわけでもなく、唐突に稲刈りが始まった。いつ始まったか気づかないくらい唐突だった。置き去りである。
観察したところによると、このバインダーという機械は稲を刈り取りながら進んでいき、ある程度の量になったら自動で稲を結束してくれるものらしい。
会話もないのにとんでもない息の合いっぷりで作業が進んでいく。凄まじい。
バインダーは一人で操縦できるようなのだが、たまに補助が必要になるようだ。角を曲がるときなどにもう一人のほうが稲に手を添えて刈りやすくしているっぽい。先程から語尾に自信がないのは憶測で書いているからである。
一方で私は何もできずにいる。機械のエンジン音に勇気をかき消されて何をすればいいのか聞くこともできない。出たぞ、幾度となく味わったこの感じ。
少なくともバインダーの刈り取り作業には人手がいらなそうだ。どうする。昨晩、ガンガン働きます!みたいなラインを送ったのが今になって恥ずかしい。
仕事が見つかる!
バインダー部隊とは別で動く祖母は、機械が刈りもらした稲を集めて束にしているようだ。
ちょうどミレーの『落穂拾い』のようだ。おばあちゃんを貧農の絵画にたとえている場合か。どうする。どうしよう。聞こう。
祖母に何をすればいいか聞いたところ、バインダーがまとめた稲を端によけておく仕事を紹介してもらった。
バインダーがまとめた稲束は自動で排出されるようになっているが、そのままだと邪魔になるのだろうと思う
よし、ついに職にありつけたぞ。
地面に並ぶ稲束をかがんで拾うのは大変だが、精一杯やった。筋肉への負担を感じる。履きなれない長靴が重い。それでも労働の喜びがある。充実した時間だ。
しばらく続けていると、バインダー部隊から声がかかった。
「それやらなくていいよ」
やらなくていい仕事だったのか。
そう言われたら確かにそうだ。稲束を竹にかけるとき、変に一箇所にまとまっていると不必要な運搬作業が生まれてしまう。
切り替えよう。うまくいかなくても大丈夫。そう、私たちは同じ時代を生きる仲間なのだから。そう悟った。
念願の有意義労働!稲を干す!
アワアワしているうちに、作業中の区画の稲がすべて刈り取られた。
次は稲架(はさ)と呼ばれる竹の棒に稲束をかけていくようだ。それならできる気がする。はやく始まってくれ。
コンバインでの収穫だと刈り取りから脱穀までを行うので稲架掛け作業はないのだが、ここでは古くからの習わしで米を天日干しするらしい。
なんでも、天日干しすると米が追熟して美味しくなるそうだ。また。乾かしたあと脱穀さえしてしまえばそのまま籾を自家倉庫に貯蔵できて便利という話もあった。
バインダー部隊は早々に次の区画を刈り取りに行き、稲架掛け作業は私と祖母に託された。これは流石にできる。できることしかできないのだ。働くぞ。
身体の疲れがどうとかより役に立てているのが嬉しくて心が軽い。土台、身体を動かす仕事も物を整理するのも好きなのだ。
あとはひたすら同じ作業をしたのだが、慣れて心が揺れなくなったぶん書くこともないので唐突にまとめに入ろう。
分かる仕事は楽しい。分からないなら人に聞けばいい。
役に立てなくても周りが動いてその仕事が成立しているなら、それはそれでいい。だって、わたしたちは同じ時代を生きる仲間なんだから。集団行動とはそういうものなんだろう。
ある種の開き直りもありつつ、集団行動への苦手意識が少し払拭されるいい経験になった。


