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古代妄想。油獏の歴史異聞
香春の神。
昔者新羅国神。自度到來。住此河原。便即。名曰鹿春神。又郷北有峯。頂有沼周卅六歩許。黄楊樹生。兼有龍骨。第二峯有銅并黄楊龍骨等。第三峯有龍骨。(豊前国風土記逸文)
豊前、香春(かわら)郷。豊前国風土記によると、昔、新羅の国の神が海を渡って、この河原に住んだという。郷の北に峰があり、頂きには沼があり、黄楊樹が生えている。そして竜骨がある。第二の峰には銅と黄楊、竜骨などがある。第三の峰には竜骨があるという。「竜骨」とは石灰岩のこと。
香春三峰、一ノ岳は石灰岩の採掘により、今は標高は250mほどだが本来は500mあった。子供の頃、田川に居たことがある。私の記憶の中では右側を削られてはいたが、一ノ岳にはまだ山頂があり、岩を剥き出した巨大な山隗としてそそり立っていた。
一ノ岳の南麓の台に「香春神社」がある。延喜式神名帳に記載されている豊前国の神社は六座。うち三座がこの香春神社に鎮座する。辛国息長大姫大目神社、忍骨神社、豊比売神社の三座。香春の社は崇神天皇の御代に始まり、もとはそれぞれ三峰の頂きに在ったという。
和銅2年(709年)に山頂の三社を移したのがこの香春神社である。豊前国一宮は宇佐神宮とされるが、古い記録の中には香春神社を一宮としているものがあるという。香春神社の前の道は、都と大宰府を結ぶ「田河道」と呼ばれる古代の主要官道。その道筋で香春の神々は繁栄を誇っていた。
一ノ岳の神、辛国息長大姫大目命は「第一座、辛国息長大姫大目命は、神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ。」と社伝にあり、唐土に渡った神が帰国したものであるという。「辛国」とは韓の国、加羅国。
また、「辛為比売語曽神之垂迹歟。神名帳曰、摂津国東生郡比売語曽神社、御同躰也。」とも述べ、辛国息長大姫大目命は摂津の比売語曽(ひめこそ)神社に鎮座する「阿加流比売(あかるひめ)」であるとする。
「阿加流比売」とは日本書紀では意富加羅国王の子、「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」が追ってきた白石の化生である童女。古事記では新羅の王子、「天日矛(あめのひぼこ)」の逃げた妻。こちらは日光感精で産まれた卵生神話をもつ赤玉の化生。摂津と国東半島沖、姫島の比売語曽神社に鎮座する。
姫島の名称由来は、当に、比売語曽神社に祀られる阿加流比売。そして、阿加流比売(あかるひめ)のアカは「鉄」に由来する。比売語曽神社の「拍子水」は赤い酸化鉄が沈殿した水。比売語曽神は「赤水明神」とも呼ばれ、鉄との拘わりを見せる。そして姫島は古事記に「亦の名を天一根(あめのひとつね)」とある。天一根命とは天目一命、天目一箇神とも、鍛冶の神、ダイダラボッチのこと。
香春神社の神職に「赤染氏」が在る。香春から豊前に出る地が「赤村」。赤が金属精錬集団の痕跡を見せる。そして、それを追って渡来したとされる都怒我阿羅斯等、天日矛の存在も鉄に拘わる。
「息長大姫大目命」の名は息長帯比売こと神功皇后を思わせる。縁起には「辛国息長大目命者。吾日神之所霊化、而従韓地自度到来之神女也。即神功皇后之祖神、宇佐宗苗之輔弼。」と記され。辛国息長大姫大目命は神功皇后の祖神であり、宇佐宗廟の輔弼(ほひつ)であるとする。輔弼とは輔佐のこと。
息長氏は謎の多い一族で、息長帯比売、神功皇后の母方の祖先は「天日矛」であるという。天日矛は前述の天目一箇神と同神とされる。息長とは製鉄の際、鞴で長く息を吹きこむさま。息長氏は渡来系の製鉄、鍛冶氏族であるともされる。
二ノ岳の神が「忍骨命」。社伝によると「第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。」とある。天津日大御神とは天照大神。忍骨命とは天照大神の御子、「天忍穂耳命」のこと。天忍穂耳命は英彦山(日子山)の神でもある。そして、二の岳の山頂からは古代の祭祀遺跡が検出されている。
三ノ岳の神は「豊比売命(とよひめ)」。社伝には「第三座、豊比売命は神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ。」とある。神武天皇の外祖母とは鵜葺草不合命を産んだ「豊玉姫」のことであろうか。香春神の中では三ノ岳の豊比売命が最も古く、重要な神であったという。
三ノ岳は銅を産出し、香春で最も古く開かれたという。三ノ岳の山腹には無数の採掘跡があり、麓に「採銅所」の地名を残す。香春はもとは「カハル」で、朝鮮語の「カル」は銅のこととも。
三ノ岳の北麓、採銅所の街区、高巣の森と呼ばれる小山に「古宮八幡宮」が鎮座する。主祭神は豊比売命。そして、この宮が香春神社の元宮とされる。古宮八幡神社は古くは「阿曾隈(あそくま)の社」と呼ばれ、香春神社古縁起に「採銅所の阿曾隈の社を信じ、和銅2年新宮を勧請し奉り、香春是也、本、新両社と号す。」と記され、古くは豊比売命が「阿曾隈」に祀られて、辛国息長大姫大目命は和銅2年に勧請されたという。
多くの古社が和銅年間の創建とされ、国家事業として神社祭祀が整備されていった時代、香春の主神、阿曾隈の神も「神功皇后の祖」や「天照大神の御子」といった国家神を合祀したとも思わせる。
そして、この古宮八幡宮は北部九州の神祇、宇佐神宮の放生会の出発地とされ、八幡神のご正躰とされる銅鏡が古宮八幡宮から宇佐神宮へ奉納されたという。
古宮八幡宮の神職は長光氏である。三ノ岳の麓に長光集落があり、ここに「清祀殿」がある。清祀殿は銅鏡の鋳造場であったとされ、長光氏は銅鏡の製作に拘わり、清祀殿の傍には銅を採掘した「間歩(まぶ)」が残る。
また清祀殿には銅鏡製造の神事に拘わる三柱の花崗岩が磐座として祀られる。宇佐でも御許山の奥宮に、比売大神の顕現として三柱の磐座が祀られる。香春の神とは古宮八幡宮に祀られる銅鏡の神、豊比売命が本体であり、宇佐の比売大神に拘わるとみえる。
銅鏡は紀元前4~3世紀、弥生時代に大陸から稲作とともに伝わったとされる。銅鏡は祭祀のための宝器、神の依代(よりしろ)。銅鏡は神霊とされ、神体として祀られて信仰の対象とされた。
宇佐八幡宮の放生会は養老年間の隼人の反乱鎮圧後、隼人の霊を慰めるために始められたという。古宮八幡宮の銅鏡を宇佐に運ぶ途中、上毛、下毛の古表、古要神社での傀儡舞奉納、隼人塚での供養儀礼、和間浜での放生儀礼が行われる。それは銅鏡の奉納儀礼と放生会という二つの儀式が複合したもの。銅鏡の宇佐への奉納とは、豊比売命の神霊が香春から宇佐へ移動した記憶を伝えるとも。
豊比売命とは「豊」の比売神。豊の地主神とも思わせる。豊前、中津の山国川河口に「闇無濱神社(くらなしはま)」が鎮座する。古くは「豊日別宮、豊日別国魂神社」などと称し、豊の産土神を祀る。
この社は宇佐神宮より古く鎮座し、宇佐国造が垂仁天皇の時代に参拝したことが豊日別宮傳記に記される。この社にやはり「銅鏡」の伝承が残る。傳紀によれば、「豊国の守護は銅鏡であり、東方から白雲に乗り、日輪の像に照らされた女神が現れ、恰(あたか)も日中の如し」と闇無濱(くらなしはま)の地名譚を伝える。銅鏡の神、豊比売命は香春から中津を経て、宇佐に拘わった豊国の国魂であった。豊国の名は豊比売命に纏わる。
香春の神、豊比売命は続日本紀では「八幡比売神」とも記される。そして、豊比売命の名は邪馬台国の「台与(とよ)」をも彷彿とさせる。(了)
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