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古代妄想。油獏の歴史異聞
宗像の鯰。
宗像の南、福間の西郷に地域最大の公園「なまずの郷」がある。その名のとおり庭園の池には数十匹の鯰がいるらしい。が、鯰はなかなか姿を見せてくれない。
「なまずの郷」は福間の中央を流れる西郷川の流域の民が「建御名方命(たけみなかた)」を奉祭し、鯰をその眷属として祀ることに由来するという。西郷の産土神「大森宮」では鯰像を祀り、狛犬も鯰である。福間、諏訪町の諏訪神社、内殿の日吉神社でも建御名方命を祭神とする。
神話では建御名方命は大国主命と沼河比売(奴奈川姫)の子神。父神に随い、豊葦原中つ国の平定に功績があった。国譲りにおいて、大国主命は返事を迫る武甕槌命に対して、子の事代主命が答えるという。事代主命が承諾すると、次は建御名方命が答えるといった。
建御名方命は武甕槌命に力くらべを挑むが負けて科野(しなの)へ逃げる。やがて、建御名方命は科野で武甕槌命に屈し、諏訪大社に祀られる。その際、「鯰」が建御名方命の眷属として現れる。福間の諏訪神社の縁起では、建御名方命が諏訪の湖に追いつめられた際、大鯰が現れて建御名方命を背に乗せ、対岸まで渡したという。
「鯰」の信仰といえば阿蘇の大鯰。下向した阿蘇の主神、健磐龍命は大鯰を退治して阿蘇を開拓する。阿蘇の古い民とは「鯰」をトーテムとする狗人の裔。建御名方命(たけみなかた)は中南九州の狗人に纏わる神であろうか。
前項、「鯰(なまず)の話。」では、狗人は「鯰をトーテムとする、会稽の海外の東魚是人」の裔ともみえ、東シナ海から列島へと渡った呉人の流れともみえていた。中国の史書に「倭人は呉の祖、太伯の後裔とされ、入墨を習俗とする。」と記される。
胸形(むなかた)も胸に文身(入墨)をする意ともされる。新撰姓氏録によると「宗形君、大国主命六世孫、吾田片隅命之後也」とあり、宗像氏族は大国主命の流れであるが、吾田(阿多)の海人に拘わるともみえる。
建御名方命(たけみなかた)の神名は、宗像(むなかた)に武神の象徴である「建」を冠したものともいわれ、宗像と拘わりが深い。
そして、福間の諏訪神社では建御名方命の左に座す神は「少彦名命(すくなひこな)」であり、建御名方命と少彦名命は義兄弟とされる。二人は大国主命の許、力を合わせて国土を拓いたという。福間の北、津屋崎には少彦名命を祀る神社群の存在がある。
建御名方命の父神、大国主命の多くの妃、宗像の田心姫、因幡の八上比売、鳥取神、越の沼河比売など、その存在は宗像から越まで、日本海沿岸に広がり、大国主命の領域を表わすともみえる。大国主命は宗像をも統治して、宗像の建御名方命を子神としたものか。大国主命、建御名方命は、ともに日本海を自由に移動している。糸魚川の伝承によると、建御名方命は姫川を遡って諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったとされる。(了)
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