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黒と白。


 筑前、粕屋郡久山町の山田に黒男山という比高60mほどの小山がある。お椀を伏せたような姿で、「くろどんさん」とも呼ばれ、麓には「黒男神社」が鎮座する。由緒によると黒男神社は山田の阿部氏族が武内宿禰を祀るという。

 14代仲哀天皇は熊襲征討のため九州へ入る。が、橿日宮(香椎宮)にて薨去する。神功皇后は仲哀天皇を弔うため、群臣百僚を率いて香椎の東、山田邑に齊宮(いつきのみや)を造営し、在所の聖母屋敷を設けた。この折、神功皇后に従っていた武渟川別命の子孫が山田邑に在し、阿部を称したと伝わる。


 筑前、大野城や春日にも「黒男神社」がある。大野城、筒井の黒男神社は神功皇后と武内宿禰を祀る。別名、九郎天神、九郎とは「黒」。ここは後に天神と習合したようだ。春日市の黒男神社の祭神も武内宿禰。この社は春日邑の氏神、春日神社の境外末社で、古く、おくろう様と呼ばれたという。おくろう様も「黒」。

 宇佐神宮の境内社にも黒男神社がある。他に国東、重藤の黒雄神社、浮羽、田主丸町の黒島神社など、すべて武内宿禰を祭神とする。肥前武雄、朝日町の黒尾神社は武内宿禰の母、影媛を祀る。黒男神社、黒雄神社、黒島神社など「黒」を冠する神社は、武内宿禰に纏わる。また、八幡や大牟田の黒崎には武内宿禰の上陸伝承が残る。「黒」は武内宿禰に由来する。

 何故、武内宿禰が「黒」なのであろうか。「黒」は影、隠されるべき神として黒く描かれたのであろうか。同時に纏わる「男」「雄」は武内宿禰の父、屋主忍男武雄心命や肥の国造、武緒組(建男組)に見える。

 武内宿禰は住吉神と拘わりが深い。住吉はすみのえ、「墨江」とも書く。住吉神に纏わる江南の海人は「黒潮」に乗って列島に渡った。肥前の霊峰が「黒髪山」、武内宿禰の母は「影媛」。はて、どの「黒」であろうか。


 そういえば「黒」に対する「白」の神が筑前に在った。筑紫野の名神大社、筑紫神社は筑紫の国魂、白日別神を祀る。白日別神とは五十猛命ともされる。五十猛命は素戔嗚尊の子神。素戔嗚尊とともに新羅の曽尸茂梨(そしもり)に天降り、のちに列島に渡る。筑紫の国魂は「白」の神であった。

 筑前には「新羅」よりの渡来人の痕跡は濃い。糸島域、西浦の白木神社、草場の白木神社、王丸の白木神社、潤の潤神社も古くは白木神社であった。これら糸島に密集する「白木神社群」や「白木」地名は新羅(しらぎ)に由来するという。
 それらの域では韓半島からの渡来伝承が伝わり、韓半島系の遺物が出土する。8世紀の記録によると糸島では怡土県主をはじめ、郡司など、豪族の殆どが新羅よりの渡来氏族とされる。「白」は新羅(しらぎ)に纏わる。新羅の民は筑紫に到り、この域を「白日別」と呼んだのであろうか。


 前述の筑紫神社の鎮座地に隣接する肥前、基肄(きい)郡の「基山」の麓に荒穂神社がある。古く、五十猛命を祀ったと伝わり、もとは基山山頂に在ったという。基山(きやま)とは五十猛命の植林伝承に由来する「木」地名。

 荒穂神社には「荒穂の神」と「高良の神」が石を投げ合ったとする伝承が残る。高良の神が投げた石が荒穂神社の境内に残り、荒穂の神が投げた石は「高良大社」の社殿の下に在るという。これは、礫打(つぶてうち)伝承とも呼ばれ、戦さの記憶とされる。そして、高良大社の祭神が武内宿禰ともされる。新羅に由来する五十猛氏族と武内宿禰が筑紫で戦ったのであろうか。


 冒頭の久山、山田に神功皇后が造営したとされる齊宮と聖母屋敷の跡が在る。そして、齊宮の境内には山田邑の古図として、聖母屋敷を固める縄張り図が掲げてある。
 屋敷の周りに濠が掘られ、その外側に「上の固め」と「下の固め」の陣があり、猪野川と谷川を外濠としている。東の遠見岳、南の城山、北の三岳、西の黒男山にそれぞれ陣が構えられ、縄張りは当に、臨戦態勢、情勢の緊迫を思わせる。黒男山(くろどんさん、片山)は防御上、最も重要な西の地峡の固めとされる。
 黒男山麓の黒男神社の由緒には「賊の来襲に備えて武内宿禰を将として片山に陣を敷いた」と記される。武内宿禰に臨戦態勢をとらせた敵とは、仲哀天皇を討ったともされる羽白熊鷲(はしろくまわし)であろうか。それとも、五十猛命を奉斎する新羅由来の氏族であろうか。

 九州の神祇、宇佐神宮において、武内宿禰を祀る黒男神社は何故か神域の外に鎮座する。武内宿禰は渡来の氏族に忌避されて、「黒い神」とされたのであろうか。はて、白黒がはっきりせぬ。(了)

 

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