goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

鹿の話。

 

 博多湾の湾口に浮かぶ金印の島、志賀島(しかのしま)は、古代の海人族「阿曇氏(あづみ)」の本拠とされる。そして、志賀海神社には阿曇氏が奉祭する海神、「綿津見神(わたつみ)」が祀られる。北部九州沿岸は古代より大陸との交流が深く、志賀島はその海路を見守る神として神格化されたとも。

 志賀海神社には鹿角堂があり、鹿の角が奉納される。社伝では「神功皇后が対馬にて鹿狩りをされ、その角を奉納した」とされる。また、釣りに使う鈎は太古、鹿の角でつくられ、志賀島の海人たちは鹿の角を貴重とし、祈願成就の御礼に鹿の角を奉納したとも。

 志賀島の横に能古島(のこのしま)が浮かぶ。能古島には「鹿垣」がある。藩政時代、この島は黒田藩の鹿の狩猟場であり、農作物への鹿の被害を防ぐため石垣を積み、島を分断する長大な鹿垣を築いた。志賀島にもかつては野生の鹿が生息していたであろう。阿曇氏が聖地に棲む「鹿」を信仰の対象として奉祭し、それに因んで志賀島と名付けたのであろうか。


 常陸の鹿島神宮では「鹿」を神使とする。祭神の武甕槌命へ、鹿神である天迦久神が天照大御神の命を伝えたことに由来するという。また、藤原氏による奈良の春日大社の創建に際し、武甕槌命の神霊を白鹿の背に乗せ、一年をかけて奈良まで運んだとされる。ゆえに春日大社でも鹿は神使とされる。

 八幡愚童訓に「磯良と申すは筑前国、鹿の島の明神のことなり。常陸国にては鹿嶋大明神、大和国にては春日大明神、これみな一躰分身、同躰異名にて」とある。磯良とは阿曇磯良で、阿曇氏の祖神とされる。この磯良が藤原氏の祖神、武甕槌命と同一であるという。そして、磯良が舞ったという「細男舞」が春日若宮神社の例祭、おん祭で舞われている。どうも藤原氏は阿曇氏の流れであるらしい。志賀島と鹿島神宮、春日大社の「鹿」の信仰がここで繋がる。


 日本海沿岸の「越」に鹿の伝承がある。福井の鳴鹿という里で、新田を造りたいと春日の神に祈願したところ、川を遡れとのお告げがあり、川上に向かうと白鹿が現れて、三声鳴いて弊を振ったという。その地に堰を作って鹿が導いた跡に溝を掘り、田に水を流したという。

 奥州、毛越寺にも白鹿伝説がある。奥州藤原氏が全盛を迎えた時代、慈覚大師がこの地で霧に迷う。大師は足元に落ちていた白鹿の毛に導かれ、白髪の老人のもとにたどり着く。そして、この地に堂宇を建立せよと告げられる毛越寺の縁起。いずれの話も藤原氏と拘わる。


 大陸にも鹿の伝承がある。北方の満洲族の多くが鹿をトーテムとする。如寧古塔呉姓が祀る鹿神は女狩人が神の力によって鹿となり、氏族の守り神とされるなど、北方狩猟民族は鹿神を氏族の守護とする。また、台湾の少数民族、サオ族の祖先は白鹿に導かれて美しい日月潭に辿りつき、神から与えられた地として移住する。海南島のリー族は鹿を追って海南島の中心、三亜へと到る。

 大陸の鹿信仰には二通りの系統がある。ひとつは満洲族など北方狩猟民族のもの。鹿自体に霊力があり、鹿を氏族の守護とする信仰。そして、大陸南岸の信仰は鹿を神の使い、導きの神とする。鹿島神宮、春日大社など鹿を導きの神とする藤原氏の伝承は、大陸南岸の信仰に依るとみえる。

 江南など大陸南岸からの民の渡来は数度に亙ってあったらしい。まず、中国神話にある夏の黄帝に追われた「三苗」の渡来。この渡来はBC2千年頃、縄文後期の頃。そして夏の滅亡による「百越の倭人」の渡来。これがBC1千年頃、弥生早期の頃であろうか。次にBC300年頃、楚に滅ぼされた「越」の民。そして280年、晋に滅ぼされた「呉」の流民など。はたして、太古の海人、阿曇氏や藤原氏の祖神、武甕槌命とはどの種であったのだろうか。(了)

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
   杵島の歌垣。 »