10円駄菓子《ヤッターめん》「取引先夜逃げで未払い1500万」「粗利数円」でも倒産せずに借金ゼロを貫く大阪町工場の “逆説の経営哲学”
今年71歳を迎えた社長の中野幹さんは、「昔に比べると原材料費がどんどん上がって減らしようがない。もういっぱいいっぱいですわ」と薄く笑う。 卸売先も代替わりした頃と比べると半減したそうで、「順風満帆」といえる経営状況ではない。それでもなぜ、続けているのか。 ■「チープな楽しさ」が子供たちを惹きつける 「駄菓子って、幼いときに一度は通る食文化でしょう。友達同士で寄り道して駄菓子を選ぶ時間、くじが当たるかもしれないワクワク感。ゲームもええけど、この『チープな楽しさ』を経験してから次にいくのがええんちゃうかな。無くなってしまうのは寂しいやん」
薄利多売の厳しい現実の中でも、彼を突き動かすのは、幼い頃の自分や、子供たちが駄菓子に抱く「ワクワク」への愛着だ。 小さな顧客から、「ファンレター」も届く。 「遠足のおやつ代、200円全部ヤッターめんに使ったよ」 「くじで100円の当たりが出て、またヤッターめんと交換したよ」 子供たちは、全国にまだ200軒以上は残るという駄菓子屋、スーパー、大型商業施設などでヤッターめんに出会っている。クリーニング店、銭湯、八百屋でサービス品として配布しているところもあるそうだ。
「やっぱり手紙はうれしいやんね。いつも手書きで返事を書いてます。色紙にキャラクターを描いて送ることもあるよ」 彼らの喜ぶ顔を想像するとやめられない。また、「ジャックさんとこの商品は間違いない」「あんたのとこの商品は何出しても間違いなく売れる」と、20年、30年取引を続けてくれている卸売先も裏切れない。 そこまでの信頼を得るジャックと中野さんは、どんな歴史を歩んできたのだろう。 ■マスコミ4社の内定を蹴った「家業」の重み
ジャックは大正10年頃、大阪・谷町に創業した企業だ。中野さんの祖父 利一(りいち)さんが兵庫・但馬から出てきて、おそらくおかき店として起業したという。その後、生野区で菓子問屋を営むが、第2次世界大戦の戦火を避けて現在の東大阪市永和に疎開。このとき、「ジャック製菓食品工業」と名乗った。「ジャック」とは、トランプの「11」からとった名前だ。利一さんはカラーテレビをいち早く購入するような「ハイカラで新しいもの好き」だったそうだ。