『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載時コメント
富野由悠季監督、83歳の誕生日、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』30周年おめでとうございます。
ということで、今年の恒例記事は『クロスボーン・ガンダム』30周年と合わせたこの記事です。
少年エース創刊号予告カット
ガンダムエースの30年年表からも漏れたのがこの予告カット。実は大阪の長谷川先生個展でも展示されていたので、一部のファンは覚えているのでは。
この予告版クロスボーンガンダムのツノが、X-3以降のクロスボーンガンダムのツノの原点とも言える。ポーズが『ゼーロイバー』お披露目のガンダムエース2024年12月号表紙と同じ。
『機動戦士クロスボーン・ガンダム』少年エース連載時コメント
1995年3月
小さなアニメをつくったり、次のノベルズの企画をやったりして大忙しのこの頃です(富野)。
『ガーゼィの翼』あたりだろうか。
1995年4月
3月1日に単行本1巻が発売されます。どうか手に取ってみてください。よろしく。(長谷川)
第2話でX-1が使用した弾頭の解説。
正式名称を「ビームコーティングビュレット」といい、発射後は全体がビーム力場に包まれる大きな威力を持つ弾である。本来は厚い装甲をつらぬくための弾ですが、核爆発までの時間を稼ぐために使われた。
Wikipedia等では間違った記述がなされていることが多い。
1995年5月
私の小説「王の心」第1巻が出ました。血とSEXとバイオレンスの物語です。よろしく。(富野)
1995年6月
白状するが最近登場している変なMS群は、私のデザインによる。感想は編集部まで。(長谷川)
1995年7月
騒然とした世の中で、心の安らぎと癒しを求めるクロスボーン・ガンダムでありたい。(富野)
1995年8月
定期的に言ってる気がしますが、やはり言います。仕事ばっかりで他に何もできないぞ~!(長谷川)
1995年9月
オウム事件の影響を受けるのは残念だが、今回、予定していた宗教色を引っ込めることにした。(富野)
企画書にあったCVスタッフの信教要素、シェリンドンとクスモ・クルス教団の描写が控え目だった(ドレルも?)事情はこういうこと。
1995年10月
クロスボーン・ガンダムのガレージキットを入手しました。ひまを見て組み立ててみます。(長谷川)
1995年11月
僕にはガレージキットがない!ギリ少佐の部隊がでてもGガンにはなりませんからね。(富野)
1995年12月
休載
1996年1月
アシスタント全員をつれて焼肉を食べに行った。特上ロースをたらふく食べてストレス解消。(長谷川)
オリジナルMS大募集。
1996年2月
年越しは一人で寂しい。お友だちが欲しい。でも、仕事があるから、寂しがっていられない…。(富野)
1996年3月
1月号で募集したオリジナルMS。力作ぞろいで選考に頭をなやませている毎日です。(長谷川)
1996年4月
正月に3本仕事が重なり、登場人物が何人もクロスしたまま2か月。今も頭がパニックです。(富野)
オリジナルMS大募集総評
ひとつだけ良いアイデアがあるというMSがかなりあって、何とか採用したいと思っても、全体のバランスが悪いとか、現在のメカデザインの悪い影響だけうけてまとめようとするこざかしさがデザイン全体に現れていたりして点をあげられないケースがいっぱいあったのが残念。僕だけのガンダムを見たかったのだけど、それがなかった。(富野)
世間に500体以上のMSのデザインがある以上、ほかと見わけさせるのは大変だと思う。何か明確なモチーフがあるものを選びました。全体に武装のしすぎ(それもメガ砲を5門も6門もつけたMS)が目立ち、スーパーロボット化が進んでると感じた。(長谷川)
海老川兼武くん(東京都)のエレゴレラが有名だが、フリントの改良型ザンバスターや、X-3のスカルハートとバルカンも実は投稿デザイン。
1996年5月
OVA「妖精姫レーン」1・2巻を見て大笑い、ギャグが好きな方は見てみてください。(長谷川)
1996年7月
編集長に6月号の新MSをダイエーホークスのヘルメットだと言われた。アテナ像だって。(長谷川)
1996年8月
ようやく、ビデオ第一回作品の『ガーゼィの翼』が、完成しつつありまして、自信復活!(富野)
1996年10月
原画のチェックとワープロ打ちで、連日仕事場は蒸し風呂状態です。もう秋なのに…。(富野)
1996年11月
SF大会で、九州の小倉に行ってきました。大盛況で、お世話になった方々に感謝です。(長谷川)
1996年12月
OVA「ガーゼィの翼」の3巻目のコンテを脱稿したのですが、あと2巻ぐらい足りないなあ。(富野)