女性運動は必ず排外主義に辿り着く
ファミニズムとは何か?という問いに1言で答えるならば「弱い者イジメ」だ。フェミニズムは1人1派と言われるほど、広大で様々な矛盾を内封した思想や運動ですらない何らかの文化潮流であるが、その核は女権拡張ではなく「社会的弱者の抹殺」である。実際フェミニズムは誕生した時から社会的弱者の抹殺をお題目に掲げており、時には弱者抹殺の為に自らの自由や権利を手放すことすら厭わなかった。
1.サフラジェットからナチスへ
WSPU
まず単純な事実として、イギリスで起きた婦人参政権運動…所謂第1波フェミニズムにおける主要な主張は「婦人参政権」であるが、次点は「労働者階級の女性の抑圧」であった。1900年代英国で最大の女性団体であった女性社会政治同盟(WSPU)は「ブルジョワ女性が労働者階級の上に立つべきだ」という哲学を持っており、(労働者階級の)女性の参政権含む普通選挙を訴える団体や政治家に対して爆弾闘争を行った。特にWSPUの指導者の1人クリスタベル・パンクハーストは「労働者階級の女性運動には価値がない」と公言し、明確な敵意を向けていた。この爆弾闘争について詳しくはコチラ
こうした経緯について、そもそも論になってしまうが参政権運動は元々は労働者のモノであり、婦人運動はそれに後乗りした形であった。1890年代、当時の英国の労働組合は高給で熟練した職人達だけで構成されており、女性や貧乏人は入る事が出来なかった。そこで女性や貧乏人も自分達で労働組合を結成したが、投票権がない為に労働条件改善はなかなか上手く行かなった。そこで労働者達は工場の門で新聞を販売し、会合を企画し、フリートレード・ホールでデモをやったり…要は社会運動を始めたのだ。
クリスタベル・パンクハーストはこういった労働者達に刺激を受け、1905年の総選挙に工場労働者のアニー・ケニーとカチコミをかけて投獄されたことで注目を浴びる。この時は彼女は労働者階級と歩みを共にしていた。
しかしWSPUがロンドンへ移転すると彼女達は弾けた。彼女達はロンドンの華やかな格好の女性達に夢中になり、自分達も華やかな服装をするようになり、そして小汚い恰好の労働者階級を侮蔑するようになっていく。彼女達は政治的立場を左派・労働者から右派・有閑階級へと転換した。
これを象徴するのが当時イギリスで起こっていた大動乱…大規模なストライキの波だ。港湾労働者、炭鉱労働者、鉄道員、縫製機械工がこぞってストライキに参加し、リバプールではゼネストが発生した。アイルランドでは、ジム・ラーキン率いる労働組合員による自治権と闘争への支持が高まっていた。しかし彼女達はアイルランド人にもストライキ中の労働者にも働きかけようとせず、連帯を呼びかけられても無視した。こうした変貌にクリスタベルの妹であるシルビアは失望し、独自に労働者と連帯しようとしてWSPUから追放された。
しかし彼女達の暴走はこれだけでは止まらない。記録では彼女達は男性嫌悪のあまり、自分達を支持する騎士達をも粛清していた事が記録には示唆されている。例えば議会改革に関する著書の中で彼女達は「パンクハースト夫妻は強硬な反男性主義者となり、最も忠実な男性支持者さえも容赦なくWSPUから排除している。彼女達は男性は"性病の媒介者"に過ぎないと主張している」と記録された。
https://www.conservativewoman.co.uk/men-won-votes-women-not-suffragettes/
勿論彼女達の暴走は更に続く。第1次世界大戦中、WSPUは「婦人党」と改名され、その新聞(機関発行紙)は「婦人参政権論者」から「ブリタニア」と改称された。これは彼女達が労働者階級の社会運動の性格を捨て、排外主義的な国家主義を完全に受け入れたことを示すものであった。実際にクリスタベルによる投票権の正当化は狭く本質主義的な議論へと移行し、彼女達は「ブルジョワ女性は家庭だけでなく国家に、家族だけでなく人種に奉仕する為に投票権を必要としてる」と述べた。これは女性?選民?の市民権を人種的・国家的義務と明確に結びつけるものであり、後のファシスト思想の核心的信条である。
当然彼女達の暴走はこれで終わりではない。彼女達は富国強兵の文脈で労働者階級の女性の断種を堂々と主張するようにもなる。シルビアは書記の中で、彼女達の断種思想を告発した。
彼女達は労働女の運動には何の価値もないと主張している。「労働女は人類の中で最も惨めな存在であり、彼女達の生活はあまりに厳しく、教育も乏しく、競争社会の中で生き残れない。私達は選ばれた女性、最も強く、最も知的な女性を求めるのだ」
(she urged, a working women's movement was of no value: working women were the weakest portion of the sex...Their lives were too hard, their education too meagre to equip them for the contest...we want picked women, the very strongest and most intelligent!)
サフラジェットからファシストへ
爆弾闘争、極右、人種差別、優生思想、労働者階級の見下し、貧乏人叩き、学歴厨…流石にコレだけの事をしでかせば支持を失っていく。その為、彼女達…サフラジェット達は、オズワルド・モーズリーのイギリス・ファシスト連合(BUF)に新たな政治的拠点を見出した。因みにその中の1人には人類史上初めて萌え絵(鏡のヴィーナス)を燃やした(切りつけた)メアリー・リチャードソンがいる。彼女は元女性参政権運動家だがBUFの女性部門の責任者となり、また英国で女性参政権運動の中心人物だったノラ・エラムもモーズリーの信頼篤い側近でBUFの国会議員候補であった。女性はBUFのメンバーの4分の1という相当な割合を占め、行進、警備、資金調達、そしてユダヤ人や共産主義者との市街戦に積極的に参加した。
BUFはフェミニスト改革の言説を流用することで、戦略的に女性にアピールした。彼女達は同1労働同1賃金や、結婚時に女性が職を辞さなければならない「マリッジ・バー」の廃止といった政策を提唱した。これらは現代同様に実際には存在しないモノであったが、現代同様に効果的な戦術であった。なにしろモーズリー自身が「私の運動は女性の狂信によって大きく築き上げられた」と認めている。
こうした経済的平等の約束、階級対立が人種的統1と国家への奉仕に取って代わられるべきコーポラティスト国家の枠組みの中で提示された 。BUFの激しい反ユダヤ主義は、女性へのアピールの中に統合され、プロパガンダはユダヤ人の家主、雇用主、金融業者がイギリスの家庭にもたらすという脅威に焦点を当てた。と書くと何のことか曖昧だが、具体的にはユダヤ人は性的人身売買やポルノ製造等の女性への性暴力者であるとして攻撃されたのだ。
BUFは20世紀初頭から欧米で広まっていた「ホワイトスレイブ(White Slave Traffic)」という言葉を反ユダヤ主義プロパガンダに積極的に利用した。これは国際的なユダヤ人組織がヨーロッパの若い白人女性を誘拐・誘惑し、売春を強いるために世界中に送り込んでいる…とする陰謀論だ。BUFのプロパガンダは、この既存の恐怖と偏見に乗り、ユダヤ人を「英国の純潔を脅かす性的捕食者」として訴えたのだ。
「国際的なユダヤ人金融資本が、売春やその他の悪徳産業(vice rings)から利益を得ている」「ユダヤ人は英国の道徳を破壊するためにポルノを広めている」「英国の女性が、外国人であるユダヤ人の性的搾取の犠牲になっている」
こうしたプロパガンダは単なる政治的戦術ではなく、そのイデオロギーの核心であった。というよりユダヤ人=性的捕食種は他のプロパガンダ…金融支配、不正カルテル、悪魔崇拝etcと比べて捏造が楽であったのでイデオロギーの中心に置かれるのは必然だった。「ユダヤ人に誘拐されかけた!」「ユダヤ人にエッチな目で見られた!」と女性が叫べばソレが証拠となり、疑う者は「貴方みたいな人間がいるからユダヤ人の性加害が不可視化されるんだ!」でキャンセル出来る。要は他の反ユダヤ人プロパガンダと違い、性被害は証拠がないこと自体が「邪悪なユダヤ人相手に沈黙を強いられる性被害女性がいる証拠」として機能したのだ。
ファシズムは過激な活動の倒錯的な継続であった。メアリー・リチャードソンのような過激なサフラジェット(女性参政権活動家)が、後にファシストの指導者となったという事実は心理的・戦術的な連続性を示唆している。リチャードソンはBUFに参加した理由として「帝国主義と規律と結びついた行動」を挙げている。1部の活動家にとって闘争形態(過激な行動、直接行動、腐敗したシステムに対する正義の戦いという感覚)は、その特定のイデオロギー的内容よりも魅力的であった。ファシズムは、婦人参政権運動が提供したのと同様の目的意識、仲間意識、革命的熱狂…そして「女性がユダヤ人から狙われている」という披愛妄想を満たす物語と、そうした猥褻(obscene)で汚らわしい(filthy)非モテ(ユダヤ人)を攻撃する大義名分を与えた。彼女達にとってユダヤ人は「隙あらばエッチを狙ってくる性的捕食者」という負の性欲を満たす存在だったのだ。
ここに至ってフェミニズムは矛先を民主的権利から国家主義的・権威主義的プロジェクトへと付け直されたが、これは政治的活動…特にその過激な形態が「行動」と「目的」に対する心理的欲求を生み出し、元の運動が勢いを失ったり目標を達成したりした場合、その欲求が異なる、あるいは対立するイデオロギーによって捉えられうることを示している。ファシズムは婦人参政権戦争の退役軍人たちに、新たなポルノを提供したのである。
ファシストからナチスへ
ナチスの権力掌握は1部には独立し教育を受け性的に解放された「新しい女性」に象徴される、ヴァイマル共和国の退廃とジェンダーの「混乱」と見なされたものに対する反動だった。ナチスのプロパガンダは明確に反フェミニスト的であり、女性を「Kinder, Küche, Kirche」(子供、台所、教会)の役割に閉じ込めることで伝統的なジェンダー秩序を回復しようとした。
…というのは正確ではない。まず第1に後述するようにナチスはむしろフェミニズムの影響を受けて優生思想を進めたこと、そして第2に上述のように当時最も勢いのあるフェミニズムは国家主義的ファシズムと1体化していたこと…彼女達は労働者階級、低学歴、その他劣等と見做した女性の抑圧に積極的だったのだ。
そして第3にナチスは単に女性を抑圧しただけではなかったことだ。彼等は母性を女性の愛国心と人種的義務の究極の表現として称賛する強力なプロパガンダ・キャンペーンを通じて女性を動員した…というかパンクハーストやBUFの手法や主張を丸パクリしていた。これはヒトラー自身が参考にしたと認めている(というか両者親交があり互いに参考にしあった)。更にヒトラーは女性の母性は男性の兵役と同等のものと位置づける特権を与えた。国家は、大家族を持つ女性に「母の十字章」を授与し、未婚であっても「人種的に純粋な」子供の出産を奨励するためにレーベンスボルンのようなプログラムを創設した。
https://dr.lib.iastate.edu/server/api/core/bitstreams/3ad62876-fc72-4202-b491-a7b37e0413ef/content
またナチスも同様にユダヤ人を小汚い非モテ(Verführer / Schänder )とし、アーリア人女性に対する性的捕食者と位置付け法律にまでした。具体的にはナチスは人種汚染(Rassenschande)の恐怖としてユダヤ人男性が金や権力を使って、無垢なドイツ人少女を騙し、性的関係を持つという物語を繰り返し、1935年のニュルンベルク法で「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」として法制化され、ユダヤ人と非ユダヤ人の結婚や性的関係が禁止される根拠とした。
更にナチス機関紙はユダヤ人を必ず鷲鼻で、太り、好色な表情を浮かべた醜悪な姿で描き、そして金髪で青い瞳の美しいドイツ人少女に発情する様子を新聞に掲載させた。また「ユダ・ズース」という主人公のユダヤ人ズースが権力を使い、美しいアーリア人女性を無理やり我が物にしようとし、最終的に彼女を自殺に追い込む「国民の創生」をパクった映画も製作したりした。更に「毒キノコ(Der Giftpilz)」という児童書を作り、子供達にユダヤ人=性的捕食者の図式を埋め込んだ。例えば「ユダヤ人の医者がドイツ人の少女を診察室で襲おうとする」といった話で…ここら辺は話すとキリがないのでやめておく。
ついでに言えば、こうした反ユダヤ人のプロパガンダも性的捕食者のユダヤ人が多数を占めた。というより他のネタは陰謀論であれ、ある程度は前提知識や理論を必要し、また時には反証されるのに対し、ユダヤ人=性的捕食者は読者の前提知識を必要としないうえに適当にエピソード(女性の被害体験)を載せらばいいし、具体的な場所や時間を供述しない限り反証されようがないのでネタ作りがメッチャ楽だったのだろう。当然にファシズム同様、「女性を小汚い非モテから守れ!」はそのイデオロギーの中心に置かれる事となった。
こうしたナチスの作り出す披愛妄想・負の性欲ポルノに当然女性運動家達は夢中になった。例えば悪名高き「第2の性」や「レ・マンダラン」で知られるフェミニストの大家シモーヌ・ド・ボーヴァワールはフランス占領下でナチスが管理するラジオ・ヴィシーで熱心にナチスのプロパガンダを垂れ流した。因みに彼女は公務員組合に所属しており市役所で働く事も出来たが、敢えてラジオ局でナチスのプロパガンダを垂れ流すことを選んだのだ。尚ボーヴォワール自身の「あいまいな倫理」を適用すれば 、道徳的行動とは他者の自由を意志するものであり、自由を組織的に消滅させる体制への協力は個人的な正当化がどうであれ、この基準によれば深刻な道徳的失敗だ。
フェミニズムと女性動員の共生関係は、ナチズムの成功の鍵であった。ナチス政権はイデオロギー的には「女性性の伝統保守」であり、フェミニズムとは矛盾してるように思えるが、それは我々が現在のフェミニズムの大義名分と捏造されたイメージをもってフェミニズムを「女性を従来の役割や性的束縛から解放することを是とする」と誤解してるからに過ぎない。そしてフェミニズムが「弱い者イジメ」であるという補助線を引けば、これは矛盾でも何でもないことが分かるはずだ。要はナチスは女性に弱い者イジメの新たなツール…人種的権力を提供したのだ。というより順序が逆で「女性がナチスに人種的権力を求めた」とも解釈出来る。最もこれに関しては明確な順序があるというより両者は互いに影響を与え合う共犯関係にあったと解釈する方が自然だろう。
ドイツ人女性はユダヤ人、スラブ人、あるいは障害を持つ人々よりは優越していると見なされるよう奨励され、ドイツ人女性が彼等を警戒し冷酷に扱うの政治的に完全に正しい行いだとお墨付きを与えた。権威主義的政権は「イジメてもよい弱者の提供」という形で女性を動員することが出来る。そもそも現代においてもフェミニズムは上の権力構造に挑戦するのではなく、自らを「被害者」と位置付けたうえで「劣等」集団に対して加害者のレッテルを貼り、下向きに権力を行使する文化潮流であるのは改めて説明する間でもない。
また単純な事実としてナチスの主要支持層(投票層)は第1次世界大戦後の男女比(男性の方が少ない)を勘案しても女性であり、ナチスのジェノサイドに最も積極的/自主的に加担した層も女性であった。詳しくはコチラ。
2.ナチズムの元ネタ優生学
優生学…即ち「人種改良の科学」はブルジョワ階級の女性たちが公の場に進出し、産児制限のような政策を提唱するための1見して進歩的で科学的な正当化を提供した。その目的は個人の解放だけでなく「人種的改善」のためでもあった。この枠組みは(白人の中産階級の)女性を近代産業国家のための「より優れた」人種を繁殖させる任務を負った、国家の生物学的未来の主要な裁定者として位置づけた。これにより本質的に人種化され、国家主義的な「母性市民権」という概念が創出された。この運動はアングロサクソン系の祖先を持つ者だけが国家建設に適しているという、当時の支配的な人種イデオロギーに深く影響されていた。
書いていて頭が痛くなる怪理論だが、これは当時の女性運動家が劣等と見做した女性・男性をボコす大義名分として積極的に使われた。例えば米国の第1波フェミニズムの中心的人物であったシャーロット・パーキンス・ギルマンは「ニグロ問題に関する提案(A Suggestion on the Negro Problem)」という怪文書を書き上げた。彼女はこの中で「1定の市民権の等級以下」と見なされる黒人アメリカ人に対し、彼らの「人種的進化」を促進するために強制労働を課すべきだと提案している。
そして後に日本の優生保護法を成立させた加藤シヅエの師匠であるマーガレット・サンガーは直接的に「貧乏人は子供を産むな!」と暴れ回った。特に議論を呼ぶのが、マーガレット・サンガーの「ニグロプロジェクト」(The Negro Project、1939年開始)は、アメリカ南部の黒人(当時、ニグロと呼ばれていました)コミュニティに、避妊に関する情報と手段を提供することを目的とした公衆衛生プロジェクトだ。
彼女の擁護者はニグロプロジェクトを上記の通りに説明する。しかし批判者たちは、より邪悪な動機の証拠としてサンガー自身の言葉を指摘する。彼女がクラレンス・ギャンブル博士に宛てた1939年の悪名高い手紙には、次のように記されている。
我々は黒人人口を絶滅させたいという言葉が広まることを望んでいない。そして、もし反抗的なメンバーの誰かにその考えが浮かんだとしても、それを正すことができるのは聖職者である
この1節は疑惑を未然に防ぐための不器用な表現と解釈することも、あるいは意図を率直に認めたものと解釈することもできる。いずれにせよ、この言葉はプロジェクトに埋め込まれた深い人種的不安を露呈している。「絶滅」という考えを「正す」必要性自体が、白人が主導する人口管理策が黒人コミュニティを標的とすることの倫理的危険性をサンガー自身が認識していたことを示唆しているのだから。
人種的純粋性の「進歩的」な見せかけは重要なパターンを確立した。ギルマンやサンガーのような人物はフェミニズムの先駆者?として称賛される1方で、深く人種差別的で優生学的な見解を抱いていた。彼女たちの女性の権利(産児制限、経済的自立)の擁護は、優生学思想から切り離されたものではなく、むしろそれを達成するための メカニズムであった。解放された白人女性は、より良い優生学的選択を行うだろうと論じられたのである。
これはフェミニズムにとって「進歩」とは普遍的な人間の解放ではなく、特定の人種的・階級的プロジェクトの推進であったことを明らかにしている。優生学は、根底にある白人至上主義を覆い隠す「科学的」で「現代的」な言語を提供し、進歩的で教育のある聴衆にそれを受け入れやすくした。この歴史的先例は、「純粋性」と「保護」のイデオロギーが、いかに容易に進歩的な社会改革の言説に偽装されうるかを示している。それは、ある集団の権利要求を、別の集団を管理、統制、あるいは排除するプロジェクトと融合させるという、決定的に重要なパターンを確立したのだ。
3.恐怖アピール
こうした女性の戦略は学術的には「恐怖アピール(Appealing to fear)」と呼ばれている。恐怖アピールとは、恐怖を喚起し行動を促すために、潜在的な危険を強調する説得的なメッセージである 。研究によれば、恐怖アピールは効果的であり、特に脅威を回避するための明確な道筋(「効力記述」)を含み、高い感受性と深刻度を描写し、そして女性の聴衆を対象とする場合にその効果は劇的に高まる。。恐怖は、人々を既存の忠誠心(例えば党派的支持)から引き離し、情報と解決策の探索を増加させる。これにより人々は過激な提案を受け入れやすくなるのだ。
フェミニズムへの適用
WKKK:
プロパガンダは高い感受性と深刻度(すべての白人女性は黒人男性の欲望の潜在的犠牲者である)を執拗に描写し、明確な効力メッセージ(保護のためにクランに参加せよ)を提供した
BUF:
プロパガンダは経済崩壊と共産主義革命の恐怖を煽り、モーズリーを秩序を回復できる強力な指導者として描き出した。またユダヤ人を白人女性の性的捕食者として提示することで反ユダヤ主義的な恐怖を煽った
ナチス:
ナチスのプロパガンダは恐怖アピールの傑作であった。ユダヤ人による人種汚染や性的搾取の恐怖を国家的衰退の恐怖と結び付けた。「母性崇拝」は肯定的な効力メッセージとして機能した。純粋なアーリア人の子供を産むことによって、女性はこれらの実存的脅威と積極的に戦うことが出来るとされた
恐怖アピールのジェンダー化された有効性は、この現象を理解する上で不可欠である。恐怖アピールに関するメタ分析は、統計的に女性の聴衆に対してより効果的であることを示している 。そして歴史的事例研究はファシスト運動が女性を勧誘するために協調的かつ戦略的な努力を行い、しばしば大きな成功を収めたことを示している 。モーズリーは彼の運動の成長を女性の「狂信」のおかげだと公言した 。ファシストのプロパガンダ担当者達は直感的にか試行錯誤の末にか、重要な心理学的原則を発見した。即ち「悪しく小汚き男性が貴き女性(貴方)を狙っている」という物語を中心に政治的プロジェクトを構築することは、女性の支持基盤を動員するための非常に効果的な方法であるということだ。彼らは女性に抽象的な政治的主体としてではなく、その主要な領域が(邪悪な性的捕食者に)包囲されている母親、妻、娘として訴えかけた。これは「保護」のレトリックが、WKKKの「純粋な女性性」の擁護から現代の女性専用車両に至るまで、何故これほど中心的で持続的なのかを説明している。恐怖の兵器化はジェンダーニュートラルな戦略ではない。それは、社会的に条件づけられた役割と不安を利用する、ジェンダー化された戦略なのである。
この記事で追った女性運動と排外主義の直結という歴史的パターンは過去の遺物ではない。優生学的フェミニストから、WKKK、サフラジェット、ファシズム、ナチス、そして現代のフェミニズムに至るまで共通の糸が通っている。それは固定的で生物学的に決定され不変の「女性」というカテゴリーへの根源的な信念である。この生物学的本質主義は、彼女たちの政治プロジェクト全体の必要不可欠な前提条件である。優生学者にとって「女性」は人種のための生物学的な器であった。WKKKにとって「白人女性性」は「純粋」に保たれるべき生物学的カテゴリーであった。ファシストや極右のイデオロギーも根本的に生物学的決定論と本質主義(例えば「血と土」、人種科学)に根差している。彼らは社会階層を自然で生物学的に定められたものと見なす。フェミニズムの政治がその主張を生物学的本質主義に基づかせるとき、それは極右との間に内在的で強力なイデオロギー的共鳴を生み出す。それは当面の標的が異なっているように見ても、同じ根源的な論理を採用されているのだ。この共有された前提は同盟を可能にするだけでなく、危機的状況においては、それを起こりやすくする。現代においてフェミニズムが左翼と(1時的に)癒着したのは、ひとえに左翼が男性を「敵」と定義し、男性自体を弱い者イジメのターゲットとして差し出したからに過ぎない。彼女達が左翼論理を信じてない…というか理解してないし興味すらない事は、現在彼女達が積極的にトランスジェンダー差別や障害者差別を行っていることから明らかだ。
結論:変わらぬ「弱い者イジメ」の構造
サフラジェット、WKKK、ファシズム、ナチス、そして現代のアレコレの根底には1貫した論理が流れている。それは自らを「本来の・純粋な・守られるべき女性」と定義し、その定義から外れる「異物」や「弱者」をスケープゴートとして社会から抹殺することで自らの地位を確立しようとするというものだ。
フェミニズムとは、女性というカテゴリーを普遍的な人権の主体として解放する運動ではない。それどころか女権の拡張を目指す運動ですらない。その歴史を追う限り、常に「より弱い者」を見つけ出し、その集団を社会の敵として設定し、それを攻撃する大義名分を人々に提供することで勢力を拡大してきた文化潮流と表現する他ないのだ。その攻撃対象は、時代によって労働者階級、ユダヤ人、黒人、そしてオタクや非モテとなってきたが、その攻撃の大義名分は200年間以上同じフレーズが使われ続けている。そのフレーズこそが「××という小汚い性的捕食者が私にエッチな事をしようと狙ってる」だ。
敢えて言うならフェミニズムとは披愛妄想と負の性欲そのものだ。
有料部分では、このような女性の排外主義の社会生物学的起源を語るが、その前にこのnoteにはこんな反論が来るであろう事と、それが如何に馬鹿々々しいか?を少し語る事とする。恐らく批判者は
NOT ALL WOMEN
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1世代間格差を用いて女性を内部分裂させることで日本をまともにできる説