石破首相戦後80年談話にどう反応するかは「左翼」の試金石である
今回の石破首相談話には国内の視点ばかりで、対外的な視点がないと批判する人たちがいます。
しかし、単なる侵略についての謝罪という方向性はこれまで期待されて来たものです。
むしろそこに抜け落ちていたのは、なぜそうした方向に日本が向かったのか?についての総合的な分析では?
誤解を恐れずに言えば、植民地主義それ自体はたいていの先進国に見られたともいえるかと。
誤解を承知で敢えて言えば、謝罪ということを何より重視するのは、もはや古風な左翼かと。
いくら謝罪しても、実際に侵略戦争で与えた被害への「償い」それ自体ではない。
ごめんなさいで済むわけがない!
むしろ、国内で生じていた現象の総合的な分析をしてこそ、国民それ自体の反省と、今後同じことを繰り返さないための礎となるのでは?
石破首相の今回の談話で画期的なところは、「いかなる形での原爆使用も許されない」と明言したこと。
これはアメリカへの非難であり、歴代首相の誰もなしえなかったものです。
誤解を承知で敢えて言えば、謝罪ということを何より重視するのは、もはや古風な左翼かと。
今回の石破首相談話に物足りないと言い出す「左翼」の発言を見ていると、今の左翼が「行動する」左翼だけなくて、口だけ左翼が「まだ生き残っている」ことを痛感させられる。
そうした発言は、日本の今後の動向に何もプラスにならない。
むしろ足を引っ張る?
私はある意味では「言論」それ自体は信じてはいない。
それぞれの現場で、現実を変えようと日々の実践と試行錯誤を繰り返している名もなき人々こそ尊い。
そうした実践を妨げる壁の打破として、はじめて活動は意味を持つ。
評論家は要らない。



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