全盲のプロレスラー、大舘裕太選手と試合をして感じたこと。
2025年9月26日。
全盲のプロレスラー、大舘裕太選手と試合をした。
名古屋スポルティーバアリーナでのスタンドアップ興行でのことだ。
この試合のオファーをいただいたときに、これは私にとっても凄まじい意味を持つことになる一戦になるだろうと勝手ながらに感じたものだ。
私はプロレスラーであると同時に、映像ディレクターだ。
視覚伝達をする表現を生業にして生きている。
武蔵野美術大学ではグラフィックデザイン全般を学ぶ学科のことを視覚伝達デザイン学科(通称:視デ)と呼んでいる。視覚伝達によるコミニケーションや社会参加をデザインという仕事やアートワークを通して考え、研究する。視覚伝達デザインという呼称はまさに目に見えるものをデザインによってコミニュケーションや社会参加をする意として実に的確だ。
美大受験を志した10代の後半くらいからだろうか。目に見えるデザインや情報を取り扱うこと、それらを取り巻く社会の関係について、とても関心があった。
やがて私は社会人になり、映像表現で飯を食いたいと思うようになった。映像表現を扱う上で、私個人も日々目まぐるしく変わる映像メディアの変遷と共に意識的に生活をしたり、仕事をしてきたつもりだ。
それらの仕事もまた"誰かの目"で観てもらえるということを前提に映像を作っている。どのように観られるか、どのようにして観てもらえるか、誰に観てもらえるようにするのか、どんな人たちに観てもらえるようにするべきなのか、自分の好みをどう入れるか、自分らしさをどう作品の中にまぶしていくか、映像を通じて自分の伝えたいことは何なのか、日々そんなことを考えて生きているつもりだった。
だがそれは当然のことながら、それらを受信する人が当たり前のように"目が見えて"いて、スクリーンやテレビモニターなどに投射され、映像に映っていることを自分自身の目で"視認出来る"ということが大前提で成り立っているのだということを、全盲の大舘選手と試合をするという機会を与えられたことによって気付かされた。ハッとした。自分の職業としてのアイデンティティがこの試合の前では通用しないような。ある意味では全盲の大舘選手の前では映像作家である自分の存在が無効化されてしまうような感覚になった。
私が映像の仕事をしているということは目が見えない大舘選手にとってより関係のないことになる。
と、同時に私は日常生活のほとんどを視覚に頼りすぎていることに気付かされたのだ。
どこまでこの対戦カードを組んだ人による意図があったのかはわからないが、映像を撮ることを仕事にしている身として、全盲の大舘さんと闘うことは対戦カード以上の"何か"が問われている気がしてならなかった。
大舘さんとリングで対峙する。途中まで付き添いの人もいるが、ほぼ一人でリングインしてくる。
リングの位置関係など、おそらく練習や試合で目が見えなくとも把握しているのかもしれない。
私にも緊張が走った。
ロックアップから腕を取る、ヘッドロックを決める。大舘さんは目が見えてない人とは思えぬ魂とパワーで私のカラダを絞り上げてきた。
肌を触れる、相手の肉体を自分自身の手や足で確認する。視覚は失われていても、大舘さんは視覚以外の感覚で全力で闘おうとしていた。
大舘さんが放つチョップは魂が篭っていた。実に効いた。
目が見えないからこそなのか、全力で振り下ろす。自分の手で相手の胸に触れ、感触を掴み、「この胸に向かって打つ」とロックオンして全力で打つ。
視覚に頼らないからこその凄まじいエンジンがそこにはあった。だからこその魂がそこには宿る。
私もそんな大舘さんに戦いながら感化されていた。
キャリアを重ね、忘れがちになる感覚。プロレスで大事なのはやはり魂なのだと。
視覚が失われているからこそ、プロレスで出来ることは制限される。
だが、制限されている中で、視覚以外の4感を頼りに闘う大舘さんはとんでもないプロレスラーだった。
試合途中に振り下ろされた袈裟斬りチョップと、何度も覆い被さってくるピンフォールは大舘さんの純度100%の魂が篭っていたようだった。
ラリアートからナガタロックⅡで辛くも勝利した私。
今年行ってきたSOGタイトル戦に負けず劣らずの余韻がそこにはあった。心に染みた。
視覚がなくても魂で生きれる。
だからこそ、視覚表現をする自分に対して大舘さんから渾身のメッセージをいただいたような感覚になった。
試合後、大舘さんとノーサイドで話をした。大舘さんと私は年齢が一つ違い。ほぼ同世代で、同時期のプロレスを観ていた。
大舘さんが履くオレンジのタイツは小橋建太さんのインスパイアによるものだろう。
大舘さんは言った。
「目が見えなくなってから、プロレスが楽しくなくなってしまったんです。どうしたら楽しめるのだろうと、そうだ、自分でやってみたらいいんだって思ったんです」と。
全盲というハードルを自分自身の肉体を使ってトライ&エラーで乗り切る大舘さん。何より"失ってしまった楽しさ"を取り戻すために、自分自身が体験してみることを恐れぬ姿勢。
「自分がやってみる」
そして
「楽しさを取り戻す」
「楽しさ」とは生きるための何よりもの動力源となり、生きるための駆動になる。
視覚が失われていても、肉体を使ってぶつかり合うプロレスは最高のコミニュケーションにもなる。痛み、苦しさ。されど観客の歓声がアドレナリンになり、また生きる動力になる。大舘さんからそんなことを教えてもらった感覚だ。
数日後に行われた名古屋での試合で大舘さんは袈裟斬りチョップを披露したそうだ。
私との試合で覚醒し、誕生した袈裟斬りチョップはこれからの武器になるだろう。私もこれでもかと大舘さんからはまだ見ぬ感覚、忘れてはいけぬ感覚を引き出されたが、私もまた大舘さんに何かを引き出せたのだとしたらこんなに嬉しいことはない。
忘れられない一戦になった。
それは視覚に頼らなくとも、一生懸命に生きる、希望を持ち続けた人間の強度とサムシングに満ちている。
私は今後も必ずこの一戦の経験を活かしたい。プロレスでも、映像でも。
ありがとう、大舘裕太選手。
※お写真は観戦に来ていただいたお客様のSNSより拝借させていただきました。


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