田上孝一

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田上孝一
@tagamimp
ぼんやりとした日々を過ごしてます。自己主張がないです。よく本を出します。批判的マルクス主義者です。社会主義理論学会事務局長・日本文藝家協会会員。執筆、講演の依頼、随時受け付けています。連絡先は社会主義理論学会事務局に同じ。アイコンは私ではありません。フォローはご自由に。
赤塚sost.que.jpJoined October 2010

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オンライン連続講座 主要著作で学ぶマルクス 講師:田上孝一 講座回数:全8回 講座日時:2025年11月~2026年3月 第2・4木曜日19時~20時30分 第1回2025年11月13日 第2回2025年12月11日 第3回2025年12月25日 第4回2026年1月8日 第5回2026年1月22日 第6回2026年2月12日 第7回2026年2月26日
偶に書くが、「戦場のピアニスト」で主人公を助けるナチス将校が、初対面の主人公に対してSIeと呼びかけていたこと。この点が非常に重要だったのだが、字幕で「お前」と訳されて、全てが台無しになっていた。なぜ字幕を作るほどの人がこれだけ致命的な誤訳をするのか。意味が分からなかった。
この落合何とかという小僧は士農工商制度もカースト制も本格的に研究したこともなければ、社会理論を知ってもいないだろう。それが適当な知識でもっともらしいことを言うと有難がる人々がいる。日本の病理の一面だろう。
社会学者という身分で、学問的な水準で社会批判を行なうためには、それこそ社会学の古典文献を集中的に研究した上でないとできないが、そのような作業をしている大学院生が、同時にタレント活動などできるわけがない。世間の人はこれが分からない。
高校生から、動物病院の起源についてという全く予期していない質問が来て戸惑った。これはかなりエアポケット的な問いだった。考えたことがなかった。一寸調べてみたらやはりまともな文献は見当たらない。今日的な動物病院はつい最近のことだと見て間違いない。
出版社からの依頼で社会主義入門を書き下ろすことになったが、こんな感じで章立てを考えている。売れるだろうか? はじめに 第一章─今なぜ社会主義なのか 第二章─社会主義をどう位置付けるか 第三章─マルクス以前の社会主義思潮 第四章─マルクスの社会主義思想 第五章─レーニンからスターリンへ
私がマルクスの天才を痛感したのは、『資本論』以上に彼の学位論文だな。二十歳そこそこの若者が書く文章とは思えない。知性の質の違いを感じる。ちなみに内容が難し過ぎてこれまでのマルクス研究ではちゃんとした読解がなされていない。
「クソみたいな論文を書くと、未来永劫、バカだと思われます」。いいんじゃないかね。剽窃や捏造をしないで自分なりに頑張って書いたものならば。
周りに博士号所持者は沢山いるが、何の苦労もなく楽々取れたという者には一度も会ったことはない。この苦労は実際にやってみないと分からないだろう。
ヤフーに付いてたコメント、悪口ばかりだけど、現代倫理学では常識化している理論が世間一般ではこれだけ反発を引き起こすのかと、非常に新鮮だった。
昨日の研究会で思ったのだが、最近は修士で辞めて博士に行かないという人が増えているというか、デフォルトのようになっている。しかしそういう人も研究を辞めたのではなくて、いわゆる在野的な位置で研究を続けたいと思っている。そこでそういう人も持続的に参加できるような研究会や学会が必要
もう今も昔だけど、彼が今時の若者に珍しくレーニンの本を出した際に、的場さんとかが喜んで持ち上げて学会発表させたりしてた。そうしたら本物のレーニン専門家の太田さんにボロクソにやってつけられて、結果彼はレーニン研究を辞めてしまった。その後に今のような政治評論路線になって、
自分の博士号を腐されると不愉快になるのは、プライドとか愛校心以前に、博士号取得までの苦労を否定された気になるからではないか。気楽に苦労なく生きてきた私でも、博士号だけは本当に辛かった。
長年学者やって来て痛感したが、幾ら論文を書いても大抵の人は殆ど読んでくれない。オンライン公開されていると少し読まれるが、反応は薄いか専門研究者に限定される。本にして初めて読んで貰える。それも編著や共著だと駄目で、あくまで単著。しかも浩瀚だと通読されない。結論は、短い単著がベスト。
めでたく出版が決まったので、早速宣伝。今回の本もごついよ。 新村聡・田上孝一編著『平等の哲学入門』社会評論社9月刊行予定 序文 新村聡 序章 平等とは何か 新村聡 第Ⅰ部 平等の思想史 第一章 アリストテレスの平等論 石野敬太 第二章 ルソーの平等論 吉田修馬
頭の良さなどという軽いレベルではなく、本当にマルクスが凄いなと思ったのは、『資本論』ではなくむしろ彼の学位論文を読んだ時だった。『資本論』が偉大なのは言うまでもないが、20そこそこの若者がこんな独創的な文章を書いたのかと、心底驚嘆した。
カントは三批判書から読もうとするから挫折する。全集にしか入っていない「単なる理性の限界内の宗教」や講義録から読めばよい。
毎日2000字を一年間休むことなく書くと70万字を超え、5冊分くらいの分量になる。これだけなのかと、これほどなのかという両方の思いがある。ゴーストを使わず年に何冊も書いてる人はこのペースを維持しているわけだ。
ある短大の紀要を見たら、論文ではなくエッセーみたいなのが論文枠で掲載されていて、しかも連載番号が付いていた。論文は書けないが、数年に一度は義務で書かなければいけないのでそうしているようだ。こういう大学教師は少なくない。
哲学専攻などでは勘違いしてる人が多いが、「本を読むのが好き」、「勉強が好き」というだけの人は研究者に向いていない。「テキストへの欲望」がないといけない。
文学博士または博士(文学)で、メインタイトルにマルクスが含まれる論文、またはマルクスそのものをテーマにした研究での学位取得者って、未だに私しかいないんだよね。嘘のような本当の話。日本の哲学科でのマルクスの位置を象徴的に示している。
博士号、単著、教科書、単独編著、一般書に新書の出版と、運に左右されず基本的に実力で可能な夢がことごとく実現してくると、欲望のレベルがどうしても上がってくる。ということで、最後に残った夢はベストセラーということになる。
新目の英語圏の倫理学や政治哲学の話をする若者の多くが、名前は出すもののしかしカントそのもの原典を熟読していない印象がある。ドイツ語で熟読しろとは言わないが、翻訳ででも主要著作全て読み通して欲しいものだ。
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研究者としてではなくて評論家としてスターになったのだが、その頃には個人的には彼について興味をなくしていた。ただ最近、素人ながら資本論について書いた本が話題なので読んでもいいかなと思っていたが、一寸どうなのかなという感じがした。
日本は盗作に甘いよね。二回盗作で大学を二度くびになりながら、三度返り咲いて教授をやっている人もいる。嘘のような本当の話。しかも三校とも違う専門という。ある意味天才。
今、自分が若手研究者だとして、合理的な行動選択としては先ず何としても30前後で博士号を取る。早いほどよく、できれば出版もしたい。そして何とか有期の職に就いて、5年程度をリミットと考える。その間に任期なしに就けなければすっぱりと辞めて方向転換する。
そもそも論で、誰かが自慢してるとして、それを不愉快だと弾劾しようとする精神性が理解できない。私などはむしろほほえましく感じる。自慢を許さないというのは、出る杭は早速打ちつけるという日本的閉塞性の現われなのか。
哲学科を出たところで殆どの学生は哲学教師にならずに普通に就職していくのだが、個人的な観測範囲では哲学専攻を選んだことを後悔している者に出会ったことはない。狭い範囲ではあるが、何しろ長年にわたる経験なので、少しは信憑性があるだろう。
今度出る疎外論入門の章立て予定 第一章 どうしてこの世はままならないのか──疎外とは何か── 第二章 人間は何に囚われ続けているのか──ヘーゲル以前の疎外論── 第三章 自己意識と神の正体──ヘーゲルとヘーゲル左派の疎外論── 第四章 否定すべき現実としての疎外──マルクスの疎外論──
10年間ドイツ語教えてたけど、概ね格変化で挫折する。つまり最初で。英語から入るとどうしてもそうなるのだろう。第一外国語をドイツ語か、思い切ってラテン語にしたりすると、余裕で第七外国語とかできるだろう。
新書の原稿を読み返してるが、これは凄いよ。ごつい。ヘーゲルやヘーゲル左派の疎外論をこれだけ詳しくかつ分かり易く説明した文章は見たことがない。
私も38から40くらいのころは定職に就けていないことに落胆したり、ほぼ全員、自分より業績のない者が定職に就いていることに憤ったりしたが、それから十余年の間に大量の著書を生産し、今は更に多くの本を書くために何よりも自由時間が必要なため、下手な定職はむしろ不要になっている。
ひょっとすると、学部の入学難易度と博士号の取得難易度が比例すると思っている者がいるのかも知れないが、そのような比例関係はない。このことは、学部の偏差値自体がない放送大学の博士号で力強く証明された。
金のある教授連ばかりが献本されて、金のない院生が献本されないのは不正だというのはその通りなので、著者は積極的に院生に献本するとよい。
好評だったのに増刷せずに絶版にされてしまった『マルクス哲学入門』が、中国語版で復活することになった。版元は共産党直属の大手出版社ということで、一寸驚いた。これを機に、どこか文庫か新書で復刊してくれないだろうか?
新書のタイトルだが、『はじめての動物倫理学』に正式決定とのこと。シンプルでいいのではないか。
古市は全く興味なかったのだが、面白いと言われたから読んだら余りの下らなさに驚いて、そのレベルの低さを呟いたら本人にブロックされたという。
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第六章─ソ連とは何だったのか 第七章─旧ユーゴスラビアの教訓 第八章─社会民主主義の展開 第九章─中国をどう見るか 第十章─キューバ及び第三世界社会主義をどう見るか 第十一章─モリスとオルタナティヴ社会主義 第十二章─エコロジーと社会主義 おわりに