【10月10日刊行】勝山海百合/レイ・ネイラー『絶滅の牙』(金子浩訳、創元SF文庫)解説[全文]
本稿は2025年10月10日刊行の創元SF文庫『絶滅の牙』巻末解説を転載したものです。(編集部)
マンモスは忘れない
勝山海百合
本書『絶滅の牙』は、アメリカ合衆国の作家レイ・ネイラーによる中編The Tusks of Extinction(2024)の全訳である。本書はネイラーの三冊目の著書で、ヒューゴー賞ノヴェラ部門を受賞し、ネビュラ賞、ローカス賞ノヴェラ部門の候補作となり、ニューヨークタイムズとワシントンポストの年間ベストブックにも挙げられた。
本書はマンモスの群れを率いる年長メスのダミラが、群れを離れた若いオスの血の匂いを嗅ぎつける場面から始まる。
近未来、シベリアに設けられた広大な保護区に復活マンモスが放たれた。しかし、人工環境下で生まれ、飼育された復活マンモスは自然環境下では脆弱だった。一計を案じた保護区管理者のアルマス・アスラノフ博士は、一世紀前の生物学者で象の保護活動にも携わっていたダミラ・ヒスマトゥリナ博士の生前の意識をマンモスの年長メスに移植し、彼女の知識で群れを導き守ってもらおうと考えた。野生下の象が絶滅して久しく、象を間近で見、その生態を知る生きた人間もまた地球上からいなくなっており、他に適当な人物はいないための苦肉の策であった。その企みは今のところ成功していた。しかし、かつてダミラが守ろうとした象が象牙を狙った密猟によって絶滅したように、復活マンモスもまた、牙を目当てにした密猟者に狙われていた。ダミラが嗅いだのは、密猟者に殺され、牙を奪われたオスの血の匂いだったのだ。ダミラはマンモスを殺した人間を追跡する……。
マンモスの嗅覚は鋭く、記憶力も優れており、匂いを嗅ぐことによって思い出す力も強い。匂いと記憶が密接に繫がり、積み重なった記憶は常時参照可能な状態になっているらしい。過去を鮮明に思い出しつつ、注意散漫にならずに作業することができるのだ。マンモスに意識を移植されたダミラは、マンモスの記憶の構造に驚きながらも馴染んでいく。ときおりダミラ自身の過去の記憶が浮かび上がるが、その記憶は、モスクワで意識をアップロードされたところで終わっている。親友でもあるケニアのレンジャー、ワムグンダの死を知らされたところまでで、自分がそのあとどう生きて、どんな死に方をしたかは記憶にない。覚えているのは、長い眠りから起こされたときに、アスラノフ博士に説明されたことだけであった。
人間であるダミラの意識をマンモスに移植するだけでも倫理的に問題がありそうな大事だが、アスラノフ博士はこれから先も保護区を存続させ、復活マンモスを繁栄させるために、収益を得られるようごく限定的ではあるが狩猟を許す。そうして物語は大きく動き出す。国家予算規模の代価を払ってマンモス一頭を狩猟する権利を得た大富豪男性アンソニーとその夫ウラジーミル、アンソニーたちとは別ルートで一攫千金を狙う密猟者たちと、密猟者の息子スヴャトスラフらがやってくる。群れを守ろうとするダミラは、かれらを迎え撃つ。
この物語では、人類の身勝手さ、例えば野生動物を乱獲で絶滅させ、罪滅ぼしのように復活させようとすることの矛盾を低く響かせながら、いくつかの人間関係がマンモスの足音とともに変化していく。
アンソニーとウラジーミルのカップルは、いまのところ安定した関係にあるが、それというのもウラジーミルがアンソニーの狩猟へのこだわりを見て見ぬふりをしているからだ。夫が世界各地で大型獣を狩猟しているのは知っていて、快く思っていないものの、そちらにはことさら興味を持たないことで愛情を持ち続け、結婚生活を継続していた。しかし今回、アンソニーはシベリアへの狩猟にウラジーミルを同行させる。ウラジーミルはマンモスに銃口を向けるアンソニーを見たら、積み重ねた愛情が消えそうな気がしているし、アンソニーはおそらくは、狩猟をする自分も見て、まるごと愛して欲しいと望む。本書における狩猟は一方的な支配欲の行使で、マンモス狩りは富と権力の誇示に他ならない。シベリアへの狩猟旅行に同意したところから、二人の離別へのカウントダウンが始まっているといえるのではないか。
密猟者の息子スヴャトスラフの父親は滅多に帰宅せず、彼はほとんど母親に育てられた。母の死によって、父親と行動をともにするようになるが、密猟者の父親とその仲間たちの荒くれで向こう見ずな生き方には違和感を覚えていた。父親たちが二頭のマンモスを殺したあと、その違和感は大きくなるばかりであった。
ダミラはシベリアの地方都市トムスクの貧しい母子家庭出身で、モスクワの大学に進んでからは、一度しか母に会っていない。不仲ではなかったが、母とは価値観も生き方もまるで異なることに気がつき、帰郷しなくなる。
カップルが、親子が、分かり合えないことを分かって、静かに離れていくことは、たいていの場合は難しい。ダミラが学生時代に暮らしていたモスクワとトムスクの間には幸いにも距離があり、母親もまた娘が自分とは異なる人生を歩むことを理解したようだが。
冒頭で、群れが若いオスを追い出したエピソードが出てくる。結末でも、マンモスと出会った若い人間が、群れと行動をともにしようとするものの押しのけられる場面がある。成長のためには、相応しい場所にいなさいと言葉でなく行動で語り掛ける。物語の構造として美しい。
絶滅動物を復活させ、それを興行として利用すると言えば、映画『ジュラシック・パーク』(スティーブン・スピルバーグ監督、マイケル・クライトン原作、一九九三年)とそのシリーズがもっとも知られたフィクションのひとつであろう。
著者も参考文献に挙げている、絶滅した生物を現代の科学で復活させる計画についてのノンフィクション、ベス・シャピロの『マンモスのつくりかた絶滅生物がクローンでよみがえる』(宇丹貴代実訳、筑摩書房、二〇一六年)は興味深い一冊だった。シャピロは、永久凍土が緩む夏になるとシベリアで絶滅動物の遺体を探すし、どこかで状態の良い絶滅動物の遺体が発見されるたび、マスコミからこれでクローンを作ることはできるかと意見を求められる専門家だが、琥珀に封じられた蚊から恐竜の血液を取り出してクローン恐竜を作る『ジュラシック・パーク』のようには、絶滅動物を復活させるのは難しいと記していた。しかし原著は二〇一五年のもの。科学技術は進むし、ブレイクスルーが起こる可能性もある。とはいえ、実現したとしてもよほど高い倫理規定を設けて運用しない限り、『ジュラシック・パーク』よろしく、復活動物を人間が制御しきれずにひどい目に遭う未来が透けて見える。
《ジュラシック・パーク》シリーズと『絶滅の牙』が異なるのは、復活動物側/マンモスのダミラの視点で語られるパートがあり、マンモスの行動の理由が明らかにされているところだろう。マンモスの力の行使にはすべて理由と意味があり、利己がまさる人間側は分が悪いことを突きつけられる。両作品とも、復活動物の扱いについて高い倫理規定を設け、かつ遵守されていたら別の展開になっていた可能性も高い。
ところで、『マンモスのつくりかた』に登場するロシア科学アカデミー北東科学局のセルゲイ・ジーモフは「シベリアの自宅近くに更新世(プライストシーン)パークを設け、いずれ復活するマンモスの受け入れ準備を進めているところだ」と語っていて、本書のアスラノフ博士を思い出さずにはいられなかった。更に言えば、ドキュメンタリー映画『ジェネシス2.0 よみがえるマンモス』(クリスチャン・フレイ監督、二〇一八年)では、夏に北極海のニューシベリア諸島を訪れてマンモスの牙を発掘する牙ハンターたちの様子が見られる。高く売れる良質の牙を求めてヤクーツク(サハ共和国)からはるばる海を越えて(途中の海路だけで三百五十キロメートル、二日かかる)島にやってきた男たちは、始皇帝陵に副葬された兵馬俑の兵士のような顔をしており、掘り出されて海を渡った牙は、待ち構えていた牙バイヤーに買われていた。『絶滅の牙』に海は出てこないが、このドキュメンタリー映画も本書のイメージソースのひとつのように思われる。
著者のレイ・ネイラーは一九七六年カナダ・ケベック州生まれ、カリフォルニア州育ちの作家。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で国際外交学の修士号を取得。二十年のあいだロシアや中央アジア諸国、バルカン半島、ベトナムなどで過ごし、外交や平和維持活動、国際開発援助に携わっていた。現在はワシントンDC在住。
一九九六年から作家活動を始め、これまでに四十編以上の中短編小説を発表している。独自の言語と文化を持つまでに進化したタコを中心として意識の本質に迫る初長編The Mountain in the Sea(2022)はローカス賞第一長編部門を受賞し、ネビュラ賞、クラーク賞の候補となった。第二長編となるWhere the Axe Is Buried(2025)には、新しい肉体に意識をダウンロードすることによって長期政権を維持している大統領が登場する。本作に登場した、意識を脳の外部にアップロードし、移植する技術がこちらでも使われているようだ。
■勝山海百合(かつやま・うみゆり)
岩手県生まれ。2006年「軍馬の帰還」で第4回ビーケーワン怪談大賞を受賞。また翌07年に「竜岩石」で第2回『幽』怪談文学賞短編部門優秀賞を受賞し、同作を含めた短編集『竜岩石とただならぬ娘』により本格的にデビュー。11年、『さざなみの国』で第23回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。主な著作に『厨師、怪しい鍋と旅をする』『玉工乙女』『狂書伝』ほか、現代語訳を手がけた『只野真葛の奥州ばなし』など。また翻訳も手がけており、ユキミ・オガワ「さいはての美術館」の翻訳で25年星雲賞海外短編部門を受賞したほか、S・チョウイー・ルウ「沈黙のねうち」「稲妻マリー」「年々有魚」、L・D・ルイス「シグナル」などを訳している。


