縄文農耕はあった
縄文農耕があったかなかったか議論が続いているようですけど、私は明快にあったと考えています。農耕の定義ですけど、私の場合、種を植えたら(農地をつくったら)農耕だと考えています。現代でも山菜採集等は農耕ではありません。農地をつくれると農作物の生産が可能になります(山菜でも焼き畑でつくれば農耕。亀ヶ岡遺跡付近ではゼンマイの焼き畑農耕の可能性も指摘されるようで、そこだけ切り取れば、寧ろ現代の方が退化しているの(縄文が農耕社会で、現代が採集社会と言えるの)かもしれません)。従って集落が形成されます。粗放農業も農耕と認めるべきだと考えています。縄文時代に集落が形成されている以上、農耕はあったはずだと逆算しています。そうでなくては、あれほどの土器をつくることはありません。
稲作のイメージから逆算したらいけないと思うんですけどね。大陸なんかは結構粗放農業じゃないんですか?もっと視野を広げて、学者さんこそ、世界に通用する定義じゃないと(強硬に縄文農耕を認めたがらない学者の方が普通のように見えます)。
縄文文化は河川の文化とも言われ、アイヌの農耕は雑穀(ヒエ、アワ、キビ、ソバ)栽培主体で(見出し画像はウィキペディア「アワ」Japanese Foxtail millet 02. STRONGlk7)、川洲畑で行われたようです。川を利用した農耕で縄文人は集落を形成し、繁栄した可能性も考えられます。稲作の弥生人とは衝突しそうですが、稲作を受け入れる素地があると見ることも出来、その辺は難しいところですが、河川を重視しなければいけないという意味では同じ文化という切り口で見ることは出来ると思います。
井戸尻遺跡群は長野県諏訪郡富士見町の縄文時代中期を中心とした遺跡で、八ヶ岳山麓は湧水が多いことが特徴です。ここで縄文農耕を立証する農機具が出ています(井戸尻考古館館長の小林公明さんの分類)。
雑穀以外では、大豆や小豆の生産も考えられ、大豆は味噌(干塩)、小豆は「あんこ」にしていたんじゃないですかね?縄文時代に甘味料のアマヅラ(甘葛)も貝塚から出土しているようです。回転摩擦痕跡のある凹石が縄文の農具として注目されますが、大豆や小豆を磨り潰す為の調理具なのでは?鉄器時代以降は木器で調理していた可能性も考えられます(石器時代には、石器で木器をつくるより、石器を利用した方が早いみたいな)。雑穀や稲も磨り潰して餅にした可能性は高いと思いますが、いずれにせよ、小豆に関しては、最近の研究で、日本が発祥だと立証されたようです。人類は環境さえ整えば、独立に採集から農耕を産み出し得ます。鶏が先か卵が先か難しいところですが、定住が重要だと思われる所以です。
ただ、ずっと雑穀栽培や小豆の栽培をやっていたかは疑問が無くもありません。恐らく最初の縄文農耕は(低湿地における?)堅果類(特に栗?)の果樹栽培だと思います。亀ヶ岡遺跡で証拠があるようです。堅果類は採集のイメージが強いと思われ、確かに山とかで採ってくるだけなら、採集だと思いますが、果樹園をつくって栽培していたなら、それはもう立派な農耕と言っていいのではないでしょうか?適地がある限り、果樹園は何処までも増やせますから、人口も増えることになります。そして余剰人員が土偶や装飾土器や勾玉(北陸)・貝輪(関東・伊豆諸島)をつくるなら、これを農耕文化と言わずして何と言うのでしょうか?
縄文時代が狩猟採集社会?冗談じゃない。再定義・再検討が必要だと考えています。
参考記事)アイヌ(河川の文化)の故地は北東北ではないか?(増補版)|古墳時代史解題
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