確かにその通りです。
しかし、残念ながら日本において、宗教、音楽、民俗学に全てに知見があり、冷静に書ける人などほとんどいません。しかも、今回はヒンドゥー教やインドの歴史や哲学、ニューエイジ思想なんかも絡むので、余計に複雑です。
ここまでジャンル横断して、背景を理解して、更に本人に話を聞いて、ようやく整理できるぐらい慎重になるべき話題です。
思想や信条は人種問題と同じくらい冷静に語らないといけません。理由は、差別や偏見の構造が簡単に発生するからです。
なので、イメージや断片情報だけで語ることの暴力性を僕はずっと問題視しています。
宗教云々よりもコレをセンセーショナルに消費し、レッテル張りをして、アテンション稼ぎやマネタイズする構造こそ批判されるべきです。
そして、それに加担しているのが、仮にも文芸誌とライターです。
あの文章にきちんと背景を整理し、冷静に語ろうとする意思は僕は読み取れません。
あの文章で批判的に言及されているサードアイやハイヤーセルフ、独自の衣装は、ブラックミュージックやポップミュージック由来とも読み取れる事象です。
ですが、新宗教やスピリチュアルと結びつけて書いてしまっている。
あの迂闊さは、容易に排外主義や差別構造に加担します。
更に良くないのが、書き手自身が自己の過去経験をベースに書いているので、読み手にそうかもしれないと思わせるような構造になっていることです。本来、当事者性と事象の整理は分けて語られるべきですが、あのエッセイは、一つの方向に向かってナラティブを作ってます。
そして、それは明らかに1人の音楽家を攻撃しています。
カルト宗教批判が主眼であれば、自身の宗教2世の問題と統一教会やオウムの問題だけをエッセイに入れて語れば済む問題です。
そもそもタイトルが藤井風の危うさと近さです。明らかに一線を越えています。
あそこにそれを裏付ける取材はありません。ただ筆者個人の感想と経験が並んでるだけです。
Quote
saki
@sakasakisaku244
でも、藤井風の人気や魅力からしてその背景のサイババを無批判に放置するのも…。誰か適切に書ける人が書くしかないのでは。 x.com/aoismith2nd/st…