黄金の簒奪者たち:その95

 

 「秘密マネー」の実質管理権を有する資金主たちから財務省が国庫に預かっていた「預かり金」の総額数百兆円を超える。だが、財務当局は資金主たちに無断で別予算に転用していたため、国庫はカラだった。資金主たちから「返して」と言われても即座に対応ができないのは普通の銀行も同じで、予約無しに窓口に行って「口座から5億円降ろしたいんだけど」とお願いしても即座に現金は用意できない。金庫にはそんな大金(はした金)は入っていないからだ。

 

 そもそも秘密マネーの借財情報が納税者である国民に明かされることはないが、その支出先を確かめようとすれば、国会審議を経ない特別会計予算の中から一部を垣間見ることはできるものの、戦後ニッポンの台所は秘密マネーの裏保証なしには賄えないきれなかったほどの苦しい財政事情に喘ぎ続けてきたのも事実である。その原因は政治家=長州閥の大盤振る舞い、財界の貪欲な損得勘定、官界の立身出世主義。それらがファンド・マネーを秘密裏にかじり続けてきたのである。逆にいえば、誤魔化しはお得意だが、国家を黒字で経営できる人間などいなかったということだ。そして、これこそが日本という国の本当の姿だったのである。

 

 

 長州閥の大盤振る舞いというのは、政治家たちの「外遊」なる物見遊山の海外旅行と、海外でカッコをつけるための「ODA」なるカネのばら撒きにある。安倍(李)晋三がどれだけ”外遊”でカネを使ったかなど国民は知らないし、シンゾーのファンたちは「安倍さんの外交は凄い」などとトンチンカンなことしか言わないが、要は国庫にカネがないことを財務省に教えられたにも関わらず「外交」という名の「外遊」を繰り広げることで、自分の名前を世界に売り込むのに必死だっただけである。

 

 この「外遊」なる言葉が生まれたのは、明治新政府ができた直後なのに100人以上で”外遊”した岩倉使節団が始まりである。もちろん団長の岩倉具視を筆頭に、明治政府のトップ2人である大久保利通と木戸孝允、伊藤博文以下の薩長サムライ軍団がアメリカ、イギリス、フランスなどのヨーロッパの王国、さらに帰路ではアジアも巡って帰ってきた1年10ヶ月にも及んだ世界一周旅行である。詳細は書かないが、岩倉使節団は訪れた西欧各国で大歓待を受けて、毎日がパーティー三昧。「これは最高!」と感銘を受けた連中は西洋の服に着替え、帰国後に西洋式の大邸宅を持ち、鹿鳴館を作ってパーティーに明け暮れた。

 

 この国は明治維新から何も変わっていない。天皇を手中に収めた薩長の連中は、彼らとその子孫だけが潤うための仕組みを作り出し、それに従わない者たちは国家の中枢から追い出した。たとえ維新軍の総大将だった西郷隆盛だろうが維新に協力した土佐や肥前の志士たちだろうが、お構いなく叩き潰して長州を中心にした”薩長王国”を築き上げた。そのDNAを引き継いだ連中には国家を経営しようなどという思想は微塵もなかった。ただひたすら自分たちが潤うことだけを願ってやってきたのである。

 

 

 ”財界”なるカネの亡者たちの貪欲な損得勘定とは「新産業を起こし、成長産業を育成するために国は補助金を」というやつだ。そして名誉を欲し、「自分も政治家と同じように官僚を顎で使ってみたい」と勘違いした官僚たちは立身出世して政治家を目指した。吉田茂(外務省)、池田勇人(大蔵省)、岸信介(内務省)、佐藤栄作(鉄道・運輸省)、大平正芳(大蔵省)、福田赳夫(大蔵省)、中曽根康弘(内務省)、宮沢喜一(大蔵省)と、極端な言い方をすれば田中軍団 vs 官僚軍団という構図だったのがよく分かる。だが、どちらにも共通するのはファンド・マネーを秘密裏にかじり続けてきたことである。

 

 「政治とカネ」の問題に隠れ、本来の政策である経済論戦が低調なのはいつの選挙も同じで、彼らには経済対策など考えられないのである。特に平成以降の政治家たちは二代目、三代目という政治屋というのが家業の連中ばかりだからである。人口減が進むなか、国力をどう保つか。財源を示さずに、給付や減税といった大盤振る舞いを公約に掲げるのはお得意だが、実現は不得意な連中だ。というか、そんなことを真剣に考えている政治家など自民党にも公明党にもいない。みんな天皇マネーのおこぼれにあずかってきた連中なのだから。

 

 「分配」を掲げる前提となる国の富をどう増やすかはどの党も明確に示していない。高成長の時代と同じ発想で分配すれば、さらに借金が膨らむだけで、それを嘘をついて国民にどう押し付けるかしか考えないのである。そこに与党も野党も関係ないのである。田中角栄がロッキード事件の一審判決で有罪となり、目白の自宅に籠もっていた1984年のある日、なんと国労(国鉄労働組合)の書記長が田中邸に姿を現した。国労は最左派お労働組合で、当時の社会党の支持母体である。それがなんで自民党最大派閥の私邸を訪れたのか。不審に思った田中派の政治記者が田中に疑問をぶつけたところ、田中はこう返している。

 

 「みんな俺のところに相談に来る。賃上げでもなんでも俺が面倒を見ている⋯⋯。日本政治の最大の問題は野党がないことだ」

 「あれ(社会党や共産党)は野党ではない。労働組合と同じで、要求するだけだ。国家を経営する気がない。選挙で勝つだけの候補者を立てていない」

 

 

 田中角栄はこう言っているのだ。「これが日本型の民主主義だ」と。国会審議などというのも茶番にすぎないのだ、と。だから国民民主党の玉木雄一郎代表は「手取りを増やす夏!」などと勇ましいキャッチフレーズを言いながら、裏では元グラビアアイドルの小泉みゆきと不倫関係にあると「SmartFLASH」で報じられ、首長レベルの政治も同次元で、市役所幹部との「ラブホテル密会」騒動の渦中にある小川晶・前橋市長も、市議たちへの2度目の説明のため議会に現れたが、記者たちの追及には市役所ぐるみで“徹底ガード”し、阿鼻叫喚の様相となっている(笑)。与党だろうが野党だろうが関係ない。あるのは自らの欲望だけなのである。

 

 この連載でも書いたが、「夜の内閣府」と呼ばれるゲイバーに現役総理から野党の党首たち、総理になりたい連中に芸能人、スポーツ選手までこぞって現れては店主の爺さんママのお相手を務めるのも、全ては権力とカネのためなのである。なにせこの店には神戸の港とその後ろの山を指さして「ここは全部うちのものよ」「◯◯銀行(メガバンクの一行)はうちの銀行よ」などと平然と言い放つお婆さんが来店するのだ。このお婆さんも財務省にカネを貸している一人で、その資産は天文学的である。もちろん「天皇マネー」の一部を預かっている人である。どんなに偉そうにしている政治家だろうが、「天皇マネー」にはひれ伏すということだ。

 

 日本には孫正義や柳井正のような1兆円、2兆円の資産を持つ者でさえ鼻でせせら笑うような本物の金持ちが存在するのであり、彼らのもとにやってくるのは平然と国民に嘘を付くカネの亡者たちばかりなのである。そんな連中が高級エリートだとか政界のサラブレッドなどと言われているのである。

 

 

 だから財務省にカネを化している資金主たちは怒るのである。高橋五郎氏は『天皇の金塊』の中で、資金主と側近たちの怒りの声を記している。

 

 「ファンドの正体を知る一部の高級財務官僚たちは、国家予算の赤字補填や金融業界のミスを庇ったり、喜ばせたり威嚇したりするためのアメとムチの代わりにファンド・マネーを消費してきた。なかには退官天下りの際の特別ボーナスのつもりでつまみ食いさえする高級官僚たちはあとを絶たない。長年秘密ファンド納税者甘い汁にありついてきた金融官僚と銀行経営者たちの思惑が、秘密ファンドの存在もそれが何のカネなのかも知らない為政者や現役の実務担当官の認識不足をよいことに、預金払戻し手続きにブレーキをかけたのだ」

 

 国庫は空っぽであり、財務当局が慌てふためくことを分かっていながら、金主たちがあえて資金移動を催促したのは、こうした財務省の体たらくを知っているからで、お仕置きのつもりだったということだ。このエピソードは「天皇マネー」「黄金ファンド」が政府財務当局にどう扱われてきたか、これからもどう扱われるのかを暗示しているのである。資金主の側近たちによれば、ニッポン(財務省と銀行)はおよそ合計1800兆円を遥かに超えた”京(けい)単位”にものぼる巨額な秘密ファンド・マネーを終戦期から預かって国家の台所を賄ってきたのだという。しかし、2007年の時点で金主から預かっていたマネーをビタ一文も返済せず、全て使い切っていたのだという。

 

 日本の政界にも詳しいアメリカの評論家チャルマール・ジョンソンは戦後ニッポンにこんな苦言を呈している。

 

 「もはやアメリカにとっての問題は、ニッポンが社会主義または中立主義に方向を変えるかもしれないということではなく、長期間にわたってアメリカ(との間の秘密マネー)に依存して発展してきたニッポン政府が、なぜかくも腐敗し、無能で脆弱であるのかということだ」

 

 
 

 ジョンソンの言っていることは的を得てはいるが、”腐敗した”のではなく、最初から腐敗していた連中しかいなかったのである。それが明治維新の正体であり、司馬遼太郎の小説の如く、「青雲の志を抱いた若者たちが新しい時代を作るために命を賭けた」などという綺麗事ではなかったのである。それを知らない、いや知ろうとしないのがNHK大河ドラマの見過ぎな日本人の精神構造なのである。日本人も一緒になって無能で脆弱な国を作ってきたのである。なにせそうした連中をずっと選挙で選び、今もその連中の子孫が「ジバン・カンバン・カバン」を継承しているのだから。

 

 短命に終わった平成の安倍内閣は統一教会のバックアップを受けて「美しい国」などという統一教会のの思想をスローガンに掲げたが、昭和の田中角栄が掲げたのは「ニッポン列島改造論」という土建屋が考えたベタな発想だった。有名大学を卒業した当時の有識者やマスコミは一斉に「田中のスローガンには理想も精神もない」と批判したが、この国の民は「美しい国」よりも多少は汚れていようと自分のための実益が大切なのである。川に橋をかけ、村に公民館を作り、高速道路を通してくれるという分かりやすくて「ドロ臭い国」の匂いを嗅ぎ出せず、国民のカネを消費するだけの「美しい国」では、一国の指導者としては最初から勝負にならないのである。

 

 日本では地方に行くほど現実的な損得勘定の判断が働く。「花より団子」なのである。これは東京で生まれ育った”お坊ちゃん”では理解できない感覚である。なにせ田中角栄の後援会は『越山会』である。山の向こうの豪雪地帯からやってきた小学校しか卒業していない苦労人だ。1972年(昭和47年)に総理大臣になると、高等教育を受けていないにもかかわらず努力一筋で首相にまで上り詰めた経歴から「今太閤」「庶民宰相」「豊臣秀吉」とも呼ばれたが、この「今太閤」の名付け親は”政敵”といわれた大蔵省出身の福田赳夫である。なにせ岸信介の弟・佐藤栄作が次の総理にしようと考えていたのは福田赳夫だったからだが、エリートの福田をもってしてもそう言わせてしまうのは、ベタだが圧倒的な行動力とカネで政治を動かせたかただ。

 


 福田赳夫とは
「角福戦争」に代表されるように対立した関係ではあったが、実際、田中内閣で愛知揆一大蔵大臣が急死した際、田中は福田に蔵相就任を依頼している。その際福田は、「日本列島改造論で、国際収支が大混乱に陥っている」「日本列島改造論を撤回するならば蔵相に就いても良い」と答え、なんと田中は福田の意見を受け入れ、経済問題については全て福田に任せている。一方福田も、田中を「昭和の藤吉郎だ。いずれは太閤になる器」と常々評していた。福田が田中を「今太閤」と名付けたのは立身出世した豊臣秀吉を小馬鹿にしていたからで、そこには東大出身の元大蔵官僚もプライドが垣間見れる。対中政策をめぐっても両者はよく比較されたが、田中も福田も日中友好団体である日中協会の役員を務めている。要は福田も実益の「団子派」だったということだ。

 

 その膨大かつ明晰な知識と、徹底してやり抜く実行力から田中は「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれていた。雪は春に溶けるからと災害に認められていなかった豪雪のサンパチ豪雪(北陸から九州までの豪雪被害)に、田中角栄は大蔵大臣の時に初めて災害救助法を適用させた人物である。豪雪地帯に素早く「団子」を持っていく力を持っていたから庶民から愛されたのだが、もちろん田中が猪突猛進できたのかは、もちろん「天皇マネー」を握っていたからであり、大蔵省を掌握していた池田勇人に大蔵大臣(1962年)という要職に抜擢されたからこそ、後の天下取りへの道が開かれたのである。

 

 これまで書いてきたように、当時も今も大蔵省は霞が関では別格の存在である。全ての省庁の予算配分を決め、国家予算=天皇マネーを差配するのだ。田中はこの大蔵大臣就任期間の間に、池田の勢威が行き渡る大蔵省内で、得意の人心収攬術と政治力を操り、誇り高き大蔵官僚を押さえ込んだ。当時大蔵省銀行局検査部長だった庭山慶一郎は以下のように語っている。

 

 「池田さんも部下にカネを渡してました。田中さんは池田さんに可愛がられていましたから、その真似をしたんじゃないですかね。ただ池田さんは大蔵官僚出身だから節度というものをわきまえていました。田中さんの方は、出身のせいかドロ臭い。金額も配る範囲も派手だったです。他人の経歴をじつによく知っていて、入省年次はおろか、成績順位や係累までご存知でした。そのへんはものすごく気持ちの働く人でした。高級、下級官僚の別け隔てなく名前で呼びかける。最初は『田中なんて』と馬鹿にしていた連中も、次第になびくようになるんですね」

 

 

 これこそが「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれていた所以である。見るからにエリート中のエリート大蔵官僚な顔をしている池田勇人が首相としてぶち上げたのは「国民所得倍増計画」である。所得倍増計画は、岸信介内閣が手にかけ、1960年に岸内閣の通商産業大臣で計画の推進役であった池田勇人が首相就任後に政策を本格化させた長期経済計画である。池田内閣で閣議決定された際の名称がこの「国民所得倍増計画」で、この計画では、翌1961年4月期からの10年間に実質国民総生産を26兆円にまで倍増させることを目標に掲げたが、その後日本経済は計画以上の成長に至った。

 

 日本の歴史においては、1956年4月から1973年11月頃までを「高度経済成長期」と呼び、この間、日本は年平均10%という驚異的な経済成長を遂げたことになってはいるが、もちろん「天皇マネー」のおかげである。なにせ「黄金ファンド」の権利を岸から購入したのは池田内閣で大蔵大臣になった田中角栄だからだ。田中は池田が進めた利益誘導政治の形成・展開に便乗したばらまき財政により政治基盤を固めていったが、岸、池田時代にまさか田中が将来総理になると思う人は党内にいなかった。なにせ田中は長州閥ではない。山口県の田布施の謎を知る長州閥であり、李氏朝鮮の系譜を受け継ぐ岸・佐藤こそが、戦後日本の支配民族を在日朝鮮人と決めたGHQの正統なる支配者たちなのである。

 

 池田勇人も長州の系譜に連なる人間である。なにせ維新の元勲・広沢真臣の孫・直子と結婚しており、媒酌は時の大蔵大臣・井上準之助である。広沢真臣は長州藩士であり、維新の十傑の1人である。井上準之助は帝大卒業後に山本達雄の勧めで日本銀行に入行し、日銀では高橋是清の知遇を受け営業局長にまで昇進。ニューヨークへの転勤を経て”天皇の銀行”である横浜正金銀行に招かれ、後に高橋の計らいで日銀総裁に任命されている人物である。池田勇人も単に大蔵官僚だからといっても、「閨閥」に入らねば日本国の総理大臣にはなれなかったのである。

 

 だからこそ、山の民の田中角栄が、まさか総理になるなんて思う人間はGHQが作らせた自民党内にはいなかったのである。田中角栄だけが「閨閥」にも入っておらず、純粋な日本人なのに実力で総理大臣にのし上がった人物なのである。その意味では「予定外」の人物だったとも言える。田中が総理だった1973年(昭和48年)、地価や物価の急上昇が社会問題化した上、10月16日に「第四次中東戦争」が勃発。日本で「第一次オイルショック」が発生する。夜のネオンも消え、テレビも早くに終了、主婦は原油価格と直接関係のない物資の買占め騒動(トイレットペーパー騒動・洗剤パニック)に突っ走った。


 覚えていらっしゃる方もいるだろうが、当時は紙資源の不足から、週刊誌や漫画雑誌の頁数が軒並み削減され、小冊子程度の枚数となった。書籍では文字を小さくかつ頁内に多く収めるために行数が増やされるなどが行われたため、21世紀の書籍状況から考えると扱いにくい書籍が相次いで発刊され、漫画の単行本や小説の文庫本が書籍取扱の主力製品となっていた。当時出版された雑誌や本を見れば分かるが、こうした子供の目でも分かる現象は確かに”ショック”だった。筆者の家でもマメに電気を消すということをやっていたし、世の中の雰囲気が一気に暗くなったのを覚えている。

 日本では「オイルショック」の前から
「ニクソン・ショック」による円高不況で”不況カルテル”が沢山できていた。田中が日米繊維交渉でアメリカを怒らせ、アメリカより先に日中国交回復を成し遂げたことによるアメリカの制裁であった。1973年(昭和48年)11月16日、石油緊急対策要綱が閣議決定され、「総需要抑制策」が採られる。これにより日本の消費は一層低迷、大型公共事業が凍結・縮小された。土建屋の田中角栄の力が削がれた瞬間だった。


「第四次中東戦争」と「第一次オイルショック」


 こうした不況は、1975年以降に日本国債が大量に発行される契機となった。それはシンジケート団が引き受けきれないほどの規模となり、1977年に発行後1年以上経過した日本国債は市中売却が認められるようになった。ここに金利を市場の実勢値まで抑える財政上の必要が生じ、1979年に譲渡性預金が導入され、家計の余剰資金を銀行が吸い上げるようになった。一方で1973年から早々に無担保転換社債を認めるなどの社債自由化が推進され、結果として国債の相対的な低リスクが演出されたのである。もっとも、後年の国債残高推移、特に1995年から2005年までの増加率に比べれば、オイルショック当時の発行額はずっと小規模であった。

 

 この時期から日本人に借金を押し付ける国債が大量に発行されるようになった本当の理由は、アメリカが日本に国債の購入を押し付けてきたからである。その額は少なくとも毎年30兆円。それが50年経てば1500兆円である。「日本よ、アメリカが守ってきた(「黄金ファンド」を運用してきた)ことで、お前達も大人になったんだ。親孝行するべきだろう」ということだ。「ニクソン・ショック」とは、1971年8月15日の「終戦記念日」、当時の大統領ニクソンが米ドルと金の兌換停止を含む新経済政策を発表したことにある。以来、世界の金融システムは変動相場制に移行した。とはいえ、ドルは貿易や金融で使われ、富を蓄える基軸通貨であり続け、表向きは米国に莫大な利益をもたらしてきた。

 しかし、それは表向きの話で、要は
「FRBの金庫に本物の金塊がなくなった」ということなのである。しかし、それでも「金塊はある」という前提で、大量にドルを刷り続けたのである。だが、こうしたインチキは長続きしない。するとアメリカは戦争を起こし、金塊と資源の略奪を始める。そこで発生したのが「第四次中東戦争」なのである。アラブからの原油が入ってこなくなって一番困る国、それは日本である。田中角栄は中東政策をそれまでのイスラエル支持からアラブ諸国支持に転換するとともに中東地域以外からのエネルギーの直接確保に奔走する。これにアメリカが激怒したのである。田中角栄は”虎の尾”を踏んでしまったのである。

 

<つづく>

 

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