黄金の簒奪者たち:その96

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黄金の簒奪者たち:その96

 

 「ロッキード事件」と言えば、田中角栄、児玉誉士夫、小佐野賢治という名前が出てくるのは60歳以上の方に多いだろう。特に国際興業グループ創業者・小佐野賢治が1976年(昭和51年)2月16日、ロッキード事件に関し衆議院予算委員会で全日空の若狭得治社長らと証人喚問を受けた際、小佐野が何度も口にした言葉「記憶にございません」は、この年の流行語となり、子どもたちですら真似したものだ。さらにこの言葉はその後の国会答弁でも頻繁に使われ、もはや国会答弁の常用語にもなっている。ロッキード事件では元総理・田中角栄が逮捕されたことで「総理の犯罪」とまで言われた。

 


小佐野賢治の国会証人喚問

 ロッキード事件は、
軍産複合体の中核企業である航空機製造大手のロッキード社の旅客機の受注をめぐって、1976年2月に明るみに出た国際的な汚職事件とされ、日本、アメリカ、メキシコ、ヨルダン、オランダなどの政財界を巻き込んでものである。日本では田中角栄元首相が受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外為法)違反の疑いで逮捕されたが、この時にアメリカで証言したロッキード社の当時副社長だったコーチャンはアメリカ上院で児玉誉士夫を秘密代理人に雇ったこと、代理店の丸紅に工作資金を渡し、全日空にも裏金を支払ったことなどを証言した。

 

 人々の驚きは怒りに変わり、ロッキード事件を、政・官・財の癒着した構造汚職とする見方が次第に強まったが、これは「熱しやすく冷めやすい」という日本人の特性を理解していたアメリカの諜報機関CIAによる情報操作の結果だった。その端的な例は、「児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件」である。1976年(昭和51年)3月23日、東京都世田谷区等々力6丁目の児玉誉士夫の私邸に小型航空機が突入した自爆テロ事件である。児玉(当時65歳)の私邸に、前野霜一郎(当時29歳)が操縦するPA-28-140型機が突入し爆発炎上。前野は機内から黒焦げの死体で見つかった。この前野という男は、当時日活ロマンポルノに出演していた俳優だった。

 

 筆者もこの事件はよく覚えている。等々力には小学生の同級生が住んでおり、中学生の級友も児玉邸の5軒先に住んでいたからだ。前野は児玉に敵対する左翼思想ではなく、三島由紀夫に心酔する右翼思想の持ち主だったが、ロッキード事件に絡んで児玉の様々な罪状が明らかにされるに及び、児玉が思い描いていた民族主義的な思想家ではなく、利己主義的な「利権屋」であると確信し、「天誅を下すべきだ」との結論に至った。前野は事件前に犯行計画を知人に話しており、離陸前には「映画のため」と称し、神風特攻隊の飛行服と「七生報国」と書かれた日の丸の鉢巻を身に付けて記念撮影を行い、搭乗後の無線通信で「天皇陛下万歳!」と叫んだ後、交信はプツリと切れた。

 

「児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件」

 

 田中角栄の逮捕も衝撃的だったが、この児玉邸へのセスナ機特攻事件も世間に衝撃を与えた。この事件の前、容疑の多くが時効を目前に控える1976年2月24日、東京地方検察庁、警視庁、東京国税局は、児玉の自宅などを家宅捜索して逮捕に至っている。小佐野は国会での証言が偽証罪(議院証言法違反)に問われ、1981年(昭和56年)に懲役1年の実刑判決を受けたが、死亡に伴い公訴棄却となり、審理は打ち切られた。小佐野は日本航空および全日空の大株主となり航空業界への進出を狙っていた、と言われている。

 

 今の「Z世代」にとっては「田中?児玉?小佐野って?」であろう。一国の首相が米国のロッキード社から民間航空機の売り込みのため5億円を受け取った疑惑は前代未聞の大疑獄事件に発展し、マスコミの報道は過熱、毎日事件のニュースが載らない日はなかった。しかし、本当に首相にそんな権限があるのか?なにせ検察の主張は、”証言のみ”であった。物的な証拠がないので弁護士団がそこをつけば、起訴されることはなかったという。

 

◆田中角栄は”虎の尾を踏んだ”のか? 

 「ハゲタカ」で有名なノンフィクション作家の真山仁氏はこの問題を調べ、「角栄は米国の石油メジャーのしっぽを踏んだから」とか「米国の頭越しに中国との国交を回復させたから」という陰謀説は間違いであるとしている。この「陰謀説」なる用語が使われている時点でダメだ。今から50年前のこの事件を、今さら「陰謀論」の文脈で語ること自体がナンセンスである。田中金脈を負ったのは立花隆だが、
田中がアメリカを怒らせたことで”虎の尾を踏んでしまった”と最初に書いたのは田原総一朗氏と落合信彦氏である。田原総一朗の取材源は国内の事件関係者たちで、落合信彦の取材源はCIAやDIAにFBI、石油メジャー、そして笹川良一である。

 

 落合信彦氏が幻のデビュー作『二人の首領』を書いたのは1977年の『週刊文春』4月14日号で、「2人の首領 笹川良一と児玉誉士夫」として発表したものである。児玉誉士夫には直接取材はできなかったが、笹川良一は堂々とインタビューに答えている。当時、児玉誉士夫は”日本の首領(ドン)”として恐れられ、メディアでインタビューができる者などいなかった。つまり、この右翼の巨頭2人について書くのは”タブー”であり、その後に何かが起きてもおかしくないとさえ言われていたからだ。

 落合氏の場合、『2039年の真実』の出版に向けてその前に取材していた先はアメリカの表と裏、政治家から警察、FBIなどの表から、CIA、DIA、マフィアに至る裏組織、そして「軍産複合体」を構成する軍需産業からエネルギー産業までで、特に御本人が元オイルマンという関係でオイルメジャーの人間たちにもインタビューが行われている。その文脈は
ケネディ暗殺とロッキード事件という二つの事件の背景にひそむ軍産複合体をめぐるアメリカ2大勢力の闘いが日本へ飛び火したとした。同時に、日本の地下帝国を二分する”二人の首領”の闘いでもあったと、国際ジャーナリストとしての視点で描かれている。

 アメリカのエネルギー産業の意向を理解していなかった田中角栄が、ロッキード事件によって失脚させられたとする内容は落合氏の小説などにも度々登場している。そして、ロッキード事件は「軍産複合体」を憎むケネディ信奉者たちによる反撃であって、そのアメリカ国内の勢力争いに便乗して、勝手にエネルギー外交をひり広げた邪魔な田中角栄も一緒に葬ってしまおうという作戦が裏側で進行していたという話である。一方の田原総一朗氏も、
田中角栄が「日本独自の資源供給ルートの確立」を目指していたことがアメリカという”虎の尾を踏む”ことになった1つの原因としている。

 

 

 それは、石油ショックに襲われる前からの田中の政策であった。エネルギーの安定的確保のため、石油メジャー(ロックフェラー)の支配から独立し、供給源を多角化する必要性を田中は痛感していた。そして、1973年の欧州歴訪、1974年の東南アジア歴訪および中南米歴訪も、日本独自の資源供給ルートを確立するための「資源外交」がテーマだったが、ロッキード事件は、そんな資源外交で「アメリカの虎の尾を踏んだ」ために起きたとする田原氏の意見は、現代の「週刊文春」では「陰謀論が幅を利かせてきた」として切り捨ててしまっている。

 

 元はといえば1974年の『文藝春秋』での立花隆の「田中角栄研究―その金脈と人脈」がその出発点にも関わらずだ。なにせこの立花隆の「田中金脈研究」の元資料が英文だったと言うルポライターもいるのである。週刊文春は今も「文春砲」なるスクープの独り占め状態が続いているが、その元ネタはどこから来ているのかは明かさず(もちろん取材源の秘匿は鉄則だが)、田原氏が月刊『中央公論』の1976年7月号で記した以下の情報は、「いずれも伝聞だ」「証拠を示した回答が提示されたことは、これまでまったくない」として平然と切り捨てており、「この田原論文は、今日に至るまで繰り返し引用され、再生産されてきた。それには理由がある。この論文は、さまざまな陰謀説を満載していて、刺激的に面白い読み物だからだ」とまで書いている。

 

 実際に田原総一朗には取材をしないで、こういう文脈で書いてしまうのが、現代のブンヤたちだ。そこがまた意図的に感じられて非常に怪しい。50年前と今では「週刊文春」の書き手とその裏にいる人達も変わったということだ。実際の田原総一朗氏の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」の前提は、「1974年11月のフォード大統領訪日の直前、アメリカ政府は田中の資源外交の経緯を秘密文書にまとめていた。その中には田中はその5カ月前、ホワイトハウスに”シベリア開発”に関する覚書を提出し、日米協力の推進を重ねて提案していたのだ。これらの文書から「虎の尾」の真相が浮かび上がった」となっている。

 



 田原論文に最初に「情報源」として登場するのは「丸紅の中堅社員K氏」という人物で、彼は次のような疑問を投げかけている。
 

 ●児玉誉士夫がロッキード社と交わした契約書は1969年で為替が固定相場制の時代で、1ドル=360円なのに、契約書の円換算が1ドル=300円というのはおかしい。
 ●児玉の領収証印が古いタイプで、米国西海岸の日本語新聞社の活字から米国で作られたものらしい。
 ●米企業が外国人に支払ったコンサルタント料はニクソンらへの献金に還流したようだ。
 ●ロッキード事件は、ロックフェラー財閥など東部のエスタブリッシュメント対メロン財閥を中心にした新興勢力の内ゲバが起き、ニクソンを血祭りにあげたのが第一幕で、現在は第二幕目が展開されているという。
 ●チャーチ議員がインタビューで「日本こそは国がらみの多国籍企業であり、この超大企業の暴走はアメリカの国益を損ねる危険性がある」などと力説したという。
 ●キッシンジャーは田中の資源政策を“反ユダヤ的行為”と決めつけ、チャーチのスポンサーであるロックフェラーは田中角栄の資料を密かに集めさせた形跡があるという。
 ●『文藝春秋』の「田中金脈研究」の元資料が英文だったと言うルポライターがいる。


 別の情報源は、次のような情報を伝えている。
 

 ●田中の秘書をしていた通産省課長、小長啓一(後の通産省事務次官)によると、田中は資源外交で、英国では北海油田開発への参加、西ドイツでは資源開発協力の委員会設置を提案、ソ連ではチュメニ油田の開発を提案した。
 ●アジア経済研究所の今川瑛一によると、田中が強引な資源外交でアメリカの神経を逆なでしたのは「無神経」すぎたという。
 ●田中派の渡辺恒三衆院議員は、1974年1月の田中のインドネシア訪問時の「反日暴動」について、CIAの関与を暗示した。また『金脈研究』のネタ本はKCIA(韓国中央情報局)から出たという話もあると言った。
 ●田中は辞任の二カ月前から、カナダでトルドー首相(父)と「オイルシェールやウラン資源の共同開発」、オーストラリアのホイットラム首相とウラン濃縮・再処理に至る核燃料サイクル共同開発について話し合った。しかし、アメリカがオーストラリアに横やりを入れ、ホイットラム政権は崩壊、次の政権はウラン探査から手を引いた。
 ●田中はオーストラリアに旅立つ直前の10月22日に外人記者クラブで金脈問題を追及され、結局退陣した。


 田原氏は後年、この論文について次のような説明をしている。
 

 「田中角栄はオイルメジャー依存からの脱却を図って、積極的な資源外交を展開した。そのことがアメリカに睨まれて、アメリカ発の『ロッキード爆弾』に直撃された、という問題提起であった」

 



 「週刊文春」は、「田中がアメリカ政府、またはエネルギー資本の逆鱗に触れたのが事実であれば、その首謀者や動機、証拠についても取材してしかりだが、そんな記述は見当たらない。そんなこともあって、立花隆はこの論文を「ガセネタ」と断じている」と『文藝春秋』で田中金脈を追求した立花隆をヨイショしているが、「陰謀論」と切り捨てた瞬間、自らメディアとしての責任を放棄している。今ごろ天国で創設者の菊池寛も嘆いているに違いない。なにせ田原総一朗は自民党がジャーナリストを懐柔させ、学者に自民党寄りの意見を言わせるため、必ず毎年「官房機密費」を渡しているが、それを唯一拒否したジャーナリストだ。

 田中角栄自身は、元秘書の早坂茂三氏の著書の中で「わたしの資源外交に対して、アメリカのメジャーからいろんな横ヤリがあるだろうとはわかっていたが、それはしょうがない」と語ったとしている。直接取材もしていない現在の「週刊文春」がとやかく言っても、所詮は外野の想像の域を出ない憶測でしかない。落合信彦氏の『二人の首領』には、戦後はアメリカに協力することによってA級戦犯を逃れた笹川良一が、いかにもう一人のドン・児玉誉士夫を追い落としたが書かれているが、重要なのは国会や検察に届けられたアメリカ側の資料を日本に持ち込んだのは笹川良一だったことである。

 

 笹川と言えばもちろん日本船舶振興会だが、ここからの上がりのうち笹川が自由に出来る金は年間300億円だったとある。そして自分の元に取材に来る人間には右だろうが左だろうが構うことなく「現金」を渡している。一度カネを受け取ってしまうと、そうした輩は情報を持ってきてくれると自慢している。その点は田中角栄も同じだが、田中と笹川は犬猿の仲だった。それは田中が日本船舶振興会を乗っ取ろうとしたためで、子飼いの後藤田正晴を送り込むも笹川側からの猛烈な抵抗を受け、田中は乗っ取りに失敗し、笹川は実弟を刑務所送りにされた。笹川はこの復讐に燃える。米国で体制VS反体制の戦いが起き、笹川が体制側の中核企業ロッキードの対日本に関するケチな贈収賄事件の情報を提供したことでロッキード事件に火がつき、田中は刑事被告人、そして田中についていた児玉誉士夫も失脚した。

 

 

 今では当たり前になった疑惑の渦中にある人物を証人喚問し、テレビ中継するのが始まったのも、この事件からだ。そして、眠れる獅子と揶揄されていた東京地検特捜部はこの事件によって名誉挽回し、ロッキード事件における元首相の逮捕は特捜部の金字塔として、今も燦然と輝いているが、この組織を作ったのはGHQであり、その目的は日本政府の隠匿物資=「天皇の黄金」を発見するためだったことを考えると、その運用者だった田中を逮捕させて力を削ぐというのは、アメリカの意向だとすぐに理解できるが、当時も今もメディアはそこには沈黙する。


 大物議員は、誰も捕まらない──。それが、当時の日本の政治の常識だった。ましてや、総理在職中の罪が問われるなど、たとえ全ての証拠が揃っていても、立件など非現実的だと考えられていた。総理大臣経験者が逮捕されるのは、与党であり続ける自民党にとっても大打撃だ。つまり、角栄の逮捕は、自民党の名誉と政権維持にかかわる問題のため、あらゆる手を使ってでも、闇に葬るもの⋯⋯になると思われたが、実際に田中逮捕に協力したのは自民党だった。実力者の日本人総理を退場させ、その子分の日本人たちも葬る。それが極東CIA本部のみならずアメリカの奥の院の決定だったのである。

 田原論文の中に
「田中派の渡辺恒三衆院議員は、1974年1月の田中のインドネシア訪問時の「反日暴動」について、CIAの関与を暗示した。また『金脈研究』のネタ本はKCIA(韓国中央情報局)から出たという話もあると言った」とあるが、CIAに協力してアジア各地で反田中デモをさせたのは笹川良一であり、KCIAがネタを提供できたのはCIAが情報を提供したからである。GHQが作らせたのは在日朝鮮民族を支配層とした自民党であり、それを支えさせるために作った組織が統一教会である。その統一教会の日本のパートナーは在日の岸信介と笹川良一である。もちろん児玉誉士夫も協力した。最初のうちは。

 

 

 日本の中枢深くまで食い込んで支配した韓国系カルト「統一教会」の源泉はGHPとその政策を引き継いだ「アメリカ大使館=極東CIA本部」であり、アメリカ主導で文鮮明に創らせたのが「統一教会」で、アメリカが韓国から日本へ放った〝アメリカの飼い犬〟である。そうでなければ、ここまで秘密裏に庇護され、アメリカの傀儡の「自民党」と共謀して日本人を支配することなど出来るわけがないからだ。東京の「アメリカ大使館=極東CIA本部」が支援したからこそ「統一教会」がここまで最大与党と二人三脚の関係は作れたわけで、自民党の国会議員もCIAの命令に従わなければ、日本の政界で生きていけないようになっていたという事である。

 それに逆らったのが田中角栄で、角栄はアメリカ一辺倒の政治を危険視し、中国とEUとアメリカの「三元外交」を目指した結果、
ヨーロッパの政界でも起きていた「ロッキード問題」で唯一田中だけが潰され、田中の懐刀だった小沢一郎も、民主党の背骨として辣腕を振るった矢先、検察が「陸山会事件」を捏造、冤罪事件を起こした結果、民主党から追放され、背骨を失った民主党はクラゲと化して消滅したに等しい。その後の民主党政権はアメリカの言いなりで、安倍(李)晋三の大切な宿敵を演じる存在となった。

 

 田原論文にある「キッシンジャーは田中の資源政策を“反ユダヤ的行為”と決めつけ、チャーチのスポンサーであるロックフェラーは田中角栄の資料を密かに集めさせた形跡があるという」という部分だが、実際、田中角栄は「黄金ファンド」の支配者たち金融ユダヤ人たちを怒らせた。この場合の「ユダヤ人」とは血統的なユダヤ民族のことではなく、黒い髪と黒い瞳のスファラディー系ユダヤ人(パレスチナ人を含む)を弾圧、自分達が本当のユダヤ人として支配する白人種のアシュケナジー系ユダヤ人で、血統的には偽物である。

 


 

 このアシュケナジー系ユダヤ人の 筆頭が、世界金融の頂点であるロスチャイルドの傍系のロックフェラーの番頭とされるヘンリー・キッシンジャーで、ニクソン政権で国務長官を務め、日本の頭越しに「米中国交正常化」をやってのけ、90歳を超える高齢となっても隠然たる影響力をホワイトハウスに及ぼしていた。そのキッシンジャーは、ユダヤ人として大和民族を徹底的に毛嫌いしていることが有名で、その理由は、当時の田中角栄がアメリカを差し置き、先に中国との「国交回復」をやってのけたことが許せない原因の一つと言われているが、それだけではない。

 

 田中角栄の時代、日本全体が新しい方向へ向き始めた頃で、巷では『日本列島改造論』が飛び交い、角栄亡き後の現在も角栄待望論が噴出するのは当然で、角栄は高等教育を受けずに宰相に至った稀有な政治家であり、日本近代&現代政治史上最もユニークな人物だった。その田中角栄が逮捕された時、裁判所を出た自民党の幹部達が「アメリカにしてやられた!!」と異口同音に語ったが、キッシンジャーに嫌われたことが原因とされている。ヘンリー・キッシンジャーは切れ者のユダヤ人学者であると共に、アメリカの世界支配の上で外交官として辣腕を振るった男で、チリのアジェンデ大統領をクーデターで倒し、最後には死に追いやった張本人とされる陰湿な陰謀家でもある。

 

 田中角栄は右翼のドン・児玉誉志夫とのつながりが大きな政治家で、「第二次世界大戦(太平洋戦争)」でアメリカの敵だった日本人でも最悪の敵で、GHQのインテリジェンス機関、防諜部隊「CIC」は児玉を「極めて危険な人物」として徹底調査した。児玉は「A級戦犯容疑者」として逮捕され、巣鴨拘置所に収容されたが、李氏朝鮮の血を引く岸信介と同様にアメリカの犬として釈放、戦時中に預かっていた「児玉機関」の莫大な資産を、今の「自民党」の前身である「自由党」創設の資金に提供、アメリカの思惑通り、岸(李)信介政権の1958~59年に、「警察官職務執行法(警職法)」改正をめぐって政局が混乱した際、フィクサーとなっていた児玉は次期首相を決める「キングメーカー」としての地位を固めていった。

 

 

 1950年、アメリカの情報機関は児玉を更に利用しようと、同年3月31日付で「JSOB/合同特殊工作委員会」に配布された児玉の個人ファイルは激変している。「JSOB」とは、当時GHQの情報機関以外に、後の「CIA」など他の情報機関の代表も入れて構成された、情報工作の調整組織で、東京の「アメリカ大使館」が本部になっている。

 

 「児玉の強みは、非常に任侠的な点。私欲のない愛国者。全面的に反共産主義。若者の指導に深い関心あり。カネには非常に無関心」

 「児玉の弱点は、感情的な男であること……悪い友だちから逃れられないので、簡単にだまされやすい」

 

 こうして、アメリカの各情報機関は競い合って、児玉から情報を入手しようとしたが、田中角栄が登場するや児玉は愛国者の正体を見せ始め、アメリカの植民地を拒否するかのように、勝手に中国と国交を回復させ、ヨーロッパとも「原発」の放射能処理の面で積極外交を見せ、田中角栄と児玉誉志夫が勝手に動き始めたことで、キッシンジャーは田中と児玉がアメリカの鎖を断ち切る‶裏切り〟を開始したと判断したのである。

 

 児玉を通じて日本の政界に「児玉機関」の莫大な金「天皇マネー」がアメリカの許可で流れた事は、ワシントンの普通の政治家にとって、パールハーバーに匹敵するショックを与え、アメリカの「WGIP体制」を破壊しようとする二人を表と裏の両舞台から排斥するために仕掛けたのが「ロッキード事件」だった。結果、田中は賄賂に手を出す悪徳政治家として、児玉は日本に害なす国賊のレッテルが貼られ、CIAの誘導によって在日が支配する全マスコミによる朝から晩までの集中砲火によって、平和ボケした日本人はスッカリ信用してしまったのである。

 

 

  キッシンジャーには別の意味で日本人を更に忌み嫌う理由があり、それは自分が偽物のアシュケナジー系ユダヤ人で、アメリカが屈服させた日本人が真のユダヤ人であることへの底知れない怒りと嫉妬心だった。それは死ぬ寸前まで全く変わらず、「太平洋戦争」で地球上から消し去る筈が「玉音放送」で達成できなかった事を、中国の習近平に代わりにさせるよう、頻繁に中国を訪問し、習近平に「アメリカ議会は中国が日本中に核兵器を落としても、日本の為にアメリカを危険に晒す米中核戦争は絶対に起こさない」と煽り立てていた。

 

 戦後の歴代の大統領も、在日系の首相しか全く相手にせず、日本人の首相が力を持つと、田中角栄の様にワザと「ロッキード事件」に巻き込んで失脚させ、アメリカの圧力で消費税導入で経済を急降下させた橋本龍太郎首相は、恨み節でアメリカの「コロンビア大学」の講演後の質疑応答で、「アメリカ国債を売りたい衝動に駆られることがある」と語った為、一気にドルが急降下し、アメリカに逆らった日本人総理をロックフェラーを始めとする「黄金ファンド」の運用主たちが許す筈は無かった。

 

 アメリカに逆らった日本人の政治家は、梶山静六、小渕恵三、中川一郎、中川昭一などが、次々と消されている。その殺し方は、当時、CIAが開発した握手の際に掌(てのひら)から体内に入る毒物で、検出は相当困難とされるだけに、ロシアや中国は、アメリカの要人との握手の際、掌を必ず薄い膜で念入りにスプレー・コーティングしている。そんな戦後歴代のアメリカ大統領の慣習から、純正日本人の石破首相は軽視され、安倍(李)晋三の未亡人の方が、アメリカにとれば圧倒的に活用でき、それは同時に「清和会(安倍派)」の復活を、アメリカが望んでいることを「自民党」に強烈にアピールしている事を意味した。

 

 

 警視庁公安部が作成した「公安ファイル」には「親カルト400人議員名簿」(統一教会系議員)が記され、自民党が自主的にアンケートした党所属国会議員379人対象から179人に「統一教会」との接点が明るみに出ても、そんな程度で収まらないことは明らかだった。そこには「統一教会」と骨の髄までカルトに侵食されている麻生太郎の姿も垣間見え、「勝共推進議員(平成11年2月18日)、前進大会東京大会に祝電を打つ(平成11年3月4日)、前進化西東京大会に祝電を打つ(平成11年3月13日)とマメに「統一教会」と接点を維持してきた。

 

 今や高市政権の”副総裁”という名のキングメーカーに君臨する麻生自身が「統一教会」の提唱する「日韓トンネル」事業に賛意
を示し、推進団体の顧問にも就任していたことで、「公安ファイル」に対する感想を取材しても〝だんまり〟で、公安相手に逃げ切
れるとで思っているのだろうか?なにせ公安は「統一教会」の全イベントに潜入捜査しており、「統一教会」と自民党の一体化を徹底的に調べ上げているのである。

 

 2000年1月19日の「統一教会」のイベントには中曽根康弘をはじめとする自民党の重鎮たちから祝電が贈られているが、イベントのクライマックスに登場したのは越智通雄(元)経済企画庁長官の妻の和子夫人が、大塚克己(当時)日本統一教会・世界平和連合・国際勝共連合会長へ花束贈呈している。彼女は福田赳夫(元)総理大臣の長女で、福田赳夫は文鮮明が「帝国ホテル」で主催した晩餐会に出席、「アジアに偉大なる指導者現る。その名は文鮮明である」と持ち上げる「統一教会」命の総理大臣で、日本人の田中角栄を徹底的に嫌っていた。
 

 

 「天皇マネー」を差配して国民にも政治家たちにも官僚たちにもカネが渡っていた時には、たとえ日本人の田舎者であろうが、在日の自民党の政治家たちも官僚たちも表向き田中と協調関係を保っていた。だが、彼らが隷従するアメリカは「田中外し」を決定した。そこから一気にメディアを使った”田中降ろし”が始まったのである。そのきっかけこそが立花隆が『文藝春秋』に掲載した田中金脈であり、その元ネタは田中憎しの笹川良一と韓国KCIA。ともからのCIAの情報だった。

 

 その情報が渡されたのは在日の政治家たちと東京地検特捜部と一部のメディアであった。田中の後を受けて総理になったのは副総理だった三木武夫だったが、”クリーンな日本人の政治家”に田中降ろしをさせることは非常に都合が良かったが、その三木も単なる”つなぎ”でしかなかった。三木の後に総理になったのは日本のカネを支配する大蔵省で銀行局長、主計局長を歴任、大蔵大臣にも就任した福田赳夫だった。岸信介の弟・佐藤栄作は福田を後継総理にする予定だったが、1972年(昭和47年)7月の自民党総裁選挙で田中角栄に敗れていた。

 

 福田の逆襲は成功、晴れて1976年(昭和51年)12月、 第67代内閣総理大臣に就任した。ここから日本の政界は在日支配が強まり、日本人は総理になっても短命で終わる構造が生まれる。もちろんそれがアメリカの意向だからだが、1978年(昭和53年)12月に総理大臣を辞任した福田は、1979年(昭和54年)1月に新派閥「清和会」旗揚げをする。そして1986年(昭和61年)7月 には派閥を安倍晋太郎に譲り会長を辞任している。ここで岸から安倍晋三にまでつながる在日朝鮮人政治家の本丸が完成したのであり、その後ろには常に統一教会がついていた。

 

 

 田中は池田大作を嫌い、文鮮明も嫌った。なぜなら田中はエセ宗教の力に頼らないプラグマティストだったからだ。決して綺麗な政治家ではなかったが、徹底して日本の現実を考え、類稀な頭脳で必要なカネを算出し、議員立法を自ら作り上げ、カネの力で政治を行った。そんな男に日本人のカネを奪うだけのカルト宗教など日本の敵にしか映らなかったからだ。が、吉田茂以降、日本の政治の中枢は在日朝鮮人の長州閥が乗っ取った。そこに与党も野党も関係なかった。そして、極東CIA本部の意向で動く彼らにとって、日本人の政治家たちは邪魔者でしかなかった。

 

 アメリカは日本人政治家、田中角栄の力を恐れ、田中軍団を徹底的に排除するための工作に従事する。再び「黄金ファンド」に手を入れさせないために。

 

<つづく>

 

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